第62回:財産権と人格権の混同と保護期間延長問題
前回、EUで実演家の権利の保護期間延長を検討する予定だという話を紹介したが、海外で延長問題が取り沙汰されると大体日本にも飛び火するので、今回は、先を見越して保護期間延長問題について取り上げておきたいと思う。
まず始めに、問題とするのが、著作権に関してであるのか、著作隣接権に関してであるのか、さらに著作隣接権の中でも、実演家の権利に関してであるのか、レコード製作者あるいは放送事業者の権利に関してであるのかということは分けて議論されるべきであることは言うまでもない。また、著作権と著作者人格権も異なるものであり、議論する上で、これらもきちんと区別されていなくてはならない。
(1)著作権そのものの保護期間延長問題
まず、著作権そのものに関しては、現行でも著作者の死後50年という極めて長い期間に渡って著作権が保護されることになっている。また、著作者人格権については保護期間が切れるということはない。
文化的には、ひ孫の孫くらいのことまで考えて創作をしている人間がいるとも思われず、文化の多様化のためにはこれ以上の延長はほとんど何の役にも経たないだろうし、経済的にも、著作者の死後50年を経てなお権利処理コストを上回る財産的価値を保っている極めて稀な著作物のために、このコストを下回るほとんど全ての著作物の利用を阻害することは全く妥当でないに違いない。
また、延長問題は金銭的な話でないとするリスペクト論もよく権利者側が持ち出すのだが、創作者が世に出したいと思う形のまま、創作者の名前を付けて著作物を流通させるために、同一性保持権や氏名表示権といった著作者人格権が、既に保護期間が切れることのない権利として規定されているのであり、人格権と財産権を混同した主張は取り上げるに値しない。延長問題は、あくまで権利の財産的な側面のみを考慮して考えられなくてはならない。
少なくとも、日本国内では、この点に関しては延長しないということでほとんど結論が出ているように思うが、今後も、この結論が変えられてはならないと私は考えている。(保護期間延長問題は、文化審議会・著作権分科会・過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会の第7回(平成19年9月3日)、第8回(平成19年9月27日)で議論されて以降、放置されているが、近いうちにまた議論が再開されるのではないか。)
さらにそもそも論をしておけば、財産権と人格権をごたまぜにした主張によって、今までずるずると死後50年まで著作権は延長されてきた訳だが、これほど長期間にわたり財産権たる著作権が存在していなければならないとする必然性は実はない。著作権も複製物の流通にかかる投資コストの回収を促すという産業財産権的な権利としてスタートしたことは、初期の保護期間が発行後14年程度だったことからも分かることだろう(上の小委員会の文化庁の資料「諸外国における一般著作物の保護期間の変遷」参照)。人間が自ら創作した情報の利用について何年の財産的独占権を得ることが適当かということは、本来社会全体の経済効率をかなり加味して判断されるべきだったろう。経済合理性から延長に対する抑制が働く特許権において、保護期間を20年以上に伸ばそうとする動きがないことが、今までの著作権の議論で全く顧慮されて来なかったのは、世界の文化にとって不幸なことであった。
(2)実演家の著作隣接権の保護期間延長問題
EUが問題にしているのが実演家の著作隣接権の話のみと考えられることはもう一度強調しておく。著作隣接権の中でも、実演家の権利と、レコード製作者・放送事業者の権利は大きく性質が異なっているものであり、これらを混同することは百害あって一利ない。
何度も言うようだが、既に同一性保持権や氏名表示権などの実演家の人格権も特に保護期間と一緒に切れるということはないので、ここでも人格権と財産権をごっちゃにするリスペクト論は全く当てはまらない。
それでも、実演から50年を超えて保護期間を延長することが、文化的な実演を多く生み出すためのインセンティブとなり、このインセンティブが、保護期間延長によって生じる公共利用に対するディスインセンティブを超えるという明確な論拠が示されるならば、実演家の保護期間に限り延長するという選択肢は実はあり得る。(実演から50年という期間はかなり著名かつ長命の実演家でなければ切れることがない期間であり、どこまでインセンティブとなるかは疑問であるが。)
しかし、今のところ、実演家の著作隣接権の保護期間延長についても、これを是とするに足る根拠は何一つなく、ユーザーとして賛成する理由はない。
(前回紹介したEUのプレス記事や同じ内容を書いているITmediaの記事を読むと、EUは実演家が大きなロイヤリティを受け取れるようにするための基金をレーベルに作らせることや、楽曲の再リリースを渋った場合に実演家が他のレーベルに移れるようにすることも考えているようだが、大体、コンテンツ業界では世の東西を問わず、商慣習が法規制を圧倒していまっているので、こんな規制は絵に描いた餅になるだろう。保護期間が延長された場合は、実演家の収入は今のレーベルのビジネスから得られるロイヤリティの単純な外挿になる可能性が高いし、実演家が他のレーベルに移れるようにしたところで、コストパフォーマンスの悪い楽曲はどこのレーベルもリリースしないに違いない。)
(3)レコード製作者あるいは放送事業者の著作隣接権の保護期間延長問題
今現在もかなりの政治力を保っているレコード屋と放送局が、同じ隣接権だからという訳の分からない理屈で、保護期間を一緒に伸ばせという主張をして来ることが容易く予想されるのだが、これらは実演家の権利と絶対に混同されてはならないし、レコード製作者の権利と放送事業者の権利については絶対延長されてはならないと私は考えている。
この点については、第28回でも書いたが、レコード製作者と放送事業者という創作者ではない流通事業者の著作隣接権は、単にレコード会社や放送局が強い政治力を持っていたことから無理矢理ねじ込まれた権利に過ぎず、その目的は流通コストへの投資を促すことのみにあったものである。インターネットという流通コストの極めて低い流通チャネルがある今、独占権というインセンティブで流通屋に投資を促さねばならない文化上の理由もほぼ無くなっているのであり、本来なら、これらの保護期間は短縮することが検討されても良いくらいである。
放送事業者の権利の保護期間については、今でもローマ条約(+TRIPS協定)で放送から20年と規定されているだけ(文化庁が上の小委員会に提出した資料「著作権関連の諸条約における保護期間に関する主な規定」参照)であり、短縮するのに実は国際的障害はない。合理的な理由無く決められた保護期間を短縮することが憲法上問題になる訳もなく、これは政治力の問題から事実上不可能に近いというだけのことである。レコード製作者の権利についても、現行の50年から絶対に伸ばしてはならないし、そもそも論を言えば、短縮のため条約の改定を目指しても良いくらいである。
要するに、著作権の保護期間延長には無論私は反対であるし、実演家の著作隣接権の保護期間延長についても、今のところユーザーとして賛成する理由は何一つなく、レコード屋と放送局の著作隣接権の保護期間の延長については論外と私は考えているのである。
政策は時代によって変化を受けて当然であり、保護期間についても、その延長によって独占を強めることだけが文化政策上正しいなどということはもはや有り得ないのだ。
ついでに、総務省の方では、「通信・放送の総合的な法体系の在り方」の情報通信審議会への諮問がなされた(総務省の報道資料参照)ようであるので、念のために紹介しておく。
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