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2010年3月21日 (日)

番外その23:青少年健全育成条例改正案についての都の見解に対する個人的見解

 この3月18・19日に、東京都議会の総務委員会で番外その22で取り上げた青少年条例(正式名称は、「東京都青少年の健全な育成に関する条例」)改正案の審議・採決が行われ、継続審議とされ、この改正案は6月の定例議会に先送りされる見通しとなった(時事通信の記事ITmediaの記事参照)。

 勝ち負けの問題ではないが、前からこの問題を追っていた身としては可決も覚悟していただけに、今回の都条例が継続審議になった意味は大きい。最近の反対の広がりには驚くばかりであり、多過ぎて恐らく全部追い切れていないところもあると思っているが、反対意見の表明をして下さった団体としては、私の知る限り、コンテンツ文化研究会全国同人誌即売会連絡会表明意見)、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構表明意見)、東京地婦連青少年問題協議会答申案への意見)、インターネットユーザー協会意見書)、出版労連要請書(doc))、 ネットビジネスイノベーション研究コンソーシアム表明意見(pdf))、図書館協会要請書)、書協雑協表明意見(pdf))、出倫協(書協・雑協・出版取次協会・書店商業組合連合会。表明意見(pdf))、日本アニメーター・演出協会表明意見(pdf))、流対協公表声明)、日本ペンクラブ(公表声明)がある。反対意見の表明をして下さった大学としては、東京工芸大学マンガ学科意見書)と京都精華大学マンガ学部・マンガ研究センター(意見書)がある。反対意見の表明をして下さった企業としては、楽天見解)と竹書房がある。また、作家・漫画家ということでは、評論家の藤本由香里明治大学准教授や翻訳家の兼光ダニエル真氏がそれぞれ陳情をとりまとめ(the-journal.jpの記事も参照)、コミック10社会も「マンガ作家有志およびコミック10社会構成出版社一同」の名義で作家の意見をとりまとめ(コミックナタリーの記事参照)、太田出版も900名以上の署名を取りまとめている(太田出版ニュース参照)。他にも、携帯電話関連では、都議会民主党の総務部会に出席し、意見を述べた藤川大祐千葉大准教授も懸念を表明している(そのブログ記事1記事2参照)。他ブログ等で意見・運動の表明をされている方々は数え切れないくらいである。様々な視点からこれだけ団体・企業・大学・人が動いて下さったのは本当に心から嬉しいと思う。

 これだけの団体・企業・大学・人が反対を表明しなければならないという時点で、相当の非常事態なのだが、この条例改正案は継続審議とされただけなので、6月には確実にまた審議されることになる。さすがにこれだけの反対が集まったからには、都議会で、これらの意見を出した団体・企業・大学・人、また都民の意見も広く聴取した上で公正透明かつ合理的な議論がなされることを期待したいが、これまでの経緯を見ていると、また条例の改正案を実質的に作った都庁の役人(今まで名前が出て来ているのは倉田潤青少年・治安対策本部長と櫻井美香青少年課長(2人とも警察庁からの出向者)、古宮伸浩副参事(恐らく警視庁からの出向者。青少年・治安対策本部のpdf版の都の見解に名前が載っていたのだが、何故かこのpdf版は今消されてしまっている))と特にこれとつるんでいる議員(主として自公議員)が改正の根拠など全て無視して危険な規制強化を押し進めようとして来ることが容易く想定されるので、残念ながら、今後も非常に辛い状態が続くだろうと思っている。個人的にもできることはしたいと思っているが、この問題に関心を寄せている方は、継続審議の採決に気を緩めることなく、片時も都庁・都議会周りから目を離さないことを強く勧める。

 反対が大きく広がる中で、さすがに泡を食ったのか、極めて異例なことに東京都が3月17日付けで様々な指摘に関する見解を出した(東京都のリリース参照)。この見解はほとんど条文に基づいておらず、法律論としてあまりにお粗末でお話にならないレベルのものである。反対の論客に山口貴士弁護士(そのブログ参照)など弁護士の先生も立っており、今回反対意見を表明した多くの人々がこのような拙劣なペーパーに誤魔化されることはないだろうし、継続審議となったことで条文も変わってくると、今の時点で突っ込むことにあまり大きな意味はないと思うので、番外とするが、それでも、これが今のところ規制を進めようとする者が書いた最も公式に近い文書であり、先日の都議会での議論も完全なすれ違いに終わり(himagine_no9氏やmishiki氏によるtwitter実況、「ZEO PROJECT」ブログ記事「草冠に西」ブログ記事他様々な方が書いて下さっている都議会総務委員会傍聴記参照)、条例改正の根拠としてこの文書に書かれている以上のことは出て来ていないようであり、今後反対運動を進めていく上で誰かの参考になるかも知れないので、ここで、念のため、個人的な見解として、この都の見解への突っ込みを入れて行きたいと思う。

 児童ポルノ/第7条・8条・18条の6の2関係では、国においても議論中の児童ポルノの「単純所持」について、都が条例で規制するのは拙速であり、違憲の可能性もあるとの指摘について、都の役人は、

児童ポルノ法は処罰を目的とするものであり、厳密な定義やえん罪防止のための十分な配慮が必要であることは当然。
しかし、条例の規定は、処罰を目的とするものではなく、児童ポルノの被害に遭った青少年の苦しみを考慮し、児童ポルノの根絶に向けて、「児童ポルノは悪であり、許さない」という都民の意識を醸成するとともに、インターネット上等で現に流通している児童ポルノの拡散防止と流通削減のための取組につなげるため、正当な理由がある場合を除いて所持しない、意図しないまま所持していたことに気が付いた場合はこれを削除する、インターネット上で児童ポルノを発見した場合にはプロバイダへの削除依頼を行うなどの自主的取組を都民に心がけていただくためのもの。
このため、「児童ポルノを所持してはならない」との禁止規定の形式をとらず、「児童ポルノをみだりに所持してはならない責務を有する」と規定したもの。
自主的な取組を行わないことについて、罰則等一切の規制は存在しない。
なお、明らかに法が禁止している規制を条例が行うことは違憲であるが、児童ポルノ法が児童ポルノの根絶に向けた自主的な取組及びその促進を明らかに禁止しているものとは考えられない。

と答えているが、そもそも何故青少年の健全育成を目的とする青少年健全保護条例で何故児童ポルノを規制するのかという法目的に照らしたときの根本的疑問に何ら答えていない。さらに、このような規制の影響は、罰則のあるなしにかかわらず、特にコンプライアンスを重視するだろう図書館・企業・個人・団体に確実に及ぶのである。国会審議においてすら児童ポルノの定義に混乱が見られる中で、罰則なしであったとしても、このような単純所持規制の導入は児童ポルノを巡る社会的混乱にさらに拍車をかけることは間違いない。自主的な取組と称して、曖昧な形で焚書の呼びかけがなされる恐れすら無しとしない。罰則さえ無ければ何をどう規制しても良いとするかの如き暴論に取るべきところは何一つ無い。条例における罰則なしの児童ポルノの単純所持規制が表現の自由を規定する憲法第21条に照らして違憲と言えるかどうかは微妙だが、これは法律の範囲内でのみ条例を制定することができるとした憲法第94条には明らかに違反している

 また、不健全図書指定の現行制度として、岐阜県条例の合憲判断最高裁判決のことをあげているが、これも姑息なミスリードである。この最高裁判決は自販機における販売の規制について、つまりゾーニング規制について合憲と判断したに過ぎず、今の条例改正案の合憲性を示したものでも何でもない。昔の規制が合憲だったからと言って別の条文に基づく新しい規制が自動的に合憲なるなどといったバカげたことは無い。このことについては故意に見解中から落としているのだろうが、今回の改正で彼らが入れようとしている規制強化中のゾーニング規制を超える部分(繰り返し指定を受けた者に対する勧告・その名前の公表を規定する第9条の3第2項から第4項)は過去の判例に照らしても明らかに表現の自由を規定した憲法第21条に違背する。(なお、青少年条例に関する最高裁判決の話はまた別途詳しく書きたいと思っている。)

 この都の見解のバカバカしさは、第7条第2号・第8条第1項第2号の「非実在青少年」に関する部分で頂点に達する。実在しない青少年の性を描写した漫画等を規制するのは、表現の自由を著しく損ない、自由な創作活動や芸術文化の振興を脅かすものとする指摘に関する答えは、

現に、近年の不健全指定図書の多くは漫画だが、これにより、「作家の自由な創作活動や芸術文化の振興が脅かされている」との認識が広く都民一般に共有されているとは考えられない。

