« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月28日 (木)

第65回:インターネット上での商標権の使用とエルマーク

 先週の19日に、日本レコード協会から、レコード会社が許諾した音楽配信事業者を識別するための「エルマーク」制度の運用を開始したとの発表がなされた(internet watchの記事ITproの記事参照)。

 このことについて何か書こうかとも考えていたのだが、このマークそのものの問題については、既に「半可思惟」で綺麗にまとめられていて、さらにこの内容を受けたものとして、「風のはて」、「日本違法サイト協会ブログ」、「Baldanders.info」等々でも良いまとめが読めるので、これ以上言うこともない。ダウンロード違法化問題との関係について興味がある方は、是非これらのブログをご覧頂ければと思う。

 それで、「半可思惟」の追補でも触れられていることもあり、どうしようかと思ったが、折角の機会なので、私も、インターネット上での商標権の使用に関する話を少しだけ書いておこうかと思う。(inflorescencia様、念のためトラックバックで記事を書かせて頂きますが、補足というより蛇足かも知れませんので、お邪魔でしたら、トラックバックをお切り下さい。)

 まず、商標法では、「商標」とその「使用」については以下のように定義されている。(純粋にインターネット上での商標の使用に特に関係する部分のみの抜粋である。強調は私がつけたもの。)

第二条  この法律で「商標」とは、文字、図形、記号若しくは立体的形状若しくはこれらの結合又はこれらと色彩との結合(以下「標章」という。)であつて、次に掲げるものをいう。
一  業として商品を生産し、証明し、又は譲渡する者がその商品について使用をするもの
二  業として役務を提供し、又は証明する者がその役務について使用をするもの(前号に掲げるものを除く。)
(中略)
3  この法律で標章について「使用」とは、次に掲げる行為をいう。
(中略)
七  電磁的方法(電子的方法、磁気的方法その他の人の知覚によつて認識することができない方法をいう。次号において同じ。)により行う映像面を介した役務の提供に当たりその映像面に標章を表示して役務を提供する行為
八  商品若しくは役務に関する広告、価格表若しくは取引書類に標章を付して展示し、若しくは頒布し、又はこれらを内容とする情報に標章を付して電磁的方法により提供する行為

 そして、商標では、役務も指定され、商標権はこの指定役務に類似する役務に対する類似商標の使用にまで及ぶ(第37条)。

 例えば、Lマークなら、特許庁の特許電子図書館の商標検索で登録番号5101818号を調べれば、指定役務は、

【商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務】
 第9類 ダウンロード可能な音楽・音声・画像・映像・映画,ダウンロード可能な携帯電話の着信音用の音楽又は音声,ダウンロード可能なゲームプログラム,レコード,メトロノーム,電子楽器用自動演奏プログラムを記憶させた電子回路及びCD-ROM,インターネットを利用して受信し、及び保存することができる音楽ファイル,映写フィルム,スライドフィルム,スライドフィルム用マウント,インターネットを利用して受信し、及び保存することができる画像ファイル,録画済みビデオディスク及びビデオテープ,電子出版物,業務用テレビゲーム機,電気通信機械器具,コンピュータプログラム,電子応用機械器具及びその部品,家庭用テレビゲームおもちゃ,携帯用液晶画面ゲームおもちゃ用のプログラムを記憶させた電子回路及びCD-ROM
 第35類 広告,トレーディングスタンプの発行,商品の販売に関する情報の提供,インターネットを利用して受信し、及び保存することができる音楽ファイル及び同画像ファイルの小売又は卸売の業務において行われる顧客に対する便益の提供
 第41類 オンラインによる音楽・画像・映像・動画・映画・ゲーム・電子書籍の提供,映画・演芸・演劇又は音楽の演奏の興行の企画又は運営,映画の上映・制作又は配給,演芸の上演,演劇の演出又は上演,音楽の演奏,音楽の演奏に関する情報の提供,放送番組の制作,電子出版物の提供,レコード又は録音済み磁気テープの貸与,録画済み磁気テープの貸与
 第45類 著作権又は著作隣接権の管理に関する情報の提供,著作権法等の法律情報の提供

と分かるので、このような指定役務と同一又は類似の役務を業として行っているサイトにエルマークの図形と同一又は類似するマークを付すことが、規制の対象となる。商標権は、登録公示により権利が発生し、例外はあるものの独自創作の抗弁はできない絶対的独占権型の権利であり、その侵害は非親告罪とされている。この例で言えば、要するに、音楽配信業あるいはこれに近い業のサイトが、エルマークの図形と同一又は類似するマークを勝手にサイトに使った場合、それで警察に捕まっても文句は言えないということである。

 ここで、個人のホームページで商標を使用する行為が規制されないのは、基本的に、定義の中に「業として」という業規制が入っているおかげである。しかし、インターネットによる個人と企業のフラット化はこれからも進み、インターネットにおける業と非業の区別はこれからもどんどん曖昧になって行くと考えられるため、ここでもまた余計な規制強化が図られる恐れがないとは言えない。(なお、インターネットは世界共通だが、日本の商標権は日本の国内にしか及ばないという問題もある。特許権や意匠権は、その規制が現実の物品とほぼ対応するものであるため、このような情報化の影響は受けにくい。)

 だが、例えどんなに境界が曖昧となるにせよ、その侵害が非親告罪とされ、さらに登録公示による絶対的独占権型の強い権利による規制を、本当の一般ユーザーまで及ぼすことは、一般ユーザーにとって過度の負担となるものであり、この業規制は絶対なくしてはならないものである。

 実際のところ、商標はあくまで商品なり役務なりの出所を示すものであり、著作権とは違って、各条文にぶら下がる形で民々の利権秩序が構成されていたりする訳ではないので、よほどことがない限り大丈夫だと思うが、役所が何をやってくるかは全く信用できないので油断はしすぎない方が良いだろう。

(平成15年の産業構造審議会・知的財産政策部会・商標制度小委員会の第2回の配布資料「「商標」及び標章の「使用」の定義の在り方について」でも、あっさり「「業として」は、従来「反復継続して」を意味するものとされているが、このような要素を商標の定義に含めている例は他国には韓国商標法の他には見られない。(中略)商標法においても、「反復継続して」使用されることが問題となるのは商標登録出願に対する審査においてどの標章を商標とすべきか判断する時点ではなく、商標権侵害訴訟や不使用取消審判において、商標の「使用」の有無が問題となる場合である。以上を踏まえると、商標の定義に「業として」を含めることは適当ではないのではないか。」と業規制を削るのか、使用の定義に移動するのか良く分からないが、定義をいじりたいような書き方がされている。ただ、このとき以来この定義の話はまともに取り上げられていないので、現時点では、多分私の気の回しすぎだろう。)

 この点については、2001年にWIPO採択された「インターネット上の商標及びその他の標識に係る工業所有権の保護に関する共同勧告」(特許庁のHPの記事参照)に書かれている通り、

  1. インターネット上における標識の使用を使用と認めるかは、「商業的効果」の有無によって判断する。
  2. インターネット上の標識の使用者に、事前に世界的なサーチ義務を負わせることは、当該標識の使用者に過度の負担を課すこととなり不適当であるとの前提のもと、ノーティスアンドテイクダウン手続を規定する。
  3. サイバースクワティングのような悪意による使用の場合を除き国の領域を超える差止命令を禁止する。

といった原則を今後も是非守ってもらいたいものである。

 今のところ、あまり心配しなくて良いのだが、商標法も同じくインターネットによる商標そのものの情報化の問題を抱え、法律上の「商標」と「使用」の定義次第でこれもユーザーにとって相当やっかいな規制になり得るということは知っておいても損はないのではないかと思う。(ドメイン名などは既に相当裁判にももなったが、インターネットにおいて、言葉なり図形なりの新しい使用形態はこれからも様々なものが出てくると思われるので、どこまで商標権でカバーされるのかは考え出すとかなりやっかいである。恐らくこのジャンルでも悩みの種は尽きないだろう。)

 最後に、念のために書いておくと、エルマークはあくまで日本レコード協会所属のレコード会社と、その音楽配信サイトが何らかのライセンスを結んでいることを示すものに過ぎないので、どこまで行っても、エルマークのありなしはそのサイトのコンテンツが著作権法上適法に提供されたものか、違法に提供されたものかを示すクライテリアたり得ない。今のところ、レコード会社の自主的な取り組みに過ぎないので、あまり叩く気もしないのだが、このエルマークを見るにつけ、日本のレコード会社は本当に大丈夫かと心配になってしまう。何と言ってもマークにおける意味の識別性が低いので、一般ユーザーには恐らく一目でその意味が伝わらない。そのため、この商標は本来持つべき顧客誘引力を持ち得ず、正規サイトであれ不正サイトであれ、この商標を使用あるいは冒用するインセンティブは恐らく働かず、マークそのものの意味が急速に見失われていくのではないかと私は思う。結局、日本レコード協会のこの実験によって、ダウンロード違法化への道はますます遠のいたのではないかと私は感じている。

 さて、各省庁での政策検討が本格化するまでには、まだ少し余裕があると思うので、次回からは、また少し外国著作権法紹介のシリーズをやっておこうかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月25日 (月)

第64回:インターネットはライフラインか。

 今週の27日から今期の文化審議会・著作権分科会が始まり、総務省でも、通信・放送の総合的な法体系に関する検討委員会(第1回:2月25日)や、インターネット政策懇談会(第1回:2月26日)が始まり、デジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会(第33回:2月26日)、インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会(第4回:2月27日)などの引き続きの検討とも合わせ、今期のインターネット関連の省庁における政策検討は、この春から夏にかけて活発になることだろう。(それにしても、同じ検討課題について総務省が同じ省内でこれほど多くの検討会を立ち上げるのかは謎である。このような多重検討は単なる税金の無駄と思われるので、一国民として心から止めて欲しいと思う。)

 ただ、どこの省庁で検討されるにせよ、今までの各省庁の検討を見ている限り、必ず、そのアウトプットが無意味なネット規制・表現規制になることは目に見えている。そして、このような無意味な規制案を打ち出してくることの背景は、どう考えても、彼らの意識に深く根ざしている通信手段・コミュニケーション手段・メディアとしてのインターネット軽視にあるとしか思われない。(表現規制そのものについてもまたそのうち書く機会があるだろうが、表現規制が出てくることのもう一つの背景は、サブカルチャー軽視だろう。私自身は文化にサブもメインも、高尚も低劣もないと思っているのだが。)

 ダウンロード違法化問題一つとってみてもそうで、別に海賊版をやりとりする通信手段はインターネットに限られないのだが、インターネットならば不当に規制を強化しても構わないと思う人間がかなりいるようなのは実に不思議である。だが、これを電話なりFAXなり郵便なりに置き換えて、これらの通信手段を傍受して、その内容が他人の著作物であるかどうかを著作権団体なりが確かめて良いとした上で、もし著作権法違反をしていたら、受け手に民事罰あるいは刑事罰を課しても良いとするべきだと言ったら、誰もがナンセンスだと思うだろう。

 フランスを皮切りに、イギリスやオーストラリアも、2回の注意を受けても違法コピーを繰り返した場合、インターネットへのアクセスを禁止するといった著作権検閲政策に食指を動かしているようだが、これもまた同じことで、これが、郵便を常にチェックし、3回海賊版を買った者は郵便を利用することができないとする法制であったとしたら、彼らにしたところでナンセンスだと思うに違いない。とにかく何故かインターネットというだけでバランス感覚が世界的にも狂うのである。

 匿名のいじめや児童の不正誘引の問題についても、それこそこれらの問題はリアルの場でも、他の手段を用いても可能であるにもかかわらず、何故か、インターネットそのものが問題で、サイト狩りを行えば問題が片づくかのような印象操作が平然と行われているのは全くもって不可解としか言いようがない。

 結局、この通信手段間の扱いの差は、電話なり郵便なりが生活に必要不可欠なライフラインであり、これらを止めることは生活に支障をきたすと誰もが認識しているにもかかわらず、インターネットはまだそうとは認識されていないという違いから来ているのだろう。

 確かに、今は、インターネットが無くても困らないとする人間もかなりいることだろう。しかし、ビジネスの現場にいる人間にとって、もはやメール抜きのビジネスは考えられないだろう。プロユーザーでない普通のユーザーにとっても、メールはほとんど必須の通信手段であろうし、情報収集・交換のツールとして、ホームページやブログ等々がない生活というものはほぼ考えられなくなってきているのではないだろうか。

 印刷術にせよ、近代郵便にせよ、電信電話にせよ、これらが発明される前は、他のもっと不便で遅い手段でもって、人と人とのコミュニケーションはなされていたのであり、発明された当時はこれらはライフラインでも何でも無かったろう。しかし、これらの発明がもたらした圧倒的なスピード感とコスト削減は人の意識を変え、これらの手段を人の生活にとって無くてはならないものに変えた。その結果として、これらをライフラインとして安心して利用できるための様々な法制度が作り上げられたのである。

 インターネットによる人と人とのコミュニケーションにおける圧倒的なスピード感とコスト削減から考えて、インターネットが他の通信手段と並んでライフラインの地位を人の意識の上で完全に獲得するのはそう遠い将来のことでもないだろうと私は思っている。この意識改革がなされた後の法制度がどうなるかは何とも分からないが、情報そのものには情報そのもののルールがあって良い。既存の権利・法制度の一部分をいびつに拡張して、インターネットそのものの利用を不安たらしめたり、禁止したりするような法制を導入することは、将来必ず不当で野蛮なことと見なされるものと私は確信している

 自身不当だと思う規制については、今後も私は断固反対の幟を上げ続けるつもりであるが、インターネットを既存のコミュニケーション手段と比べて不当に高く見ることも低く見る必要もない。知的財産権にせよ、表現の自由にせよ、通信の秘密にせよ、これらの権利のうちどれかを不当に高く見ることも不当に低く見ることもあってはならない。これらの基本的な権利の間のバランスについて、インターネットに関しても理性的な議論をするだけの意識が一刻も早く世界的に醸成されることを私は願ってやまない。

 さて、ついでに、また少し間が空いてしまったが、著作権の国際動向などについて、ネットの記事をざっと紹介しておこう。

 上でも少し触れたが、イギリスでは、違法なファイル交換を行っているユーザーのアクセスをインターネットサービスプロバイダーに停止させる法案を4月に通すことを考えているようであり、オーストラリアでも、このイギリスの検討に興味を持っていると通信大臣が発言したようである(cnetの記事PC Worldの記事(英語)ars technicaの記事(英語)numeramaの記事(フランス語)参照)。記事の中で、インターネットサービスプロバイダーの代表が答えている通り、著作権に基づいた全パケットフィルタリングは技術的にもコスト的にも不可能なので、何をどうしたところで、このような実現不可能な案がイギリスの国会を通ることはないのではないかと思われる。

 なお、フランスでは、この著作権検閲法案の計画者であるOlivienne氏が01netのインタビュー記事で法案策定作業を続けているところだと答えている。このフランスの著作権検閲法案も実運用のことを考えるとどうしても無理があるので、やはりそう簡単に通らないのではないかと私は思っているが。(余談だが、この人はやはりFnacというフランスの大手電気量販店グループの会長である所為か、ぽろっと「個人的にはカタログにない楽曲を交換する権利はあるのではないかと思う」とか、「海賊行為を完全に抑止することはできない、それはインターネットの非常に重要な在り方の一つであり、常に一部は抱えて行くことになるだろう」とか言っていたりするのは面白い。)

 また、欧州では、知財法の刑事罰に関して提案されているディレクティブを検討するよう欧州議会が各国に求めているようである(euractivの記事(英語)out-law.comの記事(英語)、Barebone centerの記事(ドイツ語))。しかし、これもまた保護レベルの高いところに合わせる話にしかならないと思われるので、日本の当局がその上っ面だけを取り上げて、また保護強化が世界潮流と言い出さないことを私は願っている。

 最後に、ダビング10が6月2日の午前4時に始まるという発表がなされている(ITproの記事参照)ので、これも紹介しておこう。しかし、このようななし崩しのダビング10運用開始は、B-CAS問題を手つかずのまま残し、情報通信審議会での答申とD-pa・ARIBでの規格の決定(D-paの発表記事参照)との関係も不透明なままにするもので、一消費者・一ユーザー・一国民として全く納得感はない。コピーワンス問題も、この程度で片づくとは私には到底思えない。

 次回は、適法マークの話をしようかと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年2月21日 (木)

第63回:欧州での私的複製補償金改革検討の参考資料の概要

 EUでの私的複製補償金に関する関係者への新たな意見募集(EUの補償金改革のHP参照)の質問状とセットになっている参考資料には、欧州各国の補償金制度の現状が最新の状況も含めていろいろと書かれているので、今回は、その内容について箇条書きでざっと紹介しておきたいと思う。(なお、2006年当時の改革検討については第12回でも取り上げた。)

(1)欧州各国の補償金制度の現状(第3~10ページ)
・EU加盟27カ国中、アイルランド、イギリス、マルタ、キプロス、ルクセンブルグの5カ国は、そもそも私的複製補償金制度がない。

・ノルウェーは、補償金を複製機器あるいは媒体から徴収しておらず、税金から支出している。

・ギリシャでは、補償金制度はあることにはあるが、1999年以来エンフォースされておらず、ICT企業の強い反対を受けて2003年に凍結された。

・補償金制度のある20カ国(2005年当時の調査なのでルーマニアとブルガリアが抜けている)中、機器に課金せず、メディアのみに課金している国は、オーストリア、デンマーク、フランス、リトアニア、オランダ、スエーデンの7カ国。他の国は、機器とメディアの両方に課金。

・ドイツでは、最高裁で、スキャナーに対して課金済みということからプリンターが課金の対象外とされたが、PCやCD焼き器については係争中で、今のところ下級審では課金対象とされている。

・ベルギーではCD焼き器は課金対象とは考えられていない。

・ギリシャ、ポルトガルとスペインでは、PCのHDDは法律で補償金の課金対象外とされている。

・オーストリアでは、2005年7月に、PCのHDDは多くの場合著作権で保護される作品のコピーに使われないとして、PCのHDDには課金しないとする最高裁判決が出されている。

・ドイツでは携帯電話に対しても補償金が要求されている。フィンランドでも権利者団体が携帯電話に対する課金を求めている。

・CD-RやDVD-Rなどの通常の録音録画メディアに加えて、オーストリア、チェコ、フランス、ハンガリー、ポーランドなど、汎用のメモリーカードに課金している国もかなりある。

・フランスとオーストリアは、MP3プレーヤーや録画器内に一体に組み込まれるHDDをメディアとみて課金している。つまり、個人用ビデオレコーダーはフランスとオーストリアではメディアとして課金され、チェコ、フィンランド、ハンガリーとポーランドでは機器として課金されている。

・料率もバラバラであり、2004年にEUの16カ国で集められた補償金額は5.67億ユーロである。(これは今はもっと増えているだろう。)

(2)補償金制度の問題点(第11~16ページ)
・国境を越える取引の場合、製造と輸出入でそれぞれ課金されることになるが、返還制度や輸出入のための例外が各国の国内法制に依存し、うまく機能していない。

・今の補償金システムは、プロユーザーのことを考えていない。ブランクメディアは、ソフトウェアコードやマニュアルのコピーなどの、私的複製とは全く関係ないプロフェッショナルユースにも使われるものである。

・現行の補償金制度の運用は、製造業者・輸入業者・エンドユーザーのコンプライアンスに大きく依存しており、これは誠実な業者にとって不利となり、課金を逃れるグレーマーケットを広げることにつながっている。

・今までのところ料率はメディアの容量によっているが、ブランクメディアの容量と、ユーザーの実際の私的複製の量には開きがある。様々な用途に使われる汎用媒体の場合、保護される著作物の私的複製に用いられないことも多い。

・合法ダウンロードサービスからダウンロードした著作物については、権利者が既に受けている対価との間で2重課金となる。

・クリエイティブコモンズライセンスのようなライセンスのもとで提供されている著作物を補償金のかかったメディア・機器でコピーする場合、無償でコピーが許されているにもかかわらず、補償金が賦課されていることになる。

・管理コストや基金への分配が国によって異なることも良くあり、分配が不透明で正当な比率になっていないと考えている権利者もいる。

(3)付録(第17~26ページ)
・欧州の消費者団体(BEUC)は、補償金は私的複製による経済的実害を反映すべきであると主張し、どこの国も単なる仮定にもとづいて補償金を決めており、この実害の評価をきちんと行っていないと非難している。

・スペインのユーザーグループ(Todos Contra El Canon)は、今の典型的なラフジャスティスの形はひどいもので、様々な2重課金の問題があり、補償金制度を拡大することはデジタルデバイドを広げることにつながるとして反対を表明している。このグループ主導の署名運動は、150万人を集めた。

 以上はあくまで私が勝手に作った概要なので、この問題に興味がある方がいれば、是非原文に当たって頂きたいと思う。(今までこのブログで取り上げ損ねていた話も資料には書かれており、調べられるものは調べて、また紹介して行きたいと思っている。)もうすぐ日本でも今年の私的録音録画小委員会が始まることと思うが、この資料を一読するだけでも、文化庁が持ち出して来る「国際潮流」が、いかに彼らにとって都合の良いことだけで塗り固められた嘘のかたまりであるかすぐに分かるはずである。

 とにかく、この補償金制度の世界的なちぐはぐさ、デタラメぶりには本当にあきれるばかりである。欧州でもこの問題があと半年や1年やそこらで片付く訳はない。

 日本でも、また文化庁なりが、今年の私的録音録画小委員会でこの問題の早期決着を図ろうと、無理を通しに来ることが容易く想像されるのだが、ここまで来た以上、中途半端な妥協は絶対に許されない。補償金の意味を曖昧にしたまま、中途半端な妥協をすることは、必ず将来に大禍根を残すことに、日本の文化政策史上に世紀の大汚点を刻むことになるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月19日 (火)

第62回:財産権と人格権の混同と保護期間延長問題

 前回、EUで実演家の権利の保護期間延長を検討する予定だという話を紹介したが、海外で延長問題が取り沙汰されると大体日本にも飛び火するので、今回は、先を見越して保護期間延長問題について取り上げておきたいと思う。

 まず始めに、問題とするのが、著作権に関してであるのか、著作隣接権に関してであるのか、さらに著作隣接権の中でも、実演家の権利に関してであるのか、レコード製作者あるいは放送事業者の権利に関してであるのかということは分けて議論されるべきであることは言うまでもない。また、著作権と著作者人格権も異なるものであり、議論する上で、これらもきちんと区別されていなくてはならない。

(1)著作権そのものの保護期間延長問題
 まず、著作権そのものに関しては、現行でも著作者の死後50年という極めて長い期間に渡って著作権が保護されることになっている。また、著作者人格権については保護期間が切れるということはない。
 文化的には、ひ孫の孫くらいのことまで考えて創作をしている人間がいるとも思われず、文化の多様化のためにはこれ以上の延長はほとんど何の役にも経たないだろうし、経済的にも、著作者の死後50年を経てなお権利処理コストを上回る財産的価値を保っている極めて稀な著作物のために、このコストを下回るほとんど全ての著作物の利用を阻害することは全く妥当でないに違いない。

 また、延長問題は金銭的な話でないとするリスペクト論もよく権利者側が持ち出すのだが、創作者が世に出したいと思う形のまま、創作者の名前を付けて著作物を流通させるために、同一性保持権や氏名表示権といった著作者人格権が、既に保護期間が切れることのない権利として規定されているのであり、人格権と財産権を混同した主張は取り上げるに値しない。延長問題は、あくまで権利の財産的な側面のみを考慮して考えられなくてはならない。

 少なくとも、日本国内では、この点に関しては延長しないということでほとんど結論が出ているように思うが、今後も、この結論が変えられてはならないと私は考えている。(保護期間延長問題は、文化審議会・著作権分科会・過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会の第7回(平成19年9月3日)第8回(平成19年9月27日)で議論されて以降、放置されているが、近いうちにまた議論が再開されるのではないか。)

 さらにそもそも論をしておけば、財産権と人格権をごたまぜにした主張によって、今までずるずると死後50年まで著作権は延長されてきた訳だが、これほど長期間にわたり財産権たる著作権が存在していなければならないとする必然性は実はない。著作権も複製物の流通にかかる投資コストの回収を促すという産業財産権的な権利としてスタートしたことは、初期の保護期間が発行後14年程度だったことからも分かることだろう(上の小委員会の文化庁の資料「諸外国における一般著作物の保護期間の変遷」参照)。人間が自ら創作した情報の利用について何年の財産的独占権を得ることが適当かということは、本来社会全体の経済効率をかなり加味して判断されるべきだったろう。経済合理性から延長に対する抑制が働く特許権において、保護期間を20年以上に伸ばそうとする動きがないことが、今までの著作権の議論で全く顧慮されて来なかったのは、世界の文化にとって不幸なことであった。

(2)実演家の著作隣接権の保護期間延長問題
 EUが問題にしているのが実演家の著作隣接権の話のみと考えられることはもう一度強調しておく。著作隣接権の中でも、実演家の権利と、レコード製作者・放送事業者の権利は大きく性質が異なっているものであり、これらを混同することは百害あって一利ない。

 何度も言うようだが、既に同一性保持権や氏名表示権などの実演家の人格権も特に保護期間と一緒に切れるということはないので、ここでも人格権と財産権をごっちゃにするリスペクト論は全く当てはまらない。

 それでも、実演から50年を超えて保護期間を延長することが、文化的な実演を多く生み出すためのインセンティブとなり、このインセンティブが、保護期間延長によって生じる公共利用に対するディスインセンティブを超えるという明確な論拠が示されるならば、実演家の保護期間に限り延長するという選択肢は実はあり得る。(実演から50年という期間はかなり著名かつ長命の実演家でなければ切れることがない期間であり、どこまでインセンティブとなるかは疑問であるが。)

 しかし、今のところ、実演家の著作隣接権の保護期間延長についても、これを是とするに足る根拠は何一つなく、ユーザーとして賛成する理由はない

(前回紹介したEUのプレス記事や同じ内容を書いているITmediaの記事を読むと、EUは実演家が大きなロイヤリティを受け取れるようにするための基金をレーベルに作らせることや、楽曲の再リリースを渋った場合に実演家が他のレーベルに移れるようにすることも考えているようだが、大体、コンテンツ業界では世の東西を問わず、商慣習が法規制を圧倒していまっているので、こんな規制は絵に描いた餅になるだろう。保護期間が延長された場合は、実演家の収入は今のレーベルのビジネスから得られるロイヤリティの単純な外挿になる可能性が高いし、実演家が他のレーベルに移れるようにしたところで、コストパフォーマンスの悪い楽曲はどこのレーベルもリリースしないに違いない。)

(3)レコード製作者あるいは放送事業者の著作隣接権の保護期間延長問題
 今現在もかなりの政治力を保っているレコード屋と放送局が、同じ隣接権だからという訳の分からない理屈で、保護期間を一緒に伸ばせという主張をして来ることが容易く予想されるのだが、これらは実演家の権利と絶対に混同されてはならないし、レコード製作者の権利と放送事業者の権利については絶対延長されてはならないと私は考えている。

 この点については、第28回でも書いたが、レコード製作者と放送事業者という創作者ではない流通事業者の著作隣接権は、単にレコード会社や放送局が強い政治力を持っていたことから無理矢理ねじ込まれた権利に過ぎず、その目的は流通コストへの投資を促すことのみにあったものである。インターネットという流通コストの極めて低い流通チャネルがある今、独占権というインセンティブで流通屋に投資を促さねばならない文化上の理由もほぼ無くなっているのであり、本来なら、これらの保護期間は短縮することが検討されても良いくらいである。

 放送事業者の権利の保護期間については、今でもローマ条約(+TRIPS協定)で放送から20年と規定されているだけ(文化庁が上の小委員会に提出した資料「著作権関連の諸条約における保護期間に関する主な規定」参照)であり、短縮するのに実は国際的障害はない。合理的な理由無く決められた保護期間を短縮することが憲法上問題になる訳もなく、これは政治力の問題から事実上不可能に近いというだけのことである。レコード製作者の権利についても、現行の50年から絶対に伸ばしてはならないし、そもそも論を言えば、短縮のため条約の改定を目指しても良いくらいである。

 要するに、著作権の保護期間延長には無論私は反対であるし、実演家の著作隣接権の保護期間延長についても、今のところユーザーとして賛成する理由は何一つなく、レコード屋と放送局の著作隣接権の保護期間の延長については論外と私は考えているのである

 政策は時代によって変化を受けて当然であり、保護期間についても、その延長によって独占を強めることだけが文化政策上正しいなどということはもはや有り得ないのだ。 

 ついでに、総務省の方では、「通信・放送の総合的な法体系の在り方」の情報通信審議会への諮問がなされた(総務省の報道資料参照)ようであるので、念のために紹介しておく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月15日 (金)

第61回:カナダ、フランス、欧州連合(EU)における私的複製(私的録音録画)補償金問題関係の動き

 今回も、著作権関係の最近の海外動向の紹介である。

(1)カナダ
 まずはカナダについて、第48回のついでに、カナダのiPod税導入がカナダの連邦裁判所で否決された(追加でフランス語の記事1記事2へのリンクを張っておく。)というニュースを紹介したが、最近出たネット記事(フランス語)によると、最高裁への上告はあきらめられたらしく、カナダでのiPod課金は無期延期となったようである。

 ただ、この記事で紹介されている、カナダ補償金協会の、連邦裁判所のカナダの著作権委員会がiPod税を導入する権限がないという決定について上告を求めるつもりはないが、やはりカナダ国民によってなされている権利者の許諾を得ていない私的複製による権利者の損失は莫大なものであるというコメントは、著作権委員会に権限がないのなら、権限のあるところに言いに行くまでだという脅しとしか取れないので、これで本当に片付いたということでもないだろう。それでも、少なくとも、カナダでのiPod課金への道のりはこれで大分遠くなったと思われる。

(2)フランス
 第38回第53回のついでに少し取り上げたが、各種ネット記事(フランス語の記事1記事2記事3記事4記事5)によると、フランスの補償金委員会はこの1月23日に最初の投票を行い録音録画機能つき携帯電話へ課金する方針を固めたようであり、この2月19日に2回目の投票を行い最終的な意志決定を行うようである。やはり記事によると、128MB以上のメモリーを持ち、録音録画機能を有し、音楽機能専用のボタンがあるような携帯電話は全て、MP3プレーヤーと同じ料率で課金するということらしい。当然のことながら、メーカーと消費者は反対しているようであるが、この方針を見る限り、メーカーの主張も消費者の主張も完全に無視されているとしか思えない。

 だが、そもそも今の補償金についてですら消費者から既にフランス行政裁判所に訴えが提起されているほどに消費者の不信を招いていることを考えても、このような問答無用の対象拡大によってさらなる訴訟が起こされることも十分に考えられる。フランスも、この問題に関してはさらに手を焼くことになるだろう。(なお、フランスでは、ブルーレイとHD-DVDへの課金も、今年の検討課題としているようである。)

(3)EU
 各種ネット記事(フランス語の記事英語の記事1記事2記事3EUのプレス記事1記事2)によると、EUレベルでも著作権問題、特に私的複製補償金問題に関する検討を再開するようで、この6月くらいまでに関係者からのヒアリングを行い、8月くらいには何らかの提案を行いたいようである。また、どこからどういう関係で出てきた話かよく分からないが、やはり記事によると、実演家の権利を今の50年から95年に延長することも一緒に検討するようである。

 しかし、どのような検討をするにせよ、多国間でこのような検討をやり出すとどうしてもも上の保護レベル合わせることになるので、ロクな結果にならないのは目に見えている。保護期間延長を補償金切り下げのディールに使うつもりなのかも知れないが、大体、権利者団体側はその強大な政治力をフルに使って、補償金の切り下げの話には絶対に乗らずに、保護期間延長だけを取ろうとするであろうから、補償金問題については今の混乱の極みの中で以前と同じように暗礁に乗り上げる中、保護期間延長だけが決定されるというひどい結果になる危険性も高い。さらに、隣接権の話をするときには、必ずレコード製作者と放送事業者の権利もついて回るので、これらの権利まで一緒に延長された日には、もはや目も当てられない結果となるだろう。補償金問題を含め著作権問題は半年や1年やそこらで片付くような生やさしいものではないのであり、今後の検討において迷走することのないよう、EU当局の良識に期待したい。

 そして、権利者団体なり文化庁なりが、またぞろこのような動きを指して知財の保護強化が世界潮流だと言い出すことも十分予想されるのだが、EU統一という大きな流れを無視してそのようなことを言うのは、あまりにも浅はかであり、愚鈍の極みであるとここでは繰り返しておく。

 とにかく、著作権問題に関する限り、世界中でもめないことはないと言って良いくらいもめるのだが、権利者団体の政治力の強さと、「複製=対価」という著作権原理主義による洗脳工作が、世界中の政策当局の政策判断を狂わせていることには極めて強い憤りを覚える。「複製=対価」の概念で全てを塗りつぶし、権利者団体のみへ利益誘導を図ることは、インターネット時代の文化・産業政策として全く正しいものではない。

 なお、前回紹介したイギリスの違法コピー対策について、特に目新しいことが載っている訳ではないが、タイムズオンラインの記事を見つけたので、リンクを張っておく。また、他の関連英語記事によると、イギリスでは、インターネットサービスプロバイダーが、間違って告訴されたユーザーの訴訟費用負担のための拠出をレコード会社に求めていたりもするようである。レコード会社がそうそう金を出すとも思えないが、このようなユーザー保護策はもっといろいろなところで検討されても良いだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月14日 (木)

目次2

 単なる目次のエントリその2である。(このかわり映えしないブログを読んで下さっている方に心からの感謝を。)

第31回:ドイツの知財法改正案(民事手続きにおけるインターネット通信記録の利用)(2007年11月29日)

第32回:著作権保護技術(DRM:Digital Rights Management技術)の現状(2007年12月 3日)

第33回:ドイツの知財法改正案(続報)(2007年12月 4日)

第34回:スイス著作権法改正(DRM回避規制と国民投票運動)(2007年12月 6日)

第35回:放送通信融合法制という脅威(2007年12月 8日)

第36回:著作権法の「技術的保護手段」と、不正競争防止法の「技術的制限手段」の回避規制(DVDやCCCDのリッピングはどう考えられるか)(2007年12月11日)

第37回:「表現の自由」を持ち出すネット規制反対派は違法ダウンロードやネットいじめを黙認するのか、という暴論に対する反論(2007年12月14日)

第38回:ドイツとフランスの私的複製(私的録音録画)補償金に関する動き(2007年12月15日)

第39回:文化庁の暴挙に対する反旗(2007年12月19日)

第40回:ダウンロード違法化が国際潮流だとする文化庁の悪辣な欺瞞(2007年12月20日)

第41回:ダウンロード違法化問題に関する著作権フリー資料(2007年12月24日)

第42回:ダウンロード違法化におけるキャッシュの問題(2007年12月25日)

第43回:今年最後の落ち穂拾い(2007年12月29日)

第44回:文化庁公表の私的録音録画小委員会パブコメ結果について(2008年1月 8日)

第45回:私的複製の権利制限とDRM回避規制の関係(2008年1月10日)

第46回:規制の一般論(2008年1月12日)

第47回:文化を保護せず、天下り利権のみを保護しようとする文化庁の醜態(2008年1月14日)

第48回:コンテンツ産業の真の敵(2008年1月16日)

第49回:「Old Culture First」(2008年1月16日)

第50回:インターネットでサイトの届出制を採用しようとする警察庁の狂気(2008年1月19日)

第51回:インターネットの匿名性に関する誤解(2008年1月21日)

第52回:コピーフリー文化の重要性(2008年1月24日)

第53回:特許法・意匠法・商標法・不正競争防止法等々に関する動き(2008年1月25日)

第54回:警察庁提出パブコメ(2008年1月29日)

第55回:文化は天才のみが作るものだという誤謬(2008年1月31日)

第56回:インセンティブつき著作権登録制度の不可解(2008年2月 5日)

第57回:著作権管理団体の功罪(2008年2月 6日)

第58回:フィルタリング利権争奪戦の無様(2008年2月 9日)

第59回:無視する技術、寛容の徳(2008年2月13日)

第60回:イギリスの違法ダウンロード対策素案について(2008年2月14日)

≪番外目次2≫
番外その6:B-CASカード使用不正録画機器フリーオ(Friio)は取り締まれるか。(2007年12月22日)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第60回:イギリスの違法ダウンロード対策素案について

 2月12日付けの英タイムズ紙に、イギリスの違法ダウンロード対策の素案に関するリーク記事が載ったようである。

 タイムズの記事は私は入手できておらず、イギリスの文化省もこの件に関してコメントを避けているようで、信憑性は良く分からないが、関係のネット記事(ITmediaの記事日本語の記事BBCの記事(英語)BBCのブログ記事(英語))によると、2回のメールによる警告を無視して、さらに違法ダウンロード行為を繰り返した場合は、インターネットサービスプロバイダーがユーザーのアクセスを禁止するという、フランスの違法ユーザー対策に近いものを考えているようである。(フランスの違法ユーザー対策・著作権検閲法案については、第58回のついでに続報を書いた。)

 しかし、フランスでは著作権検閲のために公的機関を用意しようとしているのに比べ、これらの記事には公的な著作権検閲機関に対する言及はない。だが、イギリスは、著作権検閲・警告・アクセス禁止をインターネットサービスプロバイダーの責任とするような無茶な案を考えているのだろうか。

 フランスの案も実際の運用を考えると無茶があると私は思っているが、フランスの案をさらに超えて、通信の秘密を侵して著作権検閲を行い、警告を出し、ユーザーのアクセス禁止を行うことを全て民間企業の責任でやらせるのは、明らかに無理がある。そんな案はどこの国でも通らないに違いない。

 やはり公的な著作権検閲機関を用意することや、裁判手続きの利用などを考えているのかも知れないが、イギリス政府が公式にはノーコメントとしていることを考えても、まだそこまで内容は詰まっておらず、法案提出は当分先のことになるのではないだろうか。

 このようなイギリスに関する記事を読んでも、どうやら欧州の主要国は著作権検閲をやりたくて仕方がないようであるが、彼らの案はどれもこれも、どう考えても、著作権と通信の秘密などの基本的な権利同士の間のバランス、ユーザー・プロバイダー・権利者の間の権利と責任のバランスが欠けており、うまく行くとは到底思えないのである。

 今ざっと書けることだけを書いたが、この件に関しては、また書くことがあれば後日追加で書きたいと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月13日 (水)

第59回:無視する技術、寛容の徳

 ある公表情報について具体的な被害者が存在し、そこに具体的な加害行為があるのなら、表現の自由や通信の秘密などの基本的な権利が制限されることにもそれなりの妥当性はあるだろう。しかし、単に、有害な情報に毒される者がいるかも知れないだとか、自分はそのような表現を見たくないし他人にも見せたくないだとか言った恣意的かつ不合理な理屈で、一般的かつ広汎な情報規制を正当化しようとすることには私は断固反対である

 大体こうした理屈を持ち出す者は、「有害」や「違法」と言った情報に関する価値判断・道徳判断が、個々人の判断を超えて客観的かつ普遍的に規定できると考えているようなのだが、これほど間違った考えもない。それがどのようなものであれ、情報に関してある者の道徳判断・価値判断のみを正しいとして、他の情報、すなわち他の道徳判断・価値判断を法律で規制し、情報へのアクセスそのものや情報の単純所持を犯罪として禁止することは、ほとんど新たに思想犯罪を作るに等しい、極めて危険なことである

 今なお多数派の思想によって少数派の思想が迫害されても良いと考える人間がかなりいるのは実に不思議だが、思想弾圧・言論統制の人類と同じく長い歴史の中で、平和と人類の福祉のためにつちかわれてきた思想と行為の切り分けを無視し、行為を超えて思想を犯罪とすることは、人類の歴史に対する冒涜に他ならない。

 ある公表情報に、脅迫なり、名誉毀損なり、不正誘引なり具体的な被害が見える話であれば、その情報を公表した者を取り締まるべきというだけのことであり、それ以上でもそれ以下でもない。また、このようなケースにしたところで、それが情報である以上、その被害は常に個人的かつ相対的なものである。

 ポルノ規制に関しても、これは道徳判断・価値判断そのものであり、一般的かつ普遍的な基準は立てようがない。19世紀フランスではボードレールやフローベールの作品が猥褻と判断され、断罪されているが、今「悪の華」や「ボヴァリー夫人」を読んで、どれほどの者が猥雑観念を刺激されるだろう。日本でも、「悪徳の栄え」や「チャタレー夫人の恋人」、「四畳半襖の下張」といった作品群が最高裁レベルで猥雑とされているが、これらについて今出版されている完全版が摘発されたという話も聞かない。自称良識派が何と言おうと、もはや今となっては、具体的な被害者を想定できない文章や絵のみによる性表現の規制を正当化するに足る一般的なモラルはほとんど失われているし、これらは全く規制されるべきではないだろう。

 また、特殊なケースを取り上げて悪影響が云々と言う者もそれなりに見かけるが、全体として、性表現の規制と性犯罪の間に何らかの因果関係を見い出すことはできないのであり、具体的な被害者が想定できるポルノの販売等の行為については、既に全て規制の対象となっていることを考えても、これ以上の法規制は公権力による恣意的な運用による危険性を増す、規制のための規制にしかならないに違いない。

 その思想・表現がどんなものであれ、具体的な被害・加害行為を超えて、マイノリティの思想・表現そのものを犯罪とすることだけは絶対にしてはならない。有害な情報に毒される者がいるかも知れないだとか、自分はそのような表現を見たくないし他人にも見せたくないだとかいうような、情報における価値判断・道徳判断の相対性が全く分かっていない、自己の判断を他人に押し付けるだけの主張は、情報規制の要否の判断において全く取り上げるに値しないのである。

 伝達手段となるものが、本だろうが、テレビだろうが、インターネットだろうが、情報の本質には変わりはない。情報の価値判断・道徳判断は常に受け手の側で個人的になされるものである。気にくわない情報があるのなら、見なければ良い。保護下の子供に見せたくないなら、見せなければ良い。自分に実害が及ぶのであれば、訴えればよい。だが、その判断は常に個人的かつ恣意的で相対的なものであり、他人に押し付けられるものではない。

 こればっかりはいろいろな情報に触れる中で自ら体得するしかないことであるが、このように自ら情報を無視・取捨選択する技術、取捨選択した情報を元に自分なりの判断をする能力、そして自分の判断を他人におしつけないという寛容こそ、この情報社会において必須の能力だろうと私は考えている。

 少なくとも、日本の政策決定の中枢あるいはその近くでは、情報の特性をきちんと理解し、情報の毒の伝搬だとか、単なる生理的嫌悪感だとか、恣意的かつデタラメな理由で情報そのものの規制を言い出すようなことがなくなることを私は願ってやまない。

 さて、とりとめのない話はこれくらいにして、ドイツでのメーカー対著作権管理団体のマルチファンクションプリンターに関する私的複製補償金賦課の是非を問う裁判の判決が出されたという記事(最高裁のプレス記事ドイツ語の記事1記事2)があったので紹介しておく。この記事によると、判決では、マルチファンクションプリンターで補償が必要なほどの数の著作権で保護されている作品のコピーをしているとは考えられない、あるいは、機器の値段に対して不当に補償金額が高すぎるといったメーカー側の主張は退けられ、旧法(ドイツの補償金改革については第15回に書いた。)では、著作権で保護を受ける作品がコピーされる程度や機器の値段などは考慮されるものではなく、2007年末までに販売した分の補償金については旧法の規定通りに支払うべきであるとして、メーカー側敗訴を言い渡したようである。また、新法についてはこれからのこととして判断を避けたようである。確かに、法律を厳密に字句通り解釈して、最も手っ取り早い判決を出せばこうなるだろうが、これまた将来に禍根を残すだけのひどい判決である。(なお、単体プリンターについては、第38回で書いた通り、補償金賦課の対象とならないことが確定している。CDなどのデュプリケータやPCに関する判決もこの春くらいには出されるようである。)

 なお、前回の話を書いた後で、IT安心会議というご大層な名前の関係省庁連絡会議でまとめられた「インターネット上における違法・有害情報に関する集中対策」という位置づけの良く分からないペーパーが存在していたことに気がついた。ネット規制絡みの話では何かの参考になるかも知れないと思うので、念のため、ここにリンクを張っておく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 9日 (土)

第58回:フィルタリング利権争奪戦の無様

 携帯におけるサイトのフィルタリングをどうするかということが喧々囂々の大議論となっているが、そもそもインターネットでの情報利用にはリスクもあるので、このリスク回避のためのコスト・メリット市場も既にできており、その中でそれなりのバランスは取られて来ていたはずである。コストの方が過大にすぎることによってこの市場が失敗するようなら、政府による規制が必要とされることもあるだろうが、今のところフィルタリング市場が失敗しているという話も聞かない。競争原理によってきちんと発展が見込める分野においては、消費者・ユーザーの選択肢がつぶされないようにすることこそ重要なはずなので、フィルタリングに関する今のこの大騒ぎも、官民の役割分担が曖昧なこの日本で官が暴走したことから生じた無駄なコスト以外の何物でもないと私は考えている。

 まず、確認のため、携帯電話におけるサイトのフィルタリングに関して、私の知っている限りで最近の流れをここに書いておくと、

昨年12月10日:総務大臣が18歳未満の利用者へのフィルタリング原則導入を携帯電話事業者に要請(総務省の報道資料参照)

1月10日:警察庁による、フィルタリングの義務化を含んだ出会い系サイト規制案のパブコメ募集(第50回参照)

1月28日:内閣府がフィルタリングに関する印象操作調査を発表(発表資料参照。これに印象操作が含まれていることについては第54回に載せた警察庁へのパブコメ参照)

1月29日:総務省が突然フィルタリングのホワイトリスト方式は好ましくないと言い出す。(cnetの記事ITmediaの記事参照)

2月5日:民主党が違法・有害情報の規制法案のたたき台案をまとめる。(マイコミジャーナルの記事参照)

2月8日:自民党(首相)も有害サイト規制に前向きな姿勢を示す。(中日新聞の記事参照。そもそも具体的な被害を超えて、情報に毒されるという考え方がおかしいのだが、その話は次回に。)

3~?月:自民党、民主党のそれぞれで有害サイト規制案を作る?

4月:総務省の「インターネット上の違法・有害情報への対応に関する検討会」でフィルタリングに関するとりまとめを予定。(恐らくこのとりまとめ前後にまたパブコメを出す機会があるのではないか。)

となるだろうか。

 とにかく、官僚も議員もよってたかって無意味な有識者会議や規制案をバカみたいに沢山打ち上げ、国民の血税を無駄に浪費していることからして許し難いのだが、中でも、フィルタリングについて言を左右して世の中に無駄な混乱を巻き起こしている総務省の罪は特に重い。皆当たり前のように思ってしまっているのかも知れないが、このような根拠のない行政指導による規制は、規制の責任をさらに不明確にする最低のやり方だと思って良い。集客と健全化の両方にきちんと努力している真面目なサイト事業者まで規制で排除されてしまうのでは、一体何のためにやっているのかすら良く分からない。コミュニケーションはどんなサイトでも可能なのであり、無駄な規制はかえってモラルハザードを引き起こすだけである。第54回に載せた警察庁へのパブコメでも書いたことだが、この問題は、フィルタリングの存在を知り、かつ、フィルタリングの導入が必要だと思っていて、なお未成年にフィルタリングをかけられないとする親に対して、その理由を聞くか、あるいはフィルタリングをかけている親に対して、そのフィルタリングの問題を聞くかして、きちんと本当の問題点を示した上で議論されるべき話であり、一律のフィルタリング規制を正当化するに足る根拠は今のところ何一つ示されていないと私は考えている。

 私自身はフィルタリングを原則化すること自体根拠がなく、また意味もないだろうと思っているが、フィルタリングの一律導入を前提とした上で、事業者が良いと認めたサイトのみにアクセスすることができるようにするホワイトリスト方式が良いか、事業者が悪いと認めたサイトにアクセスさせないようにするブラックリスト方式が良いかということも議論になっており、事業者と総務省の間の争点にもなっている。ここで、何故ホワイトリスト方式にこだわる事業者がいるかというと単純明快で、要するに、携帯電話が寡占業界であるため、ホワイトリスト方式の一律規制導入によってサイト運営事業者の囲い込みが正当化されるからである。未成年保護を言い訳に、行政指導をダシにして、囲い込みを正当化しようとする携帯電話事業者の姿勢にはあきれるばかりである。

 役所にしたところで、著作権管理団体と結託して適法サイト認定をやろうとしている文化庁のやり口も、モバイルコンテンツフォーラムと結託して健全サイト認定をITmediaの記事モバイルコンテンツフォーラムのHP参照。それにしても、このような健全サイト認定とブラックリスト方式推奨の整合をどう取るつもりなのか、総務省の考えは本当に理解しがたい。)やろうとしている総務省のやり口も、インターネットホットラインセンターと結託して出会い系サイト届出制をやろうとしている警察庁のやり口も、要するに役所・法律のレベルでインターネットサイトのホワイトリスト規制をやろうとする極めて悪質なものばかりである。これらは、未成年保護なり著作権保護なりを言い訳にして、検閲を正当化し、サイトの認定料からもたらされる利権を天下り団体に与え、自分たちの天下り利権の確保・強化をねらっているものとしか思えないのである。同じく無意味な規制強化案を打ち出してくる議員たちも同じ穴のムジナであろう。第46回の規制の一般論で書いた通り、問題があることのみを強調して規制を正当化する思考停止ロジックには一分の利もないのである。

 そんな見え透いた手に引っかかるユーザー・消費者・国民はもはやいないというのに、このように政官業三つどもえになって無駄に利権を作ろうとし、取らぬ狸の利権争奪戦を行っている様は見苦しいとしか言いようがない。利権を作るためにどぶに捨てている社会的コストを、もっと地道な取り組みに振り向けなくてはいつまで経っても本当の問題解決はおぼつかない。フィルタリングに関してもその本当の問題がどこにあるのかということをまず明らかにしてから議論をしなければ何にもならない。利権を作りたいだけの無駄な規制で国益を毀損する権利など誰にもないのだ。

 ついでに、ネットで見かけたニュースの紹介もしておこう。

 まず、インターネットホットラインセンターの運営ガイドラインがパブコメにかかっているが、民間団体のパブコメとは一体何なのかさっぱり理解できない。自ら天下り半官検閲センターであることを白状しているに等しいこのような所行にはもはや二の句が継げない。

 また、フランスでは、第29回で紹介した、著作権検閲法案の最初のテキストが、この2月5日に関係者の間に回されたとの記事があったので、念のため、リンクを張っておく。この記事の法案紹介によると、違法なファイル交換を行ったユーザーに、2回まで注意を行い、2回目の注意から6ヶ月以内にさらに違法行為を繰り返した場合、1ヶ月のインターネットへのアクセス禁止の罰を受けるようにすることをフランスは考えているらしい。このアクセス禁止期間は場合によっては1年まで伸ばされるが、ユーザーには裁判で事の是非を争うこともできるようにするらしい。この案はフランス文化通信大臣から、フランス国務院に渡され、2月末には国務院の意見が出されるようである。実際の運用を考えると無茶な法案であるが、また何か続報があれば紹介したいと思っている。

 アメリカでも、知財保護強化法に対するヒアリングが行われているようで、やはり保護強化(アメリカの著作権法では、著作権登録によって、現実損害の賠償に代えて、現実損害額の証明なしで、取得できる損害賠償額を求めることのできる法定賠償請求権が発生する。そもそもこのような権利があること自体いかがなものかと思うが、改正法案ではこの法定賠償金額が莫大なものにはねあがる危険性が高い。)の強化に対する反対がユーザー企業などから出されているようである(ドイツ語の記事提出されたテキスト。「パテントトロール」という言葉は良く見かけるが、記事のタイトルにもなっている「コピーライトトロール」という言葉は珍しいように思う。)

 さて、次回は、今回の話と絡むこととして、情報リテラシーの話を書こうかと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 6日 (水)

第57回:著作権管理団体の功罪

 前回に少し書いた通り、著作権管理団体(権利者団体と同義で使われることも多いが、著作権管理をしているからと言って権利者皆が団体に所属している必要は実はなく、権利者が参加している団体だからと言って著作権管理をしているとは限らない。)による杓子定規の権利行使と利用許諾が昔から問題にされており、そしてこれからも問題にされて行くことだろうが、このような杓子定規の著作権運用も、単に経済効率だけを考えれば一概に非難できないので、このような権利の集中管理が、著作物の利用の円滑化にも貢献してきたところがあったことはまず認めておかなくてはならない。少なくとも、それなりの資本力を持ち、まともなコンプライアンスを行う企業にとっては、ある特定の分野の著作権の権利処理コストを包括的に事業の中にビルドインできることは有り難いことでありこそすれ、特に非難することではないに違いない。

 では、何故、今、JASRACを筆頭とする著作権管理団体にユーザーの非難が以前に倍加して集まっているかというと、やはり、インターネットの普及以降の著作権の拡散現象によって、著作物の創作・流通・利用における一般ユーザーの地位が相対的に高まってきているにもかかわらず、この著作権管理団体の管理システムが一般ユーザーのことを考えたものとまるでなっていないことが主な原因であろう。

 要するに、一般ユーザーから見ると、この管理システムは大規模すぎ、運用が硬直的で柔軟性に欠けているため、全く利用する気にならないのである。だからこそ、権利者団体とユーザーの溝がこれほど広がり、著作権管理団体は独占による利益をむさぼっているだけのユーザーの敵と言われたりするのだ。

 ただ、多くの著作権を委ねられた営利団体にとって、完全に一律の権利行使と利用許諾が一番効率が良いのは当たり前であって、文化的にはどうあれ、ビジネス的には全く正しい行動である。著作権では個人だったら見逃すだろうといった些細な利用事例について、このような見逃しをどこまで認めるかは広く多く権利を委ねられた営利団体では判断できない話である。(無論、著作権等管理事業法では、正当な理由なく利用許諾を拒んではならない旨が第16条に規定されている訳なので、ユーザーから利用許諾を求めれば良いという議論もある程度は正しいのだが、この利用許諾にかかるコストのことまで考えると、大規模な利用を考えているのではない一般ユーザーにとってはやはり非常に厳しい。)

 しかし、一般ユーザー・個人による著作の創作・流通・利用が相対的に高まっている中で、このような硬直的な運用はどんどん社会的に通用しないものとなって行くことだろう。各団体がどのような事業運用をするかは、当然のことながら各自のビジネス判断であるため、ユーザーから見てどうこういう筋合いの話ではないが、クリエイティブコモンズのような取り組みの高まりなどを見ても、インターネットによるオンラインでの信託や利用許諾、非商用の利用については権利行使をしないといった柔軟な条件設定を可能とするなどの対策を取らないようでは、時代に乗り遅れ、今後も、ユーザーとの溝はますます広がっていくだけだろう。著作権法や著作権等管理事業法にこのような柔軟な運用を妨げる要素がある訳ではなく、本質的にこのような運用を妨げているのは彼らの中に極めて深く浸透している「複製=対価」という間違った概念のみである。かなり時間のかかることとは思うが、「複製=対価」の世界で全てを塗りつぶすのではなく、「情報の利用=無償かつ自由」の世界を常に作っておいた方が、最終的には文化の発展にも、引いては産業の発展にも寄与するという認識がもっと広まれば、自ずと状況は変わってくるだろうと私は思っている。

 ここまでは、事業運用とビジネスの話であり、ユーザーから見てシステムが使いにくいとは思っても、好きにやっていてもらって全く構わない話である。しかし、独占と天下りの弊害は、著作権管理団体を語る上でどうしても飛ばすことはできない

 既存のコンテンツ流通手段に自らの著作物を乗せるには、そこにほぼ独占的に利用許諾を行っている団体と、選択肢の少ない信託契約を結ぶことを余儀なくされることがあるという状態は、ビジネス環境として全く健全なものではない。さらに、使用料と分配率がこの団体によって主導的に決められるのでは、独占による弊害が発生していないと考える方がおかしいくらいである。さらに、この独占利益で天下り役人を飼い、監督官庁も抱き込んで独占利益を最大化しようとするに至っては弊害はその極みに達しているとしか言いようがない。

 ダウンロード違法化問題一つとっても、このような構図が透けて見えないことはないのであって、このような法律を濫用した官民談合はいくら非難しても非難しすぎということはない。著作権法、あるいは著作権等管理事業法自体が、独占禁止法の例外となっているかのように錯覚している者も多いのかも知れないが、個別の権利において独占的な利益が認められることは、さらに権利を非競争的手段で集めた場合の独占利益まで合法化するものではない。個別のケースで例外にすることが定められているにせよ、独占禁止法や各種知財法をいくらひっくり返したところで、こんな集合的な独占利益を正当化する条文は出てこない。ここにもまた、公正取引委員会の仕事の余地があると思っているのは私だけではあるまい。
 当たり前の話であるが、知的財産権による独占は知的財産権自体の不当な独占を正当化しないのである。

 何にせよ、このような問題を引き起こしているそもそもの根源である著作権等管理事業法施行規則)自体についてももっと詳しいことを書きたいと思っているのだが、それは折りを見て書くとして、ひとまずこれくらいにしておく。

 さて、ついでに、この1月23日に、ドイツのデュッセルドルフ地裁で、著作権管理団体対ファイルホスティングサービス事業者の著作権侵害事件において、サービス事業者側を負けとする判決が出されたというニュース記事(ドイツ語の記事1記事2日本語の記事)が出ているので、遅ればせながら紹介しておこう。英語からの翻訳らしいこの日本語の記事は、この判決でドイツでのオンラインファイル共有サービスがなくなるかのような書き方をしているが、単に地裁の判決が出ただけで、ドイツ語の記事を読むと、サービス事業者側もこの程度で負けを認める気はないようであり、そこまでの話ではない。著作権問題においては、ユーザーの責任もそうだが、サービス事業者の責任についても、今後かなりの時間をかけて判例と法律の整理がなされて行くことになるだろう。

 次回は、少し知財からずれてしまうが、やはり今話題のサイトのフィルタリングの話をしてみたいと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 5日 (火)

第56回:インセンティブつき著作権登録制度の不可解

 現行の著作権法にも登録制度はあるが、移転などについての第3者対抗要件となっているだけ(著作権法第77条)であり、いわゆるコンテンツ企業などでもこの登録制度を利用しているところはほとんどないのではないかと思われる。このような現行の著作権法に、インセンティブつきの登録制度を上乗せして作るべきか否かということが議論されており、多分今後も議論されて行くことだろうが、まず始めに書いておくと、何故皆そんなにこの登録制度が好きなのか私にはさっぱり分からないのだ。

 登録制にも良いところはあるのは私も認める。著作権法以外の知財法で、特許法・意匠法・商標法などでは、審査登録制が採用され、権利有無と帰属が明確にされるとともに、基本的に利用者の悪意を擬制して権利の存在を知らなかったという抗弁は許されない強い権利とされることで、登録へのインセンティブが与えられ、権利の発生と利用におけるバランスが取られている。このような法制が、技術と業における安定秩序の形成に貢献しているのは確かだろう。(特許権などについては、かえって権利が強すぎて企業コンプライアンスにおいて加重コストが発生しているという問題があるが、ここではひとまず置く。)

 しかし、特許法などの法律が、インセンティブつきの登録制度を取ってそれなりにバランスが保たれているのは、これらの法律が、無体物である情報そのものではなく、基本的に有体物への情報の利用を規制することで知的財産の保護を図っているところにとどまっていること、特定業界を対象としない業規制法である(権利が及ぶのは基本的に業としての権利の実施に限られる)こと、業規制法であるため、権利の発生と利用にそれぞれそれなりのコストがかかったとしても、市場の中にコストとしてビルドインすることが可能であることによっているのは忘れられがちである。

 それに比べ、著作権法についての考察では、文化は経済原則のみによれば良いというものではないということを、今のところ著作権法は複製という情報伝達に必要不可欠な行為を規制しようとしているものであることを、常に頭においておく必要がある

 まず、そもそも現行の著作権法ですら、ウィルス作者の別件逮捕に使われるほど便利で、これ以上の保護強化にはかなりのデメリットをともなうことを考えると、現行制度にさらに登録で何らかのインセンティブを権利者に与えることは、インセンティブ次第でかなり危険なものになると考えざるを得ない。

 そして、市場の中でほぼコストを吸収することが可能な特許法等の世界に比べ、著作権法の世界では、市場で消費されるコンテンツのみを考えれば良いということはなく、かえって市場からはみ出ている著作物の方がはるかに多いくらいであることを考えると、インセンティブとして働くほど強いインセンティブを登録に与えてしまった途端、この登録と利用にかかるコストがかえって大多数の人間に対するディスインセンティブとして働いてしまうことになると思われる。すなわち、登録制度をまともに機能させるためには、著作物の公表・流通・利用の前に、あらゆるユーザーに必ずその登録簿を確認させるに足るくらいの悪意推定が必要なはずであるが、この著作物の登録・利用にかかるコストは制度のデメリットとなり、このコストを下回る創作活動に対するディスインセンティブとして働き、本当に重要な草の根の文化活動をつぶすことにつながりかねないのである。

 人の著作物を勝手に登録する行為や、登録を利用した詐欺が起こる可能性も高いが、審査にかかるコストのことを考えると、著作物の厳格な事前審査も社会的コストの面から言って是認され得ないだろう。

 権利行使のときに登録すれば良いとするような法制も考えられるが、そうした途端、登録の唯一のメリットである権利の帰属関係の明確化すらできなくなり、もはや登録制度は何の意味も持たなくなる。アメリカでは、(侵害に気づいた時点で行っても良いらしいが、)登録の有無により権利侵害における救済に差が出る法制(この点については、ブログ記事が良くまとまっていて分かりやすいと思う。)が今でも残っているが、煩雑な手続きのコストと、救済に差が生じることについて一般ユーザーから見て納得性がないことを考えると、このアメリカの制度も決して褒められたものではない。

 さらに、今も本当の創作者に替わって権利行使と利用許諾を行う登録機関として、各種著作権管理団体が存在している訳だが、あまりに杓子定規な権利行使と利用許諾を行うことから大きな批判を受けている。登録に権利行使や利用許諾まで委ねることまですると、同じくお役所の杓子定規な運用によって、全く同じ批判を集めることになるだろう。

 要するに、経済原則のみによって著作権を成り立たせて良いなら、強力な著作権登録制度の導入も一つの選択肢ではあるが、そもそも文化は単純にコストとメリットで計られて良いものでも、文化的な営為に登録・利用コストという一律の奇妙なしきい値を立てて良いものでもない

 結局、インセンティブつきの著作権登録制度という、一種の経済原則に基づく情報規制は、考えとしては興味深いし、今後も議論されて行くことと思うが、著作権法の本質的な問題解決の役にはあまり立たないだろうというのが私の考えである。

 先週から時間が空いたので、少し溜まってしまったが、あと、一通り国内外のネット記事の紹介もしておきたい。

 まずは、前回も紹介したところで、インターネットサービスプロバイダーからメディア企業への民事裁判における個人情報開示は不適当としたEU裁判所の判決が載っているところへのリンクをここに張っておく。この最終判決は、EU諸国に著作権と他の重要な権利とのバランスをきちんと取るように促しているが、これで今後のEU諸国の政策動向にどのような影響が出てくるかは注目して行きたいと思う。(著作権とプライバシーの問題は今後日本でも問題になって行くだろうと思うので、近いうちに考えをまとめておきたいと思っている。)

 この話も「P2Pとかその辺の話」で先に紹介されているが、念のため、ここでも紹介しておくと、イタリアの新しい著作権法では、非営利の場合に限り、研究・教育を目的として、音質を下げた音楽データをインターネットに無償で自由に公開して良いとされたようである(イタリア語の記事スラッシュドットの記事英語の記事イタリア語の条文)。条文へのリンクを見て頂ければ分かると思うが、特に問題となるのは著作権法の以下の部分(翻訳は拙訳)である。

70. 1-bis E'consentita la libera pubblicazione attraverso la rete internet, a titolo gratuito, di immagini e musiche a bassa risoluzione o degradate, per uso didattico o scientifico e solo nel caso in cui tale utilizzo non sia a scopo di lucro. Con decreto del Ministro per i beni e le attivita culturali, sentiti il Ministro della pubblica istruzione e il Ministro dell'universita e della ricerca, previo parere delle Comissioni parlamentari competenti, sono definiti i limiti all'uso didattico di cui al presente comma.

第70条第1の2項 そして、その利用が営利のためになされるものでない場合に限り、研究あるいは教育のために、解像度を下げられた、あるいは質を下げた、画像と音楽は、無償で、インターネット網で自由に公開することが認められる。この項に記載された教育目的の利用は、公教育大臣と高等教育大臣の意見を聞き、あらかじめ国会の管轄委員会の意見を受けてから、文化活動・文化財大臣の命令によって定められ、制限される。

 確かにこの権利制限の条文は、P2PにおけるMP3データのファイル交換をある程度合法化するもののようにも読めるが、本当にP2Pを合法化する法改正とも思えないので、この運用についての詳細が分かれば是非紹介したいと思う。ただ、このことについてはネットでどこまで分かるか良く分からないので、もし詳しいことをご存じの方がいれば是非教えて頂きたい。

 2007年7月の記事であるため、いささか旧聞に属するが、ドイツの刑事当局がネット上での著作権侵害事件を取り上げることを拒否し始めていたということを示す記事(ドイツ語英語)が上の記事のリンク中にあったので、念のために、これも紹介しておきたい。記事によると、オッフェンブルク地裁が、去年に、全体で多くのファイル交換がなされているにせよ、一人あたりで考えると刑事罰をかけるに足る犯罪事実がないとしてユーザーへの刑事訴追を拒否する判決を出していたようである。やはり同じ記事によると、至極もっともなことに、この判決は、10000件以上の刑事告発をもたらす法律は、立法の方がおかしいとも言っているようである。だが、この判決がどうあれ、最近ダウンロード違法化を明確化した法律を施行したばかりであることを考えると、ドイツの状況は泥沼化の一途をたどるだろう。何にせよ、世界で唯一ダウンロード違法化を強力に推進しているドイツの状況は、今の日本の法改正騒動においても参考になると思うので、今後も分かる限り紹介して行くつもりである。

 先延ばしになっただけであるので、全く安心はできないが、文化庁で、1月末に親審議会である著作権分科会が開催され、ダウンロード違法化問題も、補償金問題も来期に正式に先送りにされたとの記事(日経BPの記事ITmediaの記事internet watchの記事)が出ているので、これも念のためにリンクを張っておく。

 また、知財本部では、2月1日にコンテンツ・日本ブランド専門調査会・コンテンツ企画ワーキンググループが開催(議事次第)され、「デジタル時代におけるコンテンツ振興のための総合的な方策について」(概要本文)といった報告書が出されている。
 今回は、著作権法に関して変な記載がある訳ではなく、非常におとなしい報告書なので、特段突っ込みを入れるところはない。恐らく、次の知財関係の大きなパブコメ募集は知財本部になると思うので、そのときになったら、知財本部絡みの報告書についてまた細かな突っ込みを入れたいと思っている。

 折角今回少し触れたので、次回は、著作権管理団体の功罪について書いてみようかと思っている。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »