第49回:「Old Culture First」
権利者団体が、また集まって「Culture First」なる標語で、補償金制度の維持・拡大を求めているようである。(ITproの記事、internet watchの記事、ITmedia記事)
今の補償金は文化の発展のためにカケラも役立っておらず、単に既存の権利者団体の既得権益と化していることこそ、補償金制度改革の最大のネックになっているのだと、私はこのブログで何度も繰り返してきた。
とにかく補償金が減ったので増やして欲しい、ただし、団体同士あるいは団体内での権益配分は今のままどんぶり勘定でと言っても、そんなことで国民の理解が得られると思う方が間違っている。もともと正当性があやふやであった金について、これが減ったから増やせということには、何の利も正義もなく、ただひたすら不当である。
権利者団体が、補償金を本当に文化全体のことを考えて補償金を使いたいと考えているのなら、そこには、新しい文化への理解が、新しい文化のためにその用途を振り向ける提案があって良かったはずだが、様々な報道や記事を読んでいて、そのような提案はついぞ見かけなかった。彼らの主張は、いくら文化の外面をかぶろうと、要するに、今までの不労所得が減ったので、これを増やしてくれという老人の妄言に過ぎない。
そんな連中があたかも文化全体を担っているかのごとき顔をするのは許されない。単なる権利者団体が、あたかも自分たちのみが文化全体の旗手であるかのごとき顔をして、「Culture First」など言うのはおこがましい話である。補償金制度について何ら新規な提案をできず、壊れたレコードのように同じことを繰り返し言い続けていること自体、自分たちが伝統文化と化したことを、斜陽文化と化したことを告白しているに等しい。その標語も「Old Culture First」と変えたが良かろう。
(だからと言って私は、古い文化が潰えて良いなどというつもりは全くない。古い文化なら古い文化なりの保護をするべきなのであって、権利者団体は素直に自らの文化とビジネスモデルの敗退を認めて、古い文化としての保護を求めれば良いと言っているだけのことである。)
補償金が減ろうが増えようが、有ろうが無かろうが、そんなことで本当の文化はびくともしない。そもそも人類の歴史において文化のない時代は無かったが、著作権制度はごく最近に作られたものに過ぎず、補償金制度に至ってはさらに最近のものである。それこそ著作権制度を全て無くしたところで、本当の文化は無くなりはしないだろう。
既存の既得権益団体のためのみに不当に強化された著作権制度など、もはや文化の営みに歪みをしかもたらさない。文化の最先端は常に新しいところにある。インターネットユーザーこそ今の本当の文化の旗手であると私は断言する。私は無名の一ブロガーに過ぎないが、断固としてここに立つ。
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