であるが、都民一般に広く認識されていなければ表現の自由をいくら侵しても良いとするのはメチャクチャである。あくまで表現の自由の基本は権力からの自由であって、その侵害の事実が広く知られているか否かにかかわらず、あらゆる者に対して守られなければならないものである。(都の役人は、自分で持ち出しておきながら何故過去の青少年条例に関する裁判が最高裁まで行っているのかということを全く理解していないと見える。また、この文章は漫画は芸術ではないのでその自由な創作活動をいくら脅かしても構わないとも読めるが、こういう露骨に曖昧な文章を書く連中が条文を作っているかと思うと心底ゾッとする。恐らくこう読む方が役人の見解として正しいのだろうと思っているが。)

 「非実在青少年」の定義が曖昧であるとする極めてもっともな指摘に対する都の役人の見解は、

この規定は、作品の設定として、年齢や学年、制服(服装)、ランドセル(所持品)、通学先の描写(背景)などについて、その明示的かつ客観的な1)表示又は2)音声による描写(台詞、ナレーション)という裏づけにより、明らかに18歳未満と認められるものに限定するための規定であり、表現の自由に配慮して、最大限に限定的に定めたもの。
このような明示的かつ客観的な裏付けがないにも関わらず、単に「幼く見える」「声が幼い」といった主観的な理由で対象とすることはできず、恣意的な運用は不可能。
(例えば、視覚的には幼児に見える描写であっても、「18歳以上である」等の設定となっているものは該当しない。)
なお、青少年への閲覧制限を目的とする不健全図書指定制度や自主規制制度において、著作者が規制されることはなく、創作行為や出版、成人への流通は自由であり、「検閲、弾圧につながる」「漫画・アニメ業界の衰退を招く」との批判は当たらない。

だが、恣意的見解もここまで来ると呆れる他ない。そもそもこのような非実在青少年の性表現規制の根拠は何かとする根本的な疑問に全く答えていない上、表現の自由の制約法令において行政が恣意的な解釈を示そうとすること自体問題であるが、突然「作品の設定」という全く条文に基づかない奇怪な解釈が出て来るという凄まじいデタラメさである。さらに言えば、このような規制と18歳未満の青少年の性表現との関係、18歳未満の青少年の性を表現すること自体を社会的にどう考えるかという多くの人が抱いている根本的な問題意識にも答えていない。また、今回の規制強化にはゾーニング規制を超える部分が含まれているのであり、創作行為や出版、成人への流通は自由などというのも条文に基づかない嘘っぱちである

 「性交又は性交類似行為」については、都は、

条例改正案第7条第2号や第8条第1項第2号における「性交又は性交類似行為」とは、児童ポルノ法等において使用されている法令用語であり、「性交類似行為」とは、手淫、口淫、肛門性交、獣姦、鶏姦など、実質的に性交と同視し得る態様における性的な行為を指すとされている。
本規定は、これらの性交又は性交類似行為を直接明確に描写したものに限定され、性交を示唆するに止まる表現や、単なる子どもの裸や入浴・シャワーシーンが該当する余地はない。

という見解のようである。そもそも無理矢理創作物の規制に児童ポルノ規制法の文言を当てはめようとして無理が出ているのだが、念のために書いておくと、性交類似行為の範囲は必ずしも明確に定まっている訳ではない。言葉で切っている以上、法律用語に必ず曖昧さは残り、概念的な重なりもある。比較の問題とならざるを得ないが、用語としては性交行為<性交類似行為<性器接触行為の順に範囲は広くなる(奥村徹弁護士の過去のブログ記事など参照)。行為として何が「性的」で「性交と同一視し得る」かは主として行為者の主観によらざるを得ないので、行為に関する法律用語を表現規制に当てはめようとしてここでも甚だしい無理が発生している。(そもそも条文に無理があるので書いていてバカバカしくなって来るのだが、確かに単なる裸の描写は該当しないにしても、裸で抱き合う描写などは主観的には問題になることがあり得るだろう。また、18歳未満の青少年の性を表現すること自体を社会的にどう考えるかという多くの人が抱いている根本的な問題意識の答えにはやはり全くなっていない。なお、この都の見解を書いた者が日本語が不自由であることは分かっているのだが、一応突っ込んでおくと鶏姦とは男性同士の同性愛のことであって実質肛門性交を意味する。言葉の並びから見て、この見解を書いた極めて不健全な都の役人は鳥類との性交を想起したのではないかと思うが。)

 「みだりに」「性的対象として」「肯定的に」との規定が曖昧であり、青少年の性行動を肯定的に表現した漫画は全て規制され得るという指摘については、

「みだりに」とは、正当な理由なくということであり、学術的見地、犯罪捜査等の目的で描くものを除外する趣旨である。「性的対象として」とは、読者の性的好奇心を満足させるための描写としてという意味である。「肯定的に」とは、不当に賛美し、又は誇張して、という意味である。
したがって、全体として、みだりに性的対象として肯定的に描写したものとは、未成年者の性交・性交類似行為を直接明確に描いたもののうち、読者の性的好奇心を満足させるための描写として、殊更にその行為を賛美し、あるいは殊更にその行為を誇張して描いたもののことをいう。
したがって、単なるベッドシーンや、主人公が性的虐待を受けた体験の描写がストーリー上含まれるだけで規制されることはない。

と答えているが、やはり全て言い換えているだけであり、言い換えても曖昧であることに変わりはない。いくら言い換えようと表現をどう捉えるかは受け手によるので客観的に決めようがない。さらに規則などでいくら細かく言い換えたところで同じことであり、このような創作物規制の基準を客観的に定めることは不可能である。都の役人は否定しているが、これは現時点での無意味な行政見解に過ぎず、運用次第で単なるベッドシーンや主人公が性的虐待を受けた体験の描写なども恣意的に対象とされることは十分に考えられる。

「18歳未満のキャラクターによる肯定的な性描写」を規制することは、青少年の知る権利を奪い、性を自分の問題として考えるための道を閉ざすものという指摘に対する、

上記の通り、単なる「18歳未満のキャラクターによる肯定的な性描写」を規制するものでは全くない。
今回、新たに指定基準に追加することにより青少年の閲覧を規制しようとするのは、漫画等の設定において明らかに18歳未満の青少年の性交又は性交類似行為を描いたもので、みだりに性的対象として肯定的に描写したもののうち、強姦等著しく悪質なものであるが、これは、青少年がこうした性暴力の対象となることや、近親相姦等の対象となることについて「社会が是としている」というメッセージを、閲覧する青少年に与えることは、青少年の健全な性に関する判断能力の形成を阻害するおそれがあるからである。

という都の見解も全く同断である。作品の設定で決めると言っておきながら18歳未満のキャラクターによる性描写を規制するものではないとするところからして矛盾があり、そもそも対象が曖昧なところでこのような議論をしても無意味であるが、何故、18歳未満の設定のキャラクターの強姦等の性描写によって青少年の性に関する健全な判断能力の形成が阻害されるのか完全に謎という他ない。繰り返しになるが、このような根拠薄弱な強力効果論は表現規制の根拠たり得ない都の役人は青少年の情報の受け手としての能力を完全にバカにしているが、私はこのような青少年の判断能力を一方的に低く見る見解に全く与しない。(ここで言われているところの第8条第2号で強姦「等」と「等」が入っていることも注意しておいた方が良い。「等」を入れた上で、「社会規範に反する行為」という語が大括りになっていることには、将来的に性的描写を超えて反社会的・反道徳的表現を規制したいとするこの条文を作った者の本音が透けて見えるのである。)

 現行第8条第1項の「著しく性的感情を刺激する」で規制可能であり、新たにこのような規定を立てるのは、取り締まりの範囲を限定しているように見せるための目くらましとする指摘についての

「著しく性的感情を刺激」しない程度の表現に止まるものであっても、青少年に対する性暴力や近親相姦等を是とする漫画等を、青少年に閲覧させることは、その健全な性に関する判断能力の形成が阻害される面で適当でない。
一方、これを閲覧規制の対象とするため、「著しく性的感情を刺激し」という現行条文の解釈を、立法によらず、行政が勝手に拡大・変更することは、まさに行政の恣意的な運用による表現の自由の過度な規制であるとのそしりを免れないもの。

という都の見解も、性的感情を刺激しない強姦等の表現によって青少年の性に関する健全な判断能力の形成が阻害されるという強力効果論を根拠なく一方的に押し付けようとするものであり、全くお話にならない。(さらに言えば、今の「著しく性的感情を刺激し、甚だしく残虐性を助長し、又は著しく自殺若しくは犯罪を誘発する」という現行条文自体、現行の東京都規則(pdf)に照らしても広汎かつ曖昧であり、現行規制すらそもそも違憲ではないかと私は思っているが、そうでなくとも、今回の条例改正案は、このような曖昧な規定とゾーニングを超える規制を組み合わせる点でも違憲規制を構成するのは明らかである。)

 業界の自主的な取組を尊重すべきとの指摘に対する、

従前通り、自主規制を基本とした上で、著しく悪質なものに限って都が指定する制度に変わりはない。
運用に当たっては、業界との意見交換や周知により、規定の趣旨への共通理解を十分に形成した上で適切に運用していく。

という答えだが、業界・都民の意見を全く聴取せず、不透明かつ不合理な形で規制をごり押ししようとして、これだけの反発を招いた都の役人がこのようなことを書いても信用されることなどもはやないだろう。今の条例改正案について共通理解を形成することなどもはや不可能であり、何を言おうと不信が不信を呼ぶだけである。

 「非実在青少年」規制は、児童ポルノ法に画像を含めようとすることを企図したものという指摘には、

児童ポルノ法は、実在の児童の被害防止を目的とし、その実現のために処罰規定を置くもので、処罰の対象は成人・青少年を問わない。
一方、条例の不健全図書指定制度は、青少年の性的判断能力の形成の阻害の防止を目的とし、その実現手段は青少年への閲覧規制に止まるもの。
両者は明確に目的や手段を異にするものであり、今回の規定と、児童ポルノ法に画像を含めることは全くの別問題。
なお、国の法律においては、青少年の健全な成長を阻害する図書類の青少年への閲覧規制を定めたものはなく、自治体が条例制定権に基づいてその必要性や範囲を判断すべきもの。

と答えているが、児童ポルノの所持規制に関する条文を青少年条例に突っ込んだ当事者が無関係と言っても何の説得力も無い。確かに児童ポルノ法と青少年条例の法目的が異なるのはその通りだが、今回の都条例についても、都の担当者を調べてみれば分かるように、実質的に青少年問題協議会を動かし、条文を作ったのは警察官僚であり、児童ポルノ法改正問題と今回の都条例問題が深いところで繋がっていることはまず間違いない

 出版社などのメディアが東京に集中している現状では、改正条例は国の法律と同じ効果を持つとの指摘については、

青少年への閲覧規制の効力は都内のみ。

と答えているが、これも全く答えになっていない。特に流通が東京に一極集中していることを考えると、このような規制の影響は相当広範囲に及ぶと考えておいた方が良い。上でも書いた通り、罰則のあるなしにかかわらず、大手になればなるほどコンプライアンスには気を使うので、このような規制強化は表現に関する相当の萎縮効果が見込まれるのである。

 第18条の6の2第2項について、「まん延の抑止」とは、青少年のみならず、成人に対しても規制するものという指摘については、

第18条の6の2の規定における「まん延の抑止」とは、同規定が定義する「青少年性的視覚描写物」を青少年が閲覧又は観覧することを抑止する、という意味である。成人への規制を意味するものではない。
このことは、都や事業者、都民に努力を求める責務を定めた条文(18条の6の2、3、4)において、それぞれ、「青少年が容易に閲覧又は観覧することのないように」と規定していることからも明らかである。

と答えているが、「まん延」という曖昧な語が使われていること自体問題であり(やはり良く使われる「流通」という語と同じく危うい)、この解釈にも現実にはかなり疑問が残る。特に、第18条の6の2第4項で、「都は、事業者及び都民による児童ポルノの根絶及び青少年性的視覚描写物のまん延の抑止に向けた活動に対し、支援及び協力を行うように努めるものとする」と、青少年が容易に閲覧又は観覧することのないようにという限定抜きでまん延抑止の支援を都が行うと書かれていることと合わせ注意しておいた方が良い。(なお、第18条の6の2から第18条の6の4までにわざと児童ポルノと青少年性的視覚描写物を一緒に書き込んでいることからは、都の役人が、条文を使って悪質に両者の混同を狙っていることが見て取れる。また、一緒に書いておくが、第18条の6の5の青少年を性的対象として扱う図書類等に係る保護者等の責務もかなり曖昧である。)

