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2008年8月31日 (日)

第112回:警察庁・出会い系サイト規制法ガイドラインと施行規則の改正案

 警察庁が、出会い系サイト規制法の改正を受けて、そのガイドラインと施行規則の改正案をパブコメにかけている(ガイドラインパブコメ(9月5日〆切)、施行規則パブコメ(9月20日〆切))。

 ネット規制法などの大問題の陰で、この法改正がすんなりと通ってしまったのは残念でならないが、法律は改正したらそれで終わりというものではない。

 私は、第54回のパブコメに書いた通り、そもそも法改正の必要性と根拠について疑問があり、出会い系サイトを定義して届け出制を課すこと自体に無理があると思っているが、出てきた警察のガイドライン案を見ると、それなりに限定的な解釈をしようと努力した跡が見られるものの、やはり腑には落ちない。

 定義に関するガイドライン案では、法律(現行法新旧対照条文)の

異性交際(面識のない異性との交際をいう。以下同じ。)を希望する者(以下「異性交際希望者」という。)の求めに応じ、その異性交際に関する情報をインターネットを利用して公衆が閲覧することができる状態に置いてこれに伝達し、かつ、当該情報の伝達を受けた異性交際希望者が電子メールその他の電気通信を利用して当該情報に係る異性交際希望者と相互に連絡することができるようにする役務を提供する事業

というインターネット異性紹介事業について、この「相互に連絡」は一対一の連絡に限られ(一対多数の連絡は入らない)、この連絡がサービスの中に組み込まれていなくてはならず、また、サイト開設者がサイトの運営方針として「異性交際希望者」を対象としてサービスを提供している必要があると、ある程度限定的に解釈している。要するに、ここで定義されている出会い系サイトとは、異性交際希望者を対象として、メールアドレスの入力・表示を必須とするような掲示板サービス(メールアドレスの入力・表示の代わりにチャットのような利用者間で一対一の連絡をすることができる機能を組み込んだサービスでも良い)を言うので、通常の結婚相談サイトや、SNS、趣味サイト、メル友サイト等は該当しないとしているのである。しかし、サイトの運営方針の判断は常に難しく、恣意的にならざるを得ない上、

異性交際目的での利用を禁ずる規約等に反して利用者が異性交際目的で利用している実態がある場合でも、サイト開設者が異性交際を求める書き込みの削除や当該投稿者の利用停止措置を行っていれば、当該サイトは、基本的には「インターネット異性紹介事業」に該当しませんが、当該書き込みを知りながら放置するなど、サイト開設者がその実態を許容していると認められるときは「インターネット異性紹介事業」に該当する場合があります。(第2ページ)

ともされているのでは、このガイドラインでも恣意的な出会い系サイトの認定がされる可能性はぬぐえない。書き込みを知って放置したか、知らずに放置したかは必ず水掛け論になるだろうし、第4~5ページに典型例としてあげられている書き込みがあまりにもありふれていることを考えても、このような書き込みを放置しただけで、出会い系サイトに該当するとされる可能性があるというのは、さらに、新法の第32条に規定されているように届け出をせずに出会い系サイト事業を行ったとしてサイト管理者が処罰される可能性まで出てくるのはあまりと言えばあまりである。そこまで恣意的な運用がなされることはないと信じたいが、今の警察については、別件逮捕の恐れも含めて考えておかなくてはならないと私は感じている。特に、メールアドレスの入力・表示を必須としているような掲示板サービスや、SNSサービスの管理者は気をつけておいた方が良いと私は思う。(出会い系サイト事業者の定義に不安がある以上、削除義務に関するガイドラインも良く読んでおいた方が良いだろう。)

 施行規則(概要新旧対照条文)では、細かな手続きの書式等が定められているが、逃げも隠れもできない国内大手サイト事業者を除けば、余計なコストにしかならない届け出をする者はいないのではないか。これは実運用の結果を待ってみないと分からないが、国内大手サイトにおけるコスト増によって、かえって出会い系サイトが国内外で拡散することになるのではないかとも思われる。

 この法律の正式名称は「インターネット異性紹介事業を利用して児童を誘引する行為の規制等に関する法律」なのだが、この本来の目的である児童誘引行為の規制による児童保護を超えて、この法律が、インターネットにおけるコミュニケーションそのものの規制に寄ってきているのは決して看過できない。不正誘引行為は犯罪として取り締まられるべきものであるにせよ、これをコミュニケーションの場・手段の所為にすることには常に危険な論理のすり替えがある。このガイドラインもあくまで行政である警察の示す現行の解釈に過ぎず、警察が運用変更で出会い系サイトの定義をさらに広げてこないとも限らない。この出会い系サイト規制法も今後の運用次第で相当危険な法律となる可能性があるだろう。

 この出会い系サイト規制法の改正法は実運用が難しい上、その効果も疑問だが、もう少し考えをまとめてから、上の定義に関する疑問と合わせて、次の法改正では届け出制を無くして元に戻すべきと考えるというパブコメを出そうかと考えている。

(9月1日夜の追記:総理辞任のニュースがあった。これでさらに政局は混迷するのではないかと思うが、解散総選挙の時期は早まったのではないか。今の与野党は全て何をしてくるか読めないので、予断は禁物だが。)

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2008年8月26日 (火)

第111回:アメリカの3つの重要裁判(私的複製の範囲の広がり・オープンソースライセンスの有効性・フェアユースの重要性)

