第450回:日本の秘密特許制度(戦前の秘密特許制度と戦後の日米防衛特許協定出願制度)
前回も書いた通り、今年の知財政策の最大の焦点は秘密特許制度の検討だろう。政府内の検討が今どうなっているのか良く分からないが、秘密特許制度に関してネット上の参考情報はそれほど多くはないので、ここでも、少し調べた事をまとめておく。
(1)戦前の秘密特許制度
12月28日に公開された12月8日の第1回検討会合の資料(pdf)で、全く触れられていないが、日本でも戦前に秘密特許制度が存在していた事がある。
この戦前の秘密特許制度の廃止までの経緯については、特許庁が1984-1985年に発行した工業所有権制度百年史が公式なものとして良くまとまっていると思うので、まず、そこから要点だけ引用する。
(上巻、第425~427ページ)
4 特許の収用及び秘密特許制度
・・・(1)明治18年の専売特許条例における取扱い
・・・(2)明治21年の特許条例における取扱い
特許条例の規定は、「軍事上必要なるもの若しくは秘密を要するものと認めた発明」については制限を付して特許を与え又は特許を与えず、また既に与えた特許を制限し若しくは取り消すことができること並びにその場合には発明者などに相当の報酬を与える旨を規定した(第7条)。(3)明治32年の特許法における取扱い
「軍事上必要なるもの若しくは秘密を要するものに係る発明については」特許局長が必要と認めた場合だけでなく、主務官庁が請求した場合にも「特許に制限を付し若しくは特許を与えず又は既に与えた特許を制限し若しくは取り消すことができる」こととした(第16条第1項)。
・・・(4)明治42年の特許法における取扱い
・・・
明治42年(1909)10月23日、改正特許法26条に基づき、勅令第299号「軍事上秘密ヲ要スル発明特許ニ関スル件」が公布され、軍事上秘密を要する発明の出願の審査、手続等について定め、また、同日公布された勅令第298号「特許権ノ存続期間延長ニ関スル件」の秘密特許関係条項(「国に属する秘密特許に係る特許権の存続期間は、主務大臣が必要と認めれば<自動的に>延長する」とする第1条第2項の規定)と合わせて、我が国の秘密特許制度はその完成を見たのである。
・・・(5)大正10年の特許法における取扱い
・・・
昭和13年(1938)1月29日、勅令52号をもって「特許収用令」が公布され即日施行された。
・・・
特許収用令は時代的要請に基づいて誕生し、戦時生産に必要な特許園などを国家の管理下に置くことにより、国家総動員法を補完する極めて重要な役割を果たしたのである。
・・・(上巻、第486~491ページ)
13 秘密特許
軍事上必要な発明について特許権に制限などを加える規定は専売特許条例以来存在していたが、秘密特許の規定ができたのは明治32年法においてであり、最初の秘密特許は明治36年に与えられている。秘密特許は、明治年間に24件、大正年間に116件が、圧倒的に増加するのは昭和になってからである。
これらの秘密特許は、第二次世界大戦後GHQの命令で公開が指示され、昭和23年10月1日に50件、同11月1日に1,210件、31年7月に312件の合計1,572件の明細書が発行された。その内容をみると、初期には武器など軍事に直接関係あるものが多かったが、その後中心は合成化学や電気通信に移行していく。
・・・(下巻、第28~35ページ)
2 秘密特許の解除と国有特許
(1)軍事的特許等の保全
・・・(2)国有特許、秘密特許等の処分の制限
・・・(3)秘密特許の解除と国有特許の制限の廃止
・・・(4)秘密特許の公表
・・・(5)国有特許の実施許諾
・・・
一方、秘密特許が解除され、他の国有特許と同様に実質許諾されることとなったが、秘密特許のほとんどは旧陸軍及び海軍の所有であった。そのため、秘密特許の解除と前後して旧陸海軍などが所有していた秘密特許を含む特許権などの各政府機関への配分が行われ、第5-14表のように昭和23年(1948)9月16日現在で1,414件の特許及び実用新案権が純兵器関係を除いて各政府機関に配分された。
・・・4 戦時的工業所有権法令の廃止
(1)工業所有権法戦時特例等の廃止と工業所有権制度の正常化
・・・(2)秘密特許に関する法令の廃止
昭和23年(1948)7月15日法律第172号により「特許法等の一部改正」が行われ、審決への不服の訴の東京高等裁判所専属管轄及び弁理士の訴訟代理権の確立などの改正と併せて秘密特許制度が廃止された。またこの特許法の改正に伴い、同日付政令第162号により「特許収用令」(昭和13年勅令第52号)からも秘密特許関係条項が削除された。