 インターネット・携帯電話関係の見解もおよそおかしなものばかりである。

 青少年ネット規制法との関係について、都の役人は、

昨年4月の法施行後も、法施行後も、インターネット上のコミュニティサイトやプロフィールサイトなどの非出会い系サイトを通じて被害に遭う青少年が増えるなど、インターネットに関し青少年が被害者や加害者となる様々な問題が発生。
「民間の自主的かつ主体的な取組を尊重する」という法の趣旨を遵守することは当然であるが、現に青少年の被害等の減少が見られず、逆に増加している現状にかんがみ、青少年の福祉を阻害する行為を防止し、その健全育成を図る責務を負う都としてはこれを座視することはできない。
このため、同法の規定の趣旨を定着させ、その実効性を向上させるために、フィルタリングの実効性確保に向けた事業者の努力義務など、都として必要な規定を設けるもの。
法の趣旨に反して、民間の自主的な取組を規制し、後退させるものではない。また、個別具体的な有害情報の判断やフィルタリングの基準設定を行おうとするものではない。

と答えているが、この条例改正案は民間における自主的な取組を完全にないがしろにしているので、青少年ネット規制法の理念には無論違反している。大体、青少年の被害の減少が見られず、逆に増加しているということ自体デタラメである。(必ずしも実勢を表していないのでこの数字で一喜一憂することは無意味だが、公式統計上かえって被害児童数が全体としてなお減少傾向にあることは、警察庁の資料(少年非行等の概要(pdf)出会い系サイトに関係した事件の検挙状況(pdf)など)を良く見ればすぐに分かることである。この都の見解を実質的に書いているのはまず間違いなく警察からの出向者なので、これは勘違いでも何でもなく完全に都民を舐めてわざとデタラメを書いていると考えられる。)

18条の6の6の「都が…青少年に対して行われるインターネットの利用に関する啓発についての指針を定めるもの」は、指針という名目で民間の自主活動が規制されるものとする指摘については、

指針について事業者が従うべきとの規定はなく、事業者の自主活動を規制するものではない。
そもそも、本指針は、事業者が主体となって行うものに限らず、広く青少年に対するインターネット利用に係る啓発活動において、インターネット利用に伴う危険性や弊害、その除去に必要な知識を青少年が確実に習得できるよう、その啓発に際して必要に応じて参照可能な指針を定めることにより、多様な主体による青少年への啓発活動の水準の確保と拡大を図るもの。

と都の役人は答えている。これは指針の内容次第だが、この条例案を作った連中の考え方からすると、このネット指針がより規制的なものとなる恐れは十分にある

 18条の7の「自己若しくは他人の尊厳を傷つけ、違法若しくは有害な行為を行い、又は犯罪若しくは被害を誘発することを容易にする情報」は、法の「青少年有害情報」の定義を超えるものであり、インターネット上の有害情報の基準を、「都が」「実質的に規定する」・「拡大解釈する」・「サイト規制を行う」・「表現の自由を侵害する」おそれがあり、また、範囲が不明確であり、自主的な取組を阻害し、フィルタリングの方式を実質的に利用者に強要するものとの指摘については、

法がフィルタリングの対象とすべきものとして定める「青少年有害情報」の定義は「青少年の健全な成長を著しく阻害するもの」。
本条も、法を前提とした上で、「青少年が有害情報の閲覧により健全な成長を著しく阻害されないようにするためのフィルタリング」という法の原点に立ち返り、事業者がフィルタリングの実効性を向上させる際の視点を、現実の青少年の現実の被害・トラブルを踏まえて示した規定。1)の情報が法の「青少年有害情報」の範囲内にあることを前提としている。

本条の主語は「事業者」。
これにより明らかなとおり、1)の情報に何が該当するかの解釈や判断は、法の枠組みどおり事業者が行うものであることから、「都による」「基準の実質的規定」や「拡大解釈」、「サイト規制」「表現の自由の侵害」が行われるおそれはなく、自主的な取組を阻害することもない。

