第51回:インターネットの匿名性に関する誤解
ネット規制の問題で大体セットになって出てくるのが、ネットの匿名性の話である。
例えば、ネットを実名制にするべきだという話も良く見かける。しかし、第37回などでも書いたように、プロバイダー責任制限法や警察や裁判所の令状に基づいて今でも情報開示がなされることを考えると、ネットにおける匿名性は完全無欠なものでは全くない。それどころか、技術的なことも考えると、ネットにおける匿名性などほとんど確保されていないに等しいと私は思っているのだが、それにも関わらず、このような議論が是々非々で常に続いていることが私には不思議でならない。
すなわち、ネットでの匿名性は、インターネットに関する技術と法律について勘違いをしているユーザーが極めて多いということによって擬似的に担保されているに過ぎないと思われるのだが、単にネットで自分と異なる意見を匿名で書き込まれるのが気にくわないという個人的な怨恨(無論、これがその人の財産なり身体の安全なりを具体的に脅かすようなことが書き込まれたという話であれば、今でも民事・刑事による対応が可能なのだと念のため繰り返しておく。この財産の中に知的財産権が入ることにも異論はないが、「財産権≠知的財産権≠著作権≠複製権」であることも繰り返しておこう。)を超えて、技術的なことと法律的なことについてきちんと調べ、考えた上で、ネットの実名制を主張している規制賛成派が一体どれくらいいるだろうか。
まず、技術的なことから書いて行くと、インターネット上の情報は、必ずIPパケットに分割して送られるが、このパケットには必ず、送信元のサーバーのIPアドレスと送信先のサーバーのIPアドレスが入っている。インターネットの通信は、まず送信元のサーバーからパケットを送られた中継サーバールータが、その送信先のIPアドレスを見て、次にどのサーバーにパケットを送るのが適切かを判断して、次の中継サーバールータに送るということを、最終的に送信先のサーバーに届くまで繰り返すことで実現されているに過ぎない。携帯電話では最初のサーバーまでの通信が無線でなされるというだけのことで、PCからであろうと、携帯電話からであろうとインターネットを使う限り、この仕組みに違いはない。(あまり例えは良くないかも知れないが、これは、郵便局が、ポスト→集配所→中央集配所→各地の集配所→家庭の郵便受けと、宛先の住所を見て順番に手紙を送っていることとそれほど違わない。)
そして、通常、送信元のサーバー、中継サーバー、送信先のサーバーの全てで通信記録(ログ)が取られていると考えられる(何かトラブルが発生したとき、このログがないと技術者は対応できないため、ほとんどのサーバーで取られているものと思う。なお、このログの保存義務の話は別論としてあるので、またどこかで取り上げたいと思う。)ため、インターネットにおける情報の発信者を突き止めることは、各サーバーの管理者(インターネットサービスプロバイダー等)がそのログを開示しさえすれば、それほど困難なことではないはずである。
(プロクシサーバーのような中継サーバー技術を使えば、途中でそのサーバーから発信したように見せかけることもできるが、中継サーバーを逆にたどって行けば、発信元を突き止めることはできるので、あまり本質的な偽装にはなっていない。送信元のIPアドレスを始めからパケットレベルで偽装することも、技術的にやってやれなくはないが、かなりの技術知識がないとできないため、ほとんどそんなことをしている人間はいないのではないかと思われる。メールにしても何にしても、インターネットにおける通信を技術的に途中で傍受することは極めて容易である。技術的に容易なことと、それが法律で許されるかは別な話であるが、秘密にしたい情報の通信を暗号化せずにインターネットで行うのは、はっきり言って愚の骨頂である。)
そして、何度も繰り返すが、法律的に、警察なりがきちんと刑事上の手続きを踏めば、このログが開示されないことはないのである。現地警察との連携が必要となるかも知れないが、海外サーバーへの書き込みにしても、発信元が日本である限り、必ず日本のサーバーが発信元となり、中継を行っているはずで、発信者の特定が最後不可能ということはないはずである。(ただし、ここら辺の実務を私も詳しく知っている訳ではないので、何か特別な事情があるということを知っている方がいれば、教えて頂きたいと思う。)
