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2007年11月29日 (木)

目次1

 自分でも昔のエントリが読みづらくなって来たので、単なる目次のエントリを作ってみた。(今後も気ままに書き続けて行くつもりだが、こうして読み返してみると、意外と最初から同じことしか言っていない。こんな金太郎飴ブログを読んで下さっている方に感謝。)

第1回:何故か皆が暗黙の内に前提としている日本の不可思議な法改正プロセス(2007年7月10日)

第2回:知財・情報・独占(2007年7月12日)

第3回:「『通信・放送の総合的な法体系に関する研究会 中間取りまとめ』に対する意見(2007年7月19日)

第4回:放送通信各法の概要(2007年7月31日)

第5回:放送に関する著作権問題(2007年8月22日)

第6回:「~デジタル・コンテンツの流通の促進に向けて~第4次中間答申」に対する意見(2007年9月13日)

第7回:文化審議会著作権分科会パブコメ準備(前編:ダウンロード違法化問題)(2007年10月18日)

第8回:文化審議会著作権分科会パブコメ準備(後編:私的録音録画補償金問題)(2007年10月23日)

第9回:私的複製の権利(著作権法教科書読み比べ)(2007年10月24日)

第10回:文化審議会パブコメ準備(追加:著作権侵害罪の非親告罪化問題)(2007年10月25日)

第11回:著作権国際動向その1:欧州連合(EU著作権指令)(2007年10月27日)

第12回:著作権国際動向その2:欧州連合(補償金制度改革)(2007年10月27日)

第13回:著作権国際動向その3:ドイツ(ダウンロード違法化の明確化)(2007年10月29日)

第14回:著作権神授説という幻想(2007年10月31日)

第15回:著作権国際動向その4:ドイツ(補償金制度改革)(2007年11月 1日)

第16回:著作権国際動向その5:フランス(私的複製の権利制限と私的録音録画補償金制度)(2007年11月 4日)

第17回:著作権国際動向その6:イギリスとアメリカ(フェアディーリングとフェアユース)(2007年11月 5日)

第18回:「ダビング10」あるいはDRMの欺瞞(2007年11月 7日)

第19回:文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会提出パブコメその1(2007年11月 9日)

第20回:文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会提出パブコメその2(2007年11月 9日)

第21回:文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会提出パブコメその3(2007年11月 9日)

第22回:B-CASシステムという今そこにある危機(2007年11月10日)

第23回:権利者団体の公開質問状(2007年11月10日)

第24回:レンタルCD屋の背信(2007年11月12日)

第25回:文化審議会著作権分科会法制問題小委員会提出パブコメ(2007年11月14日)

第26回:文化庁のパブコメは多数決か。(2007年11月19日)

第27回:知財政策なき知財本部(と知財事務局)(2007年11月21日)

第28回:著作権法改正で気をつけるべきいくつかのこと(2007年11月23日)

第29回:フランスのネット配信拡大包括策(2007年11月27日)

第30回:ネット配信拡大の包括策と一緒に発表されたサルコジ仏大統領の演説(2007年11月29日)

≪番外目次≫
番外:MIAUを応援する(2007年10月18日)

番外その2:小寺氏の記事「もはや人ごとではない――MIAUに込めた想い」について(2007年10月23日)

番外その3:崩壊する文化審議会(2007年11月 2日)

番外その4:沈みゆく巨大船団、地デジ(2007年11月14日)

番外その5:総務省の地上デジタル放送政策年表(2007年11月16日)

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第30回:ネット配信拡大の包括策と一緒に発表されたサルコジ仏大統領の演説

 今回は余談として、そこにフランス政府が著作権についてどう考えているかがはっきり出ているので、包括策と一緒に発表されたサルコジ大統領の演説文を抜粋して紹介したいと思う。サルコジ大統領はなまじっか辣腕なだけに突っ込みどころも多い。(なお、冒頭の挨拶や合意内容紹介などいまいち突っ込みがいのないところは省略した。)

 まず、最初の方から。(以下全て翻訳は全て拙訳。)

「...Depuis trois ans, j’ai repondu present chaque fois qu’il a fallu faire prevaloir le droit legitime des auteurs et de ceux qui contribuent a leur expression, sur l’illusion et meme sur le mensonge de la gratuite. Les mots sont forts parce que ces principes sont essentiels

Musique, cinema, edition, presse, arts graphiques et visuels… tout est aujourd’hui disponible et accessible partout, sur la toile de l’internet, chez soi, au bureau, en voyage. C’est une richesse, c’est une chance pour la diffusion de la culture. J’imagine que personne ici ne le conteste. Pour autant, jamais nous n’avons ete aussi proches d’un veritable ≪ trou noir ≫, capable d’engloutir et d’assecher cette richesse et ce foisonnement creatif.

Le clonage et la dissemination de fichiers a l’infini ont entraine depuis cinq ans, j’emploie un mot fort, la ruine progressive de l’economie musicale, en deconnectant les ouvres de leur cout de fabrication, et en donnant cette impression fausse que, tout se valant, tout est gratuit.

Avec le developpement du tres haut debit, le cinema risque evidemment de subir le meme sort que la musique : les memes causes produiront exactement les memes effets. D’ores et deja, pres de la moitie des films sortis en salles en France sont disponibles en version pirate sur les reseaux ≪ peer to peer ≫, et le marche de la video a commence a decroitre avant meme d’atteindre sa maturite. Le livre pourrait a son tour etre brutalement menace avec l’arrivee du livre electronique.

C’est a une veritable destruction de la culture que nous risquons d’assister. En plus de cela, c’est egalement une negation du travail, cette valeur capitale qui est au coeur des problemes de la France d’aujourd’hui, et au coeur de ses solutions.

(挨拶は省略)

 3年間、無料の幻想と嘘に対して、著作者の権利を優先させるべきと私はいつも答えてきた。この言葉は強い、この原理は本質的なものであるからだ。

 音楽、映画、出版、報道、絵画・・・あらゆるものが今日インターネット網から、家にいようと、オフィスにいようと、旅行中であろうと、どこでもアクセス可能で手に入る。これは富であり、文化の伝搬のチャンスである。ここで、これを反対する者はいないと思う。しかしながら、我々はこれほど、この富と想像力の源を飲み込む「黒い穴」に近づいたこともないのだ。

ファイルの無限の複製と伝搬は、作品と生産価格を乖離させ、全てが価値あるものであるのに対して、全てが無料であるかのような間違った印象を与えることで、私は強い言葉を使うが、音楽経済の漸進的な破滅を引き起こした。

極めて速い進歩によって、映画も音楽と同じ運命をたどる危険がある。同じ原因が全く同じ結果をもたらすのである。今までフランスで劇場公開された映画のほぼ半分が≪ピアツーピア≫網の上で海賊版として手に入り、ビデオの販売は成熟に達しないうちに減り始めている。本もまた電子ブックの到来にひどく脅かされている。

私たちが直面しているのは文化の真の破壊である。加えて、それは雇用の消失であり、この資本価値は今日のフランスの中心問題であり、解決すべき中心でもある。」

 のっけから、無料を嘘と幻想だと言い切っているが、そんなことを誰が決められるだろう。情報の発表・入手コストが無料であることによって発展する文化がインターネットによって生まれたことも、またもう一つの事実として認識されなければならないのであり、このもう一つの文化を勝手に全否定することはどこの政府にも許されることではない

 そして、著作物の複製に全て対価の支払いが要求されるという考え方も間違っている。インターネットの登場により、創作者自らが無料で情報を提供する機会も増え、著作者の許諾を必要としない方がかえって良いと思われる公正な利用形態も増えたのである。技術の発展により、かえって幻想と嘘であることがばれたのは、著作者の「複製権」の方だと言っても良いくらいだと私は思っている。

 また、確かにインターネットのためにレコード産業はかなりのダメージを受けるかも知れないが、別に音楽産業自体がなくなる訳ではない。レコード産業=音楽産業でないことはもっと明確に認識されてしかるべきであり、音楽が流通まで含めて今の産業規模であるべき必然性はどこにもない。このような話を聞くと、私は常に、その登場によって壊滅的なダメージを受けたので、自動車産業は馬車産業に補償をするべきだというようなナンセンスを感じる。ユーザーは単に便利で安い方を選んでいるだけだというのに。

 そもそも媒体や制度がどうなろうと、音楽を作る・聞くという人間の根源的な文化的営為に何か本質的な変更が加わる訳ではない。何らかの制度的なバイアスによって、逆にこの営為を歪めることができると考えているとしたら、文化というものの本質をなめているとしか言いようがない。

 なお、映画が音楽と同じ運命をたどるだろうということは恐らく正しい。このことをもっと深く考えれば、映像も、最後はDRMなしの配信か視聴アーカイブに行き着くと考えられるのだが、恐らくそこまで考えが及んでいないのは残念である。(今DRMに関することも調べているので、DRMの話も近いうちに書いてみたいと思っている。)

 さらに先を読んでいく。

「Aujourd’hui, un accord est signe, et je veux saluer ce moment decisif pour l’avenement d’un internet civilise. Internet, c’est une ≪ nouvelle frontiere ≫, c’est un territoire a conquerir. Mais Internet, cela ne doit pas etre ≪ Far Ouest ≫ high-tech, une zone de non droit ou des ≪ hors-la-loi ≫ peuvent piller sans reserve les creations, voire pire, en faire le commerce en toute impunite, sur le dos de qui ? Des artistes. D’un cote, des reseaux flambant neuf, des equipements ultra-perfectionnes, et de l’autre des comportements parfaitement moyenageux, ou, sous pretexte que c’est du numerique, chacun pourrait, parce que c'est du numerique, pratiquer librement le vol a l’etalage.

On dit parfois que quand personne ne respecte la loi, c’est qu’il faut changer la loi. Sauf que si tout le monde tue son prochain, on ne va pas pour autant legaliser l’assassinat.

Si tout le monde vole la musique et le cinema, on ne va pas legaliser le vol. Et en meme temps, nous savons tous qu’on ne va pas non plus mettre tous les jeunes en prison. Poser en ces termes le debat est parfaitement absurde.

Il nous fallait chercher des moyens intelligents pour en appeler a la conscience du citoyen, et lui donner la possibilite de revenir dans le droit chemin. Apres tout, c'est peut-etre meme la fonction d'un gouvernement. Il fallait aussi essayer de comprendre pourquoi le citoyen ordinaire, habituellement respectueux de la loi, preferait s’approvisionner dans des entrepots clandestins plutot que de faire ses achats dans un supermarche en ligne : n’etait-ce pas aussi un probleme d’attractivite de l’offre legale ?
...

今日、合意は署名され、私は文明化されたインターネットの到来にとって決定的なこの瞬間を喜ばしく思う。インターネットは≪新たなフロンティア≫であり、征服するべき領土である。しかし、インターネットはハイテクの≪極西≫、≪無法者≫が際限なく創作物を強奪でき、あるいは、さらに悪く、完全な無罰の中でそれを商売とすることのできる、正義なき領域であってはならない。誰の背に乗ってか?といえばアーティストの背にである。一方では、新しく網が張り巡らされ、機器が極限まで完成され、他方では、デジタルであるという言い訳のもと、デジタルであるが故に、誰もが自由にショーウィンドウのものをつかみ取りにできるという、完全に中世の有様がある。

誰も法を守ろうとしないとき、変えなくてはいけないのは法であるということが間々言われる。しかし、皆が隣人を殺すとしても、それでも殺人が合法化されることはないだろう。

皆が音楽を盗んでいるとしても、盗みが合法化されないようにすることはない。同時に
皆、若者を全員牢屋送りにできないことも分かっている。このような形で争いを提起するのは完全に馬鹿げている。

我々は、市民の良心を呼び覚まし、正しい道へと戻す可能性を与える賢い手段を探さなければならない。結局、それは政府の役割なのだろう。普通なら法律を尊重する、普通の市民が何故、オンラインのスーパーマーケットでの買い物より、闇市場での入手を好むのかを理解するよう努めなければならない。合法なサービスにもやはり問題があるのではないか?

(中略:大臣への感謝や合意の内容など)」

 泥棒理論はよく見かけるのだが、ついには殺人理論まで飛び出してきた。何度も言うようだが、知的財産権の侵害を通常の有体物の財産権の侵害と同一視することはできないし、ましてや生命の侵害と同一視することなどあり得ない。知的財産の侵害は、本質的には評価不能のもので、常に相対的なものである

 そのため、著作権侵害に悪意推定を入れて刑事罰を導入すると、ほとんどあらゆる者が牢屋送りとなりかねないというのは正しい。そうすることは馬鹿げているが、どうしたら良いかとなると、地球上の誰にも良いアイデアはないというのが現状であろう。

 そして、何故合法コンテンツに比べ違法コンテンツを好むユーザーが多数いるのかというのは、実は最も本質的な問いかけである。ネットでの違法流通に対する本当の解決策が世界的に見ても一つも出されていないのは、この問いかけに対する本当の答えを、どこの政府も認識していないからなのだろう。

 ヘビーユーザーでない、本当の一般ユーザーにとって、ユーチューブのようなメジャーサイトならいざしらず、違法コンテンツを広大なネットからわざわざ探すのは結構手間もかかり、心理的な抵抗も大きいものである。それでもなお、一般ユーザーですら違法コンテンツを選んでいるという事実があるとしたら、違法コンテンツには合法コンテンツにはない利便性があるからに違いない。そして、合法コンテンツに関して、生産コストにこっそりと上乗せされている流通屋への思いやりコストという欺瞞を、消費者が敏感に察知しているということもあるに違いない。値段と利便性という最も単純な消費者のクライテリアを、合法サービスのコンテンツはクリアしていないのだ。
 要するに、まずどうにかすべきなのは、法制度ではなく、合法サービスの利便性と値段なのである。

 最後の部分を引用する。

「Enfin, je suis persuade que les jeunes sont beaucoup plus intelligents qu'on ne l'imagine et qu’ils comprendront parfaitement que, si on laissait faire, il y aurait que quelques artistes qui s'en sortiraient - les plus connus - et que les jeunes artistes ne pourraient plus avoir acces a rien du tout. Il ne faut pas croire qu'en faisant cela on protege ceux qui ont deja rencontre leur public, c'est faux. On defend d'abord ceux qui ne l'ont pas encore rencontre, et qui n'auraient aucune chance de le rencontrer si l'on ne leur reconnaissait pas des droits d'auteur.

Cela m'a fait bien plaisir d'etre ici. Je vous propose que l'on se retrouve dans six mois, au meme endroit, pour tirer le bilan de six mois d'application de ces nouvelles normes. En prenant un engagement devant vous : si cela marche, on continue comme cela, si cela ne marche pas suffisamment bien, on prendra les mesures pour obtenir des resultats.

Moi, je ne veux pas etre juge sur les declarations d'intention, je veux etre juge sur une seule chose, sur les resultats. J'ai ete elu pour obtenir des resultats et c'est cela qui compte.

Je vous remercie.

最後に、想像より遙かに若者は賢く、もし現状を放置すれば、そこから実に有名なアーティストが輩出されるかも知れないが、若いアーティストは全く何のアクセスも得られないだろうということを、彼らも理解するだろう。こうすることで、既に聴衆を得ている者を守っていると信じてはならない、それは間違いである。これは、まだ聴衆を得ていないが、著作権をそこに認めなければ、これを得る機会を失ってしまうだろう者を守っているのである。

私はここにいるのを喜ばしく思う。6ヶ月後、同じ場所で、この新しい規範の適用の結果を見ることを私は提案する。もしこれが機能するようなら、これを続け、これが十分に機能しないようなら、結果を得るための手段を取ることを、あなた方の前で約束する。

私は、意志の表示で判断されたいとは思わない、私がその上で判断されたいと思っている唯一のことは、結果である。私は結果を得るために選ばれたのであり、結果こそ重要なのである。

ご静聴感謝する。」

 その通り、若者は想像より遙かに賢い。これが、既に聴衆を得ている者、すなわち既存の著作権圧力団体に所属する者のみを守っているということを既に彼らは見抜いて、この合意を非難している。

 若いアーティストが、この合意のスキームで自らの著作物を守るためにはどうしなければならないかを考えてみればいい。まず既存の流通屋のどこかにおもねって著作物を流してもらい、既存の団体のどれかに入り、自分の著作物に団体謹製のウォーターマークを付けてもらわなくてはならない。そこまでして、自らの著作物へのアクセスを公衆から奪い、既存の流通屋を喜ばしてやりたいと思う、未知の若いアーティストがどれだけいるというのか。
 偏った著作権強化策は、もはや創作へのインセンティブとはならず、かえってこれを阻害する可能性があるということはいくら強調してもしすぎではない。

 サルコジ大統領の辣腕をもってしても、この合意スキームはまず間違いなくどこかで止まるだろう。結果のみによって判断されたいというサルコジ大統領の姿勢は素晴らしいと私も思うが、その前にどのような結果が本当に国民に求められているのかの検討が、文化先進国と言われるフランスでもできていないのが残念でならない。

 今回はフランス大統領の演説にとりとめもない突っ込みを入れただけの余談だが、日本でも今日、私的録音録画小委員会が開催されていたので、グーグルですぐ見つかるものではあるが、ここにも各ネット記事へのリンクを張っておこう(ITmediaITprointernet watch日経Tech On)。記事を見た限りでは、パブリックコメントそっちのけで同じ議論を繰り返していると思われるところなど相変わらず文化庁のどうしようもなさが出ているのだが、少なくともユーザーからのパブリックコメントに文化庁も多少の圧力を感じたようである。これでさらにごり押しをしてくるようなら、本当に救いようがない。

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2007年11月27日 (火)

第29回:フランスのネット配信拡大包括策

 フランスが音楽・映画ネット配信の拡大に関する包括策をまとめたという記事(日経の記事、フランスでのネット記事(01netZDnet)、ドイツでのネット記事(Spiegel)など)があった。
 この包括策はフランスで今すぐ法改正や規制緩和をするという話ではないのだが、政府も含め、関係者が取り組むべきことをまとめているという点で、フランスが取る方向性が明確に出ている。日経の記事は必ずしも正確に情報を伝えていないので、今回は、ちょっとこの包括策の紹介をしてみようかと思う。

 この包括策に関しては、フランス文化通信省のHPに関係ファイルがまとめられており(HPサルコジ大統領の演説文関係者の合意文)、その中の合意文を読むと大体以下のようなことが今回まとめられたことが分かる。(逐語訳にしようかとも思ったが、それほどの内容でもないので、以下は私が勝手に抄訳したものであることをお断りしておく。)

1.政府が取り組むこと
-インターネットで著作権侵害をする気を削ぐことを目的とした注意と罰則のメカニズムを導入するよう、国会に法案を提出し、規定の手段を取る。
 このメカニズムは、知的財産法第335-12条で規定されているアクセスの悪用に関するユーザーの責任を現地としており、個人の権利と自由を保障するよう、裁判所の下に置かれる公的機関が主導する。公的機関は、権利者の訴えにより、アクセスプロバイダを通じて、注意喚起の電子メールをユーザーに送る。それでも権利を無視する行為が繰り返された場合、インターネットへのアクセスを禁止するという手段を取る。

-この公的機関は、その命令に従わないアクセスプロバイダに対して罰を与えることが出来る。

-この公的機関は、裁判所のコントロール下で、オンラインサービスから引き起こされる損害を予防あるいは停止するために適したあらゆる手段の採用をプロバイダ等に求めることが出来る。

>国家情報自由委員会の元で、上の目的のためにユーザー国家台帳を作る。

>音楽、映画等の違法なネット流通の量を示す指標を毎月公表する。

>全体として文化財と文化サービスに対する消費税を下げることを欧州連合に求める。

2.映像、映画、音楽の権利を有する者並びに放送局が取り組むこと
>フィンガープリントあるいはウォーターマークといった内容認識技術を推進するために、プラットホーム屋と協力する。

>注意と罰則のメカニズムが動き始めたら、DVDに加えて映像配信のウィンドウをきちんと開くことに同意する。

>注意と罰則のメカニズムが実質的に動き始めてから長くても1年以内には、文化通信省の元で、映画作品の素早い配信や配信ウィンドウのスムースな導入を目的としたメディア年鑑を作る議論を開始する。