・・・
これらをまとめると、戦前、日本にも秘密特許制度があり、旧陸海軍の主導で、昭和以降、戦争の拡大とともに一般的な化学や通信分野も含む形で利用されていたが(同百年史の第427ページの表によると、昭和18年の特許出願203件、実用新案出願18件、計221件が最大件数)、戦後、GHQの指示によって、秘密特許は公開、分配され、制度自体も廃止され、それで何の問題もなく、70年以上にも渡って日本の特許制度は運用されて来たという事になるだろう。
今現在具体的な制度設計はなお不明であるものの、政府が安全保障上重要だと判断した場合に特許を非公開として、公開すれば得られたはずの特許収入を補償金という形で国が拠出する制度を検討している様であって、これは戦前の制度と似た制度を作ろうとしているとも見える。
しかし、強力な陸海軍があらゆる分野にその権限を伸ばし、産官学に渡る協力体制を構築していた戦前ならいざ知らず、防衛省の研究開発費もその関係会社も限られている今の日本で、一般的な研究であれば論文による公表も可能な中(論文による研究成果の公表まで止める事は学問と表現の自由から許されないだろう)、個々の特許出願について政府が安全保障上重要かどうかを判断して非公開とするコストを掛ける事にどこまで意味があるのかかなり疑問であり、また、そもそもその様な判断ができる者が政府にいるのか、補償金額を正しく決められるのかも良く分からない。(戦前の秘密特許も最終的に公開、分配されて何の問題もなかったのであるから、戦前ですら秘密特許制度が安全保障上役に立っていたかどうかも怪しいだろう。)
(2)戦後の日米防衛特許協定出願制度
上でリンクを張った政府検討資料で明示的に言及されているので、これは政府内の検討においても参考にされているのだろうと思うが、日本で秘密にされている特許出願として、もう1つ、日米防衛特許協定(昭和31年条約第12号)による出願もある様である。
これは、そのWikiにも書かれている様に、1956年の協定締結後、長らく協定に基づく出願はされていなかったが、アメリカ政府の要請により、1988年にようやく手続細則が整備され、実施に移されたものらしい。
そして、この協定による出願については、上でリンクを張った政府検討資料中に
1 協定出願の手続
(3)アメリカ合衆国政府は、同国政府が発行する協定出願たることを証明する書面を出願の代理を行う弁理士を通じ日本国政府に提出する。
2 秘密の保持の解除
(1)アメリカ合衆国政府は、秘密の保持を解除したときは、その旨を直ちに日本国政府に連絡する。
(2)秘密の保持が解除されたときは、当該出願は、日本国の適用可能な特許関係法令の規定に従いその処理が再開される。
という手続細則抜粋が載っているので、この手続細則に従って、アメリカの対応出願について秘密の解除がされた時はその事が日本政府に知らされて、この協定による出願も通常の特許出願と同じ様に公開が行われているのだろう。
これも詳細は不明なので、私の推測が外れている可能性も大いにあるが、この日米防衛特許協定出願制度は、幾つかの教科書などで歴史的な事柄として触れられている事はあるが、今回の秘密特許制度の検討まで大してクローズアップされた事はなく、実施当初の1988年当時ならともかく、情報のやり取りの手段や形態も多様化している今となっては、わざわざ秘密の特許出願として技術情報を他国とやり取りする意義は薄れて来ているのではないだろうか。
政府内でどの様な検討がされているのか分からないが、この様な秘密特許協定の現在における意義についても今一度見直す必要があるのではないかと、日本でも秘密特許制度を導入すれば、この協定により日本の秘密特許出願に基づき出されたアメリカの特許出願も秘密にされる事となるのだろうが、今現在果たしてその様なニーズがあるのか、あったとして最近の技術協力から具体的にどの様な技術が対象として想定されるのかについてきちんと検討されるべきではないかと私は思う。
前回でも書いた様に、外国の制度の形をどうにか真似て日本でも何かしらの秘密特許制度を導入できなくもないだろうが、今後、今の日本で本当に必要とされている事は何なのかを明らかにした上で、戦前の制度の様に対象が曖昧な儘一般的な技術まで拡大されて恣意的に特許の公開が停止され、国民の特許を受ける権利がいたずらに制限されたり、先端技術の国際的な保護がかえってできなくなったりしないよう、さらに丁寧に議論がされる事を期待している。
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