第37回:「表現の自由」を持ち出すネット規制反対派は違法ダウンロードやネットいじめを黙認するのか、という暴論に対する反論
各種報道で間々見かける、ダウンロード違法化反対派は違法ダウンロードを容認するのか、コンテンツ規制反対派はネットいじめを黙認するのかという脊髄反射的な暴論には、反対派がエキセントリックな主張をしているかのように見せかける印象操作レトリックが含まれている。
正常な理性を持った人間であれば、論理の飛躍をすぐに見抜けるはずであるが、政官業のそれぞれに巣くう腐った利権屋と、これに連なる御用学者と御用記者がこのような主張を繰り返すのには実にうんざりさせられるので、また知財政策を超える話になってしまうが、念のため、ここにはっきり反論を書いておきたいと思う。
その立論には次のような前提が必要なはずであるが、大体このような主張をする者は自分に不都合なこの前提を隠すことを常としている。
・違法ダウンロードやネットいじめに対処できる法律やモラルは存在していない。
・国民は自ら情報の取捨選択をする判断力を持たない。
・作られる検閲機関が恣意的にその権限を行使することはない。
しかし、規制賛成派の記事に、現行法では対処できない他人の身体や財産に対する侵害があるという具体例を見たことはなく、彼らが本当に各種インターネット関連法(インターネットホットライン連絡協議会のHP参照)を全てチェックした上で、コンテンツ規制を行うべきと言っているとは思えない。違法・有害サイトが問題だという単なる漠然とした不安など法改正の根拠として取り上げるに値しない。
私が見る限り、ポルノや脅迫、売春といった犯罪行為自体にインターネットが新たな類型を追加したということはない。インターネット由来の犯罪が現行法で取り締まり可能であることは、日々のニュースを見ていても分かることである。(掲示板や学校裏サイトへの書き込みで逮捕された事例などをつらつらと書く必要もないだろう。)
民事であっても、プロバイダー責任制限法に基づく開示依頼ができ、刑事であれば、身体や財産に関わる緊急事項に該当すれば警察の捜査関係事項照会書や裁判所による差し押さえ令状の発行により、ユーザー情報は警察等に開示されるのである。このような厳格な要件に基づく情報開示によって犯罪の取り締まりが行われることにまで反対する者は恐らくほとんどいないだろう。しかし、このように、通信における情報開示の要件が極めて厳格に規定されているのは、別に犯罪を擁護するためではなく、通信の秘密に人間の精神的自由の本質的な条件が含まれているからだということを忘れてはならない。
犯罪行為そのものが問題ではなく、コミュニケーションツールが問題であるとすることには、人間精神の本質を無視した、危険な論理のすり替えがある。
また、検閲機関は必ず暴走して恣意的に権限を行使し、市民に対して牙を剥き始めるからこそ、検閲の禁止が定められているのであって、事後検閲ならば検閲ではないなどと主張して検閲を正当化する者は、私人として自ら事の是非を判断する権利を放棄しているに等しいということを認識するべきである。
日々官僚たちの不祥事や暴言をつぶさに見せられながら、官僚無謬説、役人無謬説などを信じる愚か者もいるまい。
通信の秘密も検閲の禁止もなく、ネット言論を統制し放題ということになった途端、役所の内部で猖獗を極めているらしい言論統制がネットにまで洩れ出すに違いないと思うのは私だけだろうか。放送局とこれに連なるマスコミが、総務省の方針に都合の悪い情報を全く流さないことは偶然ではないと私は思っている。(例えば、経産省が経済産業研究所に対して言論弾圧を行ったことは池田信夫氏のブログ記事にも書かれており、審議会の人事による総務省の言論統制についても醍醐聰氏が問題提起をしている。防衛省がブログに圧力をかけた疑いがあるとするブログ記事や、外務省も日本国際問題研究所の論文を閲覧停止にしたということがあるとする記事もある。次官が人事の絶対権を握る独裁システムにより、全省庁でこのようなことがなされていることこそ日本の政策判断の迷走の主原因であると私は確信している。自らを絶対無謬と信じ、反対意見を封殺する者に妥当な判断などできる訳がない。)
政治的中立性という名目で政府与党に都合の悪い情報を流させないことができるようになると思っているバカな政治家も、ネットに規制をかければ自分たちの方に客を取り戻せると思っている放送局も全てグルであると私は踏んでいる。
さらに言っておけば、子供のネット利用の問題を、あたかもネットそのものが問題であるかのように言うことにも危険な論理のすり替えがある。ネットいじめも、人間精神と教育と親の責任に根ざした深い問題であって、裏サイトをモグラたたきで潰せば良いとかそういう問題ではない。(下田博次氏のインタビュー記事1、記事2参照。)
通信の秘密や表現の自由や検閲の禁止といった原理は全て密接に結びついて人間の精神的自由を保障しているのであり、このような人権思想は、東西の哲学者が何千年にもわたり営々と築き上げてきた英知の結晶である。政官業の中に巣くう利権屋や、これに連なる御用学者・御用記者の暴論によって簡単に覆えされて良いものではない。
学問に携わる学者や、表現に携わる報道関係者が、軽々しくこのような妄言を吐くくらい、今の日本は危機的状況にあることに私は暗澹たる思いがする。御用学者と御用記者に私は言いたい、自らの学問あるいは報道の良心を真摯に問い直せ、貴様らは自分の首筋に突き立てられている刃を研いでいるのだと。
(なお、念のために付言しておくと、単に放送規制の緩和になる(通信に新たな規制を加えず、通信を基準に放送をとらえ直し、インターネット放送局にも著作隣接権は与えない)のであれば、私も法改正にそれなりの意味を認める。しかし、総務省のバックにいる最大の利権屋である放送局と、これらとつるんでいる政治家に全くうまみがない、このような方向性への軌道修正は、今の政官業の状態を見る限り不可能であろう。)
| 固定リンク
« 第36回:著作権法の「技術的保護手段」と、不正競争防止法の「技術的制限手段」の回避規制(DVDやCCCDのリッピングはどう考えられるか) | トップページ | 第38回:ドイツとフランスの私的複製(私的録音録画)補償金に関する動き »
「規制一般」カテゴリの記事
- 第503回:主要政党の2024年衆院選公約案比較(知財政策・情報・表現規制関連)(2024.10.14)
- 第499回:暗号化技術に対するバックドアの強制の様な技術的検閲は基本的な権利に抵触するものであって認められないとする2024年2月13日の欧州人権裁判決(2024.07.07)
- 第462回:主要政党の2022年参院選公約案比較(知財政策・情報・表現規制関連)(2022.06.19)
- 第446回:主要政党の2021年衆院選公約案比較(知財政策・情報・表現規制関連)(2021.10.17)
- 第437回:閣議決定されたプロバイダー責任制限法改正案の条文(2021.03.21)
コメント