>映画作品の体系的な配信を進めるべく最大限の努力を払う。

>放送番組を配信し、放送後のオンライン利用を加速するよう最大限の努力を払う。

>注意と罰則のメカニズムが実質的に動き始めてから長くても1年以内には、DRMなしで買える配信音楽作品のカタログを入手可能とする。

3.プロバイダが取り組むこと
>アクセスプロバイダは、

-メカニズムの枠内で、注意喚起のメールを送り、罰則の決定を実行に移す。

-この合意の署名から24ヶ月以内に、権利者と協力してフィルタリングの実験に関して協力を進め、結果が納得できるものかどうか、コストは現実的なものになるかを示す。

>プラットフォーム屋は、

-短期間で、効果的なフィルタリング技術を一般化する。

-そのような技術が体系的に採用されるときの条件を決定する。

参考条文
Article L335-12
<<Le titulaire d'un acces a des services de communication au public en ligne doit veiller a ce que cet acces ne soit pas utilise a des fins de reproduction ou de representation d'oeuvres de l'esprit sans l'autorisation des titulaires des droits prevus aux livres Ier et II, lorsqu'elle est requise, en mettant en oeuvre les moyens de securisation qui lui sont proposes par le fournisseur de cet acces en application du premier alinea du I de l'article 6 de la loi no 2004-575 du 21 juin 2004 pour la confiance dans l'economie numerique.>>

フランス知的財産権法第335-12条
「2004年6月1日の情報社会の信頼のための法律(2004-575号)の第6条の第1段落の適用を受けて、アクセスプロバイダからセキュリティ手段を用いつつ求められたときには、オンライン公衆通信サービスへのアクセス所有者は、この法律の第1章と第2章に規定されている権利の所有者の許可を得ない形での作品の複製の目的でそのアクセスを使わないようにしなければならない。」

 どこまでDRMなしの音楽配信がされるのかよく分からないこと、映像についても何がどれくらい配信されようになるのかがよく分からないことなどを記事も批判している。消費者団体も既にこの包括案を批判しているともネット記事は伝えている。(フランスでも著作権に関する限り消費者は劣勢である。なお、日経の記事は、映画についてもDRMを無くすことが合意されたかのように読めるが、DRMなしと努力されるのは配信される音楽のみであり、実はその範囲がどこまでなのかもよく分からないというのが正しい。)

 権利者団体がとりあえず署名できるようにしたのだろうが、これも今後の取り組みを書いているだけで、著作物の違法合法を本当にどう決めるのか、共用のアクセスポイントをどうするのか、通信の秘密や情報アクセス権をどう考えるかなど、ちょっと考えただけでも課題は山積みであり、実際には、法改正の検討のどこかでつまづくのではないかと思われる。

 しかし、この合意から、フランスが、フィルタリング技術の採用と組み合わせて、違法ユーザー対策をインターネットアクセスの禁止というレベルに落とそうとしていることが見て取れるのは大変興味深い。

 合意に関することは大体以上なのだが、サルコジ大統領の演説文もフランスらしいもので非常に面白いので、余談に近くなってしまうだろうが、次回は、この合意に関する批評の続きとして、大統領の演説文の紹介をしてみたいと思う。

(注:また間を空けて確認したいと思っているが、今、何故かフランス文化通信省にアクセス出来なくなっている。)

(11月27日夜の追記:今はもうフランス文化通信省にアクセス出来るようである。なお、よその国の話なので、興味深いで済ませているが、要するに、この提案は、政府による著作権大検閲機関の創設なので、ナンセンスも良いところである。インターネットと音楽というのを、ファックスと文章に置き換えてみれば、これは、ファックスで著作権侵害の恐れがあるから、政府が国内のファックスを全て傍受して、問題があれば電話を止めると言っているのに等しい。電話なら誰もがアホかと思うが、インターネットだと政府レベルでこのようなことを平気で言うのは不思議なことである。日本の馬鹿な役人がフランスと同じことを言い出さないことを心から願っている。)

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2007年11月23日 (金)

第28回:著作権法改正で気をつけるべきいくつかのこと

 著作権法は、極めて複雑な構成の条文によって、数々の民々の利権秩序を構成しているため、この利権秩序の変更を伴うような、抜本的な法改正はまずもって望めない上、著作権神授説を信奉する著作権原理主義者の頭には、消費者・ユーザーの権利とという概念が入り込む余地が全くないため、今後も、著作権団体という利権団体の政治力によって、今まで消極的ながらも守られてきたユーザー・消費者の権利がさらに危機にさらされることがあるかも知れない。
 しかし、多少負けが込むことがあったとしても、私がユーザー・消費者・国民として、最後まで求めていきたいと気をつけていることを今回は書いておきたい。

(1)著作隣接権をこれ以上拡大しないこと
 流通事業者にこれ以上権利を与えてはならない。

 普通の放送局が著作隣接権を持っていることに対し、インターネット上で放送局を開設している者には隣接権が与えられないことや、CDに焼いて売ればレコード製作者として隣接権が得られるのに対し、インターネットに直接音源を乗せたのでは隣接権がつかないことを、流通事業者(放送局、レコード製作者、通信事業者等)が問題にしてくる可能性がある。(放送に関しては第5回にも同じことを書いた。)
 しかし、このようなことを問題とする主張は、これらの隣接権が、単にレコード会社や放送局が強い世界的に政治力を持っていたことからもたらされたものに過ぎないということを忘れている。(創作活動に関与している実演家は別である。)

 これらの者は単なる著作物の伝達屋・流通屋であって、そこには創作活動に準じた活動などない
 そして、インターネットという流通コストの極めて低い流通チャネルがある今、独占権というインセンティブで流通屋に投資を促さねばならない文化上の理由も無くなっている
 音楽にせよ、映像にせよ、創作者が自ら自由に世界に創作物を伝達できるようになった時点で、レコード会社と放送局に対する著作権法上の保護・優遇はその歴史的役割を終えたのである。
 別にこれらの隣接権が無くなったところで、レコード屋や放送局の社会的役割が無くなる訳でもなく、パッケージや放送で流通する著作物に著作権がなくなる訳でもない。本来位置しているべきだったところに彼らが戻るだけのことである。

 このような流通事業者に対する著作権法上の保護は、著作物の流通コストが高く、流通そのものの保護が必要だったときの遺物として、無くしていく努力がなされなければならないのであり、これに反する動きには私は断固として反対して行くだろう。

 特に、インターネットのようなコストの極めて低い自由な流通チャネルで、流通事業者に強力な独占権を発生させることは、文化と経済に無意味に害悪を垂れ流すことにしかならない。インターネットで流通事業者を優遇することは、ユーザーの創作インセンティブを大きく損なうことにしか繋がらないのである。
 情報に関する限り、あらゆる者がインターネットで同じ土俵に立つことが可能になった今、著作権法を創作性の原点に引き戻すことが最も理に適っていることではないかと私は考えている。

(2)公正な利用に関するより広汎な権利制限を作ること
 限定列挙による追加でも構わないが、今後も、インターネットを含め、情報の公正な利用に関する権利制限が検討されて行かなければならない。

 特に、日本では何故かないがしろにされがちであるが、技術の発展を受けた複製の主導権のユーザーへの移行、プライバシーや情報アクセス(知る権利)の社会的重要性を踏まえた上での、より現実的な権利制限が考えられてしかるべきである。
(著作権とは情報を保護する法律であるということも理念としては理解できるが、デジタル化とはすなわち、著作物が物を離れて情報化するこということに他ならないのであり、現実的には、情報そのものを保護することは最後不可能であるという前提に立たなければならない。)

 また、間接侵害に関する問題も同じことである。これは要するに、著作権者の許諾なしで著作物を利用可能な公正利用の範囲はどこまでかということを確定するという問題であり、権利制限によらなければ本質的な解決にはならない。(間接侵害類似事件の概要などについてもまたどこかでまとめたいと思うが、例えば、前回も紹介した、知財事務局の資料でもあげられている、選撮見録事件、録画ネット事件、まねきTV事件、MYUTA事件のうち、現状合法との判断が出されているまねきTV以外のものについて、公正利用と考えられるものがあるとしたら、それを含む形で必要十分な権利制限規定を作ることが必要なのである。)

(3)私的録音録画補償金を既得権益化しないこと
 今まで(第8回や、私的録音録画小委員会パブコメその1その2その3参照)も書いてきたことなので省略するが、今、私的録音録画補償金問題に関する検討がデッドロックに乗り上げているのは、補償金が著作権団体の既得権益化していることが主な原因である。
 ユーザーの観点から私的録音録画補償金制度をとらえ直すことも不可能ではないが、補償金が著作権団体の既得権益とならないようにする、ありとあらゆる仕組みがその前に検討されなければならないのである。

(4)著作権の保護期間をこれ以上延長しないこと
 これについては、様々なところでいろいろな人が考え述べているため、今更追加して言うこともないが、著作者の死後50年を70年にしたりするようなことには、文化的にも経済的にもほとんど意味がないことだろう。
 ひ孫の孫くらいのことまで考えて創作をしている人間がいるとも思われないし、著作権の保護期間を伸ばせという主張は、えらく古い有名人の著作権を持っている会社や遺族の、不労所得が無くなるのが嫌というわがままにしか聞こえない。(財産権ではない、人格権は別に切れることがないらしいので、人格権的なことを織り交ぜた発言にごまかされてはならない。)

(5)独禁法あるいは労働法など他の法律によって本来解決されるべき問題を著作権法に持ち込まないこと
 著作権法に競争法的あるいは労働法的な観点がビルトインされることを完全に否定するつもりはないが、著作権法は著作物を保護して文化を発展させることを目的とするものであって、流通の独占などを正当化するものではないということははっきり認識されていてしかるべきである。

 流通の独占による利益が得られないからと言って、著作権での保護強化を求めることはお門違いも良いところである

 また、クリエータやアーティストという便利な言葉で、保護される者をごまかされてはならない。著作権の保護強化は、著作権を持っている者の保護強化にしかならないことを忘れてはならない
 職務著作は基本的に全て会社が著作権を持つことなっている(特許法のような「相当の対価」規定もない)し、フリーの作家などでも、契約会社や団体に著作権を譲っている者も多いのではないか。
 本当に著作権を全て自分で管理しているフリーのクリエータやアーティストがほとんどおらず、著作権上も契約で不利を強いられているような状況なら、著作権法をいくら強化したところで、下積みのクリエータやアーティストまでその利益は回りようがない
 本当に下積みのクリエータやアーティストの保護・育成に問題があるとするなら、労働法や下請法を強化した上で、コンテンツ業界にこれを徹底的にエンフォースすることでしか解決されないのである。(必ずしもこれが業界全体のためになるかというと微妙なところもあるので、かなり難しい舵取りが要求されることだろうが。)

 結局どう法律をいじろうと、最後法律が守られるかどうかは国民全体のモラルとしてどうかということにしかかかりようがない。国民が持っている本当のコモンセンスと合わせていく努力を法律が忘れたとき、悪法か無法が生まれるのである。

 おまけとして、読みにくい英語なのだが、スペインのインターネット警察のボスが、無料でダウンロードする限りにおいて、ダウンロードユーザーは泥棒とは考えられないという発言をしたという記事があったので紹介しておこう。違法ダウンロードの問題については、私も頭の整理が完全に出来ている訳ではなく、今のところは私的複製の中に入れておくしかないだろうと思っているのだが、ダウンロードが無料か有料かというのは一つの面白い切り口だと思った。

 次回は著作権保護技術(DRM)に関することについて調べて書いてみたいと思っている。

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2007年11月21日 (水)

第27回:知財政策なき知財本部(と知財事務局)

 文化庁のパブコメの話の方に気を取られていた中、ついこの月曜の日経の夕刊に分野別知財戦略の記事が出たので、内閣官房に、知財事務局(正式名称は知的財産戦略推進事務局)という部署があったことを思い出した。ここが、知財本部(正式名称は知的財産戦略本部)の事務局として、知財計画(正式名称は知的財産推進計画)という分厚い報告書を毎年作っているのである。

 最新の知財計画2007などを見ると、何だかいろいろなことが沢山書いてあって、すごいことをやっていそうにも見えるのだが、著作権の話一つとってみても、実際の著作権法の制度の方向性は文化庁の文化審議会で検討されているので、この報告書と知財事務局に何の意味があるのかは、よくよく考えてみると何だかよく分からなくなってくる。(全省庁で知財関係の政策で今どんな検討がされているかという百科事典としては役に立つので、私のような知財政策ウォッチャーにとっては至極便利であるが。)

 ただ今年も、、来年の知財計画のためであろう、知財本部の下に「知的財産による競争力強化専門調査会」と「コンテンツ・日本ブランド専門調査会」という2つの調査会で検討が進められているので、まず、これらの調査会での検討内容について少し突っ込んでおく。

 前者の「知的財産による競争力強化専門調査会」では、今、分野別知財戦略を策定しようとしているらしい。(今日第3回が開催されたようなので、策定されたとした方が良いのかも知れない。)
 しかし、そもそも特定分野(情報、バイオ、環境、ナノテク)について、これ以上計画を細分化する理由が私にはよく分からない。これらの分野にも天下り先の業界団体は多分沢山あるので、必要なら、そこで適当に知財戦略をまとめて、そこから次の知財計画に入れて欲しいと要望すれば済む話だろう。
 私も概要くらいしか読んでいないのだが、前回(第2回)の資料を見る限り、苦労してまとめたのであろう知財事務局には悪いのだが、知財計画2007と比べても大して新味はなく、税金で作るほどの戦略とも思われない。(別に、どちらでも構わないといえば構わないのだが、この分野別戦略が次の知財計画に統合されるのかもよく分からない点である。)

 それに比べ、後者の「コンテンツ・日本ブランド専門調査会」の方は、やはり著作権が問題になってくるだけやっかいである。この下の「コンテンツ企画ワーキンググループ」で今まで2回ぐらい検討が進められているようだが、ここから何が出てくるのかはさっぱり読めない。

 第2回は参考人ヒアリングをやっていたようだが、第1回の資料の中には「新たなサービス展開に関する現状と課題について」という事務局が作ったとおぼしき資料がある。
 この資料では、文化庁で検討している検索エンジンの話はともかく、放送と通信の融合法制の話と、著作隣接権まで含めて著作権の話をごっちゃにして、あっさりと「著作権法について、放送と通信の区分に基づいて権利関係を規定するのではなく、利用者が享受するサービスの形態や特質に応じて、権利関係を規定する方向で見直すべき」と書いていたり、間接侵害について、これまたあっさりと「インターネット等を活用した新しいサービスが進展しているが、関係者が多数存在し、サービス構造も複雑化していることから著作権侵害になるかどうかあらかじめ明確な基準が必要。このため、法的措置の具体的内容について検討した上で、早急に措置を講ずるべきではないか。」と書かれていたり、実に危ういものを感じさせる。

  これらの点については、次回にもう少し詳しく書いてみたいと思っているが、念のためにここでも突っ込んでおくと、まず、著作権法が、放送と通信の融合法制の話に引きずられることがあってはならないと私は考えている。皆単なる権利制限の話と思っているのかも知れないが、これはインターネット放送局に対して著作隣接権を与える話につながるので、極めて危険である。(インターネット放送局に著作隣接権を与えることなどあってはならない。サービスの形態や特質に応じて権利関係を規定するためには、まず、本当に著作権法上で保護されてしかるべきものとはそもそも何なかということから整理がなされなければならないのである。)
 それから、間接侵害についても、確かに今は直接侵害からの滲み出しで間接侵害を取り扱っているので不明確なところがあるのは確かだが、明確な間接侵害規定を作った途端、権利者団体や放送局がまず間違いなく山の様に脅しや訴訟を仕掛けてくるので、今度はこの間接侵害規定の定義やそこからの滲み出しが問題となり、結局何の解決にもならないだろうと私は考えている。

 募集され次第、知財事務局にも是非パブコメで意見を出したいと思っているが、他省庁と横並びの、ちまちまとしたこのような検討について知財事務局に突っ込みを入れても本当は仕方のない話である。首相を本部長とする日本の知財政策の最高決定機関として、知財本部にはそこでしか決定できないことを決定してもらいたいのだから。

 まず、世界特許構想や模倣品・海賊版対策など世界を相手にしている話については、確かに政府全体の取り組みとして全世界に発信する意味があるだろうが、これだけなら国内から文句はほとんど出ないだろうから、税金で知財事務局に役人を沢山飼っておく意味はほとんどない。
 要するに、知財本部で決定されるべきことは、日本国全体のプロパテント政策の舵取りと修正なのだ

 知財の世界なら、うまくやりさえずればどこでもwin-winの関係を築けるなどということは幻想に過ぎない。知財保護が行きすぎて消費者やユーザーの行動を萎縮させるほどになれば、確実に産業も萎縮するので、知財保護強化が必ず国益につながる訳でもない。最終的に国益になるであろうことを考え、各業界の利権や省益を超えて、政策的に勝ち負けを作らなければならないことが世の中には確実に存在している。このような政策決定こそ知財本部とその事務局が本当になすべきことだろう。(傍目から見ている限りでは、今のところはプロパテント維持のようだが、プロパテント一辺倒では必ず弊害も出てくる。特に、インターネット(情報)の世界では、既に弊害が出始めているように思う。)

 しかし、今は残念なことに、資料などからしても、このようなことを検討できる体制になっておらず、国としての知財政策の検討がほとんど出来ていないことは明らかである。結果として、船頭多くして船山に上るのことわざ通り、知財本部と知財事務局が自ら日本の知財政策の迷走の原因を作っているようにすら思える。
 是非、知財本部と知財事務局には、国の知財政策の最高決定機関としての自覚を持ち、体制の立て直しをしてもらいたいと思う。

 ただ、政官要覧を見ると事務局の幹部が役所からの出向者で占められているので、このような立て直しは不可能かも知れない。政官業学から人をかき集めても本当に大きな視点から知財に関する政策提言が出来る者がほとんどいないということなら、知財本部と知財事務局は、知財政策の舵取りをあきらめていさぎよく店じまいをした方が良い

 ついでだが、総務省への突っ込みもここに書いておく。11月19日に開催された「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会(第19回)」の配布資料中の「情報通信ネットワーク上のコンテンツ分類(案)」を見て私は目を疑ったのだ。こんな内容のない資料を最終取りまとめに向けた会議の資料として出してくるとはふざけるにもほどがある。あのパブコメ募集は一体なんだったのか。次回にでもこれ以上検討しない旨の最終報告書をまとめて、こんなふざけた研究会は即刻終わりにしてもらいたい。

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2007年11月19日 (月)

第26回:文化庁のパブコメは多数決か。

 今回は、パブコメに関するちょっとした余談をしよう。

 そもそも、パブコメは個別の論点に係る賛否の数を問うものではないということは、どの意見募集要項(例えば、私的録音録画小委員会の意見募集要項参照)にも書かれていることであり、答えから言うとパブコメは多数決ではない。(実際、パブコメの意図としてはその通りであろうから、私も自分の出した意見では自分なりの主張をするよう気をつけた。)

 そのため、果たして、内容(質)を無視したパブコメ動員がどこまで有効かどうかということがあるのだが、こと文化庁のパブコメに関する限り、文化庁は、過去、パブコメにおける賛否の数を民意として取り扱って来た節があるのだ。(文化庁も最近はあまりこのようなまとめをしていないとは断っておく。)

 例えば、レコードの還流防止措置などが問題となった、平成15年度の著作権分科会(第12回)で公表された意見募集の結果の資料は、リンク先を見てもらえれば分かるように、単に以下のように賛否の数をまとめているひどいものである

「書籍・雑誌等の貸与に係る暫定措置の廃止」について、賛成1,211、反対73、その他29
「日本販売禁止レコードの還流防止措置」について、 賛成676、反対293、その他68
「保護期間の延長」について、賛成2、反対16、その他1

 結果、「書籍・雑誌等の貸与に係る暫定措置」は廃止され、「日本販売禁止レコードの還流防止措置」も導入されている。
 この分科会中でも、委員から「内容では,賛成意見において,事業者団体が傘下の会員などに呼びかけて,そのコピーに署名して送っているというような意見もかなりあったが,賛否両論とも,それぞれの個人の考えをしっかり記述している意見が多かった。」と言われているくらいで、この時は数字から見ても明らかに権利者団体側に動員がかかっていたものと思われる