 大体は日本語の記事にもなっているのでご存じの方も多いと思うが、いくつかアメリカの裁判所でいくつか重要な判断が最近相次いで示されているので、個人的なコメントと一緒にアメリカの裁判の話をここで少しまとめて書いておきたい。

(アメリカの判例自体は、当然アメリカ国内でしか効力を持たないが、日本でも法学者や裁判官はアメリカの判例を良く研究しており、日本の判例や立法にもそれなりに影響してくるので、知っておくに越したことはないだろう。)

(1)私的複製の範囲の広がりとネットワーク録画機の合法性
 アメリカの連邦巡回控訴裁判所が、この8月4日に、リモートサーバーへデータを蓄積する、いわゆるネットワーク録画機の利用を合法とする判決を出している(日経TechOnの記事ITmediaの記事ITproの記事EFFの記事EFFの記事内の判決文へのリンク参照)。

 2006年にケーブルビジョン社が、通常のケーブルTVサービスと一緒に、個々の視聴者の求めに応じて、リモートサーバーへ録画した番組の再生を行うサービスを提供したところ、案の定映画会社等に訴えられたという事件である。判決文はかなり長いのだが、要するに、ケーブルビジョン社が録画・再生に対するコントロールをしておらず、録画・再生が完全に個々の視聴者・STB毎になされることを理由に、サーバーへの複製行為は視聴者がしたものとして、ケーブルビジョン社の著作権侵害を否定しているのである。(このケースでは、ケーブルビジョン社がサーバーへ最初の放送と同時に番組の複製を作っており、視聴者の録画操作毎に番組データを一つ一つ蓄積している訳ではないだけに少しやっかいなのだが、それでも通常のビデオへの録画と実質的に大きな違いはないとしている。)

 この問題は、公正利用がどうこうというより、リモートサーバーへの複製行為を行っているのは誰か、私的複製の範囲をどう考えるかという問題である。最高裁へ上告されているのかどうかは分からないが、アメリカでこのように、その機械的動作ではなく、利用者から見た実質的な動作から、リモートサーバーまで私的複製の範囲が及ぶとする判決が出ていることは極めて興味深い。類似の事件は、日本では、完全に録画機の置き場所貸しに徹したまねきTV事件(internet watchの記事参照)を除いて、ことごとくネットワーク録画機は違法とされているのだが、日本でも、もう少し私的複製の範囲について柔軟な判断がなされても良いのではないかと私は思う。利用者から見た実質的な動作はほとんど違わないにも関わらず、完全に家庭内で録画機を使う場合と、リモートサーバーを使う場合で、判断が違うというのは大きな違和感を感じるのだ。(無論、ここに大きな法律上の議論があることは知っているので、この手のネットワーク録画機に関する各種事件のまとめも書きたいと思っているところである。)

(2)オープンソースライセンスの有効性と著作権法によるエンフォース
 やはり連邦巡回控訴裁判所が、8月13日には、オープンソースライセンスに違反しソフトを改変して頒布する者を著作権侵害に問えるとする判決を出している(ITmediaの記事知財情報局の記事マイコミジャーナルの記事参照)。

 一見何でもないことに見える気もするが、アメリカの経済的重要性も考えると、CNETのブログで、レッシグ教授が判決文へのリンクを張りつつ述べているように、この判決は非常に重要である。

 リンク先の記事にも書かれているように、アメリカの著作権法には法定損害賠償があり、契約法の下で訴訟を起こしたときよりも著作権法で訴訟を起こした方が簡単に差し止めができるという特殊事情もあり、オープンソースライセンスのように非常に広い非排他的ライセンスの場合に、ライセンス違反について、ライセンスが広すぎるために著作権法上の責任を問えず契約違反にしかならないのか、それとも、著作権違反を問えるのかがエンフォースにおいて非常に大きな差となって効いてくることになる。

 もし、地裁判決のように前者の考え方が維持されたとすると、非常に広い非排他的ライセンスであるが故にその損害額も不明として、差し止め等に困難を生じ、アメリカにおけるオープンソースライセンスのエンフォースが実質的に不可能となる可能性もあった訳であり、オープンソースの潜在的利益・下流ユーザーのコントロールの必要性を認め、著作権侵害の可能性を認めたこの判決の意味は確かに大きいだろう。(著作権法の法定損害賠償などのアメリカの制度はどうかと思うところもあり、当然日本では事情は違ってくるだろうが。)

(3)フェアユースの重要性と動画投稿サイトにおける著作物の利用
 以前少しだけ紹介したことがあったかと思うが、赤ん坊が踊る30秒足らずのYoutube投稿動画のBGMが著作権侵害であるとして、削除された問題で、投稿者である母親がノーティスアンドテイクダウン手続きの濫用であるとして訴えていた裁判においても、この8月20日に、連邦地裁が著作権者は著作権法に基づく手続きを進める場合には、訴えの対象がフェアユースに該当するかどうかを考慮すべきであるとの判断を示している(CNETの記事ITmediaの記事EFFの記事EFFのまとめ記事内の命令文へのリンク)。

 この判断もまた非常に重要であることは論を俟たない。一般フェアユース規定は、決して万能ではないが、ネットのように、誰もが表現者たり得、様々な利用が考えられる場において、ケースバイケースで、個人ユーザーと企業・団体間のバランスを取る役割も果たし得るのではないかと思われる。ただ、この判断は、Universal側の反対理由を退けている中間命令に過ぎないので、お互いにかなりエキセントリックな主張をしているこの裁判の勝敗の帰趨は良く分からない。

