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2008年4月 9日 (水)

第82回:ネット規制法に対する反対

 前回も書いたことであり、今までの繰り返しになるが、念のためにもう一度書いておく。

 自民党や民主党の委員会やプロジェクトチームで青少年保護の名の下に取りまとめられたネット規制法案について、ネットでも条件闘争論や部分容認論のようなものを多少見かけるのだが、「らばQ」でも分かりやすくまとめられているように、これらのネット規制法案は、「青少年健全育成推進委員会」と称する少人数の検閲機関に、著しく何かを害するといった極めて広汎漠然とした規定で、ネット上のあらゆるコンテンツに対する検閲を行うことを可能とさせるもので、容認の余地など全くないものである。表現の自由が絶対だなどというつもりもないが、このような法律は、表現の自由と検閲の禁止に明らかに抵触しており、違憲も違憲、全くお話にならない(前回も引用したが、有害の規定ぶりと各者に課せられることについては、池田信夫氏のブログ記事cnetの記事にも書かれている)。

 また、良く引き合いに出される内閣府の調査(「有害情報に関する特別世論調査」(集計表))についても、何の予備情報も与えずに、単にインターネット上の有害情報を規制すべきかと個別面談で聞くというデタラメなものであり、このような調査に基づいて言えることなど何もない。(警察庁を抱える内閣府が、平然とこのようなデタラメな世論操作を行えるほど厚顔無恥な役所であるということは言えるだろうが。)

 第37回第51回でも書いたが、既に存在している様々な法規制を超えて、さらにインターネットに一般的かつ網羅的な表現規制を及ぼすに足る根拠は、規制強化派からはいまだもって何一つ示されていない。ネットの匿名性に関する話も私はネットにおける技術的な誤解を解くのが先だと私は思っている。単なる漠然とした不安など、法規制の根拠たり得ないのは無論のことである。

 政府による悪辣な印象操作・世論操作と、コミュニケーションそのものの問題をコミュニケーションの場の所為にする危険な問題のすり替えによって、有害無益な表現規制をネットに導入することは、必ずや日本の文化と産業に甚大なダメージを与え、将来にわたって国益を大きく損なうことになると私は断言する。

 このブログを読んで下さっている方々には、是非、ネット規制を容認する前に、本当のネットの問題はどこにあるのか、規制強化派の印象操作にごまかされていないかということをもう一度良く考えてみて頂きたい。ほとんどのネットユーザー・国民はほんの少し考えるだけで、このような規制は絶対反対しなければならないと思うことだろう。

 まだ、この問題については、自民党だろうが民主党だろうが、完全にまとまっているとは思えない。選挙において1票を投じるのは我々国民である、その力を示すことは難しいことでは全くなく、いつでも誰にでもできることである。インターネットによって、ようやく形を取り始めた声なき声、国民の真の声を萎縮させ、押し潰そうとするあらゆる勢力に、私は断固反対し続ける。そのような無法は絶対に許されない。

 最後に、最近の著作権関係の海外ニュースも少し紹介しておくと、まず、当たり前の話だが、イギリスでは、インターネットサービスプロバイダーが、我々は著作権警察ではないと違法コピー対策に対する圧力に反発を示しており(P2P.netの記事)、アメリカでも、侵害とするためには単に公衆送信可能化しただけでは足らないとする判決が出される(news.com)など、違法コピー問題は泥沼化の一途を辿っている。

 また、カナダでは、ネット上の材料を教育で使う場合に、それが著作権侵害にならないようにすることを、教育関係機関が求めており(infobourgの記事(フランス語))、どこの国でも、著作権戦争に終わりは見えない。

 次回は、かなり間が空いてしまったが、海外著作権法の紹介の続きをしたいと思っている。

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