 また、iPod課金が問題となった平成17年度の法制問題小委員会(第8回)では、当時の著作権課長が、

「私的録音録画補償金の見直しにつきましては、若干重複いたしますが、167件ほどになりますけれども、非常に多くの意見が寄せられました。現行制度自体につきましては、現行制度は制度の周知も図られていないし、補償金の分配等も不透明であるとの否定的なものが16件ございました。
 また、ハードディスク内蔵型録音機器等の追加指定につきましては、追加指定すべきというものが17件、追加指定すべきでないというものが80件ございました。追加指定すべきというものは、MDとの公平性、あるいは個別課金はユーザーの経済的負担がかえって増加する、完全なDRMは存在しないというような意見でございました。追加指定すべきでない80件の内訳といたしましては、二重課金に当たるのではないか、ハードディスク内蔵型は汎用機器である、DRMによる個別課金にすべきという意見のほか、ハードディスク内蔵型はコンピュータにコピーできないように実際なっているのではないか、こうした意見もございました。」

と報告している。このパブコメのおかげかどうかはよく分からないが、結局この時はiPod課金はされていない。
 なお、その次の小委員会(第9回)では、全ての意見をまとめた上で、やはり当時の著作権課長が「ここで件数を言うこと自体もはばかられる状況でもございます」と言っているので、件数をあげつらうことはパブコメの意図から考えて問題があると、この時にようやく文化庁も認識したのであろうと思われる。

 その後はあまりこのようなまとめをしてきていないが、このような前例がある以上、今回の私的録音録画問題(ダウンロード違法化やiPod課金など)等についても、文化庁がまた同じように賛否の数でまとめをしてくることも想定しておかなければならない。今のところ、権利者側のパブコメ動員と文化庁の賛否集計の可能性を否定し切れない以上、MIAUネットユーザー動員活動も誤ったやり方とすることはできないだろう。

 まとめをどうするかは文化庁次第のところもあるが、個人のパブコメについて数のみを集計して、そこに含まれている新たな論点を文化庁で勝手に握りつぶしたりすることがあってはならない。ネットでも大々的な話題となったのだ、数はどうあれ、パブコメ全体を見れば、そこには自ずと本当の民意が現れて来るだろう。
 いかに提出された意見の数が多かろうと、その些細な論点でも握りつぶすことなく、次回の私的録音録画小委員会までに文化庁は全てのパブコメをきちんとまとてくれるものと私は期待する。このような丁寧な整理こそ、行政府に本来求められている機能なのだから。

 ついでに、ここで、行政手続法に基づく意見募集と任意の意見募集の違いの話もしておこう。
 行政手続法には、意見公募手続について、以下のような規定がある。

(意見公募手続)
第39条  命令等制定機関は、命令等を定めようとする場合には、当該命令等の案(命令等で定めようとする内容を示すものをいう。以下同じ。)及びこれに関連する資料をあらかじめ公示し、意見(情報を含む。以下同じ。)の提出先及び意見の提出のための期間(以下「意見提出期間」という。)を定めて広く一般の意見を求めなければならない。
(中略)

(提出意見の考慮)
第42条  命令等制定機関は、意見公募手続を実施して命令等を定める場合には、意見提出期間内に当該命令等制定機関に対し提出された当該命令等の案についての意見(以下「提出意見」という。)を十分に考慮しなければならない。

(結果の公示等)
第43条  命令等制定機関は、意見公募手続を実施して命令等を定めた場合には、当該命令等の公布(公布をしないものにあっては、公にする行為。第五項において同じ。)と同時期に、次に掲げる事項を公示しなければならない。
一  命令等の題名
二  命令等の案の公示の日
三  提出意見(提出意見がなかった場合にあっては、その旨)
四  提出意見を考慮した結果(意見公募手続を実施した命令等の案と定めた命令等との差異を含む。)及びその理由
(後略)

 しかし、電子政府の窓口からたどっていけば分かるように、今回の文化庁のパブリックコメントは任意の意見募集であって、行政手続法に基づく意見募集ではない

 これは、電子政府の用語集にもある通り、「行政手続法に規定する意見公募手続とは、行政機関が命令等(政令、省令など)を制定するに当たって、事前に命令等の案を示し、その案について原則として30日以上の意見提出期間を定めて、広く一般から意見や情報を募集する手続のこと」であるため、政令や省令を超える法改正に関する意見募集は、当然のことながら、行政手続法に基づきようがないからである。
 要するに、厳密なことを言えば、本来立法権限をもたない行政府が法改正について国民の意見を問うこと自体がおかしいのだ。このような法改正に関する行政府の意見募集という手続き自体、日本における行政と立法の役割分担の曖昧さからもたらされた歪んだ手続きである。このことは、もっと国民に広く知られて良いことに違いない。(なお、これを無くすためには、あらゆる法改正の検討を直接出来るくらいに立法府のキャパシティを高めた上で、内閣法を改正し、行政府からの法案の国会提出(内閣立法)を禁止しなければならない。)

 さて次は、少し河岸を変えて、知財事務局での検討について書いてみようかと思っている。

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2007年11月16日 (金)

番外その5:総務省の地上デジタル放送政策年表

 折角、地デジに関することを調べたので、総務省の地上デジタル放送関連の政策について年表形式でまとめておこう。完全なものではないことをお断りしておくが、このようなものもあまり見かけないので、参考になればと思う。

 それにつけても、役人がこのように分厚い報告書を沢山出すのは国民をごまかすためにやっているとしか思われない。どうせ大したことを書いている訳ではないのだから、もっとシンプルに誰にでも分かるようにしろと言いたい。国民を馬鹿にしないで欲しいものだ。

 また、こういう年表を作ると、総務省が、放送局には地上デジタル放送移行の検討の初期段階から支援を手厚くしているのに引き替え、消費者対策は最近になって行き当たりばったりに打ち出していることが分かる。確かに放送局の方が先行投資が必要となるので、ある程度は理解できるが、このやり方はあまりにも消費者を馬鹿にしていないか。

平成 9年 6月 地上デジタル放送懇談会で検討を開始

平成10年10月 地上デジタル放送懇談会報告

平成11年 5月 放送事業者に対する税制・金融上の支援制度の開始(参考1参考2参考3参考4

平成13年 6月 電波法の一部改正
・電波利用料によりアナログ周波数変更(デジタル放送のための既存のUHFチャンネル周波数の変更)対策に電波利用料を当てる。
・この改正電波法の施行日(平成13年7月25日)から10年となる2011年7月24日がアナログ停波の日となる。

平成14年 3月 情報通信審議会一部答申「BSデジタル放送用受信機等が対応可能な権利保護式の技術的条件」
・地上デジタル放送へのB-CASカードシステムの導入を決定
(平成14年6月に、この答申に沿って総務省令「標準テレビジョン放送等のうちデジタル放送に関する標準方式」を改正している。)

      6月 IT戦略本部「e-Japan重点計画2002」
(特に新しいことは書かれていないが念のため)

平成15年 4月 税制・金融上の支援措置の対象設備を拡充

      6月 電波法の一部改正(放送事業者の電波利用料額を見直し)

      7月 IT戦略本部「e-Japan重点計画2003」
・ここでようやく、アナログ放送終了時期等について国民に周知ということを言い始める。

      8月 総務省内に「地上デジタル放送推進本部」を設置

     12月 地上デジタル放送開始(AVWatchの記事

平成16年 6月 IT戦略本部「e-Japan重点計画2004」

      7月 情報通信審議会「地上デジタル放送の利活用の在り方と普及に向けて行政の果たすべき役割」第1次中間答申(プレス概要本文
・公共分野への導入に向けた先行的な実証など

平成17年 2月 IT戦略本部「IT政策パッケージ2005」

     7月 情報通信審議会「地上デジタル放送の利活用の在り方と普及に向けて行政の果たすべき役割」第2次中間答申(プレス概要本文
・「コピーワンス」の見直しの提案
・アナログ受信機への停波告知シールの貼付
・IPマルチキャスト・衛星による再送信の実証など

平成18年 7月 IT戦略本部「e-Japan重点計画2006」

      8月 情報通信審議会「地上デジタル放送の利活用の在り方と普及に向けて行政の果たすべき役割」第3次中間答申(プレス概要本文
・コピーワンスをEPNにすることを提案
・テレビ広告を中心とした周知広報・相談体制の組織化など

平成19年 7月 IT戦略本部「e-Japan重点計画2007」

      8月 情報通信審議会「地上デジタル放送の利活用の在り方と普及に向けて行政の果たすべき役割」第4次中間答申(プレス1(地デジ)概要1本文1プレス2(コピーワンス)概要2本文2
・コピーワンスをダビング10にすることを提案  
・デジタル放送の視聴実態の正確な調査
・難視聴地域対策や低所得世帯向け受信機の購入支援策など

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2007年11月14日 (水)

番外その4:沈みゆく巨大船団、地デジ

 B-CASカードを用いたコピーワンス制限解除機器フリーオ(Friio)に関することが、ネットでほとんど祭り状態で騒がれている。騒がれるのも当然で、B-CASシステムそのものに穴を空けるこのような機器の登場が、日本の今までの地上デジタル放送政策を揺るがす大事件であることは、いくら強調してもしすぎではない。(今は、地上波対応機のみのようだが、3波共用機の登場も容易に予想され、そうなったときは、BSやCSも巻き込んだ大騒ぎになるであろう。)

 B-CASそのものの問題については以前(第18回第22回参照)から書いてきており、繰り返すことはしないが、コピーワンスとB-CASの問題は、地上無料波のデジタル移行そのもの本質に繋がる問題なので、今回は番外として、ユーザーから見た地上デジタル放送の問題点についてまとめておきたいと思う。(なお、B-CAS問題の本当の解決策はB-CASシステムの速やかな排除しかない。B-CASの法制化など決してしてはならない。そのエンフォースの不可能性のよってきたるところは、無料地上波のユーザーが国民全員であることなので、いくら法律で縛ろうとしたところで必ず無理が出てくる。)

 そもそも無責任にテレビでもチューナーでもアンテナでも買い足せばOKと書いてある時点で腹が立つのだが、デジタル放送推進協会(D-pa)のHPに載っている案内によると、地上デジタル放送を見るためにユーザーは以下のことをしなければならない。

・UHFアンテナがない場合、UHFアンテナを買って取り付けること。(工事費込みで2万円~数万円くらいか。)
・アナログテレビしかない場合、デジタルテレビかデジタルチューナーを買うこと。(チューナーで2万円、デジタルテレビでは10万~20万くらいが中心価格帯だろうか。)

 要するに、何故かお役所などの資料では消費者のコストに関することが綺麗にごまかされてきていたのだが、要するに今、地上デジタル放送移行に際し、消費者には最低2万~4万の投資をすることが求められているのだ。

(なお、「地上デジタルテレビ早わかりガイド(別冊)アナログテレビ放送が止まる!どうして?」も、何故人によってとらえ方の変わるメリットばかりを書いて、デメリットを書かないのか理解に苦しむ。素直に国策だから必要なのだと書いてくれた方がよっぽど良い。)

 そして、アナログが停波されること自体はそれなりに浸透してきたのではないかと思うが、かなりの出費が必要となることを考えると、国民の中には地デジに対する出費をためらっている層もかなりいると思われる。実際のところ、アナログ停波まで4年を切ったにもかかわらず、以下のような層がそれぞれどれくらいいるのかがさっぱり分からないのだ。

(1)既にテレビをデジタル対応のものに買い換え、UHFアンテナもあり、地上デジタル放送対応を済ませている層
(2)テレビをデジタル対応のものに買い換えたが、UHFアンテナがなく、地上アナログ放送を見続けている層
(3)テレビを買い換えるつもりはあるが、様子を見ている層
(4)デジタルチューナーで対応するつもりで、様子を見ている層
(5)テレビもチューナも買い足す気はなく、アナログを停波とともにテレビを見るのを止めるつもりの層

 地上デジタルテレビの台数だけで言えば、累計で2600万台を超えたとのことだが、本当にデジタル対応を済ませている(1)の層はどれくらいいるのか。私も含め、実はほとんどの層が、コピーワンスの検討の混乱などを見ながら、地デジ移行は本当に大丈夫かと様子見をしているのではないか
 (3)と(4)の層を安心させ、速やかにデジタル移行を促進することが必要とされているのだろうが、きちんとした統計もなく、総務省からは今のところ本当に実現されるかどうかもよく分からない場当たり的な政策しか提案されていないので、私は以下のような点でどうにも不安にならざるを得ないのだ。

・チューナーで対応するつもりの層をどうするのか。総務省の情報通信審議会でメーカーに5000円にしろと最近答申している(概要ITmediaの記事も参照)が、B-CASという暗号システムを含む機器を5000円に出来るとは素人目にも思えない。総務省には何かアテがあるのか。またここに税金を投入するのか。税金を投入するとしたら、先にチューナーを買った人との不公平感をどうするのか。
 また、上の答申でも、経済的に困窮度が高い者には支援をすることとしているが、どのような層が対象となるのか

・テレビやチューナーは、メーカーさえ十分な数を供給すれば、最後入手に困ることはないかも知れないが、アンテナ工事は作業員が必要である。アンテナ工事の駆け込み需要のことまで考えているのか。(ITproの記事によると、特に東京地区ではUHFアンテナの普及率は5割程度にとどまるらしい。東京での世帯数は600万世帯ぐらいのようなので、実際には集合住宅もあるので何とも言えないが、単純計算だと300万軒のアンテナ工事が必要となる。加えて、オフィス等のテレビのことも考えなければならない。)
 さらに、5000円のチューナーを買わせることすらおかしいと思う層は、アンテナ工事の費用負担に怒りを爆発させるのではないか。それだけの費用を払っても、この層には何のメリットもないのだ。受信機購入の支援はアンテナにも及ぶのかということもある。

使えなくなるアナログテレビはどうするのか。家電リサイクル法でブラウン管テレビはリサイクルされることとなっているが、予想される廃棄台数に対してリサイクル工場のキャパシティが本当に十分にあるのか。不法投棄対策は十分なのか。家電リサイクル法自体もいろいろな問題が指摘されているところである。

 こう考えてくると、どうしても、今後地デジ移行のための混乱は増えこそすれ、減ることはなく、今のままアナログ停波を断行すると、駆け込み対応で混乱した上に、テレビが見られなくなる家庭が多く残るという事態を招くだけではないかと思われて仕方がない。結局地上デジタル放送そのものが見限られることにもなりかねない。(別にテレビを見られなくとも人は死なないが、このような事態を招くことは明らかに放送政策としては間違っているであろう。)

 デジタル放送を推進する立場の人たちには悪いが、混乱を避けるためにはアナログ停波の中止(最低限延期)が私にはどうしても必須と思われる。
 デジタル放送移行で儲けた人たちよ、もう十分に儲けたであろう、そろそろ本当に国民のことを考えてもらえないだろうか。日本の国民は馬鹿ではない。沈む船には鼠も残らない。国民が去った後の放送に一体何が残るというのか。

 今までの混乱と今後予想される混乱の原因はどう考えても、本来最も現実的な判断をするべき政策担当部局(日本の政官業が複雑に絡み合った無責任システムは、誰が政策決定の責任者なのか常に分からなくなるように出来ているのだが、やはりその中心は官僚だろう)が、既得権益(利権)の維持(拡大)と原則論にこだわり、本当の現実を見てこなかった所為であるとしか私には思えない。
 以前から、官製大プロジェクトの問題はつとに指摘されてきたところ(池田信夫氏の記事参照)であるが、その錚々たる歴史の中に地デジの名が刻まれるのは時間の問題であると私には思われる。その足を引っ張ったのは明らかにコピーワンス問題であり、私は、4年と経たないうちに、あらゆる放送に暗号化とコピー制御をかけるという壮大な実験に失敗した国として、日本は世界放送政策史上にその名を残すことになる気がしてならない
 私の予想が誤っているとしたら、それは喜ばしいことである。別に私も余計に不安を煽る気はさらさらないので、時間も限られている中、総務省には是非、上の様な層がそれぞれどれくらいいるかとその将来予想をきちんと調査した上で、現実的な対応をしてもらいたいと思う。

 なお、池田氏の記事にもあるような、いわゆる「日の丸プロジェクト」が、知財政策のみならず、日本の政策を歪めてきたこと、今後も歪めていくであろうことは想像に難くない。折角、最近はインターネットで何でも調べられるようになっているので、番外シリーズとして、地デジのみならず、様々な官製大プロジェクト史についても、自分なりに調べたことをまとめて行きたいとも思っている。

 折角勉強しているので、本当は特許の話なども書きたいのだが、ユーザーから見たときの問題点ということでは、あまりにも著作権の問題が大きので、まだしばらくは著作権の話を中心に書いて行きたいと思う。

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第25回:文化審議会著作権分科会法制問題小委員会提出パブコメ

 こちらは、私的録音録画小委員会ほど問題はないと思うため、簡単に書いたが、文化審議会・著作権分科会・法制問題小委員会の中間まとめへの意見を提出したので、ここに載せておこう。

1.個人/団体の別:個人
2.氏名:兎園
3.住所:(略)
4.連絡先(電話番号、電子メールアドレスなど):
5.該当ページおよび項目名
(1)「18ページ~、第2節 2 親告罪の範囲の見直しについて」について
(2)「45ページ~、第4節 検索エンジンの法制上の課題について」について
(3)「71ページ~、第6節 いわゆる「間接侵害」に係る課題等について」について

6.御意見
(1)「18ページ~、第2節 2 親告罪の範囲の見直しについて」について
 著作権侵害を非親告罪化することに反対する。
(理由)
 著作権法が、極めて公益性の強い場合を除いて、全て非親告罪とされているのは、中間整理に書かれている通り、「著作権、著作者人格権、出版権、実演家人格権及び著作隣接権という私権であって、その侵害について刑事責任を追及するかどうかは被害者である権利者の判断に委ねることが適当であり、被害者が不問に付することを希望しているときまで国家が主体的に処罰を行うことが不適切であるため」であり、人格権の保護という色彩が、著作権においては極めて強いためである。
 技術の進歩により、著作権者の主体がかえって会社から個人へ移りつつあること、インターネットの普及により、個人の著作が爆発的に増えつつあることを考えると、今後も著作権から人格権の保護という色彩が払拭されることはまずもってあり得ず、著作権のこのような整理が動かされることはあってはならないと考える。
 世界的に見ても類を見ないほど重い罰則との関係もあり、いわゆる著作権侵害罪の非親告罪化は今後も絶対になされるべきではない。

(2)「45ページ~、第4節 検索エンジンの法制上の課題について」について
 検索エンジンに関する権利制限を設けることに賛成する。
(理由)
 このような権利制限は、検索エンジンの公益性、すなわちインターネットにおける情報アクセスの社会的重要性を認める画期的なものである。
 このような権利制限を設けた上で、インターネットにおける様々な著作物の公正な利用形態に対する権利制限について、さらに来年以降も検討がなされることを期待する。

(3)「71ページ~、第6節 いわゆる「間接侵害」に係る課題等について」について
 著作権法に間接侵害の規定を設けることに反対する。
(理由)
 インターネットの登場以降、間接侵害的な著作権侵害について続々と提起された訴訟の判決の中には、侵害主体性等の認定について疑義があるものも多いと考える。
 今後も様々なサービス・機器が現れるであろうことを考えると、一般的な間接侵害規定を設けることは、差止請求の対象を不明確なものとし、いたずらに訴訟の頻発を招くことにつながり、著作物の公正な利用を阻害することになるのみと考えられるため、このような間接侵害の規定を設けることに反対する。
 なお、どうしても法律屋の自己満足として法改正を行いたいということであれば、一般的な間接侵害規定を設けることを必要とする立法事実がないことから、カラオケ等、既に最高裁で判例が確定している業態のみが対象となるように、その規定は極めて限定的なものとなされるべきである。

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2007年11月12日 (月)

第24回:レンタルCD屋の背信

 今回は、レンタルCDと私的録音補償金の関係について、少し書いておきたいと思う。

 レコードに関する貸与権の創設経緯については、様々なところで書かれているので、詳細は省略するが、要するに、貸しレコード店が昭和50年代半ばに開業されると、レコードを借りては複製して返すという行為が問題となり、すったもんだの末に昭和59年の法改正で、貸与権が創設されるとともに、料率が決定され、レンタルレコード店は晴れて合法の商売になったということである。その料率の決定の際、貸与権の料率は、極めてアバウトに複製権の料率から決定された。(平成19年度第3回私的録音録画小委員会に提出された日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合(CDVJ)の資料参照。)

