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2008年3月31日 (月)

第79回:知財本部提出パブコメ

 参考にするなら、前々回のメモの方が分かりやすいのではないかと思うが、パブコメを書き終わり、提出もしたので、ここに載せておく。(内容は、メモをほぼそのまま忠実に文章に起こしただけである。書いていてつくづく思ったが、最近の規制強化の動きは異常としか言いようがない。)

(意見等)

「知的財産推進計画2007」の見直しに関して、下記の通り意見を提出します。

   記

 最終的に国益になるであろうことを考え、各業界の利権や省益を超えて必要となる政策判断をすることこそ知財本部とその事務局が本当になすべきことのはずであるが、知財計画2007を見ても、このような本当に政策的な決定は全くと言って良いほど見られない。知財保護が行きすぎて消費者やユーザーの行動を萎縮させるほどになれば、確実に文化も産業も萎縮するので、知財保護強化が必ず国益につながる訳ではないということを、著作権問題の本質は、ネットにおける既存コンテンツの正規流通が進まないことにあるのではなく、インターネットの登場によって新たに出てきた著作物の公正利用の類型に、今の著作権法が全く対応できておらず、著作物の公正利用まで萎縮させ、文化と産業の発展を阻害していることにあるのだということを知財本部とその事務局には、まずはっきりと認識してもらいたい。特に、最近の知財・情報に関する規制強化の動きは全て間違っていると私は断言する。

 今まで通り、規制強化による天下り利権の強化のことしか念頭にない文化庁、総務省、警察庁などの各利権官庁に踊らされるまま、国としての知財政策の決定を怠り、知財政策の迷走の原因を増やすことしかできないようであれば、今年の知財計画を作るまでもなく、知財本部とその事務局には、自ら解散することを検討してもらいたい。そうでなければ、是非、「デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会」他の検討会において、各利権官庁に轡をはめ、その手綱を取って、知財の規制緩和のイニシアティブを取ってもらいたい。

 知財本部において今年度、知財の規制緩和の検討がきちんとなされるということを期待し、本当に決定され、実現されるのであれば、全国民を裨益するであろうこととして、私は以下のことを提案する。

(1)「知的財産推進計画2007」について
 まず、「知的財産推進計画2007」では、ダウンロード違法化問題、私的録音録画補償金問題、保護期間延長問題について、それぞれ第90ページ、第91ページ、第94頁に記載されている。これらの問題は2007年度中に結論が出ず、継続検討とされたものであるが、私は、これらにおける無意味かつ危険な知財の保護強化に全て反対する。
 特に、エスパーでもない限り証明も反証もできない「情を知って」なる無意味かつ危険な要件でダウンロード違法化をごり押ししようとする文化庁を押しとどめるため、知財計画2008では、文化庁の検討を止め、ダウンロード違法化を絶対にしないということを明記して頂きたい。
 また、権利者団体等が単なる既得権益の拡大を狙ってiPod等へ対象範囲を拡大を主張している私的録音録画補償金問題についても、補償金のそもそもの意味を問い直すことなく、今の補償金の矛盾を拡大するだけの私的録音録画補償金の対象拡大を絶対にしないということを明記して頂きたい。
 保護期間延長問題についても、これほど長期間にわたる著作権の保護期間をこれ以上延ばすことを是とするに足る理由は何一つなく、著作権・著作隣接権の保護期間の延長はしないと明記して頂きたい。特に、流通事業者に過ぎないレコード製作者と放送事業者の著作隣接権については、保護期間を短縮することが検討されても良いくらいである。

 コピーワンス問題については、第105~106頁に記載されているが、私はコピーワンスにもダビング10にも反対する。そもそも、この問題は、放送局・権利者にとっては、視聴者の利便性を著しく下げることによって、一旦は広告つきながらも無料で放送したコンテンツの市場価格を不当につり上げるものとして機能し、国内の大手メーカーとっては、B-CASカードの貸与と複雑な暗号システムを全てのテレビ・録画機器に必要とすることによって、中小・海外メーカーに対する参入障壁として機能するB-CASシステムの問題を淵源とするのであって、このB-CASシステムと独禁法の関係を検討するということを知財計画2008では明記して頂きたい。検討の上B-CASシステムが独禁法違反とされるなら、速やかにその排除をして頂きたい。また、無料の地上放送において、逆にコピーワンスやダビング10のような視聴者の利便性を著しく下げる厳格なコピー制御が維持されるのであれば、私的録画補償金に存在理由はなく、これを速やかに廃止するということもここに明記して頂きたい。

(2)「デジタル時代におけるコンテンツ振興のための総合的な方策について」について
 コンテンツ・日本ブランド専門調査会でまとめられたこの報告書も、知財計画2008に盛り込まれるものと思うが、特に、その第6ページに記載されている、放送と通信の法体系の総合的な検討について、著作隣接権に関する記載を削除するか、著作隣接権は拡大しないということを明記して頂きたい。インターネットという流通コストの極めて低い流通手段において、著作隣接権を発生させることは、絶対にやってはならない最低の愚策である。また、この部分において、経団連の提言(http://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2008/005/index.html)において記載されている通りに、HP等に関しても通信の秘密を確保し、表現に関する規制は行わないという方針を知財計画2008では明記して頂きたい。総務省の報告書に書かれていることは、憲法違反のデタラメなものである。

 また、第16ページにフィルタリングに関する記載があるが、その政策決定の迷走により、総務省は携帯電話サイト事業者に無意味かつ多大なダメージを与えている。この問題については、知財計画2008に書き込むに当たって、フィルタリングの存在を知り、かつ、フィルタリングの導入が必要だと思っていて、なお未成年にフィルタリングをかけられないとする親に対して、その理由を聞くか、あるいはフィルタリングをかけている親に対して、そのフィルタリングの問題を聞くかして、きちんと本当の問題点を示してから検討するという記載にして頂きたい。フィルタリングで無意味に利権を作ろうとしている総務省と携帯電話事業者他の今の検討については、完全に白紙に戻されるべきである。
 同じ箇所に、出会い系サイト問題についても触れられているが、警察庁は、どんなコミュニケーションサイトでも人は出会えるという誰にでも分かることを無視し、登録の対象としては事実上定義不能の「出会い系サイト事業」を定義可能と偽り、出会い系サイト規制強化法案の閣議決定を行った。憲法上の罪刑法定主義や検閲の禁止にそもそも違反している、この出会い系サイト規制強化法案は、速やかに廃案にすることを私は求める。

 第7ページには、ネット利用者のプライバシー保護の検討についての記載があるが、ネットにおける過度のプライバシー保護は、やはりネットの利用を萎縮させるものであることを考えて、慎重に検討して頂きたい。

(3)「オープン・イノベーションに対応した知財戦略の在り方について」について
 知的財産による競争力強化専門調査会でまとめられたこの報告書に書かれていることとして、図書館におけるデータ蓄積・公開、研究開発のための映像・テキスト情報の利用、ネット環境の安全性確保等のためのソフトウェア解析のための利用など、権利者の利益を害さず、著作物の通常の利用も妨げないような著作物の公正利用の類型についてはきちんとした権利制限による対応が必要である。これらのような公正利用を萎縮させて良いことなど全くなく、これらの類型について著作権法上の権利制限を設けると、知財計画2008には明記して頂きたい。

(4)その他新たに知財計画に盛り込むべきことについて
 まず、ダウンロード違法化問題やプロバイダーにおける違法コピー対策問題における権利者団体の主張、児童ポルノ法規制強化問題・有害サイト規制問題における自称良識派団体の主張は、常に一方的かつ身勝手であり、ネットにおける文化と産業の発展を阻害するばかりか、インターネットの単純なアクセスすら危険なものとする非常識なものばかりである。このような一方的かつ身勝手な規制強化の動きを規制するため、憲法の「表現の自由」に含まれ、国際人権B規約にも含まれている国民の「知る権利」を、あらゆる公開情報に安全に個人的にアクセスする権利として、著作権法・通信法等の関係法規に明文で書き込むことを検討して頂きたい。
 なお、閲覧とダウンロードと所持の区別がつかないインターネットにおいては、例え児童ポルノにせよ、情報の単純所持規制はすることは有害無益かつ危険なもので、憲法及び条約に規定されている「知る権利」を不当に害するものである。このような情報の単純所持規制に私は反対する。積極的あるいは意図的に画像を得た場合であるなどの限定を加えたところで、エスパーでもない限りこのような積極性を証明することも反証することもできないため、このような情報の単純所持規制の危険性は回避不能であり、罪刑法定主義にも反する。架空の表現に関する規制も同時に議論されているが、ごく一部の国内団体等の根拠のない、保護法益すら無視した一方的な主張で、憲法で保障されている表現の自由が規制されることなどあってはならないことである。様々なところで検討されている有害サイト規制についても、その規制は表現に対する過度広汎な規制で違憲なものとしか言いようがなく、各種有害サイト規制についても私は反対する。

 WIPOにおいてチリから権利制限に関する国際的な検討を行うべきとする提案が出され、複数の国がこれを支持するということがネットでは報道されている(http://www.ip-watch.org/weblog/index.php?p=954)が、日本では、このように著作権に関する国際動向が政府から全く国民に知らされていない。WIPO等の国際機関にも、政府から派遣されている者はいると思われるので、著作権に関する真の国際動向について細かなことまで即座に国民へ知らされる仕組みの導入を是非検討して頂きたい。

 最近、アニメ画像1枚の著作権侵害によってウィルス作者が別件逮捕されたが、このようにアニメの画像一枚の著作権侵害で利用者が突然逮捕される可能性があるということは、本来法の主旨に照らしてあってはならないことである。民事手続きに関しては、プロバイダー責任制限法がある程度セーフハーバーの機能を果たしているものと思うが、刑事手続きにおいても利用者保護のための何らかのセーフハーバーの導入を検討してもらいたい。

 また、著作権管理団体が既存の流通手段に対する優越的な地位を濫用し、登録ユーザーや許諾ユーザーに不利な契約を結ばせる等の独禁法違反行為がないかどうかの確認を行い、その結果如何によって、コンテンツ業界における知財権の不当な独占状態の排除と不正な契約慣行の是正とを行うことを検討して頂きたい。

 最後に、知財政策においても、天下り利権が各省庁の政策を歪めていることは間違いなく、知財政策の検討と決定の正常化のため、文化庁から著作権関連団体への、総務省から放送通信関連団体・企業への、警察庁からインターネットホットラインセンター他各種協力団体・自主規制団体への天下りの禁止を知財本部において決定して頂きたい。(これらの省庁は特にひどいので特に名前をあげたが、他の省庁も含めて決定してもらえるなら、それに超したことはない。)

 インターネットにおけるこれ以上の知財保護強化は既に有害無益かつ危険なものであるということをきちんと認識し、真の国民視点に立った知財の規制緩和の検討が知財本部でなされることを期待すると最後に繰り返しておく。

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2008年3月29日 (土)

第78回:コンテンツ流通と著作物の公正利用

 天下りについてはまだ考えをまとめるのに時間がかかるので、今回は、軽く書けることとして「コンテンツ流通促進」という良く出てくるキーワードの話をしておきたいと思う。(期待されている方には申し訳ないが、主要各国の著作権法紹介も忘れている訳ではない。4月3日には、文化庁で私的録音録画小委員会がまた再開(開催案内)されるが、文化庁は自分たちに都合の悪い情報は隠すことを常としているので、地道に海外動向の紹介もやって行くつもりである。)

 番外その8で少し紹介したデタラメな「ネット権」の話やら、最近のJASRACシンポジウムに関する記事(ITmediaの記事1記事2cnetの記事マイコミジャーナルの記事ASCII.jpの記事)やらを読むと、「コンテンツ流通促進」というキーワードは引き続き今年も著作権問題と絡んでかなり取り沙汰されそうな雰囲気があるが、何故こうまで著作権法の問題と「コンテンツ流通促進」がキーワードとして短絡的に結びついて語られるのか、よくよく考えても私にはさっぱり分からないのだ。

 既存のコンテンツのインターネット上の正規流通があまり充実していないことは利用者としては残念ではあるが、だからと言って、情報の創作者保護という知財権・著作権の本質を無視してまで、権利を制限し、無理矢理コンテンツを流通させるべきとは私には全く思えない。自らの著作物をどの流通手段にどのように流通させるかは、著作権者がある程度決められて良いはずであるし、この選択がインターネットの存在によっていくらテクニカルに難しくなっているとは言え、この原則に反対する者がそれほど多いとも思えないのである。(番外その9で取り上げたmixi規約改定騒動において、mixi社への無制限の2次利用許諾に対して、多くのユーザーが反発したことも考え合わせてみると良い。)

 これほど「コンテンツ流通促進」というキーワードを世に広めた者は誰か良く分からないが、これを広めた者は、確実に今の知財政策の迷走を加速させた大罪人である。総務省を始めとして各省庁の検討会でも「コンテンツ流通促進」という言葉は良く使われているから、役所が最初の音頭を取った可能性すらあるが、役所が利権とキーワードだけに踊って現実を見ず、ただひたすら政策を迷走させて世の中に害悪を垂れ流しているのは本当に許し難いことである。

 流通手段によって求められるコンテンツが違うのも当たり前のことであり、別にネットでテレビがそのまま見られる必要もない。ネットにおける既存のコンテンツの正規流通は、どこまで行っても、既存のコンテンツホルダーが進めたいと思えば進むが、進めたくないと思えば進まないというだけの話であり、国の政策として法律でどうこうする話ではないだろう。

 はっきり言っておくが、私は、一ユーザー・一消費者・一国民として、コンテンツ流通促進法などカケラも欲しいとは思わない。第28回にも書いたことだが、著作権問題の本質は、ネットにおける既存コンテンツの正規流通が進まないことにあるのではなく、インターネットの登場によって新たに出てきた著作物の公正利用の類型(検索エンジンにおける利用などその典型だろう)に、今の著作権法が全く対応できておらず、この公正利用まで萎縮させ、文化と産業の発展を阻害していることにあるのだと私は考えている。

 知財本部のペーパーに書かれていることで、前回のメモにも箇条書きで書いたが、他にも、図書館におけるデータ蓄積・公開、研究開発のための映像・テキスト情報の利用、ネット環境の安全性確保等のためのソフトウェア解析のための利用など、権利者の利益を害さず、著作物の通常の利用も妨げないような著作物の公正利用の類型についてはきちんとした権利制限による対応が必要である。考えれば他の類型も出てくることだろうが、これらのような公正利用を萎縮させて良いことなど全くないのだ。

 本当に必要なのは、「コンテンツ流通促進」ではなく、あくまで「公正利用のための権利制限」であると、私は言い続けよう。今年もまた、「コンテンツ流通促進」という響きだけは良い言葉に踊らされて日本の知財政策は迷走を続けることだろうが、一刻も早くこのような虚妄から日本全体が目をさますことを私は願っている。

(なお、レコード事業者と放送局という既存の流通事業者が、インターネットという新たな流通手段との競合でパイを減らすのは、これもまたどうしようもないことである。レコード事業者と放送局は何故か著作隣接権者な訳だが、第28回でも書いたように、このフラット化時代には、このような単なる政治力からもたらされた著作権法上の異常な優遇措置は無くす方に是正する努力がなされなくてはならない。逆にインターネットで隣接権を発生させることなど絶対にやってはならない最低の愚策である。同じ隣接権者という枠で語られることもあるが、創作に関与する実演家は無論別である。)

 最後に、警察庁のサイバー犯罪対策HPに、出会い系サイト規制強化案のパブコメ結果が公表されていたのでリンクを張っておく。読んでもらえれば分かると思うが、第54回に載せた私のパブコメの回答にはほとんど全くと言って良いほどなっていない。これもまた事実上のパブコメ無視である。

 第73回で取り上げた、インターネットサービスプロバイダーの違法コピー対策の協議会の発足も近そうである(毎日新聞のネット記事IP NEXTの記事)。そもそも何で業界の自主規制の協議会の必要性やら提言やらが、警察庁の報告書に盛り込まれるのかということからして疑問だが、記事よると、この対策協議会にも警察庁や総務省や文化庁がバックにつくようなので、この協議会は本当に要注意である。この3省庁が絡む検討でロクな結果が出てきたためしがない。

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2008年3月27日 (木)

第77回:知財本部パブコメ準備メモ

 MIAUのHPに「「知的財産推進計画2007」の見直しに関する意見募集について」という記事が掲載された。ダウンロード違法化問題等々、ネットに関する政策検討は、今年も正念場が続くと思うので、是非MIAUには引き続き地道に頑張ってもらいたいと思う。