 これらの裁判は全て最高裁まで行った訳でもなく、まだ判例として本当に定着しているとは言えないかも知れないが、保護と利用のバランスを考慮した判例がアメリカにおいても蓄積されることを個人的には期待したい。

 次回は、この命令などでも書かれているアメリカのフェアユースの要件の紹介と合わせて、日本におけるフェアユース導入の議論をしようかと思っていたのだが、警察庁が、出会い系サイト規制法のガイドラインと施行規則の改正案をパブコメにかけている(ガイドラインパブコメ(9月5日〆切)、施行規則パブコメ(9月22日〆切)、internet watchの記事参照)ので、次回はこれらの話を書くことになると思う。

 なお、少し古い記事だが、イギリス政府が、違法ファイル共有対策案についてパブコメを募集しているというニュース(Zeropaidの記事イギリス政府のHP対策案レポート)も一緒に念のため紹介しておく。最も好ましいオプションは基本的に今の対策の延長線上にあるのだが、オプションの中には、著作権検閲などのかなりきついオプションも含まれており、イギリス政府が今後どのような対策を取って行くのかは要注目である。(きついオプションはそれだけ、実現は難しいと思うが。)

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2008年8月21日 (木)

第110回:著作物再販制度の謎

 再販制度については、wikiにも詳しいので、そちらを見て頂いても構わないが、大分前に予告してそれ切りになっていたので、今回は、著作物再販制度の話をしておきたいと思う。

 著作物の再販問題は別に喫緊の課題という訳ではないが、著作権問題を追いかけていると、必ずぶつかる問題の一つである。普段あまり気にとめていないかも知れないが、他の商品と比較して、文化的・経済的に、本や雑誌、新聞、CDなどが定価販売とされて良いかというと、これは自明の帰結ではない

 このような再販売価格拘束は、通常は販売業者間の競争を阻害するものとして、独占禁止法(「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」)の不公正な取引方法に該当するものとして、公正取引委員会告示で、以下のように指定され、原則禁止されている。

第12項 自己の供給する商品を購入する相手方に、正当な理由がないのに、次の各号のいずれかに掲げる拘束の条件をつけて、当該商品を供給すること。

一 相手方に対しその販売する当該商品の販売価格を定めてこれを維持させることその他相手方の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束すること。

二 相手方の販売する当該商品を購入する事業者の当該商品の販売価格を定めて相手方をして当該事業者にこれを維持させることその他相手方をして当該事業者の当該商品の販売価格の自由な決定を拘束させること。

 しかし、著作物については、独禁法第23条第4項で、以下のように例外的に不公正な取引方法に該当しないものとされ、

第23条第4項 著作物を発行する事業者又はその発行する物を販売する事業者が、その物の販売の相手方たる事業者とその物の再販売価格を決定し、これを維持するためにする正当な行為についても、第一項と同様とする。

 さらに、この条文の中の「著作物」とは、立法当時想定されていたものとして、書籍、雑誌、新聞、レコード盤、音楽用テープ、音楽用CDの6品目に限定されるという解釈・運用が定着しているというややこしい状態にある。(音楽用テープとCDについては、レコードを代替するものとして、後に解釈上追加されたものらしいが、その後の解釈による追加はないようである。)

 この著作物再販制については、毎年の知財計画(2008では第94ページ)に、

④弾力的な価格設定など事業者による柔軟なビジネス展開を奨励する
 消費者利益の向上を図る観点から、事業者による書籍・雑誌・音楽用CD等における非再販品の発行流通の拡大及び価格設定の多様化に向けた取組を奨励し、その実績を公表する。
(公正取引委員会、文部科学省、経済産業省)

とくらいの記載であっさりと書かれ、公正取引委員会で、著作物再販に関する協議会(平成20年度の議事録資料1「書籍・雑誌の流通・取引慣行の現状」資料2「新聞の流通・取引慣行の現状」資料3「音楽用CD等の流通・取引慣行の現状」補助資料)が毎年開催されているくらいのところで、今は落ち着いている。

 今のところはこのくらいで良いのかも知れないが、書籍や新聞、音楽CDについてのみ定価販売を不公正なものでないとする根拠は考えて行くと非常に薄弱である。

 教科書などに書かれている、この再販の例外規定の趣旨は、

  • 戦前からの書籍の定価販売の慣行の存在
  • 不当廉売等の不当競争からの中小の小売りの保護・新聞の個別配達網の維持
  • 多様な書籍・雑誌・新聞・音楽CD等の著作物の発行の確保

などだが、無論、慣行の存在は独禁法上の例外を定める正当化理由にはならず、不当廉売等の不当競争は一般的に独禁法上違反とされるものであるから、特に再販制を認めることまでして業界を保護する必要はなく、再販制を例外的に認めることで著作物の多様性が確保されるという理由ももはや眉唾ものである。再販の例外規定を適用されないDVDやソフトで多様性が確保されていない様子もなく、wikiでも国毎の再販制の状況がまとめられているが、再販制を廃止した国で、文化的な混乱が生じたという話も聞かないのである。(この話でフランスやイタリアにおける制度廃止時の混乱と制度の再導入が引き合いに出されることも良くあるのだが、これらの国においては、法改正時に商慣行のスムースな移行を度外視した硬直的な法運用がなされたことによって混乱が生じたに過ぎず、これらは日本における再販の例外規定存続の理由とはならない。)