ネットでは匿名性が完全に確保されていて、どんなことを書き込もうが完全に自由であるなどということは、日々ネットへの書き込みで逮捕者が出ていることから考えても、幻想であると誰もが悟らなくてはならない。皆がやっていることだから自分もやっても良いだろうなどということはない。そのような主張も間々見かけるが、そんなセリフは、理性的な判断が期待される大人のものではない。
かえって、このように技術的にインターネット上で匿名で通信を行うことが困難であるからこそ、他人の財産や身体の安全に具体的な害が及ぶ情報の書き込みでない限り、表現の自由や通信の秘密、検閲の禁止といった原理は必ずネットで確保されていなければならないというのが私の意見である。その意見が自分と違うことのみをもって怨恨を抱き、正当な反論以外の不当な手段によって他人の意見を圧殺しようとする人間は昔から後を絶たないのだ、世の中には匿名でしかできない意見表明もある。ある人間がどのような情報にアクセスしたかを他人が知り得たら、その人の情報アクセスに確実に影響が出るのだ、公表された情報については、これを匿名で読む権利も人にはある。人間の行為をコミュニケーション手段の問題にすり替え、コミュニケーション手段そのものを管理・圧殺しようとすることは、古来より権力者たちが幾度となく試みてきたことであるが、それは常に国の暗黒時代を招き、失敗してきたのである。
皆インターネットを過大評価しすぎているのではないだろうか。インターネット自身はどこまで行っても単なる情報通信手段・コンテンツの流通手段・コミュニケーションの場に過ぎないのである。これが極めて便利だからといっても、それは非難されるべきことではなかろう。
学校裏サイトの問題にしても、いくら学校裏サイトを潰そうが、インターネットへのアクセスを禁止しようが、最後匿名でのいじめはリアルでも可能であることを忘れていないだろうか。有害・違法サイトの問題にしても、サイトに載っているのはどこまで行っても単なる情報なのであり、それ自体では有害でも違法でもあり得ないことを忘れていないだろうか。現実の問題がネットに漏れ出しているだけであるにも関わらず、あたかも、ネットそのものをなんとかしさえすれば、問題が解決するかのごとき印象操作が行われているのではないか。
もはや、いじめは何故いけないのか、何が社会的に有害な行為なのか、違法な行為なのかということを、法律と技術の知識を前提に、全ネットユーザー・全国民にきちんと教えなければならない時代になっているのであって、この国民教育を怠れば、どんな規制を作ろうと、最後何の効果ももたらさず、事態を悪化させて終わるだけであろう。また、このような法律と技術の両方を良く知った上できちんとした教育をできる者がほとんどいないとしたら、どんなに時間がかかろうと、まずこのような教師の養成をすることから始めなければならないだろう。
(それにしても、日本の最高学府を出たと思しき官僚たちの書くペーパーから見て取れる、その情報リテラシーの低さは喫緊の大問題である。役所からの情報漏洩が止まらないのも無理はない。まず彼らに正しい情報教育を施すことから始めるべきだろう。それでも情報の何たるかについて理解できないようであればもはや手に負えない。教育によっても改善が見られないような有害無益な官僚にはすみやかに仕事を辞めてもらうしかない。)
ネットでの情報利用には今でも常にリスクと責任が伴っているということを本当にネットユーザーの一人一人が意識して始めて、ネット犯罪の問題は収束に向かうだろう。繰り返しになるが、インターネットはまだ生まれたばかりで、本当の意識改革はこれからである。拙速な規制はこの意識改革を止め、ネットの暗黒時代を招く愚策であると私は何度でも言い続けるだろう。
私がネット規制賛成派に期待したいことは、最後、このような技術と法律の実態も踏まえて議論してもらいたいというだけのことである。実態を良く知らずに規制に賛成することは、常に、自分たちの権限に対する制約を外して権限を伸ばしたがっている役人たちに乗じる隙を与えることに、今まで確保されていた貴重な国民の自由をみすみす国賊官僚どもに売り渡すことになるのだから。
次回は、「コピーフリー文化」と題して、また知財の話をするつもりである。
(1月22日の追記:通常ログが残るのはWEBサーバなどであり、上で「中継サーバ」と書いたものは通常はHDを搭載していない「ルータ」と呼ばれるネットワーク機器であるため、ここでログは残らないという指摘をコメントで頂き、確かにその通りだと思ったので、そのように訂正した。)
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コメント
どぉも。はじめまして。メールがあればそちらにお送りしたのですが、
以下の内容が実態と違いそうなのでご連絡だけ。
下で中継サーバと書かれているものは通常ネットワーク機器(ルータ)が
利用されています。ルータはパケットを転送する機能に特化した機器で
HDなどを搭載していません。
ですので下で中継サーバと書かれている箇所ではログはのこりません。
法律上も通信の秘密を守る義務があることからISP側ですべての
通信ログを取得することは行っていないと思われます。
大量のストレージ容量のコストもかかりますし。営利企業としても維持が
不可能ではないかと。
中継経路のログがないこと、WEBサーバなどのログがあるため違法行為を
行った際の匿名性がないことも変わりませんし。論旨に影響を与えるもの
ではないのですが。ご連絡まで。
>インターネットの通信は、まず送信元のサーバーからパケットを送られた中継サーバーが、その送信先のIPアドレスを見て、次にどのサーバーにパケットを送るのが適切かを判断して、次の中継サーバーに送るということを、最終的に送信先のサーバーに届くまで繰り返すことで実現されているに過ぎない。
投稿: ふらっと来た人 | 2008年1月23日 (水) 14時19分
ふらっと来た人様
コメントありがとうございます。
確かに技術的にはご指摘の通りだと思い、この書き方ではおかしいと思いましたので、本文を訂正しました。見え消しで訂正を入れたので、少し読みにくくなっているかも知れませんが、ご容赦下さい。
投稿: 兎園 | 2008年1月23日 (水) 23時02分
依頼者からの依頼を受けてお仕事として発信者情報の開示を求める場合は、ネットワークの専門家等にもアドバイスを求めるわけですが、加害者側がちゃんと偽装手段を講じれば現状ではほぼどうしようもありません。たまに捕まってニュースになるのは、偽装手段を講じていないか、講じ損なった場合に限られます。
コメントスクラム等が放置されると、そのような行動をとって恥じない人の顔色を伺ってしかブログのエントリーをアップロードできなくなります。その結果、ネット言論の多様性が制限されます。また、ネット上でのデマの流布しても摘発されないとなると、ライバル企業について悪質なデマを流すと言うことが営業活動として成立しますし、また、デマを流されたくなかったらしかるべきところにお金を支払えという脅迫も成立します。
現実社会で言論弾圧を行うのは、先進国では弾圧する方も相当のリスクを負いますが、ネット上で匿名で言論弾圧を行うのは、弾圧する側のリスクは著しく低いのが実情です。
投稿: 小倉秀夫 | 2008年1月31日 (木) 23時40分
小倉秀夫先生
コメントありがとうございます。
巧妙な偽装手段を用いて本当に悪質な書き込みを行う悪意者の特定が難しいことは、確かにおっしゃる通りだと思います。(ただ、インターネットの性質上、完全に痕跡を残さずに書き込みを行うことも難しいことや、法律がどうあれ、偽装する人間は偽装するだろうことを考えると、これも直接実名制と結びつく話ではないと個人的には思っています。)
ですが、ネットで心ないコメントが大量に匿名で寄せられるケースについては、大量のユーザーが皆偽装を行って書き込みを行っているとは思えず、少し違う話なのではないかと思います。多くのネットユーザーがネットでは匿名性が完全に確保されていると誤解していることによって、このような悪意の増幅が生じているだけなのではないかというのが私の考えです。
技術的にも法的にも匿名性は完全に担保されている訳ではないことが多くのユーザーの理解するところとなれば、心ないコメントは自ずと減っていくでしょうし、これが理解されない限り、ネットの匿名性を過信した書き込みが減ることはないだろうと私は思っております。(例えば、韓国ではネットに一部実名制を取り入れていますが、NIKKEI NETの記事http://it.nikkei.co.jp/internet/column/korea.aspx?ichiran=True&n=MMIT13000029012007などを読んでも、やはりうまく行っていないようです。)
ただ、この私の考えを人に押しつけるつもりはありませんし、このエントリも、ネットの実名制についても、法律と技術の現状を踏まえて、きちんとメリット・デメリットを考えた上で議論した方が良いだろうということを言っているに過ぎません。
このような趣旨はご理解頂いているものと思いますが、念のため、コメントを返させて頂きます。
投稿: 兎園 | 2008年2月 1日 (金) 23時22分