 CDVJの資料に、貸与権創設時に許諾を原則とするといったことが国会の附帯決議で決まったと書かれていることについて、一体、許諾を原則とする許諾権とは一体何かと突っ込みたいところもあるが、ここではおいておく。

 なお、この貸与権自体非常にややこしいのだが、レコード(CD)に関して言えば、著作権者(作曲家・作詞家)が有している権利が許諾権で、著作隣接権者(実演家・レコード製作者)が有している権利はレコード販売から1年間の許諾権と、それ以降(49年間)の報酬請求権となっていることにも注意が必要である。

 また、CDVJの代表は、この第3回私的録音録画小委員会の中で、利用者等との契約には私的複製に関する記載はなく、レンタルCDの料金に複製対価が入っているとは契約上は認められないとも言っており、その通りに、文化庁の中間整理にもまとめられている。

 ここまでは確かに一面的ではあるが事実に違いない。
 だが、何故か、文化庁の中間整理からは、この第3回私的録音録画小委員会で委員から明確に指摘されたもう一面の事実、CDVJの私的録音録画補償金に関する過去の見解と、レンタルCD店がレコード協会に認めた実質的な料率値上げである需要拡大協力金の話が、明らかに恣意的に落とされているのである。(第3回小委員会の議事録参照。)

 まず、CDVJのホームページをインターネットアーカイブで見ると、確かに、4月10日までは、その「レンタルと著作権」という項目の中に、

「◇しかし、私的録音補償金制度が導入された現在、各権利者はユーザー及びレンタル店双方からコピーに関する代償を二重に受け取っていることになるため、CDレンタル使用料の早急な見直しが必要です。

 CDレンタルに関する使用料がユーザーのコピーの代償という観点から決められた経緯からしますと、平成5年に私的録音補償金制度(※本文後段にて解説)が導入され、デジタル式のハードやソフトを購入するユーザーが各権利者に対してコピーに関する補償金を支払うシステムが構築されたことにより、各権利者はユーザー及びレンタル店の双方から、そのコピーに関する補償金を受取っていることになります。よってCDVJでは早急な使用料の見直しが必要であると考えております。 」

と書かれているのだが、これが何故か、5月21日には消されているのだ。(ちなみに今も消えたままである。)

 5月10日が第3回の私的録音録画小委員会だったので、そこでヒアリングされるからと言って、そこでレンタルCDからの私的録音も補償金の対象と言いたい権利者におもねるために消したのか。ホームページは消えても記録は残っている。本当にそんなことを考えて直前になってこの記載を消したとしたら、これは、消費者・ユーザーを馬鹿にした実に愚かな行為としか言いようがない。

 そして、4月21日には、需要拡大協力金という形で、レコード会社に対する実質的な使用料の値上げに応じたということも報道されている。(CDVJの記事日経の記事参照。)

 CDVJが自ら引用している記事にも、「レコード会社も、レンタルCDから携帯音楽プレーヤーにコピーする利用者が急増しており、販売不振の一因になりかねないと警戒していた。」と書かれているくらいで、語るに落ちた感があるが、これでも、レンタル料金は私的複製の実質的な対価ではないと、ヒアリングで暗に言い切っているのは、明らかな自己矛盾であろう。

 レンタルCD屋が権利者団体の理屈なき圧力に屈したというだけのことかも知れないが、レンタルCD屋は、独占禁止法違反の陰すらちらつく、このような圧力に屈するべきでは決してなかった。きちんと消費者やユーザーの声を聞いて行動するべきであった。一体、どれほどの人間が私的複製をすることを想定せずにCDを借りるというのか、実質的にその後の私的複製のことまで考えてレンタルしていないとしたら、一体あの料金はなんだというのか。

 はっきり言って、単に一日から一週間なりCDを聞くだけの料金ということであれば、現行の料金すら高い。レンタルCD屋が、その後の私的複製のことは知りません、私的録音補償金で対応して下さいということであれば、そもそもCDの値段が硬直的なのであるから、ホームページに書かれていた通りの理屈で料金引き下げ交渉のみに応じるべきだった。そうすれば、私的録音録画小委員会でも、はっきりと従来の立場を貫くことが出来、消費者代表らに上のような矛盾した行動を指摘されて、不信を招くこともなかっただろう。

 それを勝手に権利者団体におもねり、ホームページの記載をヒアリングの直前に削除し、さらには、需要拡大協力金という形で著作権料の値上げにまで応じるとはどういうことか。そのようなことをしているのであれば、法律や契約はどうあれ、消費者・ユーザーから見たときには、なおさら、レンタルCD屋の料金には私的録音分の対価も含まれているとしか思えないではないか

 要するに、レンタルCDとの関係をどうするかということをほとんど考えないままに補償金制度を導入してしまったことからしてそもそも間違っていたのだ。

私的録音録画補償金制度導入を決めた第10小委員会の報告書でもはっきりと、

「なお、この点に関連して、貸レコード業者については、放送局やレコード会社に比べて、その提供するレコードが私的録音に利用される可能性が高く、現に、貸与権成立の経緯から、これらの業者の支払っている使用料等は、実質的には貸レコードの利用者による私的録音を勘案しながら定められているのではないかとの考え方もあり、貸与と私的録音とは別の利用態様であるとしても、今後の実態を良く踏まえながら、報酬請求権制度との関わりあいを整理すべきであるとする意見があった。」

と書かれており、まさにこのことが今整理されるべきことなのである。

 私的録音録画補償金について、折角、文化審議会で廃止も含めた抜本的な検討を行っているのであるから、権利者団体におもねっているだけのレンタルCD屋の適当なごまかしのみを中間整理に載せるようなことをせず、国民が本当に納得できる形で、法律・契約上の対価のみではない実質的な対価と、私的録音録画補償金の関係や、ビジネス的に事業者同士の間でやりとりされる著作権料と、私的録音録画補償金の間の関係をきちんと整理してもらいたいと、私は心から思う。原則から言えば、私的複製との密接な関係を考えると、レンタルCDからの私的録音を大した整理もせずに補償金の対象と考えることなど、そもそもあってはならなかったのだから。

 それにつけても、レンタルCD屋とレコード会社の、消費者・ユーザーを無視した背信行為については、徹底的に糾弾されてしかるべきである。このことが本当に広く知られるようになれば、レンタルCD屋とレコード会社が謝罪してその撤回をするまで、消費者・ユーザーによるCDの不買・不借運動が起きてもおかしくない。これはそれくらい重大な背信行為である。

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2007年11月10日 (土)

第23回:権利者団体の公開質問状

 昨日、権利者団体がJEITAに公開質問状を出したというニュース(ITproの記事権利者団体の発表資料質問状の全文)があった。

 どこから突っ込んで良いのかよく分からないが、権利者団体がダビング10+録画補償金でユーザー・消費者が納得していると勝手に決めつけているのはいかがなものか。そもそも総務省の答申には、録画補償金の話は一言も出てきていないので、こんなことが総務省の審議会で合意された訳でもあるまい。そのパブコメの結果も発表されておらず、ダビング10を本当に民意が望んでいるかすらよく分からないのだ。

 一人のユーザーの意思表示がどれほど意味があるのかは分からないが、少なくとも私は、どれほどごまかしの機能が付いていようとダビング10録画機を買うつもりは全くないとはっきり言っておこう。録画補償金が上積みされるというならなおさらである。ほとんど欠陥商品と言っても良いデタラメなダビング10録画機(どうしてデタラメなのかは以前に書いた。しかもこのデタラメさはメーカーの技術者がどんなに頑張ろうと回避不能である。)を録画補償金を維持して売るくらいなら、まだ現行のコピーワンスを維持したまま、まず録画補償金を廃止した方が、まだしも混乱を回避できるだろう。

 そうなるとテレビも見なくなるであろうし、ダウンロードも違法化されるとなると、私が取る行動は、インターネットで自分が合法だと思うコンテンツのみをメインで楽しむということになるだろう。しかし、私のように行動する者が多いとしたら、テレビというメディアの衰退がさらに加速するだけのことである。その時一番困るのは、テレビというメディアに依存してコンテンツと機器を売ってきた、既存の権利者団体に所属する有力な権利者や、JEITAに所属する有力メーカーだと思うのだがどうだろうか。

 テレビが完全に衰退した後で、彼らが頭を下げて、インターネットという流通チャネルに参入しようとしても、既にそこには視聴のために特別な機器を必要としない、ユーザーが自ら作り出したコンテンツであふれており、彼らにつけいる隙は無くなっているに違いない。このような未来は、個人的には時間の問題だとは思うが、老婆心ながら、権利者団体ももう少し自分のことを考えて、テレビというコンテンツの流通チャネルを維持するにはどうしたら良いのかを考えた方が良いのではないかと思えてしまう。

 私的複製がどうこうとか、対価云々の前に、何をどう言ったところで、コンテンツはまずユーザーに見られ、聞かれなければどうしようもないのだ。法律だの契約だの技術だの言う前に、本当にユーザーが欲しいと思う機器とコンテンツを作って欲しいと私は思う。ほぼ断言できるが、それさえ作っていれば、制度なんてものは必ず後からついてくる。このように法律と契約と技術のそもそも論で彼らが戦っていること自体、魅力的な機器とコンテンツを作れていないということを自ら告白しているに等しいと私は思っている。

 私的録音録画補償金制度に関して妥協点を探る努力はまだまだこれからの話であろう。法改正の話がまとまらなければ、自動的に今の録画補償金が維持されるので、権利者団体はそれをねらっているのかも知れないが。

 そうは言っても、折角の公開質問状なので、メーカーにも是非率直なところを公開回答状で示してもらいたいと思う。

 本当は、ユーザー・消費者離れの話として、今回はレンタルCDのことを書きたかったのだが、それはまた次回に。

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第22回:B-CASシステムという今そこにある危機

 本日、小寺氏のブログの記事「B-CASの問題点が早くも浮上」を読んで私は驚愕した。

 記事に書かれている事実が本当だとすると、そこから導き出される結論はあまりに重いと思うので、この記事をトラックバックとして書かせて頂きたいと思う。(小寺様、勝手なトラックバック失礼致します。もしご迷惑な様でしたら、お手数ですがトラックバックを削除下さい。)

 記事に書いてあることは単純で、要するに、勿論アングラなものであるが、B-CASカードを差し込むとテレビ放送の信号をコピーフリーとして出力してくれる外国製のチューナーが現れたということである。

 そもそも私はこのような機器が作られるとは正直思っていなかった。認識が甘かっただけなのだが、コピーワンスの解除にはより簡便な方法があり、このような、日本国内で、しかもアングラでしか売れない機器のために、わざわざB-CASのような複雑なシステムを解析して不正機器を作る外国メーカーがあるということが私にはどうしても想定できなかったのである。

 問題の大きさについて順を追って説明していくと、まず、記事に書かれている通り、このような機器を販売することは、著作権法あるいは不正競争防止法に原則違反する。そして、このような機器でなされる複製は著作権法の私的複製には当たらないため、このような機器の利用者が個人的にした複製について権利者に訴えられる可能性があることも多分その通りである。(著作権法で規定されている技術的保護手段と、不正競争防止法で規定されている技術的制限手段の違い、それぞれの法律で何が違法とされるのかの違いもどこかでまとめたいと思うが、ここではちょっと置いておく。)

 これだけでもリスキーなのだが、実は、B-CAS社とカードの利用者(テレビを買ってカードのパッケージを破った者)の間に契約が成立してしまっているのである。その契約B-CAS社のホームページでも見ることが出来るがそこに大変なことが書かれているのだ。特に問題となるのは、

第2条 (カードの所有権と使用許諾)
  このカードの所有権は、当社に帰属します
2. お客様は、本契約に基づき、受信機器1台につき、カード1枚を使用することができます。

第11条 (禁止事項等)
  客様は、当社がカードの使用を認めていない受信機(例えばカードが同梱されていない受信機)に、このカードを装着して使用することはできません
(中略)
4. お客様はカードをレンタル、リース、賃貸または譲渡等により、第三者に使用させることはできません。但し、お客様と同一世帯の方に限り、お客様の責任において、このカードを使用させることができます。

  第12条 (契約違反)
  お客様が本契約に違反(例えばカードの複製、変造、翻案等)した場合、当社は本契約を解除し、お客様に対し、そのカードの返却を求めるほか、当社が被った損害の賠償を請求することがあります

 というところである。カードを不正な機器に装着したことによってB-CAS社に発生した損害や、カードを他人に譲渡したことによってB-CAS社に発生した損害は、カードの利用者に請求され得ることになっているのである。放送局とB-CAS社の間にも損害賠償請求契約はあるであろうから、結局これは、不正な機器から派生した違法な複製による損害を全て、不正な機器に差されるカードの利用者(譲渡されたカードなら、元の利用者)が負いかねないということを意味している。このことも考え合わせると、はっきり言って、B-CASカード不正利用機器の利用、あるいはB-CASカードの譲渡は、普通の利用者にとって、あり得ないくらいリスキーな行為である。(さらに、していない人も多いかも知れないが、B-CASカードは原則登録カードで名前や住所などを登録することにもなっている。)

 特に、B-CASカードを不正に利用する機器が出てきた以上、不正な機器に使用されるカードを使用できなくすることも検討されるに違いないが、その場合、全ての地上デジタル放送の視聴者に対して、名前と住所を登録していないカードではテレビが見られなくなることを事前に十分周知した上で、非登録カードの全てを使えなくするという途方もないコストと混乱が予想されることを行わなければならない。(果たしてそんなことが許されるのかということが無論あるが。)このようなことがなされた場合、このコストも損害として、その原因となったカードの利用者(譲渡されたカードなら、元の利用者)が負わされる可能性がある

 はっきり言って、有料放送のセットトップボックスに載せられるべきカード管理システムを無料放送のテレビにそのまま適用したのがそもそも間違いなのだが、このシステムの複雑さから少なくともあと10年くらいはB-CASシステムそのものの安全神話は保たれ、その間にB-CASシステムの問題が広まって行くことで関係者が動き、何とかなるのではないかと私は楽観的に考えていた。しかし、こうなった以上、これは今ここにある危機としか言いようがない。

 少しでも多くの人にこの問題を知ってもらう必要があると思い、巨人の肩に乗るようで恐縮だが、小寺氏の記事にトラックバックで記事を書かせて頂いた。少なくとも、この記事を読んで頂けている人に言っておきたい、B-CASカードを絶対人に譲渡してはいけない、自分の住所と名前を登録したカードを譲渡するなどもってのほかである。オークション等で売ってしまったという人がいたら、即刻B-CAS社に対し紛失の届出を出しておくべきである。

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2007年11月 9日 (金)

第21回:文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会提出パブコメその3

 最後に、補償金制度に関するところから、終わりまで。この意見の中にも少しは書いたことも含め、次回こそ、レンタルCD問題について調べたことをもう少し詳しく書いてみたいと思っている。

(12)「110ページ~、第7章第3節 補償の必要性について」に対する意見:
 本来行政府に求めるべきことではないが、私が補償の必要性に関する法改正事項として求めるのは以下の事項であり、これ以外の方向性に反対する
1.以下で引用する第10小委員会の報告書でも、はっきりと記載されているように、そもそも著作権法の様な私法が私的領域に踏み込むこと自体がおかしいこと等から、元々私的録音・録画は自由かつ無償とされていたのである。今現在、ないがしろにされているこの原則を再び法文上明確にすること
2.そして、それに加えて、この第10小委員会の報告書の記載では曖昧であるが、補償金については、私的録音録画を自由にすることの代償であることを法文上明確にすること。すなわち、私的録音録画の自由を制限するDRM(コピーワンスやダビング10ほどに厳しいDRM)がけられている場合は、補償措置が不要となることを法文上明確にすること。

 この項目についても削除あるいは修正されるべき点について、以下に指摘して行く。

・110ページの制度導入時の整理について、最終報告においては、第10小委員会の報告書からの引用は、より適切な以下のものに差し替えるべきである。
「第4章 報酬請求権制度の在り方
 私的録音・録画問題とは、権利の保護と著作物等の利用との間の調整をいかに行うか、言い換えれば、現行第30条の規定している私的録音・録画は自由かつ無償という秩序を見直すかどうかという問題である。
(中略)
 報酬請求権制度を我が国の著作権制度の上でどのように位置付けるかという問題については、私的録音・録画は、従来どおり権利者の許諾を得ることなく、自由(すなわち現行第30条の規定は維持)としつつも、一定の補償(報酬)を権利者に得さしめることによって、ユーザーと権利者の利益の調整を図ろうとするものであり、私的録音・録画を自由とする代償として、つまり、権利者の有する複製権を制限する代わりに一種の補償措置を講ずるものであると位置付けることが適当である。」

・111ページの注釈で、タイムシフトは消去されなければならないことが最高裁判例で判示されたと記載されているが、私には確認できなかった。明確に記載を引用するか、あるいは、この注釈は削除されるべきである。

・112ページで、第10小委員会での基本的考え方を勝手に決めつけているが、これも正しくない。このような記載は元々私的複製の自由・無償の原則があったことを忘れている。上の引用でも分かるように、第10小委員会の報告書には、私的録音録画を自由とする代償ということもはっきりと書かれている。

・112ページで、単に録音録画機器が普及したことのみを強調しているが、これは一方的な見方である。技術の発展を受けて、既に複製の主導権がユーザーに移りつつある、コンテンツの利便性すなわち複製の利便性となってしまっている、情報アクセスすなわち一時的固定あるいは複製となってしまっている状況こそ真に考慮されるべきで、このような状況下で著作物を提供することの意味をもう一度とらえ直すべきである。

・また、112ページで、もう一つの考え方を、新たな権利の付与としているが、元々原則は私的複製は自由かつ無償であったのであり、これを新たな権利の付与と称することは妥当ではない。このような誤解を招く語は、最終報告からは削除されるべきである。

・115ページで、「ただし、著作権保護技術には、私的録音録画自体を厳しく制限するというよりは、通常の利用者が第30条の範囲内で必要とする私的録音録画の機会は確保しつつ、デジタル録音録画された高品質の複製物が私的領域外へ流出するのことを抑制するものという捉え方も可能なものもある。このような捉え方は、現行法でも複製物を使用しない者の複製を禁止し、私的複製に作成した複製物の頒布を目的外使用として原則禁止としていることとも合致していると言える。」と記載されているが、コピーワンスやダビング10など、明らかに私的録音録画自体を厳しく制限しているものもあり、このような捉え方を一方的に現行法と合致しているとすることは妥当ではない。この文章は削除されるべきである。

・118ページに、「一人の利用者の行う私的録音録画の全体に着目すれば、経済的不利益を生じさせていることについてはおおむね共通理解があると考えられる。」ということが記載されているが、各複製形態毎に経済的影響の評価をして、補償の要否を決めるべきとされているときに、このような全体的な記述を行うことは乱暴である。共通理解があるとすることも疑わしい。
 また、その評価は事実上困難であることなどから、私的録音録画からの利益は否定できないかもしれないが、権利者が被る経済的不利益を上回るものではないという意見が大勢であったとも記載されているが、評価が困難であるにもかかわらず、不利益を上回るものでないとするとは理解不能である。また、なぜ不利益の方のみを評価が困難でないと勝手に決めつけられるのかも不明である。困難なことは分かるが、利益不利益の両方をきちんと評価することが今まさに必要とされているのであり、この評価が不能であるとするなら、私的複製の元々の原則に立ち返り、補償は不要とされるべきである。
 したがって、この118ページの(2)の記載は全て削除されるべきである。

・119ページの受忍限度と補償の必要性について、権利者の受忍限度のみを補償の必要性のクライテリアとすることは、そもそも公平の原則に反し、真の国民視点に立った検討を不可能にする、一方的かつ独善的な整理である。
 また、プレイスシフトやタイムシフトについては補償の必要性は無い。このことは額の算定ではなく、制度の必要性・補償金の対象とするべきかどうかというところで、まず判断されるべきことである。
 したがって、この119ページの(3)の記載は全て削除されるべきである。

