第95回:特許政策に関する動向あるいはiPS細胞狂想曲
著作権問題はインターネットの登場によって壮絶な利権闘争のルツボと化したが、特許システム自体はかなり堅牢に出来ており、第56回でも少し書いた通り、特許権が、無体物である情報そのものではなく、基本的に有体物への情報の利用を規制することで知的財産の保護を図っているところにとどまり、特定業界を対象としない業規制法であり(権利が及ぶのは基本的に業としての権利の実施に限られる)、業規制法であることから権利の発生と利用にそれぞれそれなりのコストがかかったとしても、市場の中にコストとしてビルドインすることが可能であるため、インターネットによる影響を著作権のようにモロに受けていない。
そのため、特許問題はつい後回しにしてしまっているのだが、特許制度は、知財のもう一つの柱であり、決してなおざりにして良いものではない。(特許がいまいち利権にならない所為か、特許庁は、文化庁と比べるとはるかに真面目なので、放っておいてもそれほど問題がないということもあるが。)
(1)特許法改正
まずは、この4月11日に特許法改正法案が成立しているので、念のため、その紹介からして行く。
特許庁の概要説明資料(特許庁HPより)の通り、主な改正点は以下の5点である。
- 通常実施権等登録制度の見直し(特許の出願段階におけるライセンスを保護するための登録制度を創設、特許権・実用新案権に係る通常実施権の登録事項のうち、秘匿の要望が強い登録事項の開示を一定の利害関係人に限定)
- 不服審判請求期間の見直し(拒絶査定不服審判請求期間を30日から3月に拡大)
- 優先権書類の電子的交換の対象国の拡大
- 特許・商標関係料金の引き下げ(中小企業等の負担感の強い特許料や商標設定登録料の重点的引き下げ)
- 料金納付の口座振替制度の導入
全て制度ユーザーに関する話ばかりで一般ユーザーには関係ないので、これ以上の説明はしないが、制度ユーザーの利便性を考慮した改正ばかりであり、この法改正に損はないだろう。
この特許法改正はテクニカルな改正であり、もう成立しているものであるが、最近、京大・山中教授の新型万能細胞(iPS細胞)作りで画期的な成功を収めたという報道(読売のネット記事参照)がされてから、技術関連の政策動向もかなり騒がしくなっている。このiPS細胞に関する特許が、京大の山中教授と、独バイエル社の間の先願競争になっている(知財情報局の記事や日経のネット記事参照)ことからも分かるように、このiPS細胞に関する話は、特許問題・知財問題としてもクローズアップされており、これと絡む形で、知財本部や特許庁で行われている知財政策・特許政策の検討の紹介をさらにしておきたいと思う。
(知財政策だけではなく、総合科学技術会議と経済財政諮問会議の検討で、科学技術予算に緊急予算をつけたり(日経のネット記事参照)、山中教授の新型万能細胞を民間企業にも研究用に配布したりする方針を決めたり、政府が製薬業界や有識者などと開いた「革新的創薬等のための官民対話」で、先端医療開発特区の創設を決めたり(日経のネット記事参照)、厚生労働省は厚生労働省で、万能細胞の臨床研究に対する指針を作ろうとしていたり(朝日のネット記事参照)と、いつものことながら後出しで騒ぎ過ぎのような気もしなくはないが、画期的な研究に対する地道な支援はこれはこれで重要なことなので、是非、訳の分からない省益に惑わされることなく、政府には地道な支援を行ってもらいたいと思う。)
(2)医療方法に関する特許の問題
特に、この4月9日の知財本部の有識者会合(議事要旨)で、委員から「iPS細胞を中心とした医療に関する問題についても、我が国の産業の発展の規制になってしまう可能性もあるので、早急に検討すべき」といった発言があり、総合科学技術会議の知的財産戦略専門調査会の4月17日の資料「知的財産戦略について(案)」で、「iPS細胞関連技術を含めた先端医療分野における適切な知的財産保護のあり方について、直ちに検討を開始し、早急に結論を得る」(第7ページ)とされていることから見ても、特許の根本的なところに関わる議論として、医療方法に関する特許をどうするかという問題が今年再燃しそうである。
医療方法特許を認めても良いのではないかという議論は常にあるが、医療は産業ではなく、医療方法の特許は、特許法の根本条文の一つである第29条第1項の「産業上利用することができる発明」に当たらないという運用がなされているため、また、人の命に関わる医療に関するだけに、医療方法の特許の問題は非常に厄介である。(なお、いまいち納得感はないが、医薬や医療機器は産業であり、物の発明としては特許可能であるとされている。念のため、このことを解説している審査基準の該当章へのリンクを張っておく。)
この問題に関する過去の検討経緯は、去年10月の「知的財産による競争力強化専門調査会」の「ライフサイエンス分野プロジェクトチーム調査検討報告書」の第15~20ページに丁寧にまとめられているが、2002年から2003年の産業構造審議会・知的財産政策部会・特許制度小委員会医療行為ワーキンググループと、2003年から2004年に知財本部の医療関連行為の特許保護の在り方に関する専門調査会との検討を受け、最終的には合理的な範囲で特許の対象を広げるところに落ちている。要するに当時は、人間を手術、治療又は診断する方法の発明は特許付与の対象外とする原則を維持しつつ、人間に由来するものを原料又は材料として医薬品又は医療機器(培養皮膚シートや人工骨など)を製造する方法や、医療機器の作動方法、複数の医薬の組合せや投与間隔・投与量等の治療の態様で特定される医薬発明も物の発明として特許可能であるとしたところで終わっているのである。(これらは、既に特許の審査基準の改定で対応されている。)
最近のお役所の例にもれず、以前拡充した以上に具体的に何が特許の対象として何が必要なのかというところを置き去りに、キーワードに踊らされている時点で不安なのだが、知財本部や特許庁で今後どのような検討をするにせよ、少なくとも医者がその治療方法は権利者の許諾がないと実施できませんと言い、人が死ぬことになるような変な結論を出さないことを私は祈っている。(知財本部や特許庁は文化庁ほどデタラメなまとめをするとは思えないので、大丈夫だと思うが。)
今の多重検討のオンパレードをまずどうにかして欲しいと思うのだが、さらに、特許政策としては、特許庁がイノベーションと知財政策に関する研究会(6月とりまとめ予定らしい)で検討している各種施策もあるので、恐らく制度ユーザーしか興味は持っていないと思うが、とりまとめの方向(案)という概要資料から、ニュースなどにもなっているものを、ここに少し拾っておこう。
(3)スーパー早期審査
日経のネット記事にもなっているが、特許庁は、通常の特許審査(2年半くらいで審査)と、早期審査(2~3ヶ月で審査)に加え、さらに2週間~1ヶ月程度で審査をするルートを作るつもりらしい。法改正の話ではなく特許庁の運用の話で、制度ユーザーに選択肢が増えるだけのことなので、大いにやってもらって構わないと思うが、ただ、常に審査が早い方が得かというとそんなこともないということは、制度を使う側としては、知っておいた方が良いかも知れない。
制度ユーザーなら知っている話なので、蛇足に近いが、通常なら出願書類は、出願されてから1年半程度は非公開とされる(特許法第64条)が、早めに特許になると権利行使が即座に出来るメリットが発生すると同時に、その特許公報によって出願の内容が通常より早く他人に明らかになってしまうというデメリットも発生する。その得失は微妙だが、基本特許だけではなく、非公開期間中に多くの関連出願を出し、関連する特許も含めて沢山特許を押さえておいた方が、権利行使がやりやすいということもあるに違いないので、制度利用時には気をつけておいた方が良いだろう。
パイオニア発明をするほどの方がこのブログを読んでいるとも思えないが、もし読んでおられたら、単に用意された制度を使うのではなく、特許の早期審査にはこのような得失もあることを考えて、戦略的に制度を利用することを私はお勧めする。(それにしても、特許庁は知財のプロの派遣などもしてくれるらしい(フジサンケイビジネスアイの記事参照)。)
(4)コミュニティ・パテント・レビュー
これも法改正の話ではないと思うが、特許庁は、企業や大学、研究機関など外部の第三者からの情報提供を求める簡易ウェブサイトを立ち上げたりもするらしい(日刊工業新聞のネット記事参照)。
試み自体は面白いと思うが、実際、どれくらい効果が上がるかはサイトの設計次第としか言いようがない。企業や大学、研究機関などにアクセスを限ったのでは、本当に自由な情報提供がされるとも思えないので、どうせ作るのであれば、広く一般にも公開し、匿名の掲示板ほどとまでは行かないかも知れないが、通常のSNS程度の簡易な認証で誰でも特許の評価や情報提供ができるようにしてもらいたいものである。
さて、特許の話はこれくらいにして、最後に、知財政策・情報政策の最近のニュースの紹介もしておこう。
まず、MIAUでダビング10と私的録音録画補償金に関するアンケートが始まったので、紹介しておく。本当のユーザー指向のアンケートというのはこの分野においてなされていないので、結構面白い結果が出るかも知れない。
あとから気づいた記事だが、総務省のデジタルコンテンツ委員会で、ダビング10の議論に加えて、B-CASに替わる法的エンフォースメントを権利者が求めたという日経TechOnの記事もあったので、ここにリンクを張っておく。このことについては前々回に書いた通りだが、全国民をユーザーとする無料の地上放送で、技術的なものだろうが、法的なものだろうが、何らかのコピー制御のエンフォースが可能と思っている時点でおかしいということに早く皆気づいた方が良い。
先週5月17日の文化庁の過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会では、権利者不明の場合の利用円滑化の議論が中心になったようである(ITproの記事参照)。(このことについても書きたいことはあるのだが、それはまた別の機会に。)
また、規制議論があらゆるところに飛び火するのはどうにかしてもらいたいと思うが、教育再生懇談会という教育問題に関する有識者会議が、また別途「小中学生に携帯電話を持たせるな」という意味不明の提言をまとめようとしている(朝日のネット記事、日経のネット記事、毎日のネット記事、毎日のネット記事2、時事通信のネット記事、産経のネット記事参照)。規制強化の波の一つとは思うが、記事によると、山谷えり子首相補佐官自ら、記者会見で、この提言について「『携帯を持たせない』といっても強制できるわけではない」と発言するという訳の分からなさである。首相の子どもには携帯を持たせなくて良いのではないかとの発言も、子どもたちのコミュニケーションの現状からかけ離れており、首相がこの程度の認識しか持っていない時点で、携帯電話絡みの規制議論の混乱は今後もますますひどくなることが予想される。
さらに、児童ポルノ法に関しても相変わらずひどい状態が続いている。その法改正案骨子(47newsの記事1、記事2参照)によると、この16日の会合でもやはり大筋に変更はなく、「自己の性的好奇心を満たす目的で児童ポルノを所持・保管した者は、1年以下の懲役か100万円以下の罰金に処する」ことに与党チームはこだわっているようである。繰り返しになるが、完全に個人に閉じる情報の所持が「自己の性的好奇心を満たす目的」だったかどうかなど、誰にも反証も証明もできない要件であり、この情報の単純所持規制の問題は決してこのような要件限定の問題ではない。これも息の長い反対運動になるだろう。
特許に関しては国際動向や個別の論点などさらに詳しく書きたいこともあるのだが、それは別の機会に譲るとして、次回からは、またコンテンツ関連の話を書いて行きたいと思っている。
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