 再販制は、販売業者間の競争・消費者による選択を阻害し、その分の利益を販売業者から流通業者、製造業者までで分配するという、消費者が一方的に損をするシステムに他ならず、それは著作物であったとしても違いはない。確かに、著作物の流通・発行コストにそれなりの投資を必要としていたときは、この非競争利益が多少なりとも発行される著作物の底上げ・多様化に役立っていたということがあったかも知れない。しかし、インターネットで非常にローコストで文化・著作物の多様性を確保できるようになった今となっては、この著作物における再販制の許容による非競争利益は有体物による既存の情報流通を必要以上に保護するものとして、既存の著作権関連業をインターネットから必要以上に乖離させるものとして機能してしまっているのではないかと私は思う。

 情報そのものを取引する場合や国際取引の場合は多少注意が必要だが、一旦有体物に定着された著作物の取引については、基本的に他の物と同じように取引されて問題が発生するとは考えがたく、この独禁法の第23条第4項はもう役割を終えたものとしてじきに廃止されて良いものと私は思う。ただ、再販制の許容によって保護されている各業界にはその歪みが蓄積しており、急に廃止すると確かに混乱すると思われるので、その緩和のための地道な政策も必要となるだろうが。(公取も含め、このような地道な政策ができる官庁が存在していないということもこの問題を本当に厄介なものとしている。)

 各業界の状況については、上でリンクを張った公取の資料に詳しいが、これらの資料によると、書籍については、取次の約3割が委託配本取引、約5割が注文品取引(商品の補充のため又は読者からの注文に応じて書店等が取次に注文を行う買い切り扱いの取引)、雑誌は約9割が委託,約1割が注文であると言われているらしい。さらに、委託配本では、書店等の希望とは必ずしも関係なく、出版社による指定又は書店等の入金率、売上実績等に基づいた配本パターンに従い、書籍・雑誌を取次が書店等に配本すると、注文品取引は、返品不可の買切扱いであるにもかかわらず返品が広く行われているとも書かれており、ここ10年近く本の返品率が40%近くで高止まりし、雑誌の返本率も30%を超えて高止まりしていることを見ても、書籍業界では、再販価格維持を含む特殊な契約と返本制に頼り切った馴れ合いの非効率な取引がまかり通っていることが見て取れる。(委託配本に書店の希望があまり通らない状況の中、注文品取引が本来の意味を超えたバッファとして機能しているのだろう。契約と商慣行を詳しく調べてみないと良くは分からないし、公取の資料に堂々と書かれているので何とも言い難いのだが、再販制がどうこう言う以前に、このような馴れ合いのいい加減な取引自体、不公正な取引として独禁法違反のような気が私にはしている。)

 音楽CDについては、やはり上でリンクを張った資料によると、発売ら一定期間(6ヶ月)経過後に再販売価格維持の対象から外される時限再販の音楽用CDの出荷数量割合が2007年12月時点で、邦楽盤でアルバム:81%、シングル:93%、洋楽盤で、アルバム:98%、シングル:100%となっているそうである。ただ、同じ資料中でも突っ込まれているように、確かにその割に値引きが広く行われていないようにも思う。発売後6ヶ月経ったCDがどれくらい売れるのかということもあるのだろうが、CDはずっと定価販売と考える消費者の誤解に便乗して定価販売を続けているレコード屋も多いのではないか。CDとDVDのセット商品が非再販扱いであるにもかかわらず、その販売点数が増えている点からも、再販制と著作物の多様性の確保は実はあまり関係ないことが見て取れるのも興味深い。(なお、この資料には還流防止措置に関しても突っ込みがある。また、確証はないのだが、次世代音楽メディアは再販の例外規定の対象外と考えられているらしく、その所為でSACDやDVD-Audioの普及が阻害されているという話もある。個人的にはSACDやDVD-Audioの普及が進んでいないのは様々な要因が絡んでいて、独禁法の問題ではあまりない気がしているのだが、本当なら、要因の一つになっているのかも知れない。)

 新聞は、特殊指定wiki参照)の問題が絡むだけにさらに厄介である。新聞に関しては、再販制の消極的な許容を超えて、地域・相手による値引きをすることが積極的に不公正な取引に該当するとして公取の指定を受けているのである。しかし、インターネットも含め他の情報通信手段が充実している今の状況において、新聞のみをユニバーサルサービスとしてさらに特別に保護する意味はないだろう。大体新聞業界がこの問題が取り沙汰される度に必死になって廃止反対の大キャンペーンを張るところからして、この特殊指定が新聞社にかなりの不当利得を与えていることがうかがい知れるのである。
 
 著作物再販の例外規定にせよ、新聞の特殊指定にせよ、既存のマスコミが必死で守っている業界保護法制の一種なので、おそらく当分は無くならないものと思うが、別に法改正や運用変更を待たずとも、インターネットとの競争によって、今となっては物による流通のみが文化を担っている訳ではないということを否応なく理解させられ、業界再編を余儀なくされて行くことになるだろう。いい加減、著作権業界は文化と言えば何でも誤魔化せると思うのは止めた方が良い。再販制に守られている3業界が全て斜陽化しているのは決して偶然ではないと私は思っているのである。