・120ページで、「個々の権利者の意思とは関わりなく、厳しい制限が課された著作権保護技術が導入されることが一般化されることを想定しているが、現実には、社会全体がこのような状況になる可能性は少ないのではないかと考えられる。」と記載されているが、既に、地上デジタル放送については、コピーワンス制限がかかっており、ダビング10になったとしても厳しい制限がかかっていることに変わりはない。この記載は、特に、地上デジタル放送については、コピーワンスのような厳しいコピー制限が課され、一般化していると修正されるべきである。

・120ページで、個々の権利者が選択権を行使できる場合についての記載があるが、既にネットではこのような状況となっていることが明記されるべきである。ネットにおいて権利者が自らDRMつきあるいはDRMなしのコンテンツの配信事業を行うことを妨げる要因は何一つない。

・121ページで、「CCCD(コピーコントロールCD)の例のように、厳しい利用制限の選択肢があるとしても、市場がこの方法を受け入れなければ、そうした選択ができないこと、また著作物等の提供者の優越的地位により、権利者に自由な選択権が確保されない場合も想定されるので、権利者の意思にのみ補償の要否を委ねるのは問題である。」という意見が記載されているが、CCCDを市場が受け入れなかったのは、コンテンツの利便性すなわち複製の利便性となってしまっているために、CDの代金がほぼ私的複製の対価ととらえられていることの証左にすぎない。また、著作物の提供者の優先的地位の乱用は、独禁法で解決されるべき問題であって、補償金の積み増しで解決されるべき問題ではなく、このような全く妥当でない記載は、削除されるべきである。

・122ページの、「仮に現状では著作権保護技術と補償金制度が併存する状況にあったとしても、著作権保護技術の影響度を補償金額に反映させることや、場合によっては対象機器等の特定に反映することについては、おおむね異論のないものと思われる。」という記載も、明らかに補償金制度ありきの文章であり、予断を与えるこのような文章は削除されるべきである。

(13)「123ページ~、第7章第4節 補償措置の方法について」に対する意見:
 (12)で書いたように、そもそも制度の廃止も含めて検討されるとされている中、補償の必要性についてすら明確に整理できていないところで、補償措置の方法について検討することは妥当でない。補償の必要性についてきちんと明確に整理できるまでは、現行制度の方法を変更するべきではない

 本来ならば、最終報告に当たっては、これ以降の全ての記載を削除するべきであると考えるが、特に削除されるべき事実誤認に基づく記載、あるいは不合理な記載を以下に指摘しておく。

・123ページで、機器媒体への課金することを補償金制度を採用している全ての国と同様の制度としているが、上に書いた欧州消費者組合の意見書の第3ページに書かれているように、ノルウェーでは税金により著作権者への補償を行っており、このような記載は修正されるべきである。

・124ページで、「録音録画源に注目すると、私的録音録画の可能性を一切無視して補償金を徴収することになることなど、制度の不合理さが目立つ制度にならざるをえず、仮に補償金制度を導入するとすれば、アの制度が適当であるとする意見が大勢であった。」としているが、録音録画機器に課金するとしても、iPod含め汎用録音録画機器に対象を拡大するとすれば、補償が必要な私的録音録画の可能性を無視して補償金を徴収することになることは全く同じことになるので、このような記載は妥当でない。削除されるべきと思われるが、強いて言うなら、この記載は「仮に補償金制度を維持するとすれば、分離型専用機器を対象とする現行の制度を維持することが適当であるとする意見が大勢であった。」とするべきである。

・125ページで、「民間同士の契約に任せても、利用者から料金等を徴収している場合は、録音録画機器を有しない人も事実上その経費を負担することになること、第30条が改正され無許諾無償の録音録画が再び認められるようになったのに事実上録音録画の対価が徴収されることについて、利用者の納得が得られるかどうか疑問が残る。」としているが、これは法律屋の論理であって、一般国民のコモンセンスからは乖離している。
 例えば、CDを買うとき、私的複製も含めて音楽を個人的に楽しむ権利を買っていると普通のユーザーは認識しているのであり、単なるプラスチックコートのアルミ板を買っているなどと思っている一般ユーザーは恐らく一人もいないということを、法律屋はもっと認識するべきである。解釈によっても良いし、立法によっても良いが、このような本当のコモンセンスと法律を合わせることが、本来の法律屋の職務であろう。このような理屈は本末転倒も良いところである。

・125ページで、コンテンツホルダーである以外の権利者について述べているが、そもそもコンテンツホルダー以外の権利者とは一体何者なのか不明である。また、権利を持っている者以外の者に対して何か補償するべきことがあるというのも理解不能である。

(14)「126ページ~、第7章第5節 私的録音録画補償金制度のあり方について」に対する意見:
 (12)で書いたように、そもそも制度の廃止も含めて検討されるとされている中、補償の必要性についてすら明確に整理できていないところで、制度設計について検討することは妥当でない。補償の必要性についてきちんと明確に整理できるまでは、現行制度の設計を変更するべきではない。
 敢えてさらに言っておくと、私は、ユーザーとして、私的録音録画補償金は、私的録音録画の自由が確保された場合の私的録音録画により生じる権利者の経済的不利益の補償であるという立場に立つ。私的録音録画の自由が制限される場合、あるいは、私的録音録画の自由が制限されずとも一般ユーザーの利用形態を考えたときに権利者に大きな経済的不利益が生じていないと考えられる場合は、補償は不要という立場である
 したがって、対象機器・媒体について、その機器・媒体における私的録音録画の自由度、及び、一般ユーザーの利用形態を考えずに、単にその機器・媒体が主に私的録音録画に使われることをもって対象を拡大することに反対する
 文化庁が、この中間整理においてこのようなユーザー無視の姿勢を取る以上、文化庁長官が勝手に機器・媒体の範囲を決められるような、文化庁の横暴を許す形への法令の変更にも反対する
 また、そもそも補償金の根拠があやふやであるため、今の制度すら、対象機器・媒体及び補償金額がユーザーから見て納得の行かない形で、既存の利権団体同士の談合のみで決まっている。今後も制度が維持されるのであれば、仕組みが見直されたとしてもこのようなそもそもの制度の矛盾が無くなるとは思えず、どのような形であれ補償金制度がある限り、返還制度を無くすことには絶対反対である
 すなわち、一ユーザー・一消費者・一国民として、よって立つべき前提を無視した、このような方向性には断固として反対する。
 また、現在、日本では、コンテンツ産業振興を名目に少なくない税金が投入されている。この国費をコンテンツ業界はもらって当然のように考えているのかも知れないが、これは、大きくとらえれば、著作権業界のために本当に薄く広く国民に補償金が課されている状況であることに他ならない。このような、特定の業界に対する税金投入の意味、今後の国費による補助事業のあり方も含め、より大きな観点から、私的録音録画補償金問題は考え直されるべきであると私は考える。
 また、念のため、保護期間の延長問題と同じく、補償金制度についてもEUで統一するとしたら、現実的には保護レベルの高い方に合わせるしかないと思われることも指摘しておく。したがって、ヨーロッパにおける補償金拡大の動きを、EU統一の大きな流れを無視して、補償金の対象拡大だけをとらえて世界動向だと断じることは明らかな間違いである。

 本来ならば、最終報告に当たっては、ここの全ての記載を削除するべきであると考えるが、特に削除されるべき事実誤認に基づく記載、あるいは恣意的かつ不合理な記載を以下に指摘しておく。

・129ページに、専用記録媒体(例えば録音用CD-R)が、政令指定の対象になっていない機器(例えばパソコン)でも使えることを問題にしているが、これがどうして問題になるのかよく分からない。あくまでパソコンは汎用性から対象外とされているのであって、これを補償金の対象範囲内とするべきであるかのごとき記載は絶対に削除されるべきである。媒体の汎用性に関する記載についても同様である。

・130ページに、「現行制度の対象となっている分離型専用機器と専用記録媒体については、特に対象から除外する理由はなく従来どおり対象にすべきであることでおおむねの了承を得た。」と記載されているが、そもそも補償の必要性が問われている中で、従来通りとすることでおおむねの了承が得られる訳がない。最終報告をまとめるにあたっては、この記載は必ず削除されるべきである。特に、コピーワンスあるいはダビング10といった極めて厳しいコピー制限が維持されるのであれば、録画補償金はそもそも無くすべきである。

・130~131ページに、「私的録音録画を主たる用途としている機器である限りは、特に分離型機器と一体型機器を区別する必要はないので、対象にすべきであるとする意見が大勢であった。」と書かれているが、そもそも補償の必要性が問われている中で、このような対象機器を拡大する意見が大勢である訳がない。最終報告をまとめるにあたっては、この記載は必ず削除されるべきである。
 同じく、「例えば最近の携帯用オーディオ・レコーダーの中には、附属機能かどうかは別にして、録音録画機能以外に静止画・文書等の記録やゲームのサポート機能等の機能を有しているものがある。このような機器については、製造業者の販売戦略、利用の実態等から少なくとも現状においてはほとんどのものが録音録画を主たる用途としていると考えられるので、対象機器に加えて差し支えないと考えられるとの意見があった。」との記載も、そもそも汎用性まで含めてこのような整理が可能であるかどうかすら分からない中では、全く妥当でない意見であり、必ず削除されるべきである。
 特に、この整理は、ごく普通の一般ユーザーはiPodを分が購入したCDのプレースシフトとiTunesからの配信の視聴用に用いていると考えられ、このiPodから他人への音楽の拡散が考えられない以上、このような機器に補償金を課すことに国民の納得感がそもそも得られないということの理解が完全に欠けている。このような機器に課す場合は、国民が真に納得できる根拠を示すべきである。単に私的録音録画がなされているからなどという理由はお話にならない。

・131ページで、パソコンについて意見の一致に至っていないとしながら、あたかも、パソコンに補償金がかけられるべきということを前提にした意見のみが載っており、全く恣意的かつ独善的な意見のまとめがなされている。これらの意見は全て削除されるべきである。

・133ページで、平成18年1月の報告書から、政令方式の問題点をあげているが、この報告書では同時に、法的安定性の観点から、現行の政令指定方式を変えるべきでないともされているのであり、仮にこの部分の記載を残すのであれば、このような報告書の整理もきちんと書かれるべきである。
 また、方向性の中であげられている、評価機関方式について、関係者の意見を聞いて、文化庁がデタラメかつ勝手に対象機器と媒体の範囲を決めると言っているようにしか見えず、この中間整理において示されている独善的な文化庁の姿勢を考えても、文化庁に補償金の対象範囲と金額の決定権限をゆだねるような法改正には全く賛同できない。
 こんなことが書かれているのでは、何のために私的録音録画小委員会を作ったのかすらよく分からない。そもそも、この対象範囲と金額を例え時間がかかってもきちんと関係者間で決めるために、わざわざ著作権分科会の下に私的録音録画小委員会を設置したのではなかったのか。
 なお、今後私的録音録画と補償金問題を継続的に検討するために新たな小委員会を文化審議会に設置するにしても、この小委員会の構成は、より公平を期して、消費者・ユーザー代表を3分の1、メーカー代表を3分の1、権利者代表を3分の1とするべきである。権利者が不利という声があがるのかも知れないが、この程度の数の有識者を納得されられなくて、国民の理解が得られると思うことなど片腹痛い。真に国民の理解が得られない法改正などされるべきではない。(学者を入れて、全て4分の1ずつとしても良いが、この中間整理に対して国民視点に立った真の政策提言が出来なかった法学者を入れる必要はない。ただし、現委員長の中山信弘先生だけは、その卓越した見識から留任されることを強く希望する。)
 さらに言うなら、対象機器・媒体の範囲・補償金額等の決定は必ず関係省庁全ての了解を必要とするべきである。

・135~137ページにかけて、メーカーを負担者とし、返還制度を無くしても公平性が保たれる可能性があることなどが書かれているが、このような整理は世迷い言も良いところである。今後も補償金制度を維持した場合、補償を必要とする私的録音録画をしてないユーザーがますます出てくるだろうと予想されるにもかかわらず、返還制度をなくして公平性が保たれるとする理屈は常識的に考えてあり得ない。現行制度でも、補償金の妥当な算定がなされているとは言い難く、返還制度はユーザー・消費者にとって絶対必要なセーフハーバーの一つである。
 また、同じ中間整理に書かれていることであるが、フランスではメーカーが負担者とされながら、補償金の返還制度も存在しており、このような制度設計が考えられないとする理由もなく、メーカー負担すなわち返還制度なしとすること自体、極めて危険な論理のすり替えである。

・138ページで、「契約に基づく私的録音録画や、プレイスシフト、タイムシフトなどの要素は補償金額の決定にあたって反映させるべきであるとすることについてもおおむね異論はなかった。」と記載されているが、これらの複製はそもそも補償の必要がないものであって、反映させるべきところは補償金額ではなく、補償の必要性、あるいは、機器・媒体を補償金の対象とするか否かというところである。そもそも補償の必要性が問われている中、このようなことに異論がないとすることは妥当ではなく、最終報告において、この記載は必ず削除されるべきである。
 金額に関することについても、評価機関での審議の上文化庁が勝手に決められるようにすることなど論外である。

・139~142ページについて、管理協会を一つにすることには賛成である。特に二つも天下り先の協会を用意することはない。その方が事務経費も減るはずである。
 また、最近のUGC(User Created Contents)の勃興などを考えても、今後、クリエイティビティの中心がますますユーザーに移っていき、権利者の捕捉はますます困難になっていくものと思われる。そのため、補償金制度が維持されるとしても、その補償金は全額全額違法コピー対策やコンテンツ産業振興などの権利者全体を利する事業に使われるべきであると考える。
 また、制度が維持される場合は、より広報が行われるべきであることにも異論はない。

(15)「143ページ~、参考資料1~3」に対する意見:
 (5)~(8)で書いたように、私的複製規定の国際比較が不十分であり、国の選択に恣意性が見られるため、この参考資料についても、最終報告において修正することを求める。
 また、ベータマックス判決の少数意見はあくまで少数意見に過ぎず、これを特に引用することで予断を与える可能性があるため、これは削除されるべきである。

(16)報告書全体に対する意見:
 上に書いたように、この中間整理は、一方当事者の恣意的な調査しか引用しておらず、国際的な著作権法の比較も不十分であり、検討結果についても整合性・合理性を全く欠いており、法改正の根拠としては全く不十分かつデタラメなものである。このような天下り役人の妄想ペーパーで法改正を行うことなどあり得ない。
 本来、公平であるべき審議会の運営をねじ曲げ、癒着業界のためにのみ報告書を取りまとめた文化庁の罪は重い。
 文化庁あるいは文部科学省にあっては、このような審議会運営について猛省した上で、真に公平かつ妥当な国民視点に基づく検討が行われるよう、その審議会運営の正常化を真摯に行うことを、私は一国民として強く求める
 なお、文化庁あるいは文部科学省がこのような正常化が不可能であるとするなら、これは、行政府が特定業界との癒着を断ち切ることが不可能であると告白したに等しく、私は一国民として、行政府におけるこのような明らかに国民視点を欠いた検討を凍結し、今後一切の著作権の法改正の検討を直接立法府で行うべきであると立法府に求めていくことをここに付言しておく。

 最後にまとめとして、私的複製と補償金制度に関する今後の法改正において、私が一国民として強く求めることを以下にあげておく。

1.そもそも、著作権法の様な私法が私的領域に踏み込むこと自体がおかしいのであり、私的領域での複製は原則自由かつ無償であることを法文上明確にすること。また、刑事罰の有無に関わらず、外形的に違法性を判別することの出来ない形態の複製をいたずらに違法とすることは社会的混乱を招くのみであり、厳に戒められるべきこと

2.特に、補償金については、これが私的録音録画を自由にすることの代償であることを法文上明確にすること。すなわち、私的録音録画の自由を制限するDRM(コピーワンスやダビング10ほどに厳しいDRM)がかけられている場合は、補償措置が不要となることを法文上明確にすること。

3.また、タイムシフト、プレースシフト等は、外形的に複製がなされているにせよ、既に一度合法的に入手した著作物を自ら楽しむために移しているに過ぎず、このような態様の複製について補償は不要であることを法文上明確にすること。実質権利者が30条の範囲内での複製を積極的に認めているに等しい、レンタルCDやネット配信、有料放送からの複製もこれに準じ、補償が不要であることを明確にすること。

4.私的録音録画の自由の確保を法文上明確化するとした上で、私的録音録画を自由とすることによって、私的複製の範囲の私的録音録画によってどれほどの実害が著作権者に発生するのかについてのきちんとした調査を行うこと。
 この実害の算定にあたっては、補償の不必要な私的複製の形態や著作権者に損害を与えない私的複製の形態があることも考慮に入れ、私的録音録画の著作権者に与える経済的効果を丁寧に算出すること。単に私的録音録画の量のみを問題とすることなど論外であり、その算定に当たっては入念な検証を行うこと。

5.この算出された実害に基づいて補償金の課金の対象範囲と金額が決められること。特に、その決定にあたっては、コンテンツ産業振興として使われる税金も補償金の一種ととらえられることを念頭に置くこと。この場合でも、将来の権利者団体による際限の無い補償金要求を無くすため、対象範囲と金額が明確に法律レベルで確定されること。あらゆる私的録音録画について無制限の補償金要求権を権利者団体に与えることは、ドイツ等の状況を見ても、社会的混乱を招くのみであり、ユーザー・消費者・国民にとってきちんとセーフハーバーとして機能する範囲・金額の確定を行うこと。
 あるいは、実害が算出できないのであれば、原則にのっとり、私的録音録画補償金制度は廃止されること。

6.集められた補償金は、権利者の分配に使用されることなく、全額違法コピー対策やコンテンツ産業振興などの権利者全体を利する事業へ使用されること。

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第20回:文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会提出パブコメその2

 次に、基本的視点と30条の範囲論の部分について書いたことは以下の通り。

(10)「97ページ~、第7章第1節 私的録音録画の検討にあたっての基本的視点について」に対する意見:
 文化審議会著作権分科会の過去の検討の結果(平成18年1月の報告書の52~55ページ)について、恣意的な省略をすることなく、きちんと抜粋を行うべきである。
 全て指摘することはしないが、特に、以下の部分の省略などに強い恣意性が感じられるので、特に注意を促しておく。
「ア 著作権分科会が示した各検討事項について
②現在対象となっていない,パソコン内蔵・外付けのハードディスクドライブ,データ用CD-R/RW等のいわゆる汎用機器・記録媒体の取扱いに関して,実態を踏まえて検討する。 (中略)
・この点,汎用機器等については,以下のような理由から,補償金の対象とすべきでないとする意見が多数であった。
(i)録音や録画を行わない購入者からも強制的に一律に課金することになり,不適切な制度となる。また,補償金返還制度も機能しづらい。
(ⅱ)課金対象を無制限に拡大することにつながる。
(ⅲ)実態として,他人の著作物の録音・録画が利用の相当割合を占めるとは考えにくい。
(ⅳ)現行の補償金制度の問題点を増幅させる結果を招く。

③現行の対象機器・記録媒体の政令による個別指定という方式に関して,法技術的観点等から見直しが可能かどうか検討する。
(中略)
・しかし,法的安定性,明確性の観点から,現行の制度の下では,現行の方式を変更すべきではない。
(中略)

イ 私的録音録画補償金制度の課題について
(ア)私的録音・録画についての抜本的な見直し
(中略)
・なお,検討に当たっては,補償金制度に対し,本小委員会において指摘された点や以下の点等について十分留意すべきである。
(中略)
(ⅱ)また「ユーザー」の視点を重視し,提案されるべき将来あるべき姿は,ユーザーにとって利用しづらいものとならず,かつ納得のいく価格構造になるよう留意する必要があるとともに,ユーザーのプライバシー保護にも十分留意しなければならない。(後略) 」

(11)「100ページ~、第7章第2節 著作権法第30条の見直しについて」に対する意見:
 立法によって、違法録音録画物や違法サイトからの私的録音録画を30条の範囲から明確に除外することに反対する
 適法配信事業者から入手した著作物からの私的録音録画を30条の範囲から除外することにも反対する。

 これらの結論は、以下に指摘するように、整合性の取れていない不合理な整理に基づく結論であり、全く支持することが出来ない。また、以下で指摘する部分の記載は、最終報告においては、全て削除あるいは修正されるべきである。

・101ページからの私的録音録画の実態について、違法録音録画物や違法サイトからの私的録音録画について、「正規商品等の流通や適法ネット配信等を阻害している実態が報告された」と記載されているが、(3)で書いたようにこの調査報告は全く取るに足らない。同じく、他人から借りた音楽CDからの私的録音の実態報告についても、果たして過去の調査と比較できるのかどうか極めて疑わしい。適法配信についても、インディーズによる無料配信やプロモのための無料配信、あるいは、コピーフリー・黙示の許諾等により配信されていると考えられるもののことを全く考慮に入れておらず、真の実態を把握しているとは言い難い。
 また、レンタルCDについても、平成19年の第3回私的録音録画小委員会(議事録http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/020/07051108.htmを参照のこと。)において委員から明確に指摘されていること、すなわち、レンタル事業者が、「私的録音補償金制度が導入された現在、各権利者はユーザー及びレンタル店双方からコピーに関する代償を二重に受け取っていることになるため、CDレンタル使用料の早急な見直しが必要です。CDレンタルに関する使用料はユーザーのコピーの代償という観点から決められた経緯からしますと、平成5年に私的録音補償金制度が導入され、デジタル式のハードやソフトを購入するユーザーが各権利者に対してコピーに関する補償金を支払うシステムが構築されたことにより、各権利者はユーザー及びレンタル店の双方からそのコピーに関する補償金を受け取っていることになります。よってCDV-Jでは早急な使用料の見直しが必要であると考えております」という理屈によって権利者団体と交渉した経緯があるということ、及び、需要拡大協力金という形で実質ビジネス的な補償金の上積みと考えられる事実上の使用料値上げを行っていることが恣意的に中間整理から落とされている。これらのことは最終報告にははっきりと明記されるべきである。

・104ページからの違法録音録画物、違法サイトからの私的録音録画を30条の範囲から除外するという話については、そもそも前提となる利用実態から来る損害について疑問があるが、それ以前に、①そもそも著作権という私法が私的領域に踏み込むこと自体がおかしい、②家庭内の複製行為を取り締まることはほとんどできず、このような法改正には実効性がない、③通常の録音録画物について違法合法を区別する手がかりがない、特に、インターネット利用では、自動的になされるコピー(「一時的固定」か「複製」かもよく分からない)があるなど、違法・合法を外形的に区別できないため、ダウンロードが違法と言われても一般ユーザーにはどうしたら良いのかさっぱり分からず、このような法改正は社会的混乱しかもたらさない、④情を知ってという条件も、司法判断でどう倒されるか分からず、場合によってはインターネットへのアクセスそのものに影響を及ぼし兼ねないこのような法改正は極めて危険である、⑤そもそも違法流通は送信可能化権による対応が可能である上、この送信可能化権との関係でダウンロードによる損害額がどう算定されるのかもよく分からない、⑥自らが作製した著作物を離れてサイトそのものを違法と著作権者団体が認定することは、明らかに権利の乱用であり、到底認められるべきことではない、といった基本的なことがまるで考慮されていない。
 104~106ページの整理は、技術の発展の真の意味を全く理解しておらず、一般国民の行動原理とモラルとも乖離した、役人の独善的な妄想の垂れ流しにしかなっていない。
 したがって、違法ダウンロードについては、拙速な法改正は行わず、解釈論による対応なども検討しつつ、様々な司法判断や状況が積み重なってきたときに改めて立法の是非を判断するべきである。
 また、付言すれば、保護強化で先端を行くドイツですら、違法複製物を越えて、サイトそのものの違法性を勝手に著作権団体に認定させた上で、そこからのユーザーの私的な複製を違法とすることまではしていない。違法複製物があるから違法サイトなのであって、違法サイトがあるから違法複製物がある訳ではないという単純なことが何故分からないのか。文化庁の役人の知能レベルを私は疑う。丁寧に注までつけられているが「違法サイト」という誤解を招く語は、最終報告からは全て削除されるべきである。

・106ページに記載されている、他人から借りた音楽CDからの私的録音について、これも単なるモラルの問題になるので30条の範囲から外すことには反対であるが、このような私的複製の30条の範囲からの除外は、借りたCDから複製をしてはいけないということが少なくとも個人レベルで外形的に区別がつき、単純で普通の者にもよく分かるだけ、ダウンロードの違法化よりはるかにましである。このような整合性のない整理をする者の良識を私は疑う。

・106ページからの整理について、まず、30条の制定経緯において、権利者の権利行使ができないことが主たる理由であるかのように書かれているが、それ以外にも、そもそも著作権の様な私法が私的領域に踏み込むべきでないという理由、あるいは、30条には、私的領域における文化活動を守るという意味などもあるのであり、より詳細に立法主旨については調べ、記載されるべきである。(この点については、中山信弘、作花文雄、斉藤博、渋谷達紀各先生方の著作権法に関する教科書の私的複製に関する趣旨の記載を参照のこと。)

・108ページの整理では、2重取りの回避のために、適法配信から入手した録音録画物からの私的録音録画を30条の範囲から外すべきとしているが、インディーズによる無料の音楽配信、プロモーションのための無料配信、値段に差をつけたDRMなしの音楽配信、コピーフリーや黙示の許諾により提供されている配信など様々な形態のことを考慮に入れておらず、30条の範囲から除外するのに十分な検討がなされていない。よって、除外するのが適当であるという意見が大勢とすることは適当ではない。
 したがって、適法配信から入手した録音録画物からの私的録音録画についても従来通り30条の範囲内とした上で、2重取りの回避のためには、これは補償の必要性がない私的録音録画の形態とされるべきである。
 ネット配信においては、複製の範囲をDRM等で有効に確定することが出来、別に著作権者自らがサイトを立ち上げ配信を行っても良いのである。したがって、ネット配信から入手した録音録画物からの私的録音録画は、DRM(技術的保護手段)等で複製の範囲が確定される場合はその範囲内について、確定されない場合は30条の範囲の最大限まで私的録音録画を権利者が積極的にユーザーに認めているに等しく、DRMの有無にかかわらず、補償の必要はないとされるべきである。
 なお、適法配信の30条の範囲からの除外によって2重取りの回避を行うことは、明らかにiPod課金を前提としており、そもそも妥当でない。このような整理は、あらゆる私的録音録画に補償が必要とする偏った前提に基づいており、報告書全体として見たときに自己矛盾するものである。

・109ページで、レンタル事業者について、契約によることが難しいとしているが、レンタル事業者と権利者の間、レンタル事業者と利用者の間に契約は存在しているのであって、契約による対応が難しいとすることは合理的ではない。
 私的複製について、それぞれの契約で明記しても良いだろうが、これについても、ほとんどあらゆる者が私的複製をすることを前提にレンタルCDの料金を支払っていることを踏まえ、DRMをかけない場合のネット配信と同じ扱いとするべきと考えられる。すなわち、このような場合についても、30条の範囲の最大限まで私的複製を権利者が積極的にユーザーに認めているに等しいものであり、補償の必要はないとされるべきである。

・109ページの、有料放送事業者についてもレンタル事業者と同様のことが言え、放送事業者と権利者の間、放送事業者と利用者の間に契約は存在しており、契約による対応が難しいとすることは合理的でない。
 そして、有料放送では、コピー不可も含め様々なDRMがかけられること、及び、既にそのようなDRMがかけられていること(例えばスカパー!について、http://faq.customer.skyperfectv.co.jp/EokpControl?site=sptv&tid=10775&event=FE0006http://faq.customer.skyperfectv.co.jp/EokpControl?&site=sptv&tid=10779&event=FE0006を参照のこと)を考慮すれば、ネット配信と同じく、DRM等で複製の範囲が確定される場合はその範囲内について、確定されない場合は30条の範囲の最大限まで私的複製を権利者が積極的にユーザーに認めているに等しく、基本的に補償の必要はないとされるべきである。
 また、無料放送については、まずコピーワンスやダビング10のようなユーザーにとってデメリットしかない方式を撤廃し、ノンスクランブル・コピー制限なしという原則を法制化することが先であり、そうでない限り、私的録音録画が厳しく制限されている無料放送からの私的録画についても、補償の必要はないとされるべきである。

・これらの形態について30条の範囲から外すことには反対するが、109ページで、これらの形態について外すと、違法状態が放置されるだけとなるという記載と、レンタル事業や有料放送事業で各者間に契約があるという記載とは矛盾するものであることを念のため指摘しておく。

・最後に、中間整理の整理に従って、それぞれの私的複製の形態毎の30条の範囲からの除外と補償の必要性に関して、私がこうあるべきと考えていることを、ここに念のため書いておく。

① 私的録音
(ア)購入した音楽CDからの録音 → 30条の範囲内にとどめ、補償の必要はないとされるべき
(イ)他人等から借りた音楽CDからの録音 → 30条の範囲内にとどめるが、コピー制限をしないことが法的に確保される条件の下で、権利者に与える経済的影響を入念に検証して、補償の必要性を決定するべき
(ウ)レンタル店から借りた音楽CDからの録音 → 30条の範囲内にとどめ、補償の必要はないとされるべき
(エ)違法録音録画物からの録音 → 原則30条の範囲内にとどめるが、現行の30条の解釈と権利者に与える経済的影響を入念に検証して、補償の必要性を決定するべき
(オ)違法配信からの録音 → そもそも、違法録音録画物があるから違法配信なのであって、この形態を考えること自体が間違っている
(カ)適法放送からの録音 → 30条の範囲内にとどめるべき。コピーワンスやダビング10のような私的録音録画の自由を制限するDRMがかけられている場合は、補償の必要はないとされるべき。あるいは、コピー制限をしないことが法的に確保される条件の下で、権利者に与える経済的影響を入念に検証して、補償の必要性を決定するべき
(キ)適法ネット配信からの録音 → 30条の範囲内にとどめ、補償の必要はないとされるべき

② 私的録画
(ア)購入したパッケージ商品からの録画 → 30条の範囲内にとどめ、補償の必要はないとされるべき
(イ)他人等から借りたパッケージ商品からの録画 → 現状のDRM下で、原則不可能である
(ウ)レンタル店から借りたパッケージ商品からの録画 → 現状のDRMの下で、原則不可能である
(エ)違法録音録画物からの録画 → 原則30条の範囲内にとどめるが、現行の30条の解釈と権利者に与える経済的影響を入念に検証して、補償の必要性を決定するべき
(オ)違法配信からの録画 → そもそも、違法録音録画物があるから違法配信なのであって、この形態を考えること自体が間違っている
(カ)適法放送からの録画 → 30条の範囲内にとどめるべき。コピーワンスやダビング10のような私的録音録画の自由を制限するDRMがかけられている場合は、補償の必要はないとされるべき。あるいは、コピー制限をしないことが法的に確保される条件の下で、補償の必要性について、入念に検証された権利者に与える経済的影響から決定されるべき
(キ)適法ネット配信からの録画 → 30条の範囲内にとどめ、補償の必要はないとされるべき

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第19回:文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会提出パブコメその1

 文化審議会・著作権分科会・私的録音録画小委員会の中間整理への意見をようやく書き終わって提出したところである。誰かの参考になるかも知れないので、ここにその全文を載せておこう。

 あまりにも長いので、3回に分ける。まずは、今まで書いてきたこととかなり重複するが、国際動向に関するところまで。

1.個人/団体の別:個人
2.氏名:兎園
3.住所:(略)
4.連絡先(電話番号、電子メールアドレスなど):

5.該当ページおよび項目名:
(1)「6ページ~、第1章第2節私的録音録画補償金制度の制定経緯について」
(2)「11ページ~、第2章第1節私的録音録画の現状について」
(3)「59ページ~、第5章違法サイトからの私的録音録画の現状について」
(4)「78ページ~、第6章第1節 ヨーロッパ連合(EU)」
(5)「80ページ~、第6章第2節 ドイツ」
(6)「86ページ~、第6章第4節 イギリス」
(7)「87ページ~、第6章第5節 アメリカ合衆国」
(8)「90ページ~、第6章第6節 その他の国」
(9)「95ページ~、第6章第7節 世界知的所有権機関(WIPO)」
(10)「97ページ~、第7章第1節 私的録音録画の検討にあたっての基本的視点について」
(11)「100ページ~、第7章第2節 著作権法第30条の見直しについて」
(12)「110ページ~、第7章第3節 補償の必要性について」
(13)「123ページ~、第7章第4節 補償措置の方法について」
(14)「126ページ~、第7章第5節 私的録音録画補償金制度のあり方について」
(15)「143ページ~、参考資料1~3」
(16)報告書全体

6.意見
(概要)
この中間整理は法改正の前提とするにはあまりにずさんである
したがって、ダウンロード違法化、適法配信の30条からの除外、iPodやHDD録画機等への補償金の対象拡大という、この中間整理に示された3点の法改正の方向性に全て反対する
今後は、このようなずさんな整理を全て改め、真の国民視点に立った有益な検討がなされることを期待する

(1)「6ページ~、第1章第2節私的録音録画補償金制度の制定経緯について」に対する意見:
 第10小委員会報告書(http://www.cric.or.jp/houkoku/h3_12/h3_12.html)には、私的複製は本来自由かつ無償であったこと、及び、補償金制度は私的録音録画の自由を確保する代償であることが明記されており、制度導入時、権利者の利益保護のみに重点があったかの如き引用は公平性を欠く。
 特に、最終整理では、このような公平性を欠く引用に替え、第10小委員会報告書からは、以下の記載を制度創設の趣旨として引用するべきである。
「第4章 報酬請求権制度の在り方
 私的録音・録画問題とは、権利の保護と著作物等の利用との間の調整をいかに行うか、言い換えれば、現行第30条の規定している私的録音・録画は自由かつ無償という秩序を見直すかどうかという問題である。
(中略)
 報酬請求権制度を我が国の著作権制度の上でどのように位置付けるかという問題については、私的録音・録画は、従来どおり権利者の許諾を得ることなく、自由(すなわち現行第30条の規定は維持)としつつも、一定の補償(報酬)を権利者に得さしめることによって、ユーザーと権利者の利益の調整を図ろうとするものであり、私的録音・録画を自由とする代償として、つまり、権利者の有する複製権を制限する代わりに一種の補償措置を講ずるものであると位置付けることが適当である。
この考え方は、
1) 制度の見直しによる新しい秩序への移行について国民の理解が得られやすい考え方である、
2) 制度導入の理由として、私的録音・録画によって生ずる権利者の得べかりし利益の「損失の補償」という理由付けをとるとしても、現行法立法当時には「予測できなかった不利益から著作者等を社会全体で保護する」という理由付けをとるとしてもいずれにしても、なじみやすい考え方である、
3) あくまでも補償措置の一種であるから、個別処理の方法ではなく、後述の録音・録画機器又は機材の購入と関連付けて、包括的な報酬支払方法をとるという議論ともなじみやすい考え方である 」

(2)「11ページ~、第2章第1節私的録音録画の現状について」に対する意見:
 私的録音録画補償金管理協会という補償金を徴収する立場にある者が、明らかに補償金制度拡大を目的として行った調査を、公平であるべき審議会の報告書に引用するべきではない。最終報告からは、これらの調査報告は全て削除されるべきである。
 注釈の7に、言い訳のように管理協会の理事にメーカー代表や消費者代表が入っていることが書かれているが、ネットの記事(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0710/30/news125.htmlhttp://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2007/10/12/17169.html)を見ても明らかに中間整理についてメーカー代表や消費者代表の賛同が得られておらず、この調査が偏ったものであることは明白である。
 審議会で私的録音録画の現状を把握するにあたっては、少なくとも審議会の私的録音録画小委員会の委員全員が納得する形で調査項目・調査方法を設定し、現状調査をするべきである。

 念のために指摘しておくと、以下のような記載に恣意性があからさまに出ている。
・12ページ、「・・・現行の補償金制度の対象となっていないデジタル録音機器も相当程度普及している実態が伺える。」:前に記載されている機器が補償金制度の対象であるべきかどうかということが問われているにもかかわらず、あたかも補償金制度の対象であることが前提であるかのように、対象となっていないことが強調されている。
・19ページ、「パソコンやポータブルオーディオはもともと大容量の記録能力を持つ機器であるところから、多くの楽曲が録音されている実態が分かる。」:特に、ポータブルオーディオで行われている複製などは、プレースシフトも多いと思われるが、録音録画がどのようなものであるかということを問題にせずに、単に多く録音されていることのみが強調されている。
・21ページ、「デジタル録画に関しては、現在補償金制度の対象となっていない機器での録画行為が相当程度行われていることが分かる。」:12ページについてと同じく、あたかも前に記載されている機器が全て補償金制度の対象であるべきような強調がなされている。
・22ページ、HDD内蔵状況:これらの機器はDVDレコーダーとして課金されている。ここでこのような図を入れることは、あたかも課金されていない部分が増えていると人を騙すために入れているとしか見えない。
・23ページ、録画媒体需要推移:参考としてデータ用DVDを入れているが、データ用DVDを録画調査の図に一緒に入れることは妥当でない。
・25ページ、録画の経験と頻度:単純に比較できないとしながら、録画の頻度、経験が高まっているとすることは間違っている。
・26ページ、「「興味ある番組やその一部を保存するため」(約81.9%)と、保存目的の録画も経験率が高い。なお、平成17年録画調査における録画の理由の調査結果と比較すると、特に保存目的の録画経験者の割合が高まっている。」:恣意的な調査項目の変更による異常値と思われる。

(3)「59ページ~、違法サイトからの私的録音録画の現状について」に対する意見:
 この調査も、ダウンロード違法化を目的として、権利者という一方当事者が行った調査であり、公平であるべき審議会の報告書に引用するべきものではない。これらの調査報告は全て削除するべきである。
 特に、違法サイトとは何かについて、サイトやパソコン自体が違法な訳ではないと注釈で書かれているが、違法サイトとは誤解を招く表現であり、報告書を通じて使用されるべきではない。

 念のため、この調査についても特に恣意的な記載を以下に指摘しておく。
・59ページ、ファイル交換ソフトの利用率:過去に利用していた者を含めて、あたかも利用者が増えているかの如き数字による印象操作を行っている。利用率ということでは現在の利用率のみを考えるべきなのは言うまでもない。61ページについても同様であり、過去経験者は累積されるため、増えるのは当たり前である。
・66ページ、ダウンロード数の比較:世の中にはコピーフリー・あるいは黙示の許諾により提供されている楽曲もあり、ダウンロードされる音楽があたかも全て違法であるかの如き比較は妥当でない。
・71ページ、違法な携帯電話向け音楽配信からの私的録音の現状:調査結果の概要では勝手に違法な携帯電話向け音楽配信という語を「違法サイト」にしているが、誤解を招く表現である。特に、音楽を無料でダウンロード出来るサイト、すなわち違法サイトというのは間違っている。世の中には、インディーズ系のミュージシャンが自ら開設したサイトや、音楽以外の物のプロモーションのためのサイトで、期間を限らずに無料で音楽をダウンロードできるようにしているものもあり、この調査結果は全く信頼できない。

(4)「78ページ~、第6章第1節 ヨーロッパ連合(EU)」に対する意見:
 EU理事会指令公表後のEUの動向として、欧州の補償金改革について極簡単にしか触れていないが、この補償金改革についてはネットでも膨大な資料が公開(http://circa.europa.eu/Public/irc/markt/markt_consultations/library?l=/copyright_neighbouring/stakeholder_consultation&vm=detailed&sb=Title)されており、このような資料を丹念に検討して本当の国際動向を確かめるべきである。
 特に、この検討の中で提出された、欧州のメーカー団体が集まって作っている補償金制度改革協議会(Copyright Levies Reform Alliance)の資料(http://ec.europa.eu/avpolicy/docs/other_actions/hearing%20col/eicta_clra_hear_col_2006_en.pdf)や欧州消費者組合(Bureau European des Unions de Consomateurs)の意見書(http://circa.europa.eu/Public/irc/markt/markt_consultations/library?l=/copyright_neighbouring/stakeholder_consultation/europeen_consommateurs/_EN_1.0_&a=d)を見ると、世界的に見ても明らかに補償金制度は消費者とメーカーに反対されているのであり、このような真の国際動向について、最終報告には明記されるべきである。