本条の主語は「事業者」であり、利用者がどのようなフィルタリングを選択するかとは無関係。

と都の役人は答えている。これについては、青少年ネット規制法(第101回参照)で、青少年有害情報が定義ではなく例示とされていることが響いている。私自身は青少年ネット規制法自体廃止されるべきだと思っているが、「自己若しくは他人の尊厳を傷つけ、違法若しくは有害な行為を行い、又は犯罪若しくは被害を誘発することを容易にする情報」という規定はあまりにも広汎かつ曖昧であり、重なりが無いとは言えないが、「青少年の健全な成長を著しく阻害するもの」という青少年ネット規制法によって規定される「青少年有害情報」を超える部分は間違いなく出て来るだろう。又はと若しくはの使い方から考えて、「自己若しくは他人の尊厳を傷つける」情報、「違法若しくは有害な行為を行う」情報、「犯罪若しくは被害を誘発することを容易にする」情報という3種類の情報が並列で並べられているのだと思うが、どれも「青少年の健全な成長を著しく阻害するもの」とは言い難いものばかりである。また、事業者が提供する選択肢を狭めるように規制することは、自動的に利用者の選択を狭めることになるのであり、条文の主語が「事業者」であるからといって利用者の選択とは無関係とすることはできない。このような条例による規制は、青少年ネット規制法を超える過剰規制となることだろう。

 18条の7の2の、「フィルタリング解除の申し出に際した書面の提出」は、保護者の自由な選択を可能とする法の趣旨を超えて保護者の意思を制限するものという指摘については、

法第6条は、フィルタリングの利用等により青少年のインターネット利用を適切に監督する保護者の努力義務を規定。また、青少年の有害情報閲覧機会を減少させるフィルタリングは、法第17条により、保護者の申し出がない限りは提供されるもの。
したがって、保護者の意思において敢えてフィルタリングを解除し、青少年の有害情報閲覧機会を増大させる場合には、法6条の規定にかんがみれば、保護者がフィルタリング以外の方法で青少年を適切に監督するよう努める必要があるもの。
本条は、このような保護者の責任と監督に関する自覚を促す機会として、書面の提出を求めるものであり、法6条の趣旨の実効性の確保に資するもの。
書面の提出を解除の要件とする規定ではなく、書面提出の有無にかかわらず解除は可能であるため、法17条の趣旨にも反しない。
なお、同様の規定は兵庫県条例で既に存在し、埼玉県でも議会提案中。

と答えているが、同様の条例の存在が、都における規制強化を正当化することがないのは当たり前のことである(他人がしていることのみをもって自分もしても良いとするか如きは理性とモラルある大人として最低の言動である)。また、書面提出を解除の要件としないと都の役人は言っているが、保護者が携帯電話フィルタリングを利用しない旨の申出をするときは、正当な理由その他の事項を記載した書面を携帯電話インターネット接続役務提供事業者に提出しなければならないと明確に条例で定めているので、これは何を言っているのかさっぱり分からない。さらに、この見解では故意に落とされているのだと思うが、この点で事業者に対する勧告・調査権限を都に付与しようとしていることは、明らかに青少年ネット規制法を超える過剰規制を構成する

 18条の8の「保護者への指導・助言」及びこれに必要な「調査」は、有害行為に至らない程度の迷惑行為に税務調査並みの権限を与えるものという指摘について、

本条の規定は、現実に、特定の者に対するいじめを呼びかける書き込みを行ったようなケースなどで、現実に青少年の健全な成長を阻害する行為が明らかに行われた場合において、その再発を防止するため、行政が保護者に対し、適切に監督するよう指導・助言をするもの。
調査は、指導・助言に必要な事実確認のため、関係者の同意の下に任意の聞き取り等を行うものであり、強制処分を前提とし、強制力を伴う立入調査が可能な税務調査とは全く異なる次元のもの。

と都は答えているが、何故わざわざ税務調査を持ち出しているのかさっぱり分からない。罰則による間接強制こそあるものの税務調査も基本は任意調査であるという突っ込み以前の問題として、指摘の部分で税務調査を持ち出していること自体悪質なミスリードである。任意だとしても都の役人がやって来て条例でこう決まっているからと言って調査・指導・助言をごり押しして来た場合に、拒否できる都民がどれほどいるだろう。インターネット利用において本当に違法あるいは犯罪行為があるとしたら、書き込んだ者が何人であるかを問わず、まずは警察が一義的に対応しなければならない話であり、都が乗り出す話ではない。違法あるいは犯罪行為以外の有害あるいは迷惑行為については、それぞれ状況に応じて、家庭、学校、事業者等々で社会的に対応する話であって、やはり都の役人の入り込む余地は無い。どうせ実質的にこの指導・助言を行うのは都の青少年・治安対策本部青少年課の役人だと思うが、ここまで狂った条例案を作る頭のおかしな役人が、子供のインターネット利用について、家庭も学校も警察も超えて、直接家に訳の分からない道徳・思想の押し売りをしに来ると考えるだけで私はゾッとする。いまや子供のインターネット利用を完全に止めるのは現実的ではないだろうし、本当に今のまま条例案が通ったら、子供を持つ都在住の親には東京都からの引越しを真剣に検討することを私は勧めざるを得ない。

 東京の一千万全都民が全く法律を知らないとするが如きこんな拙劣なペーパーを作ってごまかそうとするような連中が権力に近いところで暗躍している限り、この問題はさらに拡大し続けるだろうし、もはや止めようと思っても止まらないだろう。私も今回の継続審議に尽力された都議の皆様にお礼を書くなど地道にできることをして行きたいと思っているが、この問題に関心を寄せている方は、どうするにしても、是非様々な情報を集めて自分なりの考えをきちんとまとめてから、引き続き都議になるべく直に意見が伝わるよう地道に運動を続けて行くことを強くお勧めする。

 この問題から表現規制問題について始めて知った方も、問題への個別対処に追われる人も、喉元過ぎれば熱さを忘れるという人も多いことだろうが、できることなら、ちょっとした合間に、どうしてこのような明らかな違憲条例案が民主主義国家のあらゆる機構的チェックをすり抜けて議会に提出され、かろうじて継続審議となったが今後可決の見込みもなお強いとされるのか、どうして都庁の中の青少年対策本部・青少年課の主要ポストが全て警察関係者で固められているのか、どうして条例案が実質違憲であるということが分からないはずがないこれらの警察官僚・幹部が国民の基本的な権利も意見もないがしろにして情報統制・表現弾圧にここまで執念を燃やすのか、という国の根本的な仕組みの問題についても少しでも目を向けてもらえればと思う。このような表現規制の問題は表面的・論理的には表現の自由の問題だが、実際には権力の腐敗の問題につながる非常に根の深い問題である。表現の自由からこのような表現規制に論理的に反対するのは簡単だが、表面に現れている問題の根底に潜む権力の腐敗の問題に取り組むことは決して一筋縄ではいかない。権力の腐敗はいくら考えても即効性の対策のない永遠の課題だが、なるべく多くの人に問題の遠因を自分の頭で考えてみてもらいたいと私は心から願う。そのためにこそ表現の自由はあるのだから。

(2010年3月21日の追記:内容は全く変えていないが、誤記をいくつか訂正し、文章を少し整えた。)

(2010年3月24日の追記:1ヶ所誤記を訂正した(「第9条」→「第9条の3」)。)

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コメント

怖いのは、一度制定されれば、解釈次第でどのようにでも運用できるという点。

現時点では「単なるベッドシーンや、主人公が性的虐待を受けた体験の描写がストーリー上含まれるだけで規制されることはない」としているが、果たして10年後、20年後も同様の運用をするだろうか?

いくら現在の議員や都職員が「恣意的な運用はしない」と言っても意味がない。彼らの言葉は将来の運用の保証にはならない。

推進派は「子供に見せたくない」と訴えているようだが、見せたくないのなら、見せなければ済む話である。作家も出版社も書店も、無理に見せているわけではない。保護者が見せない自由はあり、その程度のことは法令を定めずとも、家庭のしつけでできるはずだ。それをせずして、他人の表現の自由を奪う法令を定めるとは、モンスター・ペアレントここに極まれりか。

投稿: | 2010年3月21日 (日) 15時39分

日弁連が単純所持違法化、処罰無しに賛成の
見解を出すそうです

投稿: 飲兵衛 | 2010年3月22日 (月) 02時34分

今回は本当に馬鹿げている。
そこまでしてしまったら日本国民がまるで無機質なロボットになってしまうではないか。
個性が無くなる事を保護者達は恐れないんだろうか?

投稿: むひょう | 2010年12月14日 (火) 00時57分

ていうか何なんですか?今回のは
報道の自由が破られてるじゃないですか!!
まったくもってあきれました
PTAも見せたくないなら見せなければいい
何故そこまで規制したがるのか、甚だ疑問である

投稿: 名無し | 2010年12月14日 (火) 01時02分

ていうか何なんですか?今回のは
表現の自由が破られてるじゃないですか!!
まったくもってあきれました
PTAも見せたくないなら見せなければいい
何故そこまで規制したがるのか、甚だ疑問である

投稿: 名無し | 2010年12月14日 (火) 01時02分

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