 私も今パブコメを書こうとしているところなのだが、書き終わるまでもうしばらくかかると思うので、私が書きたいと思っていることの箇条書きメモを参考に、以下に載せておきたいと思う。

○知財本部・知財計画のそもそもの存在意義の問いかけ第27回参照)

○「知的財産推進計画2007」より
・ダウンロード違法化への反対(第41回第42回参照)
・私的録音録画補償金の対象拡大への反対(第19回第20回第21回参照)
・保護期間延長への反対(第62回参照)
・コピーワンス・ダビング10への反対、B-CASと独禁法の関係整理の要求(第6回番外その6参照)

○「デジタル時代におけるコンテンツ振興のための総合的な方策について」より
・情報通信法における、表現の自由と通信の秘密の確保、著作隣接権の拡大への反対(番外その8参照)
・フィルタリング規制に関する検討のやり直し(第58回参照)
・出会い系サイト規制への反対(第50回参照)
・ネットにおける過度のプライバシー保護に関する反対

○「オープン・イノベーションに対応した知財戦略の在り方について」より
・図書館におけるデータ蓄積・公開等に対する権利制限への賛成
・研究開発のための映像・テキスト情報の利用のための権利制限への賛成
・ネット環境の安全性確保等のためのソフトウェア解析のための権利制限への賛成

○その他新規に検討を求めたいと思っていること
・情報アクセスの自由の保障の著作権法・通信法等への書き込み(第73回第75回参照)
・著作権に関する真の国際動向の国民への公開(第74回参照)
・著作権管理団体と独禁法の関係整理(番外その9参照)
・著作権法違反の刑事手続きに対するセーフハーバーの検討(番外その9参照)
・児童ポルノ法の単純所持規制・架空の表現に対する対象範囲拡大への反対(第70回第75回第76回参照)
・有害サイト規制への反対
・文化庁から著作権関連団体への、総務省から放送通信関連団体・企業への、警察庁からインターネットホットラインセンター他各種協力団体・自主規制団体への天下りの禁止

 もしかしたら、書いているうちに、項目を少し削ったり追加したりするかも知れず、肉付けにも少し時間がかかると思うが、この知財本部へのパブコメも提出次第、このブログに載せたいと思っている。

 また、上の項目でも、まだ取り上げていない話がいくつかあり、順次考えがまとまり次第エントリを追加して行きたいと思っているが、先日天下り白書(正式名称は「営利企業への就職の承認に関する年次報告」:プレスリリース本文目次)が公開されたこともあり、次回は、特に天下りそのものの話を書いてみたいと思っている。

 最後に、「チラシの裏(3周目)」でも取り上げられているが、議員事務所へのメールや手紙に卒業アルバムからスキャンした水着写真やらジュニアアイドルの写真などを添付して送った人間がいたために、事務所に真面目に陳情に行った人がまともに取り合ってもらえなかったという事態が起こっているらしい。何故このようなことをするのか個人的には理解に苦しむところもあるのだが、本当に児童ポルノの提供罪や威力妨害罪で逮捕されかねない、嫌がらせとしか思われないこのようなやり口は逆効果なので、絶対にやってはいけないとここにも書いておく。ほとんどの人には言うまでもないことと思うが、手紙やメールを書くこと自体が悪いわけではなく、手紙やメールは読む相手がいるのであるから、相手のことを考えて余計なものは添付せずに普通に丁寧に手紙やメールは書かないといけないというだけのことである。

(表現規制に関することから、このブログをご覧になっている方へ:このブログは行きがかり上、表現規制一般の問題も取り扱っているが、知財規制と表現規制は似て非なるものである。私自身は知財政策に関する各項目に関して書きたいこともあり、念のため、ついでにこのパブコメにも少しだけ表現規制の話を書くつもりでいるが、児童ポルノ法などの表現規制一般の話は知財本部は管轄外と思われることにご注意頂きたい。)

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2008年3月25日 (火)

第76回:「表現の自由」とポルノグラフィ

 架空の表現に関する規制は、憲法で保障されている「表現の自由」を真っ向から否定するものであり、違憲以外の何物でもなく絶対に許されない。架空の児童被害に基づいて、架空の表現が規制されるなど、ブラックジョークにもならない。

 架空の表現を規制したいばかりに「架空の表現で影響を受けた人間は実際の犯罪を犯し易くなるので規制すべき」とするトンデモ超論理を持ち出し、さらに、その明白かつ危険な論理の飛躍を指摘してこれに反対する者をロリコンのレッテル貼りで言論封殺する規制強化派は、民主主義の最重要の基礎たる「表現の自由」、「言論の自由」、「思想の自由」等々の憲法で保障された精神的自由の明らかな敵である。

 大体、このようにポルノと犯罪を結びつけて規制を正当化しようとするロジックは、児童ポルノではない通常のポルノ規制において世界的に見てもももはや一顧だにされていない論拠であり、全く取り上げるに値しないものである。

 念のために憲法の話をもう少ししておくと、表現の自由を中心とする精神的自由は全ての自由一般の基礎であり、これを規制する立法の合憲性は特に厳しい基準によって審査されなくてはならないとされているのである。特に「検閲」となる事前抑制型の規制が絶対に許されないのは勿論のこと、表現の自由に関する規制に関しては、規制目的が正当かつ重大であり、規制を正当化するに足る根拠が十分に明確であることに加え、表現に対する萎縮が発生しないよう規制範囲も明確でなければならない。(憲法の教科書を読むと、大体ここで、さらに細かなことがいろいろ書かれているが、ここではざっくりとまとめた。さらに詳しいことが知りたい方には、前回紹介した憲法学の教科書を読むことをお勧めする。それにしても、これらの憲法の教科書を読んでも、表現の自由に関する議論は、日本においては、法学会・司法界ですら実に不十分であるように思う。)

 表現の自由に関しては特に厳格に違憲性が審査されなくてはならないことに照らして考えれば、規制強化派の主張する架空の表現規制は、児童保護という規制目的と関係なく、規制を正当化するに足る根拠も無論なく、架空の表現において年齢が意味を持たないことを思えば、その規制は無意味に表現を萎縮させるほど広汎かつ漠然としたものにならざるを得ず、2重か3重くらいに違憲であり、全くお話にならない

 このような規制が入る余地は全くないと思うが、規制強化派に対しては、このような表現規制は「表現の自由」を侵害するもので明らかに違憲であるとはっきり言って全く差し支えない。これほど正当な主張に恥じるところなど何一つない

(さらに念のために書いておくと、今の児童ポルノ規制法(「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」の児童ポルノの定義のうち、特に第2条の第3項第3号は不明確であり、より明確に限定するように改正が検討されて良い。私自身欲しいとも思わないが、17歳の女子高生の水着のDVDを規制・摘発することに何の意味があるのか私には良く分からない。

第2条  この法律において「児童」とは、十八歳に満たない者をいう。
(中略)
3  この法律において「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。以下同じ。)に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。
一  児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態
二  他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの
三  衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの)

 大体、言いたいことは以上で尽きているのだが、さらに関連する話としてポルノ一般に関する政策論についても書いておこう。

 わいせつ物一般に関する規制は、刑法の第175条で、

第175条  わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。

と規定されているところである。

 さらにその基準は、「チャタレー夫人の恋人」事件に対する最高裁判決「悪徳の栄え」事件に対する最高裁判決の2大わいせつ裁判を経て、「四畳半襖の下張」事件に対する最高裁判決で、

文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(前掲最高裁昭和三二年三月一三日大法廷判決参照)といえるか否かを決すべきである。

と示されたもの(要するに、性器・性交などの直接描写は基本的にダメだが、それが他の描写によって相対的に薄まり、主として好色的興味をそそらなくなっていればOKという、私には良く分からない基準である)が今も通用している。この基準は、最近の「メイプルソープ写真集」事件に対する最高裁判決でも維持されたが、このような曖昧な基準を、最高裁がこのインターネット時代にそのまま維持しようとしていること自体問題だろう。

(大体、法学者の見解も、このようなわいせつ文書規制の根拠として、性道徳・性秩序の維持といった旧来の根拠に基づいた最高裁判決の合憲論をそれなりに認め、その定義の明確化の努力を評価する立場から、表現の自由の制限の根拠を第3者の権利に対する害のみに認め、刑法第175条の規制はそもそも広汎に過ぎ違憲とする立場まで様々であるが、私はほぼ後者の立場を取る。)

  このように曖昧な基準でポルノを規制し、さらに、ネット上のサーバーへ蓄積もわいせつ物の公然陳列に当たるという仰天判例(京都アルファネット事件)が最高裁で出されていたりするという状況では、そもそもアングラなポルノ業界が海外に拠点を移しているという話が聞こえてくるのも無理はない。規制をコントロールする自主規制団体と癒着することで、ポルノ産業から警察が天下りコストを得られたような牧歌的時代はもう既に終わっているのであり、無駄な社会的コストを削減し、通常のポルノ産業の空洞化を防ぐため、かえってポルノに関しても政策的に規制緩和を行うことが真剣に検討されなくてはならない

 要するに、インターネットという情報の自由市場が成立したことによって、通常のポルノ・架空のポルノ表現をわいせつ物として止めるべきとしていた根拠が実に薄弱なものであったことが誰の目にも明らかになってしまったのである。これらのポルノ表現に関する今の曖昧かつ広汎な規制はもはやその根拠のほぼ全てを失っているのであり、これらのポルノ表現はかえって完全に解禁することが今求められていると私は考える。このような実際の被害を何らともなわないポルノ表現については、第3者の「見たくない自由」を守るためや本当の青少年保護のためのゾーニングや年齢確認等の緩やかな規制で十分であろう。

(既に、インターネットによって成立した情報の自由市場によって、もはやポルノは実質解禁されているに等しく、この事実の追認こそが司法と行政と立法に今求められていることであるにも関わらず、官僚裁判官と官僚警察と政治家が、ネットの特性を全く理解せず、リアルでしか通用しない前例の踏襲と利権の維持を図るばかりに、今の現実に全くついて行けていないのは本当に情けない。)

 少し話がずれたが、最後に繰り返しておこう。清潔な文化など文化ではない。人間自身、恥部は隠せても、切り取ることはできない。これを切り取ろうとすることは人間性の否定に他ならない。文化はその一部だけを取り出して否定することは絶対にできない。今の表現に関する自由度の中、その下でアダルトコミック、アダルトゲーム、アダルトアニメ、同人文化などが支えているからこそ、日本のオタク文化は世界に類を見ないほどの高みに今屹立しているのである。無意味な規制は必ず、今の日本の文化と産業に有害無益な大ダメージを与えることになるだろう。

 児童ポルノ法の適用範囲を架空の表現まで拡大しようとすることは、日本の今の文化と産業全体に対する挑戦であり、面罵である。今の日本文化を愛する全ての人に、そして、今の日本文化の最先端を行くオタク文化に連なる、マンガ業界、アニメ業界、ゲーム業界、フィギュア業界、新本・古本・各種ショップ業界等々全ての業界に、私は是非反対の声をあげてもらいたいと思う。このように表現の自由を明らかに侵害する規制強化への反対に恥じることなど何一つないのだ。

(3月25日夜の追記:上のまとめは、あくまで私なりのまとめであることを、念のためにお断りしておく。憲法の教科書には、アメリカの違憲審査基準である「明白かつ現在の危険」の基準が出てきたり、細かな分類が出てきたりして、結局何を言いたいのだか良く分からないものが多い。教科書はあまりにも分かりにくいので、「表現の自由」一般の話もまた近いうちに自分なりのまとめを書きたいと思う。なお、アメリカでも2002年に、架空の表現に対するバーチャル児童ポルノ規制は、架空の表現が違法な行為を誘発することなどの理由は規制の正当化根拠たり得ず、規制は過度広汎にすぎるとして違憲判決を受けており、この判決がひっくり返ったという話も聞かない。また、当然のことながら、前回紹介した人権規約にも違反するので、架空の表現規制に関する国際的な取り決めもあり得ない。虚構と現実の区別がつかない国内の自称良識派が単独でわめいている、身勝手かつ一方的で何一つ根拠のない主張によって、表現そのものが規制されることなど絶対にあってはならないことである。)

(3月26日の追記:児童ポルノ法に関する話として書いたが、その他の有害サイト規制も、表現を広汎・漠然とした規定で一般的かつ網羅的に規制することは憲法上絶対に許されないのであり、同じ理由で違憲となる。)

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2008年3月21日 (金)

第75回:「表現の自由」と「知る権利」

 児童ポルノ法の規制強化の動きに対して、当たり前の話であるが、ネットを中心として反対運動が巻き起こっている。やはり、マンガ・アニメ・ゲームといった架空の表現に対する規制の導入に対する反発は凄まじく、単純所持規制の方がかすんでしまっているくらいだが、単純所持規制も、そのネットにおける危険性を考えるとやはり絶対に導入してはならないものである。

 この話についてはいろいろなことを調べているところだが、憲法論をやっているブロガーはあまり多くないので、今回は、第70回の補足として、このような規制と憲法上の「表現の自由」との関係をまとめておきたいと思う。

 普通なら憲法の教科書をひもとく必要などないはずなので、「表現の自由」を、言葉通りおおよそ発表の自由だと考えている人も多いのではないかと思う。大体の場合はそれで十分なのだが、この「表現の自由」がいわゆる「知る権利」も含むものと解されているということは、インターネットが普及し、その情報アクセスを危険たらしめる規制強化の策動がある中、誰もが知っていて良いことである。

 このことは、どの憲法の教科書にも書かれていることであるが、例えば、最も有名な芦部信喜先生の「憲法」(高橋和之補訂、第4版、2007年岩波書店刊)の第166ページにも、

 表現の自由は、情報をコミュニケイトする自由であるから、本来、「受け手」の存在を前提にしており、知る権利を保障する意味も含まれているが、十九世紀の市民社会においては、受け手の自由をとくに問題にする必要はなかった。ところが、二〇世紀になると、社会的に大きな影響力をもつマス・メディアが発達し、それらのメディアから大量の情報が一方的に流され、情報の「送り手」であるマス・メディアと情報の「受け手」である一般国民との分離が顕著になった。しかも、情報が社会生活においてもつ意義も、飛躍的に増大した。それで、表現の自由を一般国民の側から再構成し、表現の受け手の自由(聞く自由、読む自由、視る自由)を保障するためそれを「知る権利」と捉えることが必要になってきた。表現の自由は、世界人権宣言十九条に述べられているように、「干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由」と「情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む」ものと解されるようになったのである。

と書かれている。(赤字強調は私が付けたもの。このような引用は他人の権威を笠に着るようで私はあまり好まないのだが、最も基本的な教科書にも書いてあるということを示すために引用にした。大体政官ともに自分たちに都合の悪いことは憲法や条約ですら無視する傾向にあるのは、今の日本の本当に危機的な状況を如実に表している。第54回の警察庁提出パブコメでも少し憲法論を書いたが、あの出会い系サイトの規制強化法案などこの憲法無視の典型である。もしこのような憲法学に興味があれば、同じく芦部信喜先生の「憲法学」(有斐閣刊)、佐藤幸治先生の「憲法」(青林書院刊)、伊藤正巳先生の「憲法」(弘文堂刊)、浦部法穂先生の「憲法学教室」(日本評論社刊)なども読むことをお勧めする。書き方は違うが、このような「知る権利」を表現の自由の基本的な側面の一つと考えていないものはない。)

 さらに、上の芦部先生の引用と変わらないが、世界人権宣言の第19条、念のため引用しておこう。

第19条
すべて人は、意見及び表現の自由を享有する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。

 さらに、この人権宣言を元に作られた国際人権規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)の第19条もここに引用する。

第19条
1 すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。

2 すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。

3 2の権利の行使には、特別の義務及び責任を伴う。したがって、この権利の行使については、一定の制限を課すことができる。ただし、その制限は、法律によって定められ、かつ、次の目的のために必要とされるものに限る。

(a) 他の者の権利又は信用の尊重
(b) 国の安全、公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護

 インターネットが普及した今、この「知る権利」が、インターネットにおける情報アクセスの自由まで含めて考えられなくてはならないことは言うまでもない。そして、児童ポルノであれ何であれ、情報の単純所持は、他人の権利、身体・財産、信用を傷つけることでは全くなく、このような情報の単純所持規制は、憲法違反・条約違反であることを完全に免れない。さらに、このような規制は、ロリコンを思想犯罪化することにほぼ等しく、当然「思想の自由」にも抵触する。

 人権宣言や国際人権規約には無論日本も欧米主要国も参加・批准している。このように危険な児童ポルノの単純所持規制を導入すべきとする国際的取り決めがある訳もない、アメリカがこのような規制を入れろと外圧をかけてきているなら、アメリカの方こそ基本的人権を蹂躙する条約違反国家であると言っても良いくらいである。どこの国の圧力だろうが、不当なものは不当と跳ね返さなくてはならない。