(5)「80ページ~、第6章第2節 ドイツ」に対する意見:
 ドイツの補償金制度改革について、極簡単にしか記載されていないが、ドイツではありとあらゆる複製機器に補償金がかかり得るため、裁判で補償金の有無や多寡を決めるしかなく、この補償金に関する裁判闘争が最高裁まで行くほど泥沼の様相を呈し、かつその結果として出される補償金額に根拠はないという状況の中、81ページに書かれているように、5%の上限規定を入れようとするなど、ドイツでも補償金は合理化に向けた努力がなされているという真の動向について、最終報告には明確に記載されるべきである。
 また、ドイツにおいては、研究目的の私的複製や絶版物の私的複製についても、私的複製の権利制限の範囲内であることが法律に明記されており、日本の私的複製規定と同じ扱いをする訳にいかないことも明記されるべきである。

(6)「86ページ~、第6章第4節 イギリス」に対する意見:
 イギリスにおける私的複製の規定は、研究・学習目的イギリスにおいても、CDリッピングのような私的複製の権利を認めるべきとする意見(http://journal.mycom.co.jp/news/2006/10/30/001.htmlhttp://www.ippr.org.uk/members/download.asp?f=%2Fecomm%2Ffiles%2FPublic%5Finnovation%5Freport%5Ffinal%2Epdf参照)があることも紹介されるべきである。
 また、イギリスでは、このようにタイムシフトを目的とした私的複製の権利制限を認めながら、補償金制度はないため、私的複製の権利制限、すなわち補償金ではないこと、特にタイムシフトは補償を必要とする複製ではないことが国際的に認められていると考えられることを、最終報告には明記するべきである。
 
(7)「87ページ~、第6章第5節 アメリカ合衆国」に対する意見:
 以下のような恣意的な記載は、最終報告からは削除されるべきである。
・87ページ、「なお、同法は、汎用コンピュータやその関連の機器・記録媒体は対象とされていないが、これは、同法制定当時、コンピュータを介して音楽を録音する行為を想定していなかったためである。」:アメリカでは今もなお汎用コンピュータ等の機器に対する課金は検討されておらず、対象とされることが当然であるかのような印象を与える記載は不適切である。

(8)「90ページ~、第6章第6節 その他の国」に対する意見:
 その他の国として、補償金制度がある国のみをあげており、明らかに国の選択に恣意性が見られる。特に、中国や韓国のようなアジア諸国の私的複製・補償金制度に関する規定とその法改正動向についても記載されるべきである。
 また、スペイン等の諸国についても、権利制限に関する元の条文をきちんと翻訳で示すべきである。例えば、スイスでは、企業内の閉鎖的な複製が私的複製の権利制限の範囲に明確に入っていることも参考になるであろう。
 最終報告では、国際動向について、より詳細かつ広汎な調査が記載されるべきである。

(9)「95ページ~、第6章第7節 世界知的所有権機関(WIPO)」に対する意見:
 WIPOのホームページに載っている著作権テキスト(http://www.wipo.int/freepublications/en/copyright/935/wipo_pub_935.pdf)の第53ページには、クラスメイトのCDから自分のMP3プレーヤーにコピーすることは違法と書かれており、世界的に見て必ずしも、友人から借りたCDからの複製が適法とされている訳でないことも参考情報として書かれるべきと思われる。

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2007年11月 7日 (水)

第18回:「ダビング10」あるいはDRMの欺瞞

 情報通信審議会で、コピーワンスを緩和し、「ダビング10」にすると決めたという報道がなされてしばらく経ち、その答申に対する意見募集の〆切が過ぎてもうすぐ2ヶ月になろうとしている。
 私自身は、そもそもこのダビング10にすら反対なのだが、これでも良いと大多数の国民が思っているようなら、早期にこの運用を開始すべきであるに違いない。
 だが、総務省は今もってパブコメの結果を公表していない。本来、コピーワンスの緩和は総務省の行政指導でなされるべき筋合いの話ではないが、ある方向性についてパブコメにかけた以上、その結果を早期に公表するとともに、そこに示された本当の民意の実現を図ることが総務省の責務であろう。今もって新たな運用がどうなるのか、その運用の開始がいつかすら不透明なままにしておくのは、放送行政にたずさわるものの姿勢としていかがなものかと思われる。

 権利者団体が公表したところの、ダビング10への緩和すなわち録画補償金維持あるいは拡大という話自体は論外なのだが、このようなコピー制限と私的録音録画補償金問題が関わっているということ自体は正しいので、インターネットと著作権という観点より狭くなってしまうが、ここで、このことについてもう少し書き足しておきたいと思う。

 まず、コピーワンスの説明自体は省くが、情報通信審議会の答申から、ダビング10をかいつまんで説明すると以下のようになるだろう。

 デジタルコピーについて、内蔵HDDから内蔵DVD(メモリーカード)へのコピーという限定つきで、孫コピー不可のDVD(メモリーカード)を10枚作ることが可能となる。
 なお、アナログ経由のデジタルコピーについては、HDDにオリジナルコピーがある限りにおいて、孫コピー不可のDVDを作ることが出来る。(この枚数に限定はないが、デジタルコピーを10回した時点で不可能となる。)

 これに対するユーザーの利便性から見た問題点は以下のようになるだろうか。

合法的に入手したコンテンツを私的に楽しむための複製であるにもかかわらず、複製を制限されることにそもそも納得感がないので、1枚を10枚したところで納得感が得られないことに変わりはない。(枚数にかかわらず、私的複製以外は著作権法違反であることに注意。)
ダビング10はDVD/HDD内蔵型録画機器の内蔵チューナーに直接アンテナを接続した場合のみの動作であり、テレビから普通にデジタル接続した場合コピーワンスのままとなるなど、これは一般ユーザーに理解不能の挙動を示す。デジタルコピーとアナログ経由のコピーの混在下での回数カウントなども、おそらくヘビーユーザー以外の一般ユーザーの理解するところではないだろう。
・内蔵HDDからの直接複製する場合しか10回のカウントは機能しないので、機種及びメーカー依存性が強くなり、機器の接続に幅がなくなる。特に、これを良いことに、日本メーカー各社は自社の録画機からは自社のポータブルレコーダーにしかコンテンツを転送できないようにするであろうから、ユーザーは場合によってはポータブルレコーダーの買い換えまで要求されることになる。
・また、日本の家電メーカーの多くのPCのように、最初からチューナー内蔵のPCであれば最初からダビング10を設計に組み込むことも出来るだろうが、これは汎用PCボードへの実装をまるで考慮しておらず、設計に汎用性がまるでない
・国際的に見ても特異な規格であるため、外国メーカーとの競争になるとは考えがたく、海外と比べて機器の値段が高止まりする可能性が極めて高い

 さらにつづめて言うなら、
10枚という枚数に意味はなく、ダビング10でもユーザーは複製に対して制限を感じる
録画機器が、高価かつ不便で、ユーザーの直感に反する奇怪な動作をするようになる
外国メーカー品(例えばiPod)への容易なコンテンツの転送は、かなりの確率でダビング10録画機器に実装されない
となるだろうか。

 ダビング10におけるユーザーに対する利便性の向上という点では、わずかにアナログ経由のコピーではコピー枚数の制限がないことぐらいがあげられるが、そもそもデジタル化による利便性の向上が問題であるときに、アナログ経由のコピーが推奨されること自体誤りであろう。(それに、この程度のことで良いのであれば、今のデジタル放送録画機でもアナログ経由のコピーにコピー制御信号を乗せないことは簡単にできるので、むしろこのような方策を暫定解とするべきであろう。)

 結局、正規に流通している機器が、このように使い勝手の悪いもののみということでは、技術に詳しいハイレベルなユーザー達は、自力で入手したコピー制限解除機器あるいはソフトでコピーを続けることになろう。(アナログあるいはデジタル経由でコピーワンス制限を解除することが可能なことはそれなりに技術に詳しいユーザーなら知っていることである。)
 そのため、ダビング10にせよ、無料放送におけるコピー制限は、技術的なことに詳しくない一般ユーザーに高価で不便な機器と、高価で不便なコンテンツを買わせることのみを目的としているとしか考えられず、このような方式を私は一ユーザーとして全く受け入れることが出来ないのだ。
(なお、そもそも放送をプロモーションととらえ、そこで全て投資回収する訳ではないコンテンツがあるということも言われているが、そもそもコンテンツの全編をプロモーションのために放送することが私には理解できない。プロモーションというのであれば、きちんと広告という形でプロモーションを行い、コンテンツそのものは別売りとするのが筋であろう。しかし、このようなものが存在していることも事実なので、コンテンツの種類によっては何らかのコピー制限が検討されても良いかも知れないだろうが、原則はコピー制限なしとされるべきであろう。また、ハイビジョン品質で放送することは映像の原盤を流しているに等しいという主張も聞かれるのだが、ハイビジョン品質の放送チャネルにわざと画質を落として標準画質のコンテンツを流すことは簡単にできるのだから、何の言い訳にもならない。)

 要するに、コピー制限技術(良くDRM:Digital Right Management技術と言われるが、法律的に言えば、技術的保護手段あるいは技術的制限手段である)はクラッカーに対して不断の方式(暗号鍵)変更で対抗しなければならないのだが、その方式変更に途方もないコストが発生する放送では実質的に不可能である。インターネット上でユーザー間でコピー制限解除に関する情報がやりとりされる現在、もはや放送にDRMをかけていること自体が社会的コストの無駄と思われて仕方がない。ここに、放送におけるDRMの最大の欺瞞が存在していることに、そろそろ皆が気づいても良いのではなかろうか。放送におけるDRMは本当に縛りたい玄人は縛れず、一般ユーザーに不便を強いているだけなのだ。

 また、B-CASシステムの問題点はB-CASのWikiに詳しいが、ダビング10は、放送におけるコピー制御に関する根幹の問題である以下のような問題を全て温存し、将来への禍根を残す方向性でもある。(EPNも、B-CASシステムを温存するということでは同じである。)

あまねく視聴されることを目的とする無料地上波という基幹放送で、スクランブルをかけ視聴者のアクセス制限をしているということは変わらない。理論的には、B-CASカード番号を使って特定の者のテレビ視聴を不可能にすることすら可能である。しかもその情報は全てB-CAS社という一民間企業の手に委ねられている。
・B-CASシステムの排除以外の付け焼き刃の方策は、B-CASシステムの維持等にかかるコストが必ず消費者に跳ね返り、日本の消費者が知らないままに高価で不便な機器とコンテンツを買わされるという状況に変化をもたらさない
・B-CASシステムとコピーワンスは官がその導入に関与したとはいえ民々規制であるため、総務省の情報通信審議会でコピーワンスの緩和を決める根拠がなく、例え総務省の行政指導によってコピーワンスが緩和されたとしても、そのレベルのコピー制限緩和を関係者が維持しなければならない根拠が何一つない

 したがって、ユーザー・消費者・国民にとって真の選択肢は、B-CASシステムの排除並びに無料地上放送におけるノンスクランブル・コピー制限なしの原則化しかないと私は思っている。さらに、利権団体同士の争いと、それに伴う根拠のない行政の介入によってこれが変えられることを防ぐため、この原則を法律に書き込むべきだとも思っている。(以前存在していた総務省の省令に無料放送でのスクランブルを禁じる条項が大した検討もされないままに総務省に消されてしまったのは、私が情報通信審議会へのパブコメで書いた通りである。)

 ほとんどあらゆる者が普通の機器で自由にコピーが可能な状況を作れば、かえって不正な流通は減るのではないかと思われるが、確かに、インターネット等へのコンテンツの流出の問題も残り、これによって著作権者に不当な負担(私的複製による経済的損失ではない)を強いることになるとも予想されるので、例えば、このようなインターネットにおける不正流通対策に私的録画補償金を使うという選択肢もあるだろう。(このように使うことが私的録音録画補償金のそもそもの趣旨からずれることは私も分かっているのだが、権利者に細かく配分してしまうより、よほど権利者のためにも、社会全体のためにもなるのではないかと思う。)
 すなわち、放送についてノンスクランブル・コピー制限なしの実現が法的に確保されるという条件のもとで、録画補償金を何らかのセーフハーバーつきで維持するということは、ユーザーの選択肢としてあり得るのだが、実際、補償金に関する妥当な算定基準がない中で、権利者団体にセーフハーバーなしで青天井の補償金請求権を認めることはユーザーにとって極めて危険なことでしかなく、今のところ、私は権利者団体の主張にどうしても反対せざるを得ない

 何度も言うようだが、コピーワンスと私的録音録画補償金の問題について、ユーザーが本当に求めるべきことは、私的複製の自由の法的な確保補償金が私的複製を自由にすることの代償であることの法律的な明確化私的複製を自由としたときの権利者に与える経済的影響の妥当な算定基準作りと、権利者団体による際限のない補償金請求を無くすためのユーザーにとってのセーフハーバーの導入であると私は考えている。(コピーワンスやダビング10ほどに私的複製が不自由となる場合は、そもそも補償金をかける必要はないと言わなければならないのは無論のことである。)

 さて、ちょっとまた大きな観点からはずれてしまうのだが、次は、これも文化庁の中間整理パブコメの突っ込みどころであるため、レンタルCDの問題について書こうかと考えている。

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2007年11月 5日 (月)

第17回:著作権国際動向その5:イギリスとアメリカ(フェアディーリングとフェアユース)

 今回は、イギリスとアメリカについて簡単に調べたことをまとめておきたい。

(1)イギリス
 イギリスにおける私的複製の規定は、文化庁の中間整理にもある通り、研究・学習あるいはタイムシフト目的のみと極めて狭いが、このような狭い規定では、既に時代遅れであり、私的複製の権利をもっと認めるべきという研究(記事IPPRのHP概要本文)も出されている。

 また、イギリスでは、このようにタイムシフトを目的とした私的複製の権利制限を認めながら、補償金制度はない。
 そのために国際的に非難されている訳でもないことを考えれば、私的複製の権利制限、すなわち補償金ではないこと、特にタイムシフトについては国際的に見ても補償を必要とする複製ではないことが認められていると言っても差し支えないだろう。

(2)アメリカ
 アメリカのフェアユース規定そのものについては様々な人が書いているので譲るとして、ベータマックス訴訟の判決文は少し探すのが面倒かも知れないのでここにリンクを張っておこう。この判決文には、ビデオ録画機を間接侵害で違法というなら、権利者側が実害を示すべきであるが、実害は示されなかったという至極まっとうなことが書いてある。そして、このような判決があるため、アメリカでは今も録画補償金はレコーダーにかけられていない。また、プレースシフトのように、自分で聞くためという限りにおいて、CDからiPodに音楽を複製することも、アメリカではフェアユースと判断される可能性が高いためであろうか、あるいは、アップルが既にビジネス的に音楽業界と手を結んで成功しているためであろうか、iPodに補償金をかけようとする動きはアメリカには無い。実際、アメリカでこれをかけて欲しいと権利者団体が言い出しても、消費者の反発と裁判合戦で滅茶苦茶になったあげく、結局補償金をかけられないという結果になると思われる。
 なお、文化庁の中間整理の参考資料ではわざわざタイムシフトはフェアユースに当たらないとする少数意見を特に引用しているが、これまた恣意的な引用である。

 また、最近、アメリカで話題になっている著作権がらみの二つの裁判を紹介しておきたい。
 一つは、P2Pでファイル交換を行ったとしてユーザーが訴えられ、22万ドルの損害賠償が認められた事件である(cnet japanの参考記事1記事2記事3)。
 賠償金額の大きさもさることながら、記事に書かれているように、法廷が「これはあなたのアカウントなので、あなたに責任がある」と判示したとしたら、これも大問題であろう。アカウントを不正に乗っ取られた可能性もあるし、技術的なことに詳しくないためにPCを踏み台にされた可能性もあり、アカウントの責任をその所有者に持たせるのがあまりにも酷であることは技術に詳しい者ならすぐに分かるだろう。

 上の参考記事にも書いてあるが、全米レコード協会(RIAA)は実に2万6000人ものユーザーを訴えているらしい。アメリカでは、RIAAが自らP2Pでファイル交換を行う者をおとりとしてユーザーのあぶり出しを行っているという話(japan.internet.comの記事参照)もあることを考えると、アメリカでも、このような訴訟は増え続けることだろうが、これだけのユーザーを犯罪者として訴えて、なおかつP2Pユーザーが減っているとも思われないのだ(internet watchの記事参照)。
 実際、権利者団体もP2P技術そのものが悪い訳ではないことをもっと知ってしかるべきだろう。インターネット上のホームページやメールと、P2Pの間にそれほど大きな技術的隔たりがある訳ではない。
 インターネットによって情報の流通コストが劇的に下がり、ユーザーと事業者が情報流通という点でほとんど同じ所に立つ中、既存の流通チャネルの独占によって利益を得て来た事業者と、ユーザーとがどう折り合いを付けるのかということがそもそも今問われているのだが、この問題が知財の問題にすり替わってしまっているために、ややこしいことになっているのだ。今のところは世界的に見ても、知財(著作権)の保護強化を行うことで、これを解決しようとしているようだが、ユーザー間の情報のやりとりを制限することは最後は不可能であり、著作権法がユーザーにとって守れないくらいに強化されてしまったら、モラルハザードによって著作権法は存在しないのと同じことになってしまうだろう
 
 ダウンロードを明確に違法化したら、日本でも権利者団体が同じようなことをやってくるだろうことは想像に難くない。民事であれ、あたかもファイル交換そのものが悪であるかのような印象操作を行った上で、ユーザーを訴えるのはユーザーにとって極めて酷だろう。

 ユーザーにとって本当に必要なのは、このような権利者団体による訴訟に対して、その勝敗にかかわらず、被告が負うのは損害賠償のみで、訴訟費用は全て権利者団体が出すといったような何らかのセーフハーバーだろう。アメリカでは、そのような判決もわずかながらあるようだ(cnetの記事)が、まだ、世界的に見てもこのようなユーザー保護策が十分に検討されているとは言い難い。

 さて、もう一つ注目すべき訴訟は、テレビから流れる楽曲に乗って踊る子供の映像をユーチューブから削除したのは権利者によるノーティスアンドテイクダウンの乱用だといって、その母親が訴えたものである。(英語の参考記事1記事2
 論理的には著作権者が複製権を持っているために削除出来ることは妥当といえば妥当なのだが、この訴訟もまた、多くの示唆に富んでいる。何ら著作権を侵害する意図なく投稿された、赤ん坊が踊っているだけの動画を、その本質的でない部分であるBGMの著作権に基づいて削除するのは、実際、誰が見てもどうかと思うだろう。フェアユースの良いところは、裁判になりはするが、権利の乱用に対する抗弁が容易になるところである。アメリカでは、ビデオのリミックスに関するフェアユースガイドラインの提案もされており、このようなことはフェアユースがなければ出てこないだろう。

 これらの裁判は、その判例によりアメリカの著作権法がまた書き変えられることになるかも知れないので、著作権法の国際動向という点では、アメリカからも目は離せない。

(3)その他
 WIPOのHPには、著作権法に関する簡単なテキストが載っている。
 このテキスト自体は読めば分かるものだが、第53ページに、「Making a copy of your classmate’s CD for your MP3 player: クラスメートのCDからあなたのMP3プレーヤーにコピーすることは:」という質問があって、回答を見ると、「illegal 違法」となっている。
 日本では、一応友人から借りたCDからのコピーは合法ということになっているので、これを見ても、著作権が完全にモラルの世界に足を踏み入れていることが分かるだろう。CDの貸し借りの違法化も所詮モラルの問題であるため私は賛成しないが、まだ外形的に区別が付くだけましで、ダウンロード違法化はこれよりさらに問題が大きいように思えてしかたがない。

 また、カナダではネット配信への課金を検討しているという記事もあったので、これもリンクを張っておく。ここまで来ると訳が分からないが、残念なことに、とにかく金さえ取れれば何でも良い権利者団体がこのような主張を日本でもして来ることは容易く想像できてしまうので、何でも用心しておくに越したことはない。

 次もまた、インターネットと著作権の問題について、私なりに調べたり、考えたりしたことを書いてみたいと思っている。

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2007年11月 4日 (日)

第16回:著作権国際動向その5:フランス(私的複製の権利制限と私的録音録画補償金制度)

 今回は、フランスでの著作権の権利制限と私的録音録画補償金制度について書いておきたいと思う。

(1)権利制限条項
 フランス著作権法においては、他にも権利制限を規定している条文はあるが、主な権利制限はその第122-5条に、以下のように列挙されている。(翻訳は拙訳。なお、著作権情報センターのHPに載っている訳(2001年版なので多少異なる)も参考にした。)

「Art. L. 122-5. Lorsque l'oeuvre a ete divulguee, l'auteur ne peut interdire :
   1° Les representations privees et gratuites effectuees exclusivement dans un cercle de famille ;

   2° Les copies ou reproductions strictement reservees a l'usage prive du copiste et non destinees a une utilisation collective, a l'exception des copies des oeuvres d'art destinees a etre utilisees pour des fins identiques a celles pour lesquelles l'oeuvre originale a ete creee et des copies d'un logiciel autres que la copie de sauvegarde etablie dans les conditions prevues au II de l'article L.122-6-1 ainsi que des copies ou reproductions d'une base de donnees electronique ;

   3° Sous reserve que soient indiques clairement le nom de l'auteur et la source :
   a) Les analyses et courtes citations justifiees par le caractere critique, polemique, pedagogique, scientifique ou d'information de l'oeuvre a laquelle elles sont incorporees ;
   b) Les revues de presse ;
   c) La diffusion, meme integrale, par la voie de presse ou de telediffusion, a titre d'information d'actualite, des discours destines au public prononces dans les assemblees politiques, administratives, judiciaires ou academiques, ainsi que dans les reunions publiques d'ordre politique et les ceremonies officielles ;
   d) Les reproductions, integrales ou partielles d'oeuvres d'art graphiques ou plastiques destinees a figurer dans le catalogue d'une vente judiciaire effectuee en France pour les exemplaires mis a la disposition du public avant la vente dans le seul but de decrire les oeuvres d'art mises en vente.
   e) La representation ou la reproduction d'extraits d'oeuvres, sous reserve des oeuvres concues a des fins pedagogiques, des partitions de musique et des oeuvres realisees pour une edition numerique de l'ecrit, a des fins exclusives d'illustration dans le cadre de l'enseignement et de la recherche, a l'exclusion de toute activite ludique ou recreative, des lors que le public auquel cette representation ou cette reproduction est destinee est compose majoritairement d'eleves, d'etudiants, d'enseignants ou de chercheurs directement concernes, que l'utilisation de cette representation ou cette reproduction ne donne lieu a aucune exploitation commerciale et qu'elle est compensee par une remuneration negociee sur une base forfaitaire sans prejudice de la cession du droit de reproduction par reprographie mentionnee a l'article L. 122-10.

   4° La parodie, le pastiche et la caricature, compte tenu des lois du genre.

   5° Les actes necessaires a l'acces au contenu d'une base de donnees electronique pour les besoins et dans les limites de l'utilisation prevue par contrat.

   6° La reproduction provisoire presentant un caractere transitoire ou accessoire, lorsqu'elle est une partie integrante et essentielle d'un procede technique et qu'elle a pour unique objet de permettre l'utilisation licite de l'oeuvre ou sa transmission entre tiers par la voie d'un reseau faisant appel a un intermediaire ; toutefois, cette reproduction provisoire qui ne peut porter que sur des oeuvres autres que les logiciels et les bases de donnees, ne doit pas avoir de valeur economique propre ;

...

Les exceptions enumerees par le present article ne peuvent porter atteinte a l'exploitation normale de l'oeuvre ni causer un prejudice injustifie aux interets legitimes de l'auteur. ...

第122-5条 公表された作品について、作者は次のことを禁止できない。
 1°家庭内のみで行われる無償の私的複製

 2°複製する者の私的利用に厳密にあてられる複製、ただし、原作品が作られたのと等しい目的で作られた複製、第122-6-1条のⅡの条件で規定されているバックアップ以外の複製、及び、電子データベースの複製を除く

 3°作者とソースの名前を明記されることを条件として、
a)批評、論争、教育、研究、あるいは、それが含まれているところの作品における情報の性質によって正当化される、分析あるいは短い引用
b)報道の批評
c)政治、行政、司法あるいは教育の公式な場、公的になされる政治集会、及び、公的儀式で発表された演説を、ニュース情報として、放送あるいは報道により流すこと、なお、これは演説全体でも良い。
d)販売前にフランスで公衆に供される公売カタログに載せられる、売られる作品を描写することのみを目的とした絵画あるいは造形作品の全体的あるいは部分的複製
e)教育のために作品が作られることを条件として、作品から抜き出して、複製すること、教育と研究の枠内で、解説を目的として、楽譜と定期刊行物の記事を抜き出して複製すること、ただし、営利・再生行為は全て除かれ、この複製が提供される公衆は主として生徒、教師と直接的に関係する研究者から構成され、この複製が何ら商業利用されず、第122の10条で規定される複写の権利制限による損害を除き、損害に基づいて交渉される補償金によって補償されるときに限る

 4°パロディー、パスティーシュ、カリカチュア。ただし、これらの種類のものの法を考慮する。

 5°契約によってあらかじめ決められた利用限度内で必要に応じた電子データベースの内容へのアクセスに必要な複製。

 6°それが技術的処理において必要不可欠の部分であり、作品の表示、あるいは、仲介を必要とする通信網において第3者間でなされる通信を認めることのみを目的としている場合の、過渡的あるいは付随的性質を持つ一時的複製

(7°障害者のための権利制限、8°図書館、博物館、美術館のための権利制限、9°言葉により芸術作品の情報を伝えるための権利制限については省略)

 この条項に列挙された例外は、作品の通常の利用を妨げるものであってはならず、作者の正当な利益に不当な害を及ぼすものであってはならない。(後略)」

 フランスの権利制限で特徴的なのは、やはりパロディに関する権利制限があるところだろう。
 フランスでは、この権利制限があるために、原作者に訴えられても、パロディ作者側が裁判で勝つこともある。最近でも、フランスの漫画家エルジェと画家マグリットの子孫がOle Ahlbergという画家を訴えたが、パロディに該当するとして被告側が勝訴している(フランスの記事参照)。
 この権利制限があることは、フランスにおいて、パロディの文化的価値が認められている証拠である。このような権利制限が日本に導入されることは、今の状況では考えづらいが、日本においてもパロディについて、もっとその文化的価値を評価されても良いだろう。

(2)私的録音録画補償金制度
 フランスの補償金制度については、文化庁の中間整理の83ページからにも書かれているのでここでは大枠については省略する。(なお、余談だが、この中間整理で補償金大国であるドイツとフランスから各国の動向を書き始めているのにも、文化庁の恣意性を強く感じる。)

 しかし、補償金の対象・金額等を、委員長である国の代表と、2分の1の権利者団体代表と、4分の1のメーカー団体代表と、4分の1の消費者代表によって決めているのは明らかに消費者にとって不利である。賛成反対同数である場合は、委員長が最後の決定権限を持つことが法律にも明記されており、権利者団体が断固補償金の対象拡大を主張すれば、国の代表を抱き込むだけで何でも課金できてしまうようになっており、この比率は、消費者にとって実質的なセーフハーバーとしての機能を果たしていない。国内権利者団体の持つ政治力から、国の代表もほぼ権利者団体側に有利な判断を下すだろうことから、補償金の対象はフランスでも拡大して行かざるを得ず、このような動向を国際動向ととらえられないのはドイツと同断である。

 このシステムの所為か、フランスでも、ごく最近USBメモリーとHDDにも補償金がかかりはじめたという記事もあった。この記事によると、容量500GBで11.96ユーロ、1TBで23.92ユーロだそうであるが、これだけ課金されているとなると、ファイル交換を含め何でも行ってこれを取り戻そうとする者が現れたり、あるいは補償金のない国から個人輸入したり等のモラルハザードが起こり、かえって国内産業に悪影響が出るのではないかと思われる。
 実際、フランスでもこのような課金について消費者・ユーザーが明確に不快感を示していることは、リンク先の記事のコメントなどを見てもらっても分かるだろう。

 また、これも極最近のことだが、フランスではインターネットそのものに課金した上でP2Pを合法化してはどうかという検討が行われているという記事もあった。ただし、記事にもかかれているように、P2P合法化などとんでもないとフランスの権利者団体も言っているようで、このような法改正が行われる可能性は低い。

 どこの国でも、権利者団体は自らの権利を絶対不可侵のものと考え、私的複製も不自由としたあげく補償金も課し、自らの利益のみを最大化しようとしてきている。今後も、そのような二重の不便を勝手に人に強いようとしてくる限り、全くお話にならないと、私は一ユーザー・一消費者・一国民として言い続けて行くつもりである。
 今の日本の制度における補償金は、権利者団体内で適当に山分けが可能な単なる既得権益で、本当のところ何の役にも立っていないのだから。

 実は、フランスの著作権法に関しては、2006年の法改正でDRM回避規制と一緒に入ったDRM開放に関する規定なども面白いのだが、これも書き出すと長くなってしまうので今は少しおいておいて、次は、イギリスとアメリカの最近の著作権動向について書きたいと思う。

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2007年11月 2日 (金)

番外その3:崩壊する文化審議会

 先日、著作権分科会の私的録音録画小委員会にも委員を出しているメーカーの業界団体、電子情報技術産業協会(JEITA)が、文化庁の中間整理に対して真っ向から反対する説明会を開いたというニュース(ITmediaの記事)があった。この見解は、その前にJEITAのHPに載せられていたものである。

 また、このブログでも応援していると書いたが、同じく私的録音録画小委員会でユーザーを代表していた津田委員(肩書きはIT・音楽ジャーナリストだったが)が発起人に名前を連ねる形で、MIAUという団体が作られ、中間整理に盛り込まれたダウンロード違法化に反対する運動をネット中心に展開している。

 さらに言うならば、上位の委員会である著作権分科会そのものでも、私的録音録画小委員会に出席していた、消費者代表の河村委員、野原委員から、補償金ありきの議論はおかしいという主張が相次いで出されている(Internet Watchの記事参照)。

 それぞれ微妙にニュアンスは違うのだが、要するに、文化庁が文化審議会の中間整理としてまとめたものは、メーカー・ユーザー・消費者の代表委員が納得しておらず、その中の「という意見が大勢」だとか「おおむねの了承を得た」だとかいう記載が全て嘘っぱちであることが誰の目から見ても明らかになっているということだ。

 それにしても、本来、丹念に有識者レベルでの共通認識を得るための検討を重ねるべき役所の審議会で、その代表委員の意見すら無視して役所が一方の利害関係者の言うことだけを聞いて強行に報告書を整理するとはどういうことか。さらにはこれをパブコメにかけるに至っては言語道断である。もはや文化審議会は審議会の体をなしていない。

 文化庁の妄想ペーパーで法改正をされては堪らない。何度も言うようだが、法律は天下り役人の玩具ではない。

 あまりにも腹が立ったので、このような記事を書いたが、日本は何故か沈黙が了承とみなされる社会である。1人でも反対は多い方が良いと、私もこの怒りをパブコメに書き込んでいるところである。

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2007年11月 1日 (木)

第15回:著作権国際動向その4:ドイツ(補償金制度改革)

 前回は少し雑に書きすぎたが、著作権情報センターHPのドイツ著作権法を見てもらえれば分かるように、ドイツでは、私的複製の範囲として研究目的の複製や情報収集、絶版著作物に対する複製が含まれている。ダウンロード違法化などという馬鹿げた法改正を行う前に、このような私的複製の範囲の明確化を行う方が先ではないかとつくづく私は思う。

(1)現在のドイツの補償金制度
 さて、ドイツの補償金制度についてだが、そもそもドイツでは、現在、ほとんどあらゆる複製機器・媒体(パソコン、スキャナー、コピー機含む。)に著作権法上の補償金を課せる法律となっている。また、上のリンク先を見てもらっても分かるように法律にも料率一覧表が載っているが、最終的に補償金が課されるかどうかとその金額は裁判所で決まるようになっているため、ドイツでは補償金に関しても権利者団体対メーカーの泥沼の訴訟合戦が行われている(ネットの紹介記事1記事2。)。
 記事を読むと、プリンターに課すことは裁判で否決されたようだが、実際、PCやスキャナー、コピー機にまで補償金を課すのはどうかと思う。(前にも書いたように、この制度欧州では外資メーカーいじめに使われているところもあるので、それがドイツの政策を歪めているところもあろう。)
 法律の料率表を見ても、何がどうしてそう決まっているのかよく分からない。特にコピー機の補償金額が毎分何枚の印刷が出来るかで決まるなど理解不能である。

(2)今回の法改正の概要
 欧州でも消費者やメーカーに制度がそもそも論から反対されているため、ドイツも多少はこの制度を何とかしなければならないと考えているようで、ドイツでも今回補償金制度をいじっている。
 やはり前回引用した記事から、法改正概要の該当部分を、ちょっと長いが以下に引用しよう。(翻訳は拙訳。赤字強調は私が付けたもの)

「2. Pauschalvergutung als gerechter Ausgleich fur die Privatkopie

Als Ausgleich fur die erlaubte Privatkopie bekommt der Urheber eine pauschale Vergutung. Sie wird auf Gerate und Speichermedien erhoben und uber die Verwertungsgesellschaften an die Urheber ausgeschuttet. Privatkopie und Pauschalvergutung gehoren also untrennbar zusammen. Dabei bleibt es auch. Allerdings andert der Zweite Korb die Methode zur Bestimmung der Vergutung. Bisher waren die Vergutungssatze in einer Anlage zum Urheberrechtsgesetz gesetzlich festgelegt. Diese Liste wurde zuletzt 1985 geandert und ist veraltet. Das hat zu zahlreichen Rechtsstreitigkeiten uber die Vergutungspflichtigkeit neuer Gerate gefuhrt, die bis heute die Gerichte beschaftigen. Eine gesetzliche Anpassung der Vergutungssatze ware hier keine ausreichende Losung. Angesichts der rasanten technischen Entwicklung im digitalen Zeitalter musste die Liste schon nach kurzer Zeit erneut geandert werden. Nach dem neuen Recht sollen daher die Beteiligten selbst, also die Verwertungsgesellschaften und die Verbande der Gerate- und Speichermedienhersteller, die Vergutung miteinander aushandeln. Fur den Streitfall sind beschleunigte Schlichtungs- und Entscheidungsmechanismen vorgesehen. Mit diesem marktwirtschaftlichen Modell soll flexibler auf neue technische Entwicklungen reagiert werden konnen. Auserdem sollen Einigungen uber die Vergutungszahlungen zugiger zustande kommen.

Vergutungspflichtig sind in Zukunft alle Gerate und Speichermedien, deren Typ zur Vornahme von zulassigen Vervielfaltigungen benutzt wird. Keine Vergutungspflicht besteht fur Gerate, in denen zwar ein digitaler, theoretisch fur Vervielfaltigungen nutzbarer Speicherchip eingebaut ist, dieser tatsachlich aber ganz anderen Funktionen dient.

Der Gesetzgeber gibt den Beteiligten nur noch einen verbindlichen Rahmen fur die Vergutungshohe vor. Sie soll sich nach dem tatsachlichen Ausmas der Nutzung bemessen, in dem Gerate und Speichermedien typischer Weise fur erlaubte Vervielfaltigungen genutzt werden. Dies ist durch empirische Marktuntersuchungen zu ermitteln. Soweit nicht mehr privat kopiert werden kann, weil etwa Kopierschutz oder Digital-Rights-Management-Systeme (DRM) eingesetzt werden, gibt es auch keine pauschale Vergutung. Der Verbraucher wird also nicht doppelt belastet. Zugleich werden auch die Interessen der Hersteller der Gerate und Speichermedien berucksichtigt. Die ursprunglich vorgesehene 5 %-Obergrenze vom Verkaufspreis des Gerates ist in den Beratungen im Bundestag zwar gestrichen worden. Die wirtschaftlichen Belange der Geratehersteller werden gleichwohl hinreichend berucksichtigt. Es bleibt dabei, dass deren berechtigte Interessen nicht unzumutbar beeintrachtigt werden durfen und die Vergutung in einem wirtschaftlich angemessenen Verhaltnis zum Preisniveau des Gerats oder Speichermediums stehen muss.

2.私的複製に対する公正な補償としての補償金

 許された私的複製に対する補償として、権利者は補償金を受け取る。これは、機器と媒体に課され、徴収団体から権利者に分配される。私的複製と補償金は分かちがたく結びついているために、これは残った。しかしながら、この第2法改正は、補償金の決定方法を変えている。今までは補償金額は著作権法の別表として法的に規定されていた。このリストは1985年に変えられたきりで時代遅れのものとなっている。新たな機器の補償の有無について、多くの法律的な争いをもたらし、今日まで裁判が行われている。法的に補償金額を合わせることは十分な回答とはならない。デジタル時代の極めて速い技術開発から、極めて短い時間で更新し続けなければならなくなるだろう。したがって、新しい法律では、関係者が自ら、すなわち徴収団体と機器媒体のメーカー団体が、互いに補償金について交渉しなければならないとしている。係争となる場合のために、速度を速める調停・決定機構が定められている。このように市場経済モデルを取り入れることで、新たな技術開発に柔軟に対応することが出来るようになる。補償金算定に関する合意はそこから迅速に成立するであろう。

 将来的には、許されている複製に使われる全ての機器と媒体について補償金が支払われなければならない。しかし、理論的にそのようなデジタル複製利用が可能な半導体メモリが組み込まれているが、本当に他の様々な用途に多く使われているような機器については、補償金支払いの義務はない。

 立法者は、さらに、補償金額決定のために義務的な枠組みを提供する。許されている複製に使われる典型的な機器・媒体の本当の使用の程度からそれは見積もられなくてはならない。これは経験的な市場調査から導き出される。したがって、例えばコピー制御あるいはDRMシステムによって導入され、私的複製が不可能となれば、一括補償も無くなる。消費者に対する二重課金も無くなる。同じく、機器と媒体のメーカーの利益も考慮されることになる。当初予定されていた機器の販売価格の5%の上限は、下院で取り除かれたが、機器メーカーの経済的な利害も十分に考慮されることとなっている。よって、その合法的な利益が不当に害されることはなく、補償金は、機器あるいは媒体の価格体から経済的に見積もられた比率となる。」

 これらの理屈は、著作権神授説を信奉する著作権原理主義者の立場からすれば極めて正しいが、現実的には、いかに最初に互いに交渉することと法律的に定めたところで、どうにもならないことは明白である。調査にしても、公平な調査がなされる保証はどこにもなく、また、そもそもの根拠が問題になっているときに調査から何を決められるというのか。ドイツでもメーカーと権利者団体は補償金についてオールオアナッシングの闘争を繰り広げているので、何一つ最初の交渉の場では決まらないに違いない。立法で明確に決まっていないことは裁判で決めるしかないため、ほとんどあらゆる機器と媒体について争いが最高裁まで持ち込まれる泥沼の法廷闘争となるだろう
 さらに注目するべきは、5%の上限規制が議会における審議で無くなったことである。補償金の算定にそもそも合理的な基準があり得ない以上、ユーザーにとって本当に重要なことは、無制限な補償金の拡大を抑止する、機器・媒体の範囲に対する規制あるいはこのような補償金額の総量規制である。このような規制がなければ、いかに法律でお題目を並べたところで、補償金が多ければ多いほど良いとする権利者団体の要求に際限がある訳はなく、単に権利者団体の利益を最大化するところに補償金額が落ちるだけのことである。

 ダウンロード違法化もそうだが、最初に補償金制度を発明したのもドイツであり、このような著作権法の改悪を次々と行うドイツ当局の罪は重い。さらに、これを一方的に国際動向ととらえる者によって、世界でこれにならう法改正がなされて来たことを考え合わせると、そのうち、世界の著作権法に100年の禍根を残した大罪国家として、ドイツは知財法の歴史により断罪されることになろう。

 さらに、法案から補償金に関する新しい規定の最初の部分も抜粋しておこう。(翻訳は拙訳。)

「§54 Vergutungspflicht
(1)Ist nach der Art eines Werks zu erwarten, dass es nach §53 Abs.1 bis 3 vervielfaltigt wird, so hat der Ueheber des Werks gegen den Hershteller von Geraten und von Speichermedien, deren Typ allein oder in Verbindung mit anderen Geraten, Speichermedien oder Zