第75回:「表現の自由」と「知る権利」
児童ポルノ法の規制強化の動きに対して、当たり前の話であるが、ネットを中心として反対運動が巻き起こっている。やはり、マンガ・アニメ・ゲームといった架空の表現に対する規制の導入に対する反発は凄まじく、単純所持規制の方がかすんでしまっているくらいだが、単純所持規制も、そのネットにおける危険性を考えるとやはり絶対に導入してはならないものである。
この話についてはいろいろなことを調べているところだが、憲法論をやっているブロガーはあまり多くないので、今回は、第70回の補足として、このような規制と憲法上の「表現の自由」との関係をまとめておきたいと思う。
普通なら憲法の教科書をひもとく必要などないはずなので、「表現の自由」を、言葉通りおおよそ発表の自由だと考えている人も多いのではないかと思う。大体の場合はそれで十分なのだが、この「表現の自由」がいわゆる「知る権利」も含むものと解されているということは、インターネットが普及し、その情報アクセスを危険たらしめる規制強化の策動がある中、誰もが知っていて良いことである。
このことは、どの憲法の教科書にも書かれていることであるが、例えば、最も有名な芦部信喜先生の「憲法」(高橋和之補訂、第4版、2007年岩波書店刊)の第166ページにも、
表現の自由は、情報をコミュニケイトする自由であるから、本来、「受け手」の存在を前提にしており、知る権利を保障する意味も含まれているが、十九世紀の市民社会においては、受け手の自由をとくに問題にする必要はなかった。ところが、二〇世紀になると、社会的に大きな影響力をもつマス・メディアが発達し、それらのメディアから大量の情報が一方的に流され、情報の「送り手」であるマス・メディアと情報の「受け手」である一般国民との分離が顕著になった。しかも、情報が社会生活においてもつ意義も、飛躍的に増大した。それで、表現の自由を一般国民の側から再構成し、表現の受け手の自由(聞く自由、読む自由、視る自由)を保障するためそれを「知る権利」と捉えることが必要になってきた。表現の自由は、世界人権宣言十九条に述べられているように、「干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由」と「情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」ものと解されるようになったのである。
と書かれている。(赤字強調は私が付けたもの。このような引用は他人の権威を笠に着るようで私はあまり好まないのだが、最も基本的な教科書にも書いてあるということを示すために引用にした。大体政官ともに自分たちに都合の悪いことは憲法や条約ですら無視する傾向にあるのは、今の日本の本当に危機的な状況を如実に表している。第54回の警察庁提出パブコメでも少し憲法論を書いたが、あの出会い系サイトの規制強化法案などこの憲法無視の典型である。もしこのような憲法学に興味があれば、同じく芦部信喜先生の「憲法学」(有斐閣刊)、佐藤幸治先生の「憲法」(青林書院刊)、伊藤正巳先生の「憲法」(弘文堂刊)、浦部法穂先生の「憲法学教室」(日本評論社刊)なども読むことをお勧めする。書き方は違うが、このような「知る権利」を表現の自由の基本的な側面の一つと考えていないものはない。)
さらに、上の芦部先生の引用と変わらないが、世界人権宣言の第19条、念のため引用しておこう。
第19条
すべて人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。
さらに、この人権宣言を元に作られた国際人権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)の第19条もここに引用する。
第19条
1 すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。2 すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。
3 2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。
(a) 他の者の権利又は信用の尊重
(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護
インターネットが普及した今、この「知る権利」が、インターネットにおける情報アクセスの自由まで含めて考えられなくてはならないことは言うまでもない。そして、児童ポルノであれ何であれ、情報の単純所持は、他人の権利、身体・財産、信用を傷つけることでは全くなく、このような情報の単純所持規制は、憲法違反・条約違反であることを完全に免れない。さらに、このような規制は、ロリコンを思想犯罪化することにほぼ等しく、当然「思想の自由」にも抵触する。
人権宣言や国際人権規約には無論日本も欧米主要国も参加・批准している。このように危険な児童ポルノの単純所持規制を導入すべきとする国際的取り決めがある訳もない、アメリカがこのような規制を入れろと外圧をかけてきているなら、アメリカの方こそ基本的人権を蹂躙する条約違反国家であると言っても良いくらいである。どこの国の圧力だろうが、不当なものは不当と跳ね返さなくてはならない。
ダウンロード違法化しかり、この児童ポルノの単純所持規制しかり、最近の規制強化の動きは、この個人の知る権利、個人の情報アクセスの自由を危うくするものばかりである。憲法や条約のような最上位法規は規制強化派の知るところではないのだろう、私は一ユーザー・一国民として、これらの規制に反対すると同時に、規制派を明確に規制するために、インターネットにおける個人的な情報アクセスの自由を、著作権法や通信法等々に明文で書き込むことを求めて行くとここに宣言する。憲法や条約で保障されている権利を書き込むだけである、できない訳がない。(少し考えてみれば分かることと思うが、これはダウンロード違法化や情報の単純所持規制の否定になる。さらに、第73回で取り上げたプロバイダーの自主規制に対する逆規制にもなるだろう。なお、「知る権利」や「情報アクセスの権利」といった言葉は、狭義には、政府やマスコミに対する積極的な情報請求権の意味に使われることもあるが、ここでは、より広く、消極的な情報入手・収集権も含めて使っている。)
ダウンロード違法化反対に関しても同じことを書いたが、情報の単純所持は、完全に個人的な行為であり、「情を知って」とか、「積極性かつ継続的に」とかのような曖昧かつ恣意的な要件は、エスパーでもない限り証明不可能なものである。小寺信良氏がそのITmediaの記事で、このような規制が情報兵器として使われ得ることを指摘しているが、今の規制強化派の一方的かつ理不尽な主張を見聞きするにつけ、私は、このようなエキセントリックな主張をする者たちが、児童ポルノ規制を逆手に取って、反対派に情報トラップを仕掛け、この規制を言論封殺に利用する恐れさえなしとしない。(前回、警察の別件逮捕に権利者が協力したに違いないということを書いたが、児童ポルノの単純所持規制下、規制強化派と警察とに結託された日には、全く手に負えなくなる。)
このような情報規制は、ロリコンがどうとか言う次元の低い問題ではない。例えそれがどんなものであろうと、情報の単純所持を禁止することは、表現の自由や思想の自由など、国民の幸福の最大の基礎である精神的自由を明らかに侵害するものである。このような規制は違憲であり、人権侵害であると私は断言する。自称良識派が主張する一方的かつ身勝手な「人権」など人権ではない。
この単純所持規制問題もダウンロード違法化問題と同じく、全ネットユーザーにつきつけられた問いである。このブログを読んでもらえている規制反対派の諸氏よ、我々は決して徒手空拳ではない。反対運動の手を決してゆるめてはならない、運動はまだ始まったばかりである。これはあらゆる者が安心してインターネットを利用できる自由、あらゆる公開情報に安全に個人的にアクセスする自由という、このインターネット時代において最も重要な基本的人権を守るための戦いである。このような国民的な「権利のための闘争」において、妥協の余地など一切ない。
今度の規制強化の動きには、もう一つ、架空の表現の規制の話がある。こちらも極めて大きな問題であることは言うまでもない。次回は、この架空の表現の規制に関して、表現の自由とポルノグラフィの関係についての考えをまとめたいと思っている。
(追記:ドイツ連邦憲法裁判所がファイル共有ユーザの身元開示を認めなかったという話が「P2Pとかその辺のお話」で紹介されているので、著作権国際動向の一つとして、リンク先を是非ご覧頂ければと思う。もし調べて補足した方が良いこと出てくれば、後日またこのブログでも取り上げたいと思うが、非常に良くまとまっているのでほとんど補足することはないのではないかと思う。)
(3月22日の追記:単純所持が禁止されているアメリカで、囮サイトを使ったワンクリック逮捕が本当に実行されていたというニュース(technobahnの記事)があった。記事によると、「今回の裁判を通してFBIでは、児童ポルノの場合、例えリンクをクリックしただけでも検挙される可能性があるとの認識を徹底させる」らしいが、ワンクリックで2~3年の懲役刑の可能性が出てくるというのはメチャクチャも良いところである。アメリカでも裁判で違憲とされることだろうが、このように危険な単純所持規制など始めから入れないに越したことはない。)
(3月26日の追記:さらに気づいたこととして、積極性などの限定は極めて曖昧なものであり、このような限定は外形的に区別されないので、ユーザーから見てこの単純所持規制を回避する術はなく、完全にお手上げであり、このように国民から見たときの回避可能性がない法律は、憲法の31条で規定されている罪刑法定主義にも違反しているということも指摘しておく。)
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コメント
単純所持規制に関しては、案の定というか、
FBIが「児童ポルノと書いたリンクをクリックしただけで逮捕・起訴」
という、とんでもねえ事をやりやがったので、騒ぎになってますな。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080323_fbi_fake_hyperlink/
単純所持規制が入ると、実際に児童ポルノを「ダウンロードすらしていなくても」
リンクをクリックしただけで逮捕されるようです。
これはもう、児童の人権保護というより、「思想犯」の扱いでしょう。
つまり、心中でこっそり欲情するのも禁止、という訳です。
当然ながら、心の中で「思っただけ」では誰の人権も侵害しないので、
思想・信条の自由権は絶対に自由であるとされているのです。
つー訳で、「思想犯」はその思想が何であれ差別であり、人権侵害と解釈されているのですが、
それすら無視する気のようです。
アメリカは、なにかが狂ってます。
投稿: leed | 2008年3月23日 (日) 15時58分
leed様
たびたびコメントありがとうございます。
単純所持規制が危険な例をアメリカが端的に示してくれたので、このような事例を示しつつ、単純所持規制が危険なものであることを、国会議員・政府・規制強化派等へ地道に知らせて行くことが重要だと思います。私もできる限りのことをするつもりですが、是非、leed様もいろいろなところへ意見をお伝え下さい。
(アメリカのこのやり口は狂っていると私も思いますが、キリスト教道徳がある中では、児童ポルノ関連の話は本当に反対しづらいのでしょう。)
投稿: 兎園 | 2008年3月23日 (日) 21時18分
はじめまして。
時折トラバ貼らせていただいてます。
児童ポルノ:「単純所持」処罰対象に…公明PT法改正方針
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080326k0000m010111000c.html
自分のブログでも書きましたが、少なくともメールだけを除外しただけじゃ本当「何の」解決にもなっていませんよね(苦笑)
少なくともここ最近ではFBIのおとり捜査という非常に危険な例もありましたし、しかもこの件についてはこれだと何の解決にもなっていないのでやはりこのようなトンでもない規制が進められてしまえば、誰しもが逮捕される可能性及びネット規制の側面すらも働き、それこそ国民に対して不利益な事態を招くようになるとしか思えませんよね。
本当、言葉が悪いですが偽善者が権力を持つとロクなことにならない典型例だと思います。
個人的には手紙等を今書いて危険性を訴え反対したりしていますが、どこに出せば効果的なんでしょうかねぇ…。
今は民主や社民に出したりしましたが、良くわからなかったりします。
それでは駄文すいません。
失礼しました。
投稿: りず | 2008年3月26日 (水) 02時23分
りず様
コメントありがとうございます。
いつもトラックバックありがとうございます。(私の方こそ、りず様のブログ「チラシの裏(3周目)」はいつも参考にさせて頂いています。表現規制その他、情報の早さと的確な突っ込みには本当に脱帽です。)
おっしゃる通り、積極性のような限定は何の解決にもなりませんね。
ダウンロード違法化でも「情を知って」で文化庁が押し通そうとして来ましたが、こちらは刑事罰がともなっているだけにさらに影響は甚大です。考えるだけで、あまりの危険性にめまいがします。こんな規制が入った日には、危なすぎてインターネットは全く利用できません。
とにかくこれは限定条件の問題ではなく、この危険性は単純所持規制に必然的にともなうもので回避不能であるということを繰り返し言えるところに言っていくしかないでしょう。私も一通り出せるところには意見を出しましたし、これからも出すつもりです。(IT系の企業が本格的に動いてくれると良いのですが。本当にどこに出せば一番効果的なんでしょう。)
どうか今後ともよろしくお願い致します。
投稿: 兎園 | 2008年3月26日 (水) 23時51分