 ダウンロード違法化しかり、この児童ポルノの単純所持規制しかり、最近の規制強化の動きは、この個人の知る権利、個人の情報アクセスの自由を危うくするものばかりである。憲法や条約のような最上位法規は規制強化派の知るところではないのだろう、私は一ユーザー・一国民として、これらの規制に反対すると同時に、規制派を明確に規制するために、インターネットにおける個人的な情報アクセスの自由を、著作権法や通信法等々に明文で書き込むことを求めて行くとここに宣言する。憲法や条約で保障されている権利を書き込むだけである、できない訳がない。(少し考えてみれば分かることと思うが、これはダウンロード違法化や情報の単純所持規制の否定になる。さらに、第73回で取り上げたプロバイダーの自主規制に対する逆規制にもなるだろう。なお、「知る権利」や「情報アクセスの権利」といった言葉は、狭義には、政府やマスコミに対する積極的な情報請求権の意味に使われることもあるが、ここでは、より広く、消極的な情報入手・収集権も含めて使っている。)

 ダウンロード違法化反対に関しても同じことを書いたが、情報の単純所持は、完全に個人的な行為であり、「情を知って」とか、「積極性かつ継続的に」とかのような曖昧かつ恣意的な要件は、エスパーでもない限り証明不可能なものである。小寺信良氏がそのITmediaの記事で、このような規制が情報兵器として使われ得ることを指摘しているが、今の規制強化派の一方的かつ理不尽な主張を見聞きするにつけ、私は、このようなエキセントリックな主張をする者たちが、児童ポルノ規制を逆手に取って、反対派に情報トラップを仕掛け、この規制を言論封殺に利用する恐れさえなしとしない。(前回、警察の別件逮捕に権利者が協力したに違いないということを書いたが、児童ポルノの単純所持規制下、規制強化派と警察とに結託された日には、全く手に負えなくなる。)

 このような情報規制は、ロリコンがどうとか言う次元の低い問題ではない。例えそれがどんなものであろうと、情報の単純所持を禁止することは、表現の自由や思想の自由など、国民の幸福の最大の基礎である精神的自由を明らかに侵害するものである。このような規制は違憲であり、人権侵害であると私は断言する。自称良識派が主張する一方的かつ身勝手な「人権」など人権ではない。

 この単純所持規制問題もダウンロード違法化問題と同じく、全ネットユーザーにつきつけられた問いである。このブログを読んでもらえている規制反対派の諸氏よ、我々は決して徒手空拳ではない。反対運動の手を決してゆるめてはならない、運動はまだ始まったばかりである。これはあらゆる者が安心してインターネットを利用できる自由、あらゆる公開情報に安全に個人的にアクセスする自由という、このインターネット時代において最も重要な基本的人権を守るための戦いである。このような国民的な「権利のための闘争」において、妥協の余地など一切ない

 今度の規制強化の動きには、もう一つ、架空の表現の規制の話がある。こちらも極めて大きな問題であることは言うまでもない。次回は、この架空の表現の規制に関して、表現の自由とポルノグラフィの関係についての考えをまとめたいと思っている。

(追記:ドイツ連邦憲法裁判所がファイル共有ユーザの身元開示を認めなかったという話が「P2Pとかその辺のお話」で紹介されているので、著作権国際動向の一つとして、リンク先を是非ご覧頂ければと思う。もし調べて補足した方が良いこと出てくれば、後日またこのブログでも取り上げたいと思うが、非常に良くまとまっているのでほとんど補足することはないのではないかと思う。)

(3月22日の追記:単純所持が禁止されているアメリカで、囮サイトを使ったワンクリック逮捕が本当に実行されていたというニュース(technobahnの記事)があった。記事によると、「今回の裁判を通してFBIでは、児童ポルノの場合、例えリンクをクリックしただけでも検挙される可能性があるとの認識を徹底させる」らしいが、ワンクリックで2~3年の懲役刑の可能性が出てくるというのはメチャクチャも良いところである。アメリカでも裁判で違憲とされることだろうが、このように危険な単純所持規制など始めから入れないに越したことはない。)

(3月26日の追記:さらに気づいたこととして、積極性などの限定は極めて曖昧なものであり、このような限定は外形的に区別されないので、ユーザーから見てこの単純所持規制を回避する術はなく、完全にお手上げであり、このように国民から見たときの回避可能性がない法律は、憲法の31条で規定されている罪刑法定主義にも違反しているということも指摘しておく。)

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番外その9:身近な知財問題3題(mixi規約改定騒動、初音ミク騒動、ウィルス作成者別件逮捕事件)

 このブログはあまり個別の事件については、取り上げないようにしているのだが、あまり抽象的に過ぎても分かりにくいだろうし、個別の事件について書くことも、また誰かがパブコメなりを書くときの参考になるかも知れない。今回も番外として、最近の各種事件について、私なりの考えをまとめて書いておきたいと思う。

(1)mixi規約改定騒動
 最初に、一番最近のSNSサービスmixiの規約改定騒動についてである。これは、ソーシャルネットワークサービス最大手のmixiが、規約を改定しようとしたところ、その改訂規約案の中にユーザーの日記等についてmixiに非独占的にほぼあらゆる形態での2次利用を許諾する条項と人格権不行使条項が含まれていたために、ユーザーの反発を招き、株価が下落するまでに至り、mixiは事実上この改定案を撤回するに至ったという騒動である。(この事件については、ネットで検索すれば山ほど記事が出てくるが、最近の記事として、ITmediaの記事マイコミジャーナルの記事にリンクを貼っておく。)

 実際、この騒動は、mixiの知財に関する定見の無さから引き起こされたもので、mixiに同情の余地はあまりないと言ってしまえばそれまでだが、ブログや掲示板などの他のサービスでも同様な騒動は十分起こり得る。

 今回のmixi騒動では、ネットにおけるこのようなサービスにおいて競争が成立しているが故に、ユーザーとサービス提供会社の間にバランスが成立し、結局規定の再改訂ということになったが、今後、独占性の強いサービスで似たようなケースが発生することも十分に想定される。サービスの独占性が強い場合、サービス事業者は、その独占を背景に、ユーザーにとって不利な著作権規約を押しつけようとしてくることだろうが、このような独占の濫用による不利な契約の押しつけが、独禁法違反であることは、誰もが知っていておいて良いことである。

 この問題は著作権問題の一種として語られることが多いが、政策的には、知財権自体の問題というより、ネットにおける各種サービスの競争環境の維持の問題である。事実上の独占・寡占が成立しているサービスにおいては、(役所の常としてあまり信用はできないが)公取への相談・申告も視野に入れ、独占の濫用による不利な規約の押しつけは独禁法違反であるとはっきりサービス提供会社に申し入れて、正当な規約の作成を求めることは誰にでもできることであり、また皆でやらなくてはいけないことでもある。インターネット時代においては、知財法だけではなく、独禁法のような競争法もまた事業者だけの法律ではなくなるのだ。

(2)初音ミク騒動
 また、これは少し旧聞に属するが、「初音ミク」という音声合成・ミュージックソフトで作られた楽曲が動画共有サービスで人気を呼び、着うた・カラオケ配信されようとする際に著作権管理団体に登録されるに及んで、それまでネットでほぼ自由に2次利用が可能であった楽曲がネットで完全に利用不可能になるのではないかと、ネットユーザーのコピーフリー派の反発を受け、着うた配信会社とソフト開発・発売会社の間の行き違いによるゴタゴタも相まって、ネット上での大騒動となった。

 結局、着うた配信会社とソフト開発・発売会社の間で一定の取り決めができ、ネットでの2次利用に関してはほぼ今まで通り権利行使されないだろうことが分かるに及んで、この騒動は大体収束した訳だが、この騒動のお陰で、著作権管理団体と権利者・利用企業との契約の問題と、ネットにおける2次利用の問題に今までにないスポットライトが当たることになった。

 第57回でも書いたように、著作権管理団体には功罪ともにあるが、著作権管理団体と権利者・利用企業の契約の問題も、私は、知財権そのものの問題というより、その運用と独占の弊害の問題だと私は思っている。契約自由の原則がある中、著作権管理団体との契約を権利者や利用企業が、対等な立場でもって正当に結んでいるのであれば良いが、そうではなく、既存の流通手段に対する独占的な地位の濫用により、権利者や利用企業に不利な契約を団体が押しつけているということがあるとしたら、これもまた、例え時間をかけても排除されて行くべきことだろう。

(また、私は著作権管理団体の登録ユーザーでも利用ユーザーでもないので、個別の団体の批判をできる立場にないが、著作権管理団体、例えばJASRACe-licenseの管理委託契約約款を比べてみるのも面白い。

 e-licenseの契約約款では、レコード、ビデオ、配信、カラオケ等の利用類型毎に権利の委託が可能であるのに比べ、JASRACの契約約款では、演奏権や録音権といった形で支分権を4つに分け、これらの分類毎に権利を委託することができるとした上で、映画、ビデオグラム、配信、カラオケなどの利用類型に関する権利委託を除くことができるとしている。一見同じようなことができるように見えるのだが、JASRACの契約では、除外できる利用形態の中にレコードへの録音が含まれていないので、JASRACと契約した場合は、レコードへ録音する権利に関しては必ずJASRACへ委託されることになる。

 要するに、JASRACとの契約だと、カラオケに関する徴収だけをまかせて、CDは自分でプレスするといった融通が利かないので、ユーザーは気をつけた方が良い。(配信に関する利用はJASRACでも除けるので、ネットでの利用に関して委託をしないということは両方ともできる。)これもまた、契約のトリックのようなものだが、誰もが権利者になり得る現在、著作権管理団体と直接契約するユーザークリエーターはこれからももっと出てくるだろう。気にしているユーザーはまだあまりいないのかもしれないが、どんなサービスであれ、規約や契約は、利用する前に本当に細かなところまで良く読み、自分でその意味を考えてみることを強く勧める。)

 このような運用と契約に関する問題は、競争状態さえ維持されていれば、利用者とサービス提供者の間で自然にバランスが取られるはずだが、一旦確立された独占状態を排除するのはなかなか難しいかも知れない。時間をかけても本当に難しいようなら、この著作権管理団体との契約に関する問題に関しても、さらなる規制緩和や独禁法の適用が考えられて良いだろう。(独占状態を排除するために、独占的な地位にある著作権管理団体を解体することや、プラーゲ旋風が吹き荒れた時代でもあるまいし、信託業法の特別法となっている著作権等管理事業法自体を廃止し、このような管理事業を信託業法だけに委ね、この規制業種をさらに一層自由化することが検討されても良い。どこまで行っても、知財権による独占は知財権の不当な独占を正当化しないのである。)

 また、初音ミクに関する話として、音楽やキャラクターのネットにおける2次利用の問題もあるが、2次利用を制限されるとなるとかえってユーザー・クリエータ離れを招き、文化的なクリエイティビティが下がり、全体としてビジネスのパイが減ることは、今回の騒動でも示されている。そこでビジネス的にバランスが取られて行くだろうことを考えると、この点に関する法規制は余計な歪みを生むことになるだけだろう。ネットにおける各種2次利用の問題に関しても、今後時間をかけて、契約と暗黙の了解に基づいた整理をネット上でして行く他ないと私は思っている。(逆にビジネスでこのバランスが崩れ、かえってクリエイティビティが下がるようなら、ここでもまたパロディの権利制限を設けるなどの形で天秤を逆に傾けようとすることが政策的に必要になって来るだろう。第56回で書いたように、インセンティブつき著作権登録制度の創設は、何らこのような著作権問題の解決には立たないに違いない。)

 なお、初音ミクに人格はあるのかといった話がされることもある(ITmediaの記事参照)が、今のところ、初音ミクのような楽器・音楽ソフトに対して重畳的に権利をさらに発生させた方が良いとする理由は何もなく、楽器は楽器のままにしておくべきだろう。(話としては面白いと思うが。)

(3)著作権によるウィルス作成者別件逮捕事件
 最後に、著作権によるウィルス作成者別件逮捕の問題も取り上げておこう。ウィルス作成が良いことなどというつもりもないが、これほど明白な別件逮捕も珍しく、ウィルス作成に関する色眼鏡を外して考えれば、この事件は、アニメ画像1枚の著作権侵害でもいきなり逮捕されることがあることを示した点で、著作権の持つ問題点の大きさを浮き彫りにしている。(参考に、地裁で最初の公判が開かれたという最近の読売新聞のネット記事へのリンクを貼っておく。)

 今、著作権侵害は、基本的に権利者が告訴しなければ刑事訴訟手続きを進めることができない親告罪とされており、この親告罪となっていることが、このような別件逮捕に対する一定のセーフハーバーとなると私は思っていた。だが、警察に言われて協力したのかも知れないが、権利者が別件逮捕に協力することがあると示されたのだ。裁判中でもあり、まだ最終的にどうなるか分からないところもあるが、もし本当にこのような逮捕が法的にも妥当なものとされたら、これは法律上の大問題である、ファンサイトなどでアニメ画像を1枚引用することすらアクロバティックな別件逮捕の引き金となりかねない、ネットの安全性の確保のため、ここにも1クッション、何らかのユーザーのためのセーフハーバーを法的に設ける必要が出てくるだろう。(民事手続きなら、通信の秘密などがあり、プロバイダー責任制限法に従って手続きを進めなくてはならないという点がセーフハーバーになっているが、刑事手続きでは、例えアニメ画像1枚の著作権侵害だったとしても、犯罪行為さえ明確なら、通信ログなどを警察が直接プロバイダーに開示させられる。)

 また、このような別件逮捕を警察が平気で行うことが分かった以上、著作権の非親告罪化は絶対認めてはならない。また、非親告罪化に加えて、ダウンロード違法化がなされた場合、ほとんど全ネットユーザーに対する恣意的な逮捕権を警察に与えることになるだろうということも、この事件は示している。著作権法の非親告罪化もダウンロード違法化も、最近の警察による恣意的な法律の運用を見るにつけ、反対する理由は増えるばかりである。今後も私は、ユーザーとして、これらの法改正には断固反対と言い続けるだろう。

 これらの事件のネットにおける騒がれ方は、インターネットが普及する中、知財問題、特に著作権問題が全ネットユーザー・全国民に関係する大問題となって来つつあることを端的に示している。あらゆる者が知財問題に無関心でいられなくなる時代が既に到来しつつあるのだ。

 次回から、またいくつか表現規制一般に関するエントリを書きたいと思っている。

(3月21日夜の追記:ウィルス作成行為自体をどうするかということも実に厄介な問題なので、また別途考えをまとめたいと思っている。)

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2008年3月20日 (木)

番外その8:旧態依然たる総務省に切れる財界

(ココログフリーのメンテナンスの所為か、私のPCで昨日、自分のエントリが自分のPCで正常に表示できないということがあった。私の場合、IEのJAVAスクリプトをオフにすることで表示できたが、同様の症状が出てブログを見られない方がいたかも知れない。ココログには調査してもらえるようお願いはしたが、同様の症状が出た方には大変申し訳なく思う。)

 考えをまとめておきたいことは今山ほどあって困るくらいなのだが、書けた話から載せて行く。

 池田信夫氏のブログで紹介されていたのを機に、私も経団連の放送通信融合に関する提言(「通信・放送融合時代における新たな情報通信法制のあり方」)を読んでみたのだが、確かに、業界同士バッティングすることは書けないだろう経団連という日本の経済界全体を代表する団体にしては驚くほど明確な総務省批判を書いているので、番外として少し触れておきたい。

 この提言は、HPなどについても完全に表現の自由と通信の秘密を認めた上で、基幹放送たる地上放送のみを規制する形で、レイヤー型への転換を行い、規制部門は独立行政委員会にするという完全な規制緩和案で、規制による護送船団方式護持を掲げている放送局と総務省にとってはこの上なく嫌な案だろう

 中でも、コンテンツに関する基本的立場としては、

新たな法制度においては、コンテンツは原則自由で民間の自己規律に委ねることを基本とした上で、規制は必要最小限とすべきである。 また、新たな法制度は、通信・放送あるいは融合分野において、事業としてサービスを提供する者を対象とする事業者法であり、コンテンツ規律のあり方を検討する際にも、一般的なコンテンツの編集・発信主体としての個人や企業は、直接的な規制対象とはすべきではない。したがって、メール、電話等の私信は勿論、ホームページ等は本法制の枠外にあることを明記すべきである。 この点、総務省・研究会の報告書は、私信については、通信の秘密を保障するが、ホームページ等、「不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信の送信」を「オープンメディア」と位置付け、規制対象に含めている点は不適当である。 いわゆる「オープンメディア」における違法・有害コンテンツ対策は、事業者以外も対象となりうることから、法体系としての整合性の観点からも、全ての国民が守るべき法律としての一般法である刑法、プロバイダー責任制限法、知財法等の関連法、民間の自主的な取り組み、フィルタリング等の技術的な対応、国際的な連携により総合的に行うべきである。違法・有害コンテンツの排除により、健全なメディア社会を構築していくためには、今後ともその取り組みをいっそう強化していくべきである