 あまり大した記事はないのだが、最後に少し、ここ最近の著作権関係の記事の紹介もしておきたい。まず、ダウンロード違法化で刑事訴訟の乱発を招いたドイツでは、ノルトライン・ヴェストファーレン州の検事が、jetzt.deのインタビュー記事ecransのフランス語の記事にもなっている。)で、非商業的規模のダウンローダーは全て訴追しない方針にしたと答えている。そのクライテリアは3000ユーロらしい(音楽は1曲1ユーロ、映画は1つ15ユーロと勘定するらしい)。この基準自体良く分からないし、またこれでどれくらい訴追から落とされるのかも分からないが、この州だけで著作権法違反で訴えられた者の数がこの上半期で25000人に上るというのではどうしようもない、これらのファイル共有ユーザーのダウンロードファイル数を数えるだけでも一苦労だろう。これだけの数の人間が訴えられる時点で何かがおかしいと思わなくてはならない。(「P2Pとかその辺の話」でも類似記事を紹介されているので、この話に興味がある方は是非リンク先もご覧頂ければと思う。)

 カナダでも、引き続き、オタワ大のGeist教授を中心に、ユーザー側の著作権改正に対する批判運動がさらに高まっているとするCanadian Pressの記事もあったので、一緒に紹介しておく。カナダでは、DRM回避規制の方が中心の問題になっているようだが、オンラインにおける運動は政府が無視できないレベルに達しており、ダウンロード違法化の問題も含め、著作権法の改正がすんなり通るということはないだろう。

 また、英国で著作権侵害の罰金引き上げを検討しているというニュースもあった(IP NEXTの記事英国知的財産庁のレポート)。このレポートを読むとオプションとして書かれているだけなので、まだ検討中といったところのようであるが、政府の肝いりで作成されたものにしては、保護期間延長反対や補償金制度を導入しないままでの私的複製の範囲の拡大を明確に唱えているなど非常にリベラルな2006年12月のGowersレポート資料HP)の中から最も当たり障りのない罰金に関する部分だけを取り上げてオプションを検討している点は実に物足りない。英国政府には、Gowersレポートのリベラルな部分こそ特に早急に取り入れてもらいたいのだが。

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2008年8月12日 (火)

第109回:総務省「デジタル・コンテンツの流通の促進」及び「コンテンツ競争力強化のための法制度の在り方」に対する意見

 デジタル放送に関するコピー制御について書かれている、総務省の「デジタル・コンテンツの流通の促進」及び「コンテンツ競争力強化のための法制度の在り方」(本文概要意見募集要項)に対して、下記のような意見を出したので、念のため、ここにも載せておく。(この話も進んでいるようでほとんど進んでいないので、内容は去年提出したパブコメとほぼ同じである。)

    記

(ページ)
第1ページ~第45ページ 第1章 デジタル放送におけるコピー制御ルールとその担保手段の在り方

(意見)
 私は一国民として、デジタル放送におけるコピー制御の問題について、以下の通りの方向性を基本として検討し直すことを強く求める。

1.無料地上波からB-CASシステムを排除し、テレビ・録画機器における参入障壁を取り除き、自由な競争環境を実現すること。
2.あまねく見られることを目的とするべき、基幹放送である無料地上波については、ノンスクランブル・コピー制限なしを基本とすること。
3.これは立法府に求めるべきことではあるが、無料地上波については、ノンスクランブル・コピー制限なしとすることを、総務省が勝手に書き換えられるような省令や政令レベルにではなく、法律に書き込むこと。
4.B-CASに代わる機器への制度的なエンフォースの導入は、B-CASに変わる新たな参入障壁を作り、今の民製談合を官製談合に切り替えることに他ならず、厳に戒められるべきこと。コンテンツの不正な流通に対しては現在の著作権法でも十分対応可能である。

 なお、審議会の場等で権利者団体の代表が「対価の還元」という前中間答申中の文言をあげつらい、コピーワンス緩和は補償金拡大を前提にしているかの如き発言を繰り返しているが、あくまで、補償金制度は、私的録音録画によって生じる権利者への経済的不利益を補償するものであって、メーカーなどの利益を不当に権利者に還元するものではない。上記1~4以外の方向性を取り、ダビング10のように不当に厳しいコピー制御が今後も維持され続けるようであれば、録画補償金は廃止しても良いくらいであり、全く議論の余地すらない。上記1~4が実現されたとしても、補償金の対象範囲等は私的な録音録画が権利者にもたらす「実害」に基づいて決められるべきであるということは言うまでもない。
 また、近年総務省が打ち出している放送関連施策には国民本意の視点が全く欠けており、今のままでは地上デジタルへの移行など到底不可能であるとほとんどの国民が思っているであろうことを付言しておく。


(理由)
 去年の中間答申と同じく、この中間答申では過去のコピーワンス導入経緯についての説明が故意に省かれているが、総務省は過去の情報通信審議会において、コピーワンスの導入のために無料地上波にB-CASシステムを導入するのが適当という結論(http://www.soumu.go.jp/s-news/2002/020124_1.html「BSデジタル放送用受信機等が対応可能なコンテンツ権利保護方式(素案)についての意見募集の結果」参照。)を出し、平成14年6月に省令改正(http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/denpa_kanri/020612_1.html「標準テレビジョン放送等のうちデジタル放送に関する送信の標準方式の一部を改正する省令案について」参照。)まで行って、その導入を推進している。無料の地上放送へのB-CASシステムとコピーワンス運用の導入は、この省令改正によってもたらされたものである。
 このB-CASシステムは談合システムに他ならず、これは、放送局・権利者にとっては、視聴者の利便性を著しく下げることによって、一旦は広告つきながらも無料で放送したコンテンツの市場価格を不当につり上げるものとして機能し、国内の大手メーカーとっては、B-CASカードの貸与と複雑な暗号システムを全てのテレビ・録画機器に必要とすることによって、中小・海外メーカーに対する参入障壁として機能している。
 本来あまねく見られることを目的としていた無料地上波の理念をねじ曲げ、放送局と権利者とメーカーの談合に手を貸したあげく、さらにこれを隠すという総務省の行為は、見下げ果てたものであり、現在の方向性に国民本位の考え方など欠片も見られないことの証左でもある。
 総務省は素直に過去の失策を認めるべきであり、この過去の審議会の詳細な議事録を公開し、この事実を元にした再検討を進めるべきであることは言うまでもない。

 コピー制限なしとすることは認められないとする権利者の主張は、消費者のほとんどが録画機器をタイムシフトにしか使用しておらず、コンテンツを不正に流通させるような悪意のある者は極わずかであるということを念頭においておらず、一消費者として全く納得がいかない。消費者は、無数にコピーするからコピー制限を無くして欲しいと言っているのではなく、わずかしかコピーしないからこそ、その利便性を最大限に高めるために、コピー制限を無くして欲しいと言っているのである。消費者の利便性を下げることによって権利者が不当に自らの利潤を最大化しようとしても、インターネットの登場によって、コンテンツ流通の独占が崩れた今、消費者は不便なコンテンツを選択しないという行動を取るだけのことであり、長い目で見れば、このような主張は自らの首を絞めるものであることを権利者は思い知ることになるであろう。

 最近運用が開始されたダビング10に関しても、補償金の不当な拡大をせずに運用されるのであれば良いが、大きな利便性の向上なくして、より複雑かつ高価な機器を消費者が新たに買わされるだけの弥縫策としか言いようがなく、一消費者・一国民として納得できるものでは全くない。
 さらに、ダビング10機器に関しては、テレビ(チューナー)と録画機器の接続によって、全く異なる動作をする(接続次第で、コピーの回数が9回から突然1回になる)など、公平性の観点からも問題が大きい。

 現在の地上無料放送各局の歪んだビジネスモデルによって、放送の本来あるべき姿までも歪められるべきではない。そもそもあまねく視聴されることを本来目的とする、無料の地上放送においてコピーを制限することは、視聴者から視聴の機会を奪うことに他ならず、このような規制を良しとする談合業界及び行政に未来はない。

 コピー制限技術はクラッカーに対して不断の方式変更で対抗しなければならないが、その方式変更に途方もないコストが発生する無料の地上放送では実質的に不可能である。インターネット上でユーザー間でコピー制限解除に関する情報がやりとりされる現在、もはや放送に無料の地上放送にDRMをかけていること自体が社会的コストの無駄であるとはっきりと認識するべきである。無料の地上放送におけるDRMは本当に縛りたい悪意のユーザーは縛れず、一般ユーザーに不便を強いているだけである。

 制度的エンフォースメントにしても、正規機器の認定機関が総務省なりの天下り先となり、その天下りコストがさらに今の機器に上乗せされるだけで、しかも不正機器対策には全くならないという最低の愚策である。

 法的にもコスト的にも、どんな形であれ、全国民をユーザーとする無料地上放送に対するコピー制限は維持しきれるものではない。本来立法府に求めるべきことではあるが、このようなバカげたコピー制限に関する過ちを二度と繰り返さないため、無料の地上放送についてはスクランブルもコピー制御もかけないこととする逆規制を、政令や省令ではなく法律のレベルで放送法に入れることを私は一国民として強く求める。

 なお、付言すれば、本来、B-CASやコピーワンス、ダビング10のような談合規制の排除は公正取引委員会の仕事であると思われ、何故総務省及び情報通信審議会が、談合規制の緩和あるいは維持を検討しているのか、一国民として素直に理解に苦しむ。今後、立法府において、行政と規制の在り方のそもそも論に立ち返った検討が進むことを、私は一国民として強く望む。

 総務省への提出パブコメは以上だが、特許庁の「イノベーションと知財政策に関する研究会」も報告書(発表資料政策提言報告書プレスリリース)をまとめたようなので、念のためにリンクを張っておく。この研究会については第95回で書いたこともあり、この内容についてはまたどこかで取り上げるかも知れない。

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2008年8月11日 (月)

第108回:公職選挙法とネットの関係

 立候補でもしない限り、普通は気にしないと思うが、選挙は公職選挙法によってがんじがらめに規制されている。政治に対する参入規制となっている政治活動規制についても言いたいことはあるのだが、今回は特に公職選挙法による規制とネットの関係に絞って話をしたいと思う。

 ネットとの関係で特に問題となるのは、公職選挙法第13章で規定されている選挙運動に関する各種規制だろう。特に、選挙運動に関する文書図画の頒布・掲示については、第142条~第143条に規定されており、頒布は、届け出た葉書・ビラ等に限られ(枚数も限定されている。新聞広告は)、文書図画の掲示は、選挙事務所・選挙運動カー等で使用されるポスター、看板の類に限られるとしている。

 立候補者とその支援団体は当然このような規制を受けるため、選挙運動期間中は政治家のブログ更新が止まったりする訳だが、この規制は第146条(赤字強調は私がつけたもの)で、

(文書図画の頒布又は掲示につき禁止を免れる行為の制限)
第百四十六条  何人も、選挙運動の期間中は、著述、演芸等の広告その他いかなる名義をもつてするを問わず、第百四十二条又は第百四十三条の禁止を免れる行為として、公職の候補者の氏名若しくはシンボル・マーク、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない
2  前項の規定の適用については、選挙運動の期間中、公職の候補者の氏名、政党その他の政治団体の名称又は公職の候補者の推薦届出者その他選挙運動に従事する者若しくは公職の候補者と同一戸籍内に在る者の氏名を表示した年賀状、寒中見舞状、暑中見舞状その他これに類似する挨拶状を当該公職の候補者の選挙区(選挙区がないときはその区域)内に頒布し又は掲示する行為は、第百四十二条又は第百四十三条の禁止を免れる行為とみなす。

と一般にも拡張されており、この条文中の「第百四十二条又は第百四十三条の禁止を免れる行為として」かどうかの解釈次第だとは思うが、ユーザーがネットで選挙運動期間(候補者の届け出の日から選挙の前日まで)中に立候補者の支持や反対を唱えることも場合によっては法律違反とされる可能性があるので、注意が必要である。(第147条で規定されているように選挙管理委員会に撤去を求められるか、第243条で規定されているように2年以下の禁錮あるいは50万円以下の罰金を科される可能性がある。)

 また、第151条の5で「何人も、この法律に規定する場合を除く外、放送設備(広告放送設備、共同聴取用放送設備その他の有線電気通信設備を含む。)を使用して、選挙運動のために放送をし又は放送をさせることができない。」ともされているので、これも放送の定義次第だとは思うが、ここで、動画共有サイトにおける投稿動画などが引っかかる可能性があるだろう。(この放送規制違反は2年以下の禁錮あるいは30万円以下の罰金:第235条の4)

(なお、第138条の2で選挙に関する署名運動(1年以下の禁錮あるいは30万円以下の罰金:第239条)も、第138条の3では選挙に関する人気投票の公表(2年以下の禁錮あるいは30万円以下の罰金:第242の2条)も禁止されている。)

 第148条で、選挙の公正を害しない限りにおいて新聞・雑誌に対し報道・評論を掲載する自由を妨げるものではないと明文で規定している訳だが、新聞紙にあつては毎月三回以上、雑誌にあつては毎月一回以上、号を逐つて定期に有償頒布するものであり、第三種郵便物の承認のあるものであり、当該選挙の選挙期日の公示又は告示の日前一年以来そうであったもので、引き続き発行するものと、ブログ等は無論のこと、大手ネットメディアですら入らない、あまりにも狭い規定となっている。第151条の3で放送についても同様の規定があるが、放送法を参照しており、当然のことながら、動画サイトなどは入らないだろう。

 ネットというメディアが存在しなかったときは、このように紙媒体の定期有償刊行物あるいは放送法上の放送のみに対し、報道・評論の自由を妨げないという規定を設けておけば良かったのかも知れないが、今となってはこの規定は完全に時代遅れである。明文の規定を今後も維持し続けようとするなら、定義は難しくなるかも知れないが、時代に合わせ、各種ネットメディアも含まれるように書き直されなくてはならないだろう。また、このネット時代に、立候補者によるネット選挙運動を禁止する理由もない、同じく許される行為を限定列挙する形になるのだろうが、ネット選挙運動も明文で解禁されてしかるべきだろう。

 公職選挙法自体、相当ややこしい規制法であり、ネットに対して図らずも規制色を持ったことに利益を受けている者(ネットユーザーを政治の支持基盤とせず、支持基盤として期待もしてしない者など)もいるので、本当に改正されるまでは時間がかかると思うが、紙媒体であろうが、ネットだろうが、実名だろうが、匿名だろうが、報道・批評・表現の本質に変わりはない。表現の自由は、憲法に規定されている権利であり、民主主義を支える最も重要な自由として、その代表を選ぶ選挙において、その公平を害しない限りにおいて、あらゆる媒体に最大限認められなくてはならないものであることは言うまでもない。もし、公職選挙法が杓子定規に解釈され、各種ネットメディアに不当な規制の圧力がかけられるようなら、公職選挙法自体憲法違反とされなくてはならない

(そうは言っても、リスクを負い切れない個人ユーザーなどの中には、安全サイドに立ちたいという人もいると思うので、そのようなユーザーには、政治家に関するネット批評・支持/反対表明はなるべく選挙運動期間前に前倒しで行っておくことをお勧めしておく。ただし、選挙の公正を害しても表現の自由が守られるべきなどと言うつもりもなく、当然のことながら、誰であろうと、選挙における威力妨害や虚偽表示などは、第225条や第235条に規定されているように取り締まられてしかるべきと思うので、念のため。)

 第90回で書いた国会法についてと同じく、公職選挙法の改正もすぐにでもしてもらいたいと思うが、このような法律によるネット選挙運動の規制がどうあれ、次回の総選挙はユーザーのレベルで本格的なネット選挙と化すだろうことは想像に難くない。もはやネットの力は無視し切れるものでは、不当な理由で規制し切れるものではなくなっているのだ。例え任期満了まで待ったとしても1年と少し、私もネットユーザーの一人として、選挙の準備を進めて行く。利権のみによって今権力の座にある者達も、ネットの力を、情報の力を、表現の力を明らかに思い知ることだろう。

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2008年8月 6日 (水)

第107回:経産省「技術情報等の適正な管理の在り方に関する研究会」報告書

 前回少し記事を紹介した、この7月末に公開された経産省の報告書概要)については、パブコメもなく、半ば秘密のように議論が行われていたことからしてどうかと思うが、それはおいておくとしても、本文と言い、概要と言い、国民を誤魔化すためにそうしているとしか思えない分かりにくさである。

 自分たち公務員への規制強化やガイドラインの当たり障りのない変更などはさておき、知財に関する重要な法改正・政策事項を抜き出してみると以下のようになるだろうか。

・アクセス権を与えられた技術情報等への、不正な目的で行われるアクセス行為の規制:
「企業の従業員等の信頼に基づいて正当に営業秘密として管理された技術情報等へのアクセスを認められた者が、図利加害目的等の不正な目的をもって、複製が禁じられたそれらの複製を行う場合、又は、アクセス権があっても、不正な目的をもって行われる、大量データのダウンロード等の正当な理由のないアクセス行為等については、そのような行為それ自体を刑事罰の対象とすることについて検討すべき」(p.33、なおp.76にも同等の記載がある。)

・外国政府を利する目的で行われる技術情報等への取得行為の規制:
「現行の法体系では、外国政府を利する目的で行われる技術情報等の窃盗・領得・複製の作製等が、必ずしも処罰されないが、これは我が国の産業競争力のみならず、安全保障の観点からも重大な問題を提起することから、こうした行為を規制の対象とするための法的枠組みの創設についても検討すべき」(p.34)

・国費研究成果の国内優先実施規定の導入:
「我が国のバイドール制度においても、国内優先実施を規定すること等により、国費研究成果の海外への流出を防止し、我が国が適切に研究成果を享受できるような方策を検討すべき」(p.46)

・第一国出願制度の導入:
「我が国において、後述する秘密特許制度が導入されることになった場合に、日本国内における企業の研究活動への影響に配慮しつつ、第一国出願制度の導入について検討すべき」(p.47)

・秘密特許制度の導入:
「我が国においても、秘密保護法制の一環として秘密特許制度の導入を検討すべき」(p.63)

 大体「検討すべき」と弱めに書かれているところからして、このまま法改正がなされるとも思えないのだが、知財政策的にはかなり重いことが含まれているので、見過ごす訳にもいかない。

 特に、相当トリッキーな理屈で、正当にアクセス権を有する情報への不正な目的でのアクセスを規制しようとしているようだが、この規制自体おかしいことを経産省はどこまで理解しているのだろうか。上で引用した部分の例だけを取ってみても、複製が禁じられたデータの複製をしたら、その時点で不正アクセス・契約違反・信義則違反であろうし、仕事に必要な以上のデータのダウンロードについてもシステム・契約で出来ないようにしておけば良いだけの話である。

 報告書で、情報の性質についても考察を加えた上で、「ポテンシャルとしての財産性」という不思議な造語をひねり出し、有体物の財産権に寄った形で、情報の取得のみによる法益侵害性を肯定しようとしているが、これもまた役所の身勝手な「まず規制ありき」の理屈だろう。情報は有体物とは違い、自然に占有が発生するものではなく、正当なアクセス権を有している場合に、情報の取得の時点で目的を判断することには無理がある上、その情報は他者へ開示されない限り損害を発生させ得ないのである。

 正当なアクセス権を有しない場合のアクセスや情報の開示等については既に規制の対象となっているので、経産省は規制をさらに広げようとしているのだろうが、このように曖昧な、主観的とならざるを得ない目的要件で刑事罰を導入することは、かえって企業の正当な営業活動を萎縮させるだけだろう。

 秘密特許制度も割とあっさり書かれているが、特許制度上はかなり大きな変更である。他人の技術と権利について公開され皆に知られる形になっていることで特許制度は安定性を保っているので、どのような特許を秘密とするのかの定義次第だとは思うが、誰にも分からない形で保護される特許が有ったら普通の企業は困るだろう。

(なお、外為法についても、「『居住者・非居住者』間の規制では捉えることのできない外国籍居住者による安全保障上の機微技術の国外への持ち出し等についても、新たに『ボーダー規制』として捕捉する手法について検討すべき」、「日本及び世界の安全保障上ゆるがせにできない外為法違反事案が増加していることにかんがみ、貨物・技術双方の罰則強化について検討すべき」と規制強化を唱えていたり、研究者の倫理についても述べていたりと、この報告書は盛り沢山の内容なので、知財関連だけでなく、このようなことに興味を持っている方も、読んでおかれることをお勧めする。)

 特にパブコメにかかっている訳でもないようなので、これ以上言うこともないが、この報告書は、やはり経産省も、「まず規制ありき」で、情報の性質を歪めて理解する利権官庁の一つであることを示している。

 文化庁や総務省と並んで、経産省も、私的複製問題やB-CAS問題の検討を始めるらしいとのITproの記事もあったが、今回の報告書などを読むにつけ、これらの問題についても、経産省にもあまり期待はできないだろうというのが私の正直な予想である。これらの問題については、既に収拾がつかなくなっているが、経産省の参入でさらに混迷を深めることになるのではないだろうか。

 次回は、選挙法とネットの関係の話を書きたいと思っている。

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