とごく当たり前のことが書かれている(赤字強調は私が付けたもの)が、総務省の報告書では、この実に基本的なことすら守られていなかったのである。是非、経団連レベルでも、ここだけは守るように政府に強力に申し入れをしてもらいたいと思う。

 さらに、ここまで言ったのだから、経団連には是非、放送通信の融合に著作権法が巻き込まれないようにするべきという提言を知財本部などにして、総務省批判を完遂してもらいたいと思う。第27回第28回でも触れたように、情報の流通コストの極めて低いインターネットで単なる流通事業者に余計な隣接権を発生させることは百害あって一利ない最低の政策である。HPなどにおける表現の自由と通信の秘密の確保と、インターネット放送に余計な隣接権を発生させないということさえ守ってもらえば、特にユーザーとして、放送法と通信法の法制上の融合に何ら口を挟むべきところはなく、かえって大いにやってもらいたいと思うくらいである。

 しかし、この2点を完全に守ると、これは完全に地上放送局に対する規制緩和、すなわち放送局の利権(権利ではない)の切り下げとなるので、この経団連の提言にもあるように、放送事業者の利害を調整する形で事業者中心の行政を旧態依然として行っている総務省にとっては認め難いことかも知れない。だが、財界にすらここまで見放されたのだ、あのふざけた報告書をこの提言通りに全て書き直すくらいのことを総務省にはやってもらいたいと思う。そうしてさえもらえば、私ももう、第3回第35回のようなパブコメやエントリを書かずに済む。

 放送・電波政策はこのブログの本筋とずれるが、電波政策の本当の問題は、現在、そのの配分において特定業界との癒着を生み出す非効率な裁量行政システムが採用されているということにあるのではないかと思う。この電波という稀少かつ有限な資源を、いかに国民の利益を最大化するように効率的に再分配するシステムを作り出すかということが、今本当に放送・電波政策に問われていることだと私は理解している。

 コンテンツと知財に関して守るべきところさえ守ってもらえば、私としては放送と通信の融合に反対する理由は全くない。それどころか、ここさえ確保されるなら、通信法と放送・電波法の抜本的な見直しの中で、政官業の癒着と腐敗の元となる利権を生み出している裁量行政による電波配分システムという総務省の本丸が切り崩されることを、私は一国民として素直に期待したいと思う。コンテンツ流通促進から始まった放送と通信の融合の話だが、コンテンツ流通と放送通信の融合は実は直接関係しない。この放送通信の融合が成功するかどうかは、ほとんど全て、この裁量行政による電波配分システムという総務省の利権の本丸を切り崩せるかどうかにかかっている。ここを切り崩せない限り、この融合法制も大山鳴動してネズミ一匹、ほとんど何の意味もないものとなるだろうが、逆に、ここさえ切り崩せれば、これもまた確かに全国民を裨益する一大規制緩和となるに違いない。

 最後に、方向性は良く分からないが、オーストラリアも、私的複製の権利制限に関する検討を行っているという記事があったので、念のために記事(PRWebの記事)へのリンクを張っておく。

 また、イスラエルは、アメリカの技術的保護手段(DRM)回避規制導入とノーティスアンドテイクダウン手続き強化の外圧を跳ね返したようである(ars technicaの記事)。記事とイスラエルのアメリカへの回答書によると、イスラエルはこれらの外圧を、DRM回避規制に関しては、イスラエルは関係条約を批准しておらず、コンテンツプロバイダーによるDRMなしのアクセスなどの試みがなされている中、この規制を法制化するのは政治的に不安定であり、ノーティスアンドテイクダウン手続きの強化も権利者による濫用の恐れがあるとして、完全に拒絶したようである。知財・情報の世界でも、アメリカが必ず正義ということはない。例えアメリカが相手だろうと、日本も不当な要求は跳ね返して良いはずである。

 なお、様々なところで発表される個別の突拍子もない意見について一々どうこう言い出すと切りがなくなり、既にいろいろなところで叩かれているので、どうしようかとも思ったが、先日記者会見があった(ITproの記事ITmediaの記事internet watchの記事毎日のネット記事cnetの記事デジタル・コンテンツ法有識者フォーラムのHP(提言資料つき))、「ネット権」創設の提言ほど、その意味不明さにおいて特筆に値するものも珍しい。この提言は、知財権・著作権の本質を全く無視し、映画製作者、放送事業者、レコード事業者のみが、ネットワークにおけるコンテンツ流通をくまなくコントロールするためのネット権を一手に握るという、ユーザー・クリエーターを無視した、今の時代に逆行するメチャクチャなものである。フェアユースのような一般規定についても、ただ闇雲に導入しても意味がない。このような突拍子もない提言がよもや政策として真面目に政府レベルで検討されたりしないこととは思うが、一ユーザーとして、このような提言は全く一顧だに値しないデタラメなものであると一言だけここに書いておく。(何度も繰り返しておくが、このネット時代に、放送事業者やレコード事業者他、流通事業者に強力な独占権を余計に与えることは完全な時代遅れの方策であり、コンテンツ流通をさらに阻害する要因としかなり得ないことである。映画製作者に対する著作権法上の優遇も、このフラット化時代には逆方向に見直されて良い。)

 ベルギー著作権法の紹介の続きなど、マニアックな著作権政策ネタを期待している方がいたら申し訳ないが、次回はもう少し身近な著作権ネタについて書いた上で、次々回には、また表現規制に関するエントリを書きたいと思っている。

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2008年3月17日 (月)

第74回:世界知的所有権機関(WIPO)における世界レベルでの権利制限に関する検討の提案

 この3月10日から12日にかけて、世界知的財産権機関(WIPO)でも、著作権に関する会合をやっていたようである(Intellectual Property Watchの記事1(英語)記事2(英語)ag IPnewsの記事(英語))。

 放送条約などの既存アジェンダについては、案の定持ち越しとなったようだが、これらの記事によると、世界的に権利制限の国際比較を行い、ミニマムスタンダードを作るべきであるとする提案が、このWIPO著作権委員会で、チリを始めとして、ブラジル、ニカラグア、ウルグアイなどから共同提案として出されたようである。

 IP watchのサイトに載っているその提案の骨子は、かいつまんで訳すと、

  1. 加盟各国の、著作権の例外と制限に関する規定と運用の特定
  2. 革新と創造の促進とそこから生まれる進歩の普及に必要な例外と制限の分析
  3. 全ての国がミニマムとして考えるべき公益目的のための例外と制限に関する合意の確立

というものであり、国際機関レベルでも、権利制限に関する検討の提案が出され、複数の国から支持を集めているということは注目に値する(チリは2005年当時からこのような提案をしていたらしく、条約のような取り決めには結びついていないが、WIPOでも既にいくつか権利制限関係の調査研究がされているようである)。先進国中心の著作権保護強化の動きにもはやうんざりしている国も、発展途上国の中にはそれなりにあるに違いなく、命に関わる特許ほどではないにしても、著作権にも南北問題が存在していると見える。

 また、やはりアメリカやヨーロッパが渋い顔をしたようだが、条約とするかはともかく、図書館に関する権利制限などについて今後も何らかの調査・検討を行っていくことについては一定の合意が得られたようである。

(なお、記事によると、Public Knowledge電子フロンティア財団(EFF)European Digital Rightsなどの各地のユーザーグループも、この提案を支持しているらしい。)

 知財の保護強化ばかりが文化の発展に役立つ政策であるというのは完全に間違った概念であり、公正利用の類型に対する権利制限の充実も全国民を裨益する立派な文化政策である。日本政府も、国内の利権団体や欧米主要国の顔色をうかがっているばかりでなく、このような国際的な権利制限に関する動きについて積極的な支持と参加を打ち出してはどうかと心から私は思う。

 国際機関レベルの話となると、個人でできることには限りがあるが、折角の機会なので、知財本部のパブコメには、知財の保護強化とは異なる国際動向についても、政府はきちんと国民に伝えてもらいたいと、また、是非、このような公正な利用形態に対する権利制限においても、世界をリードできるくらいの検討をしてもらいたいとも書きたいと思っている。それくらいの検討ができて始めて、本当の文化先進国家と言えるのだ。

(追記:ネットにおける帯域制限に関する指針の意見募集がかかったという報道(読売のネット記事、日本インターネットプロバイダー協会の報道資料ガイドライン案本文総務省の調査資料)があった。通信制限が「通信の秘密」に対する侵害行為であり、一般的に利用者の同意がない限り許されないにも関わらず、他の利用者の円滑な利用が妨げられる場合は、一般の利用者と同じレベルまでであるにせよ、同意なしに通信量を制限しても良いとするのは実に奇妙な気がするのは私だけだろうか。他の利用者の円滑な利用が妨げられる場合という基準も、曖昧なように思う。通信政策はこのブログの本筋とずれるので、大した突っ込みを入れるつもりもないが、通常の通信事業なら、本来はこのような問題は設備投資とサービス競争で解決されるべき問題ではないかという気もするので、ネットのヘビーユーザーは、良くガイドライン案を読んで、もし意見があれば出すことをお勧めする。)

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2008年3月16日 (日)

第73回:日本のプロバイダー業界の違法コピー対策

 違法コピー常習者にはネット切断するという対策を推進することが、インターネットサービスプロバイダー(ISP)業界と著作権団体で合意されたという報道(読売のネット記事AFP BBNewsの記事)があった。

 この話は、ダウンロード違法化問題含め、今後の知財の政策判断にも影響してくる話と思うので、取り上げない訳にはいかないだろう。

 恐らく、これは、第29回第30回で取り上げた、フランスの違法コピー対策に触発されたものと思うが、記事を読んでいただければ分かるように、これは業界同士の完全に自主的な取り組みであり、法改正により、違法ダウンロード対策としてインターネットのアクセス停止を考えているフランスなど(他にも、第60回で取り上げたように、イギリスやオーストラリアなども同じような対策を考えているようである)とは大きく趣きを異にしている

 要するに、この話は、あくまで違法コピー・違法アップロード対策であって、違法ダウンロード対策とは考えられないことに注意する必要がある。それも、主として、ファイルのアップロードとダウンロードを同時に行うP2Pファイル共有サービスにおける違法なファイル交換に対する対策だろう。

 ファイル共有サービスで、自分の著作物を、自動公衆送信可能化(アップロード)している者を、IPアドレスレベルで突き止めることは、ネットの非匿名性から、ほぼ誰にでもできることであり、IPアドレスを示し、そのアップロードが著作権侵害行為であるとプロバイダーに言うこともまた誰がやっても良いことのはずである。ISPの規約には、第3者の知的財産権を侵害する行為を禁止事項としているものがほとんどであろうし、提供された情報と規約にもとづいて、規約違反として、ユーザーへの警告やサービスを停止することもまた不可能ではないだろう

 ユーザー情報の開示や、一般的なHPにおける情報の削除要請などなら、通信の秘密や表現の自由との関係から、プロバイダー責任制限法に基づかなくてはならないだろうが、プロバイダーが自主的に規約違反としてユーザーへの警告と、警告を無視した場合のアクセス停止を行うだけであれば、これは確かに、プロバイダーとユーザー間の契約の話に落ちる

 ただし、この対策では、IPアドレスとユーザーの結びつけ、第3者の著作権を侵害しているとする判断において、ISPの役割が非常に重く、そこに何らかの間違いや恣意性、政治力による歪みが入り込む可能性がある。ISPと著作権団体が設置するという協議会では、まずその判断の客観性の担保のところから是非議論してもらいたいと思う。

 また、このような自主対策で、規約違反としてサービスを停止されたとしても、すぐに再契約が可能のため、イタチごっこになる可能性も高いが、他のISPとの再契約にはそれなりの手間がかかること、このネット時代においてインターネットへのアクセス停止による個人の情報アクセスへの影響が甚大であることを考えると、このような対策が過剰規制にならないようにするために、この動きも追っていかないといけない。記事によると、総務省や警察庁も、協議会に参加するようなので、なおさら、その指針作りにはユーザーとして目を光らせておかないといけない

 特に、この対策が、あくまで、権利者自らアップローダーのIPアドレスを突き止めることが可能な、ファイル共有サービスにおける違法アップロード対策であること、ISPとユーザーの契約の話で、ユーザーが直接著作権団体に訴えられる話でないことは、絶対守られるべき一線である。恐らく強力な規制を求める著作権団体は、協議会でこの一線を踏み越える主張をしてくるのではないかと思うが、そのような既存の法律をないがしろにする主張は絶対に認められない。

 また、今までも十分以上に危険だったが、著作権団体とISPによってこのような対策が進められるなら、ダウンロードの違法化の危険性がさらに高まるのは言うまでもなく、ユーザーとしてダウンロード違法化反対をさらに声高に主張しない訳にはいかない。このような対策がなされた中で、ダウンロード違法化がされた場合、著作権団体は全ネットユーザーに対するアクセス停止権が自分たちに無制限に認められたと見て、「情を知って」などという曖昧な要件は無視してこれを濫用し、有害無益な社会的大混乱が引き起こされるだろうことは想像に容易い。

 今回の対策はユーザーとの契約に基づくISPの自主規制に留まるだろうとは思うが、このような対策が過剰規制となり、社会的混乱がもたらされることも十分想定されることを考えると、ネットユーザーの方からも、このような規制を逆に規制するため、インターネットにおけるユーザーの情報アクセス権を法律で明確に規定することを求めて行かなければならないのではないかと私は感じている。最近の動きを見るにつけ、著作権団体や自称良識派団体の情報規制の動きは常に一方的かつ身勝手であり、インターネットにおけるユーザーの情報アクセスの自由をあまりにもないがしろにしていると、私は常に感じるのだ。

 無論、このような権利も制限を受けることになるだろうが、インターネットにおけるユーザーの情報アクセスの自由の確保は、このデジタル時代、インターネット時代において、最も重要なことの一つであり、決してないがしろにされて良いものではないと私は確信している。(知財本部のパブコメもあり、このことに関連して、表現の自由と「知る権利」の関係の話は、近いうちにまとめて書きたいと思っている。)

 この違法コピー対策の話は、「P2Pとかその辺のお話@はてな」の方でも、既に考察されているので、是非こちらもご覧頂ければと思う。

 もう一つ、日経ネットの記事によると、自民党でも、デジタルコンテンツ産業振興の小委員会を設置し、何らかの著作権政策を打ち出すようである。このような多重検討こそ、本当の問題だと常々私は思っているが、国会議員の小委員会でも検討するなら、著作権問題についても、地元の国会議員に手紙を書くなどしても良いだろう。

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2008年3月14日 (金)

第72回:知財本部における「デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会(仮称)」設置の決定

 知財本部が、デジタル化された著作物の規制緩和の検討を始めることを決めたというニュース(日経ネットの記事)があった。

 前回のエントリに、「とは言え、あらゆることはつながっているので、表現規制についても念のため、知財本部へのパブコメに書きたいと思っている。」というくらいの追記を書こうと思っていた矢先、このニュースには素直に驚いたので、今回は新しいエントリとしてこのことについて書きたいと思う。

 ここ最近、知財に関する限り、政府内では規制強化の動きしか目立たなかった(私自身、前回紹介した知財本部の「オープン・イノベーションに対応した知財戦略の在り方について」に、図書館における情報アクセスの改善や研究開発のための情報の利用の円滑化などが書かれていることを見逃していたのは大変申し訳なく思っている。これらの記載については、前回のエントリに追記という形で書いておきたいと思う。)ことを思うと、首相自ら知財規制の緩和推進を明言し、知財本部に明確に規制緩和を謳った調査会が設置されることが決まったことは実に驚くべきことであり、ユーザーにとっては有り難いことでもある。正式に省庁を超えた政府レベルでの検討会を設置する以上、是非文化庁に轡をはめ、その手綱を取って、知財の規制緩和のイニシアティブを取ってもらいたいと思う。

 知財本部のHPに載っている、13日の会合の資料「デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会(仮称)の設置について(案)」によると、その検討課題のイメージは、

○ 21世紀のデジタル経済社会を支えるインフラとしての知財制度の在り方
○ ネット関連ビジネスの多くで技術的な過程として不可避的に生じる複製や一時的蓄積等への法的対応の在り方
○ 研究開発等を目的とするデジタル著作物のインターネット等を通じた収集、共有、保存等の在り方
○ セキュリティ対策ソフトウェアの開発等に必要な複製・改変を伴うプログラム解析の法的取扱い
○ 現行著作権法の個別的・限定的な規定方式に関し、技術や環境の急速な変化に柔軟に対応できる法的対応
○ コンテンツを利用した新たなビジネスに対応し得る著作物の権利管理の在り方

と、確かに知財規制緩和・このデジタル時代に新たに発生した公正な利用形態に対する著作権の権利制限による対応を思わせる書きぶりとなっており、大いに期待させるものがある。フェアユースのような一般規定については両論あろうが、個別の公正利用形態に対する権利制限については、本来もっと真剣に検討が進められていなくてはならなかったところであり、遅きに失した感すらある。

 同じ会合で、東大の中山信弘教授が提出した資料もHPに載っているが、情報化時代の知的財産権制度の重要性、インターネットにおけるその法的リスクの大きさとビジネスに対する影響を指摘するものであり、ごく簡単なものながら、日本の知財法学界の第一人者が、このような問題認識を政府に対して明確に示した意味は非常に重い。

 インターネットの普及によって、もはや情報は有体物から離れて情報単独で創作・流通・利用されるようになって来ているのであり、必ずコストのかかる有体物に知財権が張り付いていた従来のリアルのみの世界ではそれなりに機能して来た知的財産権制度は、情報の流通と利用にほとんどコストのかからないバーチャルの世界では、かえって情報の公正利用すら阻害し、情報の多様化の、今の日本の文化と経済の真の発展の妨げとなっているのである。ネット時代の知財政策は、外圧や個別の省庁や団体の利権などで左右されてはならない本当の国策事項である。バーチャルにはバーチャルの、情報そのものには情報そのもののルールがあって良いのだ。

 政局は流動的だが、政府として決めた以上、この調査会は必ず設置されるだろうし、このような国民全体の文化と経済を裨益する検討が、もはや文化の敵と化した文化官僚の手によって公務員改革のように骨抜きにされることを防止するためにも、国民の目がこのような問題に対して注がれていることを示さなくてはならない。知財本部は、この決定によって今回のパブコメの重要性をいや増しに高めた。日経の記事に書かれているように、政府が改正著作権法を来年提出することを考えているとなると、ダウンロード違法化問題や保護期間延長問題も含め全て、今年も知財問題に関する正念場は続き、気は抜けない。

 そもそも、今の日本のこうした政策の多重検討システムこそ問題だと思ってはいるのだが、例えわずかなことでも、今やれることはやっておきたい。私自身この決定を踏まえてパブコメを出すつもりである。

 パブコメは多数投票でもないし、署名運動でもないが、国民一人一人が自らの意識でもってその考えを政府に示すことが無意味であるとは私には到底思えない。意見そのものに著作権が及ぶ訳もない、他人の意見の受け売りだって、HPなりブログなりの作者が認めているなら、コピペだって構わない(本来なら政府に対する意見提出のための権利制限が著作権法上にあっても良いくらいであるが)、自分の意見を政府に示したいと思う者は誰でもパブコメを出せるのだ。知財問題について民意を示すためのパブコメは文化庁だけではなくここにもあるということを是非多くの人に知ってもらいたいと私は思う。大したことを書いているつもりは全くないし、自分の意見を押しつけるつもりも全くないが、このブログに書いたことが多少なりとも誰かの参考になっていれば望外の喜びである。

(許諾表示が必要なほど大したことを書いているつもりもなく、私の考えている条件と少しずれるということもあり、クリエイティブコモンズ表示などを使っていないが、このブログはほとんどパブリックドメインと思って書いているので、財産権を主張するつもりはもとより一切ないし、基本的に人格権を主張するつもりもない。私が書いた部分はどなたでもどこででも自己責任で好きに利用・流用して頂いて一向に構わない。ただし、引用部分だけは元の著作権が存在している場合があるので、ご注意頂きたいと思う。誤解されている方はいないと思うが、さらに念のために書いておくと、広告はココログフリーの場合に勝手につけられるもので、この部分も私の著作ではない。)

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第71回:知的財産推進計画に対する意見募集の開始

 昨日、「知的財産推進計画2007」の見直しに関する意見募集が開始されたというお知らせが、知財本部のHPに掲載された。(期間は4月3日までの3週間と少し短めである。)パブコメは多数投票でも署名運動でもないが、今までの流れを考えると、権利者団体側が文化庁のパブコメと同様に動員をかけてくる可能性は大いにあるので、私も一国民・一消費者・一ユーザーとして、ここで手は抜くことはできない。

 そもそも、知財計画の存在自体、その意味が良く分からなくなりつつあるというのが私の正直な感想であり、意見募集フォーム自体フリーフォームなので、特に去年の知財計画の記載を気にせずとも良いような気もするのだが、参考のため、特にユーザーに関係が深い大問題に関する箇所を知的財産推進計画2007から抜き出しておこう。

 まずは、ダウンロード違法化については、第90ページに、

③違法複製されたコンテンツの個人による複製の問題を解決する
 合法的な新しいビジネスの動きを支援するため、インターネット上の違法送信からの複製や海賊版CD・DVDからの複製を私的複製の許容範囲から除外することについて、個人の著作物の利用を過度に萎縮させることのないよう留意しながら検討を進め、2007年度中に結論を得る。
(文部科学省)

と書かれ、私的録音録画補償金問題については、第91ページに、

⑥私的録音録画補償金制度の見直しについて結論を得る
 私的録音・録画について見直すとともに、補償金制度については廃止や骨組みの見直し、他の措置の導入も含め抜本的な検討を行い、2007年度中に結論を得る。その際、技術的保護手段の進展やコンテンツ流通の変化等を勘案するとともに、国際条約や国際的な動向との関連やユーザーの視点に留意する。また、技術的保護手段との関係等を踏まえた「私的複製の範囲の明確化」、使用料と複製対価との関係整理等、著作権契約の在り方の見直し等についての検討を進め、2007年度中に結論を得る。
(文部科学省、経済産業省)

と書かれ、保護期間延長問題は、第94ページに、

ⅲ)著作物の保護期間の延長や戦時加算の取扱いなど保護期間の在り方について、保護と利用のバランスに留意した検討を行い、2007年度中に一定の結論を得る。

と書かれている。これらの大著作権問題については、2007年度中の結論となっていたのが、全て持ち越しになっているので、気をつけておく必要がある。文化庁が知財本部を抱き込みに来る可能性もあるので、国民が見ているということを示すために、私は必ず、これらの点について著作権保護強化反対とパブコメで言及するつもりである。

 また、分かりにくいのだが、もう一つの大論点のコピーワンス問題については、第105~106ページに、

(3)バランスのとれたプロテクションシステムを採用する
 コンテンツの流通を促進するに当たり、技術革新のメリット・利便性を国民が最大限に享受できるようにするとの観点も踏まえ、視聴者利便の確保と著作権の適切な保護を図り、あわせてコンテンツビジネスが拡大するよう、バランスのとれたプロテクションシステムの策定・採用を促進するため、以下の取組を進める。
a)地上デジタル放送に関わる、いわゆる「コピーワンス」ルールの見直しに代表されるように、一定の枠組みにおける電波利用方式の設定・実施、放送関連機器・システムの規格・運用に関わるプロテクションシステムの設定は、事実上利用に当たっての制約になる可能性がある。したがって、こうしたプロテクションシステムの設定について、行政としても引き続き、視聴者、メーカー、関係事業者等幅広い関係者の参加を得て、その検討プロセスを公開し、その透明化を図ることによりシステム間の競争を促進するとともに、あわせて、その透明、競争的かつ継続的な見直しプロセスの在り方についても検討し、これまでの成果を踏まえ2007年度中の早期に結論を得る。
b)民間事業者において動画配信サービス等のプロテクションシステムを検討する場合は、権利者が安心してコンテンツを提供できる環境を作るとともに過去の失敗例に学び、ユーザーの使いやすさに配慮したルールの採用を奨励する。
(総務省、文部科学省、経済産業省)

という記載がある。知財本部がダビング10やB-CAS問題といった新しい話をどう書き込んでくるつもりか良く分からないが、私は、そもそもコピーワンスやダビング10と言った国内談合規格には反対なので、まずB-CASと独禁法の関係をきちんと検討すべきであるといったことをパブコメに書きたいと思っている。

 また、下部調査会のコンテンツ・日本ブランド専門調査会でまとめられた「デジタル時代におけるコンテンツ振興のための総合的な方策について」(概要本文)も、その記載が知財本部に盛り込まれる可能性が高いので、一緒に抜き書きをしておくと、その第6ページで、

① 通信と放送の垣根を越えた新たなサービスへの対応
 IPTVや携帯端末向けマルチメディア放送など、通信と放送の垣根を越えたサービスの展開が本格化しつつある。しかし、現行の著作権法では通信と放送の区分により権利関係が異なるため、利用者から見ればほぼ同一のサービスであっても事業者によって権利処理に要する手続き等が異なる場合がある。
このような状況を踏まえ、サービス事業者の社会的影響力や新たなコンテンツの創作への寄与等を考慮しつつ、利用者からみたサービスの形態に応じて、権利関係の規定の見直しや著作隣接権の在り方を検討する。また、現在進められている通信・放送の法体系の見直しにおいては、コンテンツの生産・流通・消費を最大化する方向で検討を進める。

と書かれており、通信放送の融合において著作隣接権に言及している。しかし、第27回第28回でも書いたように、通信放送の融合と著作隣接権をごっちゃにすることは、隣接権の拡大につながりかねないので非常に危険である。パブコメでも、絶対に隣接権を拡大しないこと、かえってレコード事業者と放送局の隣接権は大胆に制限することが検討されても良いくらいであるということを書きたいと思っている。

 また、フィルタリングに関して、第16ページに、

② 青少年の健全な創作活動の場の確保
 コンテンツ産業の継続的な発展のためには、教育の場において将来のコンテンツ創作の担い手たる青少年の表現力、創造力の向上を図るとともに創作・発表の場を広く確保することが重要である。
 最近では、子どもがデジタル技術を用いてコンテンツを制作、編集、発信する取組が各地で行われているほか、ケータイ小説など、青少年を中心にユーザー間のコミュニケーションを活用して創作される世界に類を見ない新しいコンテンツが生まれている。
 特に、ネット上のコミュニティサイトの中には青少年が表現能力を高めたり、才能を早くから開花させたりする重要な場になっているものもある。
 しかし、一方でネット上には、過剰な性表現や暴力表現があるコンテンツを含んだサイトやいわゆる出会い系サイトなど、青少年の健全な育成にとってアクセスすることが好ましくないようなサイトも存在している。
 このため、有害な情報の排除など青少年を健全に育成する観点から適正な体制を整えているサイトを明らかにするなど、適切なフィルタリングを進めるための関係事業者による仕組みづくりを促進する。

ということが書かれているが、今の総務省主導の不毛なフィルタリングの議論のことを考えると、やはりここも突っ込みどころとなるだろう。

 もう1点、ネットにおけるプライバシーの話として、第7ページに、

② 新たなサービスにおけるプライバシー保護の在り方の検討
 ネット利用者の行動履歴情報や属性情報等を活用し、利用者に合わせた商品・サービス・情報を提供するサービスが始まっている。
 しかし、これらのサービスの展開に当たっては、利用者に関する情報の取扱いにおけるプライバシー保護に関する問題が懸念されている。
 このため、利用者のプライバシーを保護しつつ利用者に関する情報を安心・安全に収集・蓄積・活用するための方策について検討する。

と書かれている。これは確かに非常に重要な論点なのだが、この問題をまともに検討できる官庁が今の日本にないということが、それに輪をかけた大問題である。この問題についてどの官庁で検討したとしても、無意味な規制案が出てくるだろうことを私は強く懸念している。

 知的財産による競争力強化専門調査会が取りまとめた「オープン・イノベーションに対応した知財戦略の在り方について」(概要本文参考資料)の方は、特許に関することが中心である。

 去年の12月の知的財産による競争力強化専門調査会報告書「知財フロンティアの開拓に向けて(分野別知的財産戦略)」(概要本文別添資料)についても知財本部がどうするつもりなのか良く分からないので、念のためにリンクを貼っておく。

 ここで紹介したことだけでなく、知財政策全般についていろいろ言いたいことがあるので、まとめてパブコメに出したいと思っている。知財本部へのパブコメは、提出次第またこのブログに掲載するつもりである。

 次回は来週となると思うが、ベルギー著作権法紹介の続きを書きたいと思っている。

(表現規制を中心に追いかけておられる方へ:このブログは行きがかり上、表現規制も一緒に取り扱っているが、知財本部に表現規制一般に関する意見を出しても恐らく管轄外なのであまり意味はないと思われる。児童ポルノ法の規制強化についての意見は、議員立法で規制を推進しようとしている自民党・公明党・民主党などの国会議員に出さないと意味がない。出会い系サイト法の管轄は警察庁だが、規制強化法案は既に閣議決定されているので、これも国会議員に言った方が良いだろう(今の政局の混乱の中でこの規制強化法案も廃案になることを私は強く願っている)。また、有害サイト規制については、国会議員と総務省が入り乱れて検討を行っており、情報通信法や携帯電話のフィルタリングについては総務省と、ややこしいことこの上ない。)

(3月14日夜の追記:この次のエントリを書いているときに気づいたのだが、「オープン・イノベーションに対応した知財戦略の在り方について」には、ネット時代の著作物の公正利用の問題として、以下のようなことがあげられているので、上の記載を少しだけ修正し、この資料から、さらに追記で抜き書きをしておく。

 まず、第10ページに、以下のように図書館におけるデータ蓄積・公開と著作権の問題について記載されている。

①図書館に存在する学術情報等へのアクセスの改善
国立国会図書館を始めとする図書館の蔵書には膨大な学術情報等が存在しており、オープン・イノベーションを支える基盤として、これらの情報にインターネット等を通じて国民が容易にアクセスできる環境を整備することが重要である。
しかしながら、蔵書のデジタル化にかかる経費などの問題のほか、現時点では法律的にも次のような課題がある。
・ 蔵書をデジタル化すること自体、元の著作物の「複製」に該当するため、著作権者の承諾なしにこれを行うことは、著作権法上例外的にしか認められていない。
・ 蔵書中の情報をデジタル化しても、これを図書館間や利用者との間でインターネット等を通じてやり取りすることは、原著作権者の公衆送信権を侵害することになるため、個別に権利処理をしなければ行うことができない。
このため、著作権者や出版者に及ぼす影響にも配慮しつつ、図書館が権利者の許諾なしに蔵書のデジタル化を行えるようにする方策や、図書館間でのデータのやり取りや利用者への情報提供の在り方について検討を行うべきである。

 また、第11~12ページには、

①研究のための映像・テキスト情報の利用の円滑化
 高度情報化社会の下、取り扱われる情報量が爆発的に増大する中、自ら望む情報を容易に取り出す等のため、映像・画像解析、テキスト解析等の基盤的技術が重要となっている。これらの技術に係る研究を行うためには、映像、テキスト等に関する膨大な情報を蓄積し、研究目的で利用することが必要となる。
 このような研究のために放送番組に係る情報やウェブ情報を複製・改変することは、著作物の本来の利用とは異なるものであり著作権者の正当な利益を害するおそれは少ないと考えられるにもかかわらず、事前にすべての著作権者から許諾を得ることは事実上困難であるため、実際の研究活動に相当程度萎縮効果が働いていると指摘されている。
このため、著作権者に及ぼす影響にも配慮しつつ、映像・画像解析、テキスト解析等に係る研究のために映像情報やウェブ情報の利用を円滑化するための方策の在り方について検討を行うべきである。

②ネット環境の安全性確保等のためのソフトウェア解析の円滑化
 インターネット環境の安全性を確保するためには、ウィルス対策ソフトウェアの研究開発や暗号ソフトウェアの研究開発を行うことが不可欠である。その際、ウィルスの及ぼす作用の分析等を行うため、既存ソフトウェアの解析(逆コンパイル等)を行うことが必要となる。
 しかしながら、著作権法上、ソフトウェア解析の位置付けが明確でないため、これらの研究開発に萎縮効果が働いているおそれがある。
 このため、ネット環境の安全性確保やソフトウェアに係る研究開発の促進を図るため、著作権者に及ぼす影響にも配慮しつつ、ソフトウェア解析を円滑に行うことができる方策の在り方について検討を行うべきである。

と、研究目的でのデータ収集・プログラム解析と著作権の問題が書かれている。どれも、著作物の本来の利用とは異なり、著作権者の正当な利益を害するおそれの少ない公正利用のパターンであり、是非積極的に権利制限の検討をしてもらいたいものと思う。新たに登場した公正利用のパターンはこれに限られないと思うので、私もこの機会に他にないか考えてみたいと思っている。)

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2008年3月12日 (水)

第70回:児童ポルノの単純所持規制、アニメ・漫画・ゲームへの規制対象拡大への反対

 児童ポルノに関連する規制推進の動きが盛り上がっている(日経ネットの記事ITmediaの記事マイコミジャーナルの記事読売新聞のネット記事)。今回はベルギーの著作権法の話の続きをしようかとも思っていたのだが、これほど明確に表現の自由と個人のプライバシーをないがしろにする動きに対して、反対の声は一つでも多いに越したことはないと思うので、今回は予定を変えて、この話を取り上げる。

 この最近の児童ポルノ規制強化運動で議論になっているのは、(1)児童ポルノの単純所持規制と(2)アニメ・漫画・ゲームなど架空の表現への規制対象の拡大であるが、両方とも1999年当時の児童ポルノ法制定時に喧々囂々の大議論の末に除外された規制であり、規制賛成派が何と言おうと、これらの規制を正当化するに足る立法事実の変化はいまだに何一つない。また、規制賛成派の中の、さらに虚構・現実混同派は、児童保護と、児童ポルノ規制と、架空表現の規制をすぐごっちゃにして、印象操作レトリックを用いた思考停止を強いるのだが、これもまた、いやしくも文化と表現を語る者は、絶対にしてはならないことである。

(1)児童ポルノの単純所持規制について
 児童ポルノの単純所持規制の追加であるが、第68回でも書いた通り、ネットで閲覧とダウンロードと所持の区別がつかない以上、単なるポルノサイトの閲覧だけでも逮捕の可能性が出てくるこのような法制は、インターネットが普及している今、非常に危険なものとなると言わざるを得ない。

 また、今朝の日経朝刊によると、上記のような単なる閲覧や、メールを勝手に送りつけられた場合などを考えてだろうか、単純所持規制を、積極的かつ継続的に所持している場合に限ることを考えているようだが、これも、ダウンロード違法化における「情を知って」と同じく、全く抗弁の役に立たない曖昧かつ恣意的な限定である

 ダウンロード違法化で、主に規制主体となると考えられるのは著作権団体だったが、こちらは警察であるだけにさらにタチが悪い。サイトの摘発によって得られるであろうアクセス履歴などでそれなりの疑いを抱くに至れば、何ら現実の被害が発生していなくとも、警察はプライバシーを蹂躙し、家宅捜索や身柄の拘束や証拠の押収をしてくるであろうし、1枚でもそれらしい写真なりがアルバムにでもPCにでも携帯電話にでも保存されていれば、彼らは鬼の首でも取ったように、法律を盾に被疑者に犯罪者のレッテルを貼り、一罰百戒を狙って立件を目指してくることだろう。ネットワークでは良くあるケースだと思うが、いろいろなサイトを見回る内にポルノサイトへのリンクを多く踏んでしまっていたとか、ボットに引っかかったのだとか、メールボックスは放置してしまっていたとかの抗弁が、規制を正義と考える者たちの耳に届くとは到底思えない

第50回で取り上げた出会い系サイト規制のパブコメを募集したあげく、その結果を公表もせずに閣議決定を行うほど、警察庁は、国民の安全と安心より天下り先確保を優先しており、現場は恐らく点数主義で摘発件数を競っているだろうという状況では、警察に抑制は全く期待できない。本当かどうか良く分からないが、ブログ記事によると、つい先日のビデオ倫理機構幹部の逮捕も実にきなくさいし、別にウィルス作成が良いことなどと言うつもりもないが、アニメ画像1枚の著作権侵害でウィルス作成者を別件逮捕するなど、私は最近の警察にどうにも信をおけない。)

 インターネット上での公開は海外からでも閲覧できるため、日本からの画像流出が問題視されているだとか、インターネットなどを通じて児童ポルノ事件の被害者が急増しているだとか言う意見もあるようだが、インターネットにおける児童ポルノの提供あるいは提供のための所持又は製造は、既に現行法(正式名称は「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」)の第7条で規制の対象になっており、そこに法的な穴など空いていない。児童ポルノ提供と児童売春は別物であるが、児童売春についても当然のことながら第4~6条で既に規制されており、法的な穴は空いていない。このような、インターネットに対する漠然とした不安に基づいた印象批評など、法改正の根拠たり得ない

 国際的に遅れているという意見についても、情報に関する限り、西洋主要国の法制は、ダウンロード違法化も含め正しいとは思われない場合が多くあると、私はこのブログで繰り返してきた。このようなモラルに関することで、そもそも道徳としてキリスト教道徳が今なお厳然として存在し、児童ポルノを思想犯として取り締まっても平然としていられる西洋主要国の法制を日本に導入しなければならない理由は何一つない。インターネットの普及によって、情報へアクセス機会が爆発的に増えた今、単純所持規制による危険はより高まっており、これを規制しない理由はかえって増えていると私は考えているくらいである。

 情報そのものの価値判断・道徳判断は常に相対的なものであって、それは児童ポルノであっても変わりはない。お前は児童ポルノを所持しているのか、児童ポルノが好きなのかという姑息な質問に対しては、好きであろうが嫌いであろうが、そんなことは国民の個人的な情報アクセスを危険たらしめる理由には全くならないと私は答える。個人的な情報アクセスによる被害は存在しない。国民には、インターネットであれ、どこであれ、児童ポルノも含めてあらゆる公開情報へ常に安心安全に個人的にアクセスする権利があるのだ。

(2)アニメ・漫画・ゲームなど架空の表現への規制対象の拡大について
 また、アニメ・漫画・ゲームなどの架空の表現に対する規制対象の拡大は、児童保護という当初の法目的を大きく逸脱する、異常規制に他ならない。アニメ・漫画・ゲームなどの架空の表現において、いくら過激な表現がなされていようと、それが現実の児童被害と関係があるとは全く思えない。いまだかつて、この点について、単なる不快感に基づいた印象批評と一方的な印象操作調査以上のものを私は見たことはないし、虚構と現実の区別がつかないごく一部の自称良識派の単なる不快感など、言うまでもなく一般的かつ網羅的な表現規制の理由には全くならない。

 虚構と現実を常に混同し、自らの価値判断・道徳判断のみを絶対として規制を主張するような者に、文化や表現の自由に関わる問題を軽々しく語ってもらいたくはない。児童への被害が存在しているのならば取り締まりも是認されるかも知れないが、規制賛成派は、わざわざ「準児童ポルノ」などという卑怯な造語を作り出して、印象操作のみによって法規制を正当化しようとしている時点で、そこに児童被害など存在していないということを、自ら規制を是認するに足る保護法益がないと告白しているに等しい。世の中に規制されるべき「準児童ポルノ」など存在していないと私は断言する

 規制を写実的なものに限り、少し漫画で子どもの裸を描いたからといって規制はありえないなどと言ったところで、どこまでを写実とし、どこからを写実ではないとするのか。また、少女の半裸像あるいは裸体画のような、写実的な美術作品は、どこの美術館にも飾られており、街角にも立っているし、それこそ有名な画家や作家の作品群をいくらでも列挙することもできるが、これをどうするのか、芸術であれば卑猥な感情や羞恥心を刺激しないから良いとでも言うのか。保護法益もない中で、芸術か児童ポルノかというバカバカしさ極まる法廷論争をまた最高裁まで繰り広げたいとでも言うのか。

 アニメ・漫画・ゲームなどの架空の表現が、今の一般的なモラルに基づいて猥褻だというのなら、猥褻物として取り締まるべき話であって、それ以上の話ではない。そして、もはや架空の表現については実質的に取り締まるべきとするモラルがほとんど無くなっている以上、これら架空の表現に対する一般的かつ網羅的な規制はほとんど何によっても是認され得ないと私は考えている。(各地のポルノショップにしたところで、売場は必ず18歳未満立ち入り禁止にしているだろうし、青少年保護ということではそれで十分である。)

 最近、やはり良く持ち出される内閣府の「有害情報に関する特別世論」調査(ITmediaの記事調査結果集計表)にしても、何の予備情報も与えずに規制するべきか否かと直接面談で聞くというひどいものである。このような、世論調査どころか世論操作といった方が良い結果に基づいて言えることは何一つない。

 この表現規制が刑事罰をともなう極めて執行力の強いものである以上、その文化と表現に対する影響は、ダウンロード違法化よりも甚大なものとなるだろう。自民党・公明党・民主党などの政党は全て、コンテンツ立国だの、コンテンツ振興だのと口では言いながら、その規制推進派がこのような規制強化策を打ち出してくる時点で、アニメ・漫画・ゲームのようなサブカルチャーに対する軽視を、その文化と表現に対する完全な無理解を露呈したのだ。

 架空の表現において、年齢の区別など意味をなさないことを思えば、このような規制強化は、アニメ・漫画・ゲームにおけるポルノ的な表現そのものの過剰規制として機能する他ない。どんな文化であれ、表現が人間精神の発露である以上、必ず陰の部分も存在する。今の日本のアニメ・漫画・ゲームなどのサブカルチャーの隆盛と、そのポルノ的な表現の隆盛が軌を一にしていることを忘れ、一方的に陰の部分を否定することは、文化の文化たる所以を否定することに等しい。このような表現規制は、今の日本のアニメ・漫画・ゲームなどに注がれる活力を削ぎ、これらのジャンルにおける文化と経済の衰退・全体的な地盤沈下を招くことだろう

 今の日本文化を愛するオタク諸氏よ、もしこのブログを読んでもらえているなら、このような動きに対して怒れ。今の日本文化、アニメ・漫画・ゲームも含めてあらゆる文化と表現をこよなく愛する者として、このような動きに対して私は心からの憤りを禁じ得ない。規制と天下りと補助金・献金で腐敗のトライアングルを構成している政官業に巣くう寄生虫どもは、その現実における無意味な規制強化によって官製不況をあらゆるところに撒き散らすだけでは飽きたらず、オタクから無害かつささやかな趣味までも奪おうとしているのだ。自分のブログなどで取り上げても良いだろうし、自分の選挙区の国会議員や大臣にメールや電話をしても良いだろうし、影響力の強そうな有名人の知り合いに連絡するのも良いだろうし、私にそのノウハウと技術力がないのが残念でならないが、ネットで反対の署名運動を始めても良いだろう。手段はどうあれ、良く分からずに単なる印象で規制に賛成している人間より、圧倒的多数の人間が明確に規制に反対していることを示さなくてはならない。

 ごく一部の人間の単なる不快感によって表現の自由と個人のプライバシーが蹂躙されることなど到底許されてはならない。ダウンロード違法化問題におけるパブコメが端的に示しているように、インターネットの登場によって、声なき声は、本当の声になりつつある。この危機に当たって、あらゆる公開情報に対して個人的なアクセスは自由になされるべきと考える全ての人に、サブカルチャーも含め全ての文化と表現は等しく守られるべきだと考える全ての人に、私は反対の声をあげてもらいたい。このような人々こそ本当の多数派だと私は信じている。

 本来、このブログは知財政策関係の話題を取り上げるために始めたものなので、こちらを本題にするべきだとは思うのだが、第56回で少し紹介したイタリアの著作権法改正について、少し面白いイタリア語の記事(PUBBLICA AMMINISTRAZIONEの記事Punto Informaticoの記事)があったので、最後に紹介しておく。この記事によると、イタリアのボローニャ大学の教授で、弁護士でもあるGuido Scorza氏などが、問題の、教育研究目的で無償非営利ならば低解像度・劣化版の映像・音楽の公開がネットで許されるとする新たな権利制限条項について、ジャーナリストや教授、弁護士といった人々の賛同を得て、その詳細を定める大臣令を政府と議会に対して提案したようである。

 この提案通りに大臣令が出されるのかどうか良く分からないが、この提案は、教育研究目的との限定はかかるものの、ネットワークを通じた提示、批評、議論などあらゆる利用形式が含まれるとするなど、かなり開明的なものとなっている。対象となるのは、画像なら72dpi、映像なら384kbps、音楽なら96kbpsを超えないものとするなど、低解像度・劣化版の定義を行っていることも興味深い。さらに、この提案に対して、wikiでの修正提案も受け付けているようである。このようにwikiで提案の修正を受け付けられるほど開明的な法学者が日本にいないことが、私は実に残念でならない。

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2008年3月11日 (火)

第69回:ベルギー著作権法の私的複製関連規定

 今回は、EUの本部があるブリュッセルを首都とするベルギーの私的複製関連規定についてである。

 インターネット上で入手可能な条文(フランス語)によると、著作権の私的複製関連の権利制限規定は、その第22条の列挙内に含まれている。(訳文は拙訳。他にも権利制限条項は沢山あるが、ここでは、特に私的複製に絡むと思われる部分を訳出した。注は私がつけたもの。)

  Art. 22. § 1. Lorsque l'oeuvre a ete licitement publiee, l'auteur ne peut interdire :
...
3°l'execution gratuite et privee effectuee dans le cercle de famille ou dans le cadre d'activites scolaires;

4°la reproduction fragmentaire ou integrale d'articles ou d'oeuvres plastiques ou celle de courts fragments d'autres oeuvres fixees sur un support graphique ou analogue, lorsque cette reproduction est effectuee dans un but strictement prive et ne porte pas prejudice a l'exploitation normale de l'oeuvre;

4°bis. la reproduction fragmentaire ou integrale d'articles ou d'oeuvres plastiques ou celle de courts fragments d'autres oeuvres fixees sur un support graphique ou analogue lorsque cette reproduction est effectuee a des fins d'illustration de l'enseignement ou de recherche scientifique dans la mesure justifiee par le but non lucratif poursuivi et ne porte pas prejudice a l'exploitation normale de l'oeuvre;

4°ter. la reproduction fragmentaire ou integrale d'articles ou d'oeuvres plastiques ou celle de courts fragments d'autres oeuvres, lorsque cette reproduction est effectuee sur tout support autre que sur papier ou support similaire, a l'aide de toute technique photographique ou de toute autre methode produisant un resultat similaire, a des fins d'illustration de l'enseignement ou de recherche scientifique dans la mesure justifiee par le but non lucratif poursuivi et ne porte pas prejudice a l'exploitation normale de l'oeuvre, pour autant, a moins que cela ne s'avere impossible, que la source, y compris le nom de l'auteur, soit indiquee;

4°quater. la communication d'oeuvres lorsque cette communication est effectuee a des fins d'illustration de l'enseignement ou de recherche scientifique par des etablissements reconnus ou organises officiellement a cette fin par les pouvoirs publics et pour autant que cette communication soit justifiee par le but non lucratif poursuivi, se situe dans le cadre des activites normales de l'etablissement, soit effectuee uniquement au moyen de reseaux de transmission fermes de l'etablissement et ne porte pas prejudice a l'exploitation normale de l'oeuvre, et a moins que cela ne s'avere impossible, la source, y compris le nom de l'auteur, soit indiquee;

5° les reproductions des oeuvres sonores et audiovisuelles effectuees dans le cercle de famille et reservees a celui-ci;
...
Art. 22bis. § 1er. Par derogation a l'article 22, lorsque la base de donnees a ete licitement publiee, l'auteur ne peut interdire :
  1°la reproduction fragmentaire ou integrale sur papier ou sur un support similaire, a l'aide de toute technique photographique ou de toute autre methode produisant un resultat similaire de bases de donnees fixees sur papier ou sur un support similaire lorsque cette reproduction est effectuee dans un but strictement prive et ne porte pas prejudice a l'exploitation normale de l'oeuvre;

  2° la reproduction fragmentaire ou integrale sur papier ou sur un support similaire, a l'aide de toute technique photographique ou de toute autre methode produisant un resultat similaire, lorsque cette reproduction est effectuee a des fins d'illustration de l'enseignement ou de recherche scientifique dans la mesure justifiee par le but non lucratif poursuivi et ne porte pas prejudice a l'exploitation normale de l'oeuvre;
...
Art. 46. Les articles 35, 39, 42 et 44 ne sont pas applicables lorsque les actes vises par ces dispositions sont accomplis dans les buts suivants :

3° l'execution gratuite et privee effectuee dans le cercle de famille ou dans le cadre d'activites scolaires;
...
4° les reproductions des prestations des titulaires des droits voisins, effectuees dans le cercle de famille et reservees a celui-ci;

第22条 作品が合法に公開された場合、作者は次のことを禁止できない:
(中略)
第3項 家族内あるいは学校活動の枠内でなされる、私的かつ無償の上演;

第4項 その複製が厳密に個人的な目的のためになされ、作品の通常の利用を害しない場合の、記事あるいは造形作品の部分的あるいは全体の複製、あるいは、描画あるいはアナログ媒体に固定されたその他の作品の短い断片の複製;

第4の2項 その複製が、非営利の目的によって正当化される形で、教育における提示あるいは科学研究の目的でなされ、作品の通常の利用を害しない場合の、記事あるいは造形作品の部分的あるいは全体の複製、あるいは、描画あるいはアナログ媒体に固定されたその他の作品の短い断片の複製;

第4の3項 その複製が、非営利の目的によって正当化される形で、教育における提示あるいは科学研究の目的でなされ、紙あるいは類似の媒体とは異なる媒体の上に、写真あるいは類似の結果をもたらす他の手法を用いてなされる、記事、造形作品の部分的あるいは全体の複製、あるいは、他の作品の短い断片の複製、ただし、それが不可能でないときには、作者の名前も含め、ソースが示される場合に限る;

第4の4項 その通信が、教育における提示、あるいは、公権力によって公的に組織された又は良く知られた機関の研究の目的でなされる場合の、作品の通信、ただし、この通信が、非営利の目的によって正当化され、この機関の通常の活動の枠内にあるか、機関の閉ざされた通信網の中でなされるかし、作品の通常の利用を害さず、それが不可能でないときには、作者の名前も含め、ソースが示される場合に限る;

第5項 家庭内で行われ、その中に限られる、音楽あるいは映像作品の複製;
(中略)

第22の2条 第22条の規定にかかわらず、データベースが合法に公開された場合、作者は次のことを禁止できない:

第1項 その複製が厳密に私的な目的でなされ、作品の通常の利用を害さない場合の、紙あるいは類似の媒体の上に、写真あるいは類似の結果をもたらす他の手法を用いてなされる、紙あるいは類似の他の媒体に固定されたデータベースの部分的あるいは全体の複製;

第2項 その複製が、非営利の目的によって正当化される形で、教育における提示あるいは科学研究の目的でなされ、作品の通常の利用を害さない場合の、紙あるいは類似の媒体の上に、写真あるいは類似の結果をもたらす他の手法を用いてなされる、部分的あるいは全体の複製;
(中略:データベースについても、上の上の第22条第4の2~第4の4項と似たような規定がある。)

第46条 第35条、第39条、第42条、第44条の規定は、これらの規定で定められている行為が、次の目的でなされる場合には適用されない。(注:第35条、第39条、第42条、第44条は著作隣接権を定めている。)

第3項 家族内あるいは学校活動の枠内でなされる、私的かつ無償の上演

(中略:第3の2項と第3の3項として、上の第22条第4の2~第4の4項と似たような規定がある。)

第4項 家庭内で行われ、その中に限られる、著作隣接権者の演技の複製;
(後略)

 上では少し余分に訳したが、私的録音録画を対象とする規定として、第22条第5項と第46条第4項が私的録音録画補償金の対象になっており、その他の私的複製を対象とする規定として、第22項第4項と第4の2項、第22の2条の第1項と第2項がやはり補償金の対象となっている。(ベルギーでは、録音録画機器媒体に加え、コピー機なども補償金の対象となっており、ヨーロッパの中でもタチの悪い国に属する。)

 補償金に関係する私的複製関連部分を中心に訳してみたが、ベルギーの著作権法では、この前の第21条で、引用や教育目的の編纂、通信過程での不可避な複製が権利制限の対象とされ、第22条の省略した部分で、報道、パロディ、文化遺産保護のための複製、美術展やオークションのための複製、障害者のための複製などが権利制限の対象として規定されている。(フランスの著作権法の影響か、ヨーロッパの諸国を探してみると、パロディや模写等が権利制限の対象となっている国も結構見つかるように思う。)

 さらに、第23条の2で、第21から第22条の2の権利制限規定が強行規定であることをわざわざ明文で規定しているのも面白い。(さらに、誰でもアクセスできるような形で作品がアクセス可能とされる場合は、契約の方が優先しても良いとされているようである。)

 利害関係者間の綱引きによって、このような複雑な条文になったのであろうことは容易に想像がつくのだが、ベルギーの著作権法の教科書が手元にある訳でもなく、例えば、上で訳した部分でも、第4の3項の意味など、正直なところ良く分からない。(もし、ベルギーの法律に詳しい方がいるようなら、是非教えて頂きたいと思う。)

 また、今のところ、ベルギーではダウンロード違法化はされていないようであるし、ダウンロード違法化が議論されているという話も聞かない。

 とにかく、各国の著作権法について、何故か文化庁や権利者団体は自分たちにとって都合の良いことだけを取り上げるが、実際に調べてみると、ヨーロッパについてだけ見ても各国毎に権利制限規定はかなり規定の仕方が違っており、その国際比較は決して容易な仕事ではないし、そのごく一部だけを取って国際潮流などとすることができるものでもない。(それにしても、著作権保護強化のためには血眼になって何でも調べるのに、それ以外の部分はさぼるか隠すという文化庁の姿勢は本当に許し難い。)

 ベルギーの補償金関係の規定も紹介しておきたいと思うが、これも結構長くなるので、回を分けてまた次回に。

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2008年3月 9日 (日)

第68回:情報に対する法規制の不可能性

 規制の一般論については、第46回にも書いたのだが、文化庁のダウンロード違法化、総務省のB-CAS不正機器規制・情報通信法・フィルタリング原則化、警察庁の出会い系サイト規制、政府・自民党他の児童ポルノの単純所持規制・有害サイト規制(読売新聞中日新聞などによると自民党も規制強化案を作っているようである。)と、ここ最近の規制推進の動きを見るにつけ、政官業に巣くう規制虫の寄生推進運動はあまりにも目に余るので、さらに補足の記事を書いておきたいと思う。

 このようにインターネットに対して無意味あるいは危険な規制強化案が続々と出てくること自体、今の政官業の政策担当者に情報・表現・文化そのものに対する理解が完全に欠けていることを示している。だが、彼らが何をどうしようが、情報そのものを規制することは最後不可能であり、どんな情報であれ、一部の人間による恣意的な基準で情報・表現・文化を統制することなど絶対にあってはならないことである。

(1)情報そのものに関する規制・表現そのものの規制
 まず、はっきり書いておくが、情報そのもの、表現そのものは、法律による一般的かつ網羅的な規制に服させることは不可能であるし、また、服させるべきでもない。情報・表現の違法性・有害性は、常に相対的なものである。

 ダウンロード違法化やポルノの単純所持規制がこの類型に属するが、誰が見ても違法な情報、誰が見ても有害な情報など有り得ない。情報そのものの入手や所持を規制することは、その恣意性から、極めて危険な刃を規制主体に与えてしまうことになるだろう。

 ダウンロード違法化問題については、今までいろいろと書いてきたので省略するが、児童ポルノの単純所持規制にしても、インターネットで閲覧とダウンロードと所持の区別がつけられないことを考えると、この規制も、サイトの閲覧のみで逮捕される可能性が出てくる危険な法規制となると予想される。児童保護は確かに重要だが、間違えてリンクを一つ踏んだだけでも逮捕される可能性が出て来て、しかも抗弁が極めて困難という法規制は、明らかに常軌を逸している。(この点については、「クリエーター支援&思想・表現・オタク趣味の自由を守護するページ」で単純所持が禁止されている各国で、取り締まりによって自殺者まで出ている例などが紹介されている。同じく単純所持が禁止されているアメリカでは、児童ポルノサイトへのリンクを掲示板に貼って、リンクを踏んだ者の逮捕を誘発するという荒らし行為があるという話も聞く。最近の検討を見るにつけ、日本も対岸の火事とばかり言っていられない。)

 情報そのものを一般的かつ網羅的に規制することは、ほとんど新たな思想犯罪を構成し、規制主体(国であれ、団体であれ)となる一部の人間にこの思想犯罪の後出しの取り締まりを許すことに等しい。国民一人一人の情報判断能力を否定する、このような危険な法制には、私は絶対に反対である。

(2)有体物の単純所持規制
 また、情報と直接絡まない有体物としての物の単純所持は、情報に比べるとまだ法律による規制可能性はある。しかし、所有物に対する規制も、個人の所有権を超える一般的なモラルがなければ、極めて多くの犯罪者(予備軍)を作るだけの極めて危険なものとしかなりようがない

 B-CAS不正機器をこれ以上規制するとなると、法律で規格を決めた上で、違反機器の単純所持を規制するくらいしか考えられないが、個人的に録画機器を使うことによって何ら他者への実害が発生しない以上、その規制を守らせるに足るモラルも発生しようがない。B-CASに関する規制強化は、どう考えても、社会的混乱をもたらすだけで百害あって一利ないものとなるだろう。

(3)サイト規制・サイトへのアクセス規制
 インターネットサービスプロバイダーあるいはサイト事業者・管理人に対する規制にしても、規制可能なところまでは既に規制されているのであって、恣意的な定義による削除義務や登録・審査義務、あるいはアクセス禁止などのこれ以上の規制は、不当規制以外の何物でもない

 総務省の情報通信法・フィルタリング原則化、警察庁の出会い系サイト規制、政府・自民党他の有害サイト規制は全てこの類型に当てはまるが、どの規制強化案にしても、規制を是認するに足る明確な根拠は何一つ示されてない。フィルタリング規制を推進しようとして、無駄に社会的混乱を招いている総務省の例が端的に示している通り、これらの規制の導入は確実に社会的混乱を招き、貴重な社会的コストを無駄に浪費し、日本の文化と経済に癒やし得ぬ傷を負わせることになるに違いない。

 とにかく、インターネット規制に関する限り、既存の法律でどこまで対応可能であるのか、どこまで法律で規制可能なのか、モラルや契約に委ねるしかないこともあるのではないかといった基本的な考察を飛ばして、漠然とした不安と印象操作調査のみによって、規制を正当化しようとする思考停止が政官にはびこっているのは、本当に度し難い。

 官による一般的かつ網羅的な規制を認めることは、国民を「規制できない」という、官に対する規制を緩和することに他ならない。表現の自由や通信の秘密、検閲の禁止などは、国家という大規制主体の暴走を規制する必要不可欠の轡である。最近の規制強化に私が見るのは、この轡を外そうともがく政官の姿である。統制されない権力は必ず暴力となる。インターネットという場に、既存の利権構造を延長しようとする権力に乗じる隙を与えてはならない。

 どんな規制でもしないよりは安全だとする者に対して、私は、「奴隷の安全よりも、危険な自由を選ぶ」といつでも言うことだろう。清潔な文化など文化ではない。どのような情報であれ、利用には必ずリスクがともなう。私にはあらゆる公開情報にアクセスする権利がある、そして、その利用にともなうリスクは常に自ら負う。この情報に関する最も基本的な権利を不当に奪うような国に未来はない。

 最後に、他の検討も少し紹介しておくと、総務省では、2月26日に「インターネット政策懇談会」の第1回が開催され、その検討アジェンダに対する提案募集がなされている。研究会のタイトルから内容がいまいち想像できなかったのだが、いわゆるネットワークの中立性に関する話がここで検討されるようである。

 知財本部では、3月6日に開催された第2回の「コンテンツ・日本ブランド専門調査会」で「デジタル時代におけるコンテンツ振興のための総合的な方策について」(概要本文)という報告書がまとめられている。フィルタリングに関する記載が付け加わっていたりするのは、最近の各省庁の検討を受けたものだろう。知財本部の報告書については、意見募集の際にでも、まとめて突っ込みを入れたいと思っている。

 また、ZeroPaidの記事(英語)によると、イギリスの議会でも、著作権の保護期間延長が議論され、その議論がさらに延期になり、Open Rights Groupというグループが、この延期を、皆が議員に著作権の保護期間延長を許すなと書いて送ったおかげと言っているようである。実際のところは良く分からないが、少なくとも、欧州でも著作権保護期間延長問題はもめているということは言えるだろう。

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2008年3月 5日 (水)

第67回:スイス著作権法の私的複製関連規定の改正

 前回は現行法の話をした訳だが、2007年10月5日に可決されたスイスの改正法案(フランス語ドイツ語)は、私的複製関連部分の条文を以下のように改めている。(翻訳は拙訳。ドイツ語版も参照したが、基本的にフランス語から訳した。赤字強調が追加部分。)

Art. 19
2 La personne qui est autorisee a effectuer des reproductions pour son usage prive peut aussi, sous reserve de l'al. 3, en charger un tiers; sont egalement considerees comme des tiers au sens du present alinea les bibliotheques, les autres institutions publiques et les entreprises qui mettent a la disposition de leurs utilisateurs un appareil pour la confection de copies.

3 Ne sont pas autorises en dehors du cercle de personnes etroitement liees au sens de l'al. 1, let. a:

3bis Les reproductions confectionnees lors de la consultation a la demande d'oeuvres mises a disposition licitement ne sont soumises ni aux restrictions prevues par le present article, ni aux droits a remuneration vises a l'art. 20.

Art. 20
3 Les producteurs et importateurs de cassettes vierges et autres supports propres a l'enregistrement d'oeuvres sont tenus de verser une remuneration a l'auteur pour l'utilisation de l'oeuvre au sens de l'art. 19.

第19条(第1項はそのまま)
第2項 私的使用のための作品の複製を許されている者は、第3項の場合を除き、第3者にその複製を任せることができる。その利用者に、コピーの作製のための機器を提供している図書館、他の公共機関及び企業も、この条項の第3者と解される。

第3項 以下のことは、第1項aに規定されているところの緊密に結びついた人間のサークル外では許されない:
(abcdはそのまま)

第3の2項 合法にアクセス可能とされた作品を求める際になされる複製は、本条に規定されている制限に服するものではなく、第20項に規定されている補償金請求権も与えない。

第20条
第3項 ブランクカセット並びに他の作品の複製に適した媒体の製造者及び輸入者は、第19条に規定されている作品の利用のために、補償金を支払わなくてはならない。

 ここで、ダウンロード違法化はスイスの今次著作権法改正で入っていないということをもう一度強調しておくが、この部分の改正でやはり注目すべきは、第19条第3の2項の追加と第20条第3項の変更である。条文から考えて、第19条第3の2項はいわゆる2重取りの解消に合法ダウンロードを私的複製の権利制限の対象外とすることを目的としたものであろう。また、第20条第3項は、「録音録画媒体」という専門性の限定がかかっていたものを、一般的に「媒体」と書き直しているので、これは、CDやDVDといった専用媒体を超えて、単なるメモリやHDDと言った本当の汎用媒体(さらに、MP3プレーヤーと同じく、媒体としてPCなどの汎用機器への課金も著作権団体は求めてくるだろう)にまで課金したいという権利者団体の思惑を反映しているのに違いない。(元の条文は、前回の記事をご覧頂きたい。)

 確かに、スイスの著作権法では、著作権管理仲裁委員会がまず補償金の対象や料率を決めることになっているので、このように改正したからといって直ちに課金対象が拡大される訳ではないが、このように重大な改正をこっそり紛れ込ませるやり口は非常に姑息である。スイスのユーザー・消費者・国民が、DRM回避規制にかまけてこのことに気づいていなかったとしたら、実に不幸なこととしか言いようがない。(なお、DRM回避規制は、WIPO著作権条約批准のための改正(フランス語ドイツ語)の方に入っている。かなり簡単に書いてしまっているが、スイスのDRM回避規制の話は第34回をご覧頂きたい。)

 このように法律が改正された以上、その実運用が始まった時点で、遅かれ早かれスイス政府に補償金拡大の請願が出されて、また大いにもめることになるのではないかというのが私の予想である。日本の文化庁への提出パブコメ(第20回参照)でも書いたように、そもそも、合法ダウンロードの私的複製の権利制限範囲からの除外も疑問符をつけざるを得ないが、補償金の範囲と額を決める合理的な基準がどこにもない以上、スイスのような理念のみの除外条文も問題をややこしくこそすれ、補償金問題の解決に本質的に役に立つことはないだろうスイス国民は媒体の専用性という補償金問題に関する折角のセーフハーバーをみすみす失っただけである。

 もうすぐ、日本でも次の私的録音録画小委員会で検討が始まることだろうが、スイスのこのような改正は他山の石である。補償金の範囲と額を決める合理的な基準がどこにもない以上、録音録画機器・媒体の専用性・分離性などのキャップは、ユーザー・消費者・国民にとって、権利者団体の野放図な補償金拡大要求を食い止めるために絶対必要なものである。このキャップが外れた途端、権利者団体が、既得権益を拡大しようとどこまでもその要求をエスカレートさせて来るだろうことは想像に難くない。「これ以上補償金拡大を要求しない」などという、法律の世界では何の意味もない口約束にも騙されてはいけない。法律に対抗できるのは常に法律だけである。日本の現行著作権法の規定を曖昧なものに変え、余計な社会的混乱を惹起してまで補償金を拡大しなければならないとするに足る根拠は、今までのところ全く明確に示されていないと私は考えている。

 他にも、スイスの著作権法には、そのインターフェースに関する情報を得るために、プログラムコードの解読をすることが明文で認められていたり(第21条(フランス語))とか、特許公報が明文で保護される作品から除かれていたり(第5条(フランス語))とか、いろいろ面白いところがあるのだが、この手の話をし出すとまた長くなるので、他の部分については後日何かの話のついでに紹介できればと思う。

 なお、何かの参考になるかも知れないので、スイスの著作権管理仲裁委員会のHPに載っている、スイスでのいわゆるiPodへの(媒体としての)課金を決定した、2006年1月の録音録画機器内のメモリあるいはハードディスクのようなデジタル媒体への補償金に関する決定(ドイツ語)へのリンクを張っておく。そもそも、2002年12月のMP3機器内の媒体への補償金に関する決定(ドイツ語)で、MP3機器は課金対象外とされていたものを、上の2006年の決定をざっと読んだところでは、その後、権利者団体から再請願が出され、消費者団体・ユーザーグループ等は拡大に反対したが、法律と政治力を盾に委員会で課金が決定と、お決まりのコースをたどったようである。

 最後に、海外の著作権関連のニュースの紹介もしておくと、欧州の実演家の権利の保護期間延長問題に対して、延長に反対する署名運動を、電子フロンティア財団(EFF)などが始めている(PCINpactの記事(フランス語)heise onlineの記事(ドイツ語))。(どうやら、日本からの署名も受け付けているようなので、興味がある方はリンク先をご覧頂ければと思う。)

 また、文化庁のHPに、今期第1回の過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会の開催案内(開催は3月14日)と、法制問題小委員会の開催案内(3月18日)の案内が載っていたので、念のためにリンクを張っておく。私的録音録画小委員会も恐らく同じくらいに第1回が開催されることになるのだろう。今年も、混迷する著作権法の検討から目は離せない。

 ヨーロッパの国々を中心に、しばらく外国著作権法紹介のシリーズを続けたいと思っているが、次回は、また少し寄り道をして、規制一般の話を書こうかと思っている。

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2008年3月 4日 (火)

第66回:スイス著作権法の私的複製関連規定

 第34回で、スイスの著作権法改正問題に関して触れたこともあり、まずは、スイス著作権法の私的複製関連規定について紹介したいと思う。(改正法の問題点については今回は省くが、参考のために、改正条文等がまとめられているスイス連邦知的財産研究所の著作権法ページにリンクを張っておく。)

 スイス連邦のホームページに現行の著作権法の条文(フランス語ドイツ語)が載っているが、私的複製関連はその第19条に以下のように規定されている。(フランス語の方から訳した。翻訳は拙訳。)

Art.19 Utilisation de l'oeuvre a des fins privees
1 L'usage prive d'une oeuvre divulguee est autorise. Par usage prive, on entend:
a. toute utilisation a des fins personnelles ou dans un cercle de personnes etroitement liees, tels des parents ou des amis;
b. toute utilisation d'oeuvres par un maitre et ses eleves a des fins pedagogiques;
c. la reproduction d'exemplaires d'oeuvres au sein des entreprises, administrations publiques, institutions, commissions et organismes analogues, a des fins d'information interne ou de documentation.

2 La personne qui est autorisee a reproduire des exemplaires d'une oeuvre pour son usage prive peut aussi en charger un tiers; les bibliotheques qui mettent a la disposition de leurs utilisateurs un appareil pour la confection de copies sont egalement considerees comme tiers au sens du present al.

3 Ne sont pas autorises en dehors du cercle de personnes etroitement liees:
a. la reproduction de la totalite ou de l'essentiel des exemplaires d'oeuvres disponibles sur le marche;
b. la reproduction d'oeuvres des beaux-arts;
c. la reproduction de partitions d'oeuvres musicales;
d. l'enregistrement des interpretations, representations ou executions d'une oeuvre sur des phonogrammes, videogrammes ou autres supports de donnees.

4 Le present article ne s'applique pas aux logiciels.

第19条 私的な目的のための作品の利用
第1項 公表された作品の私的な利用は許される。以下のことは、私的な利用として認められる:
a.個人的な目的、あるいは、家族や友人のような、緊密に結びついた人間のサークル内でなされるあらゆる利用;
b.教育の目的で行われる、先生とその生徒による作品のあらゆる利用;
c.企業、政府、機関、委員会、及び、類似の機関内で、内部情報あるいは資料としての目的でなされる、作品の複製;

第2項 私的使用のための作品の複製を許されている者は、第3者にその複製を任せることができる。その利用者に、コピーの作製のための機器を提供している図書館も、この条項の第3者と解される。

第3項 以下のことは、緊密に結びついた人間のサークル外では許されない:
a.市場で入手可能な作品の全体あるいは本質的な部分の複製
b.美術作品の複製
c.音楽作品の楽譜の複製
d.録音、録画、あるいは他のデータ作品の翻案あるいは実演の記録

第4項 この条項はプログラムには適用されない。

 ここで、企業内に閉じる複製も私的複製として権利制限規定の中に入っていることは興味深い。日本では、企業内の複製は、例え企業内に閉じる複製であったとしても、私的複製とは見なされていないため、原則として違法となるが、スイスではそのようなことにはならない。私的複製の議論における、諸外国の著作権法比較においては、こうした差異も見過ごされるべきではないだろう。

 さらに、その私的複製補償金に関しては、次の第20項で次のように定められている。(翻訳は拙訳。)

Art.20 Remuneration pour l'usage prive
1 L'utilisation de l'oeuvre a des fins personnelles au sens de l'art. 19, al. 1, let. a, ne donne pas droit a remuneration, sous reserve de l'al. 3.

2 La personne qui, pour son usage prive au sens de l'art. 19, al. 1, let. b ou c, reproduit des oeuvres de quelque maniere que ce soit pour elle-meme ou pour le compte d'un tiers selon l'art. 19, al. 2, est tenue de verser une remuneration a l'auteur.

3 Les producteurs et importateurs de cassettes vierges ainsi que d'autres phonogrammes ou videogrammes propres a l'enregistrement d'oeuvres, sont tenus de verser une remuneration a l'auteur pour l'utilisation de l'oeuvre au sens de l'art. 19.

4 Les droits a remuneration ne peuvent etre exerces que par les societes de gestion agreees.

第20条 私的利用のための補償
第1項 第19条第1項aにおける個人的な目的のためになされる利用は、第3項の場合を除き、補償の権利を与えない。

第2項 自分自身のためという形であれ、第19条第2項に規定されているように第3者から任されて行う形であれ、第19条第1項bあるいはcにおける私的利用のために作品の複製を行う者は、その作者に補償金を支払わなくてはならない。

第3項 ブランクカセット並びに他の作品の複製に適した録音録画媒体の製造者及び輸入者は、第19条に規定されている作品の利用のために、補償金を支払わなくてはならない。

第4項 補償金を求める権利を行使することができるのは、認可された管理団体のみである。

 私的複製すなわち補償金という規定になっているドイツ(第15回参照)とは異なり、スイスでは、録音録画媒体のみを補償金の対象としているという点でかなりおとなしい形にはなっている。それ以外の場合は、補償の権利がないということもわざわざ明文で規定している。

 また、補償金の対象や料率は、その著作権法第55条(フランス語)で規定されている、著作権管理連邦仲裁委員会が決めているようである。ただ、いくらドイツに比べておとなしいとは言え、上でも書いた補償金の規定ぶりから考えて、やはり課金ありきで委員会で話が進み、MP3プレーヤーなども媒体として課金対象とされたのであろう。ただ、この委員会のHPに載っている活動報告にも、いわゆるMP3プレーヤーに対する決定の際、大きな反響があり、消費者団体も知事へのロビー活動をしなければならないと考えたと書かれているくらいで、この制度は、スイスでも消費者・ユーザーに受け入れられているとは言い難い。ドイツのように裁判が頻発する事態に至っていないのは、ドイツほど対象・料率が非道でないために過ぎないだろう。

 次回も続けて、もう少し、スイスの権利制限・私的録音録画補償金関連の話の補足をしたいと思っている。

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2008年3月 1日 (土)

番外その7:コンテンツ制作と競争政策

 外国の著作権法の紹介をしようと思っていたのだが、総務省で「放送コンテンツの製作取引の適正化の促進に関する検討会」という研究会が、1月31日から始まったというマイコミジャーナルの記事や、総務省の第33回のデジコン委員会で、制作プロダクションと放送局が激しい意見の対立を示したという小寺氏のブログ記事を読んで、コンテンツ制作と競争政策に関する話を、ちょっと番外として書いてみたくなった。

(なお、Wikipediaにもある通り、製作者は作品に出資し、著作権を有するが、制作者は単に出資金を受けて作品を作るだけで、著作権権利は持たないというように、「製作」と「制作」は別な意味に使われることがある。衣のあるなしだけなので、分かりにくいと言えば分かりにくいのだが、便利な区別なので、以下の記事でもこの通りの区別で用語を使っていることにご注意頂きたい。必ずしも厳格に使い分けられてはいないだろうが、制作/製作のクレジットから、放送局と制作プロダクションの力関係が分かる番組があるのも面白い。)

 何故か総務省のいくつかの研究会で、放送局のコンテンツ取引における下請け構造の問題が議論されている訳だが、本来、このような不公正な取引の是正を行うのは公正取引委員会の仕事であって、総務省の仕事ではない。上の記事で、総務省が、コンテンツの取引に関するガイドラインを作るかのようなことを言っているが、既に、公正取引委員会で、「役務の委託取引における優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の指針」や、コンテンツ取引と下請法に関するパンフレットが作られているので、総務省が今さら何を作るつもりなのかさっぱり分からない。(独禁法と下請法に関しては、他にも山ほどガイドラインだのパンフレットだのが出されているので、興味のある方は公取の独禁法ホーム下請法ホームを見てもらえればと思う。)

 私は制作会社の実情について詳しい訳ではないが、このようなことが総務省で議論されていること自体、独禁法や下請法の内容が制作会社に良く知られていないことを示しているのではないかと思う。恐らく、制作会社も製作会社もこれらの法律の内容をよく知らないか、知っていてもこれらの法律をオーバーライドして余りあるビジネス慣行が厳としてコンテンツ業界に存在していることが本当の問題なのではないだろうか。

 そうだとしたら、上の公正取引委員会のガイドラインなどに書かれているように、権利の不当な提供要請や不当な発注変更などは、既に独禁法や下請法で規制されているのであって、あとはもう法律のエンフォースの話でしかない。もし本当に下請けの制作会社が業界慣行の是正を求めようとするなら、即刻団結して公正取引委員会に報告・相談した方が良いだろう。すぐにどうこうなる話とも思われないが、本当に慣行を変えたいのなら少しずつでもやれることをやるしかない。

 どの検討を見ても、放送局と癒着しているとしか思われない総務省にはどだい無理な話かも知れないが、もし本気でこのような不当取引の問題に取り組むのであれば、是非総務省には自ら、公正取引委員会へ申告(是正措置を求める報告のことをこう言うらしい)することを検討してもらいたいものである。(なお、独占禁止法(正式名称は「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」)の第45条に規定されているように、独禁法上の申告は誰でもでき、下請法(正式名称は「下請代金支払遅延等防止法」)でも、下請法の解説パンフレットのフローチャートによると、所管官庁からの通知で親事業者に対する調査が開始されるようである。)

 また、下請法そのものについてだが、請法は、その特別法になっているというほど独禁法との関係が明確な訳でもなく、その是正命令も勧告(第7条)という行政指導によってなされ、罰則も注文書の交付義務・書類作成保存義務について50万円以下の罰金が科される(第10条)だけという非常に中途半端な法律である。重大な不正取引行為は独禁法で取り締まれるので良いとしているのかも知れないが、公正な取引環境の監視と維持は、競争政策上非常に重要なことであり、決しておろそかにされて良いものではない。無意味に知財規制や表現規制を強化しようとするより、独禁法と下請法の関係をきちんと整理し直し、下請け規制のエンフォースを強化した方がよっぽど下積みのクリエータ支援になるように私には思えてならない

 ただし、最近の各官庁の規制政策の迷走によって生じている官製不況の例を持ち出すまでもなく、どんな規制でも、強化のしすぎは当然逆効果になるので、安易に規制強化に流れてもらいたくもない。競争政策もまた非常に舵取りが難しい分野なのである。(独立行政委員会のはずが、最近、各官庁と人事交流を密にしようと言い出す(日経のネット記事参照)など、役所の常として公取もあまり信用はできない。)

 知財政策は裏返しの競争政策なので、今後もこのような競争政策関連の話について、たまには取り上げていこうかと思っている。(例えば、知財政策と競争政策ということでは、パテントプールや独占的な著作権管理の問題や、B-CASと独禁法の関係など、もう少し深く掘り下げて考えてみたいと思っている。)

(それと、ついでにエルマークと独禁法の話も少し書いておくと、エルマークをつけることに何らかの不利益があって、日本レコード協会がその優越的地位を濫用して、このマークの付与を押しつけたのであれば、独禁法違反となるだろうが、今のところ、エルマークはコンテンツの出所表示という商標本来の使い方をしているだけであり、特に、エルマークをつけることによってサイト事業者に不利益が発生している様子もないので、恐らく独禁法上の問題となることはないだろう。このようなデザインセンスの悪いマークは無料でもサイトに載せたくないというライセンシーがいたら困ってしまうだろうが、独禁法でどうこう言うレベルの話とも思われない。)

 さて、最後に、ここ1週間の国内の政策関連ニュース記事へのリンクを念のために張っておこう。

 まず、27日の文化庁の文化審議会・著作権分科会で、私的録音録画問題の継続検討が正式に決まった(ITmediaの記事)ようである。ダウンロード違法化問題も、補償金問題もまだ終わらないし、この程度で終わらせてもいけない。

 総務省では、27日の有害サイト問題検討会の議論で、フィルタリング原則化の話がますます混迷を深めている(cnetの記事internet watchの記事)。ブラックリスト方式の採用を求めながら(ITmediaの記事)、一方で、健全サイト認証機関を後押ししようとする(ITproの記事)など、とにかく総務省の言動は理解不能である。そもそも私自身はフィルタリングの原則化は無意味な規制でやるべきではないと考えているのだが、ブラックリスト方式ならば、まずブラックリストに載せる基準の明確化から行うべきなので、健全サイト認証とは結びつかない。不当なブラックリスト指定については、携帯電話事業者がそれぞれの基準に照らし合わせて無料で解除する簡便な手続きを備えていればそれで良く、このような認証機関など必要ないはずである。ブラックリスト指定を不当に乱発し、認証機関で不当に審査料をせしめ取り、さらにこの不当にせしめた審査料と、正当な理由もなく流し込まれる税金で天下り役人を飼うのだとしたら、これは官民談合による大不正行為以外の何物でもない。(今のところは良く分からないが、総務省はこの認証機関を天下り団体とするつもりなのではないか、総務省は天下りにこだわるばかりに頭がおかしくなっているのではないかという疑念を私はぬぐい切れない。)
 また、情報通信法の検討委員会でも、他の有害サイト規制議論を牽制したらしい(マイコミジャーナルの記事)が、何せ総務省の検討委員会なので、まずもってここからもロクな検討結果は出てこないだろう。

 次回は、予定通り外国の著作権法の紹介をするつもりである。

(3月1日夕方の追記:出会い系サイト規制強化法が閣議決定されたというニュース(朝日のネット記事産経のネット記事読売のネット記事)があった。警察庁のホームページには、その要綱新旧対照条文が載っているが、パブコメにかけられた研究会の報告書の内容をほぼ条文に落とし込んだもので、さっぱり要領を得ない。まだ国会提出はされていないようだが、それにしても、パブコメの結果を公表することもなく、政府で閣議決定をするというのは国民に対する重大な信義則違反ではないか。不都合なパブコメが多かったので隠したのだろうか。これが国民の生活と安全を守る警察のやることだろうか。)

(3月3日の追記:ITmediaで小寺氏自身が、デジコン委員会での検討内容について詳細なコラムを書かれている。私のような半可通の意見よりよっぽど面白くてためになるので、是非、ご一読をお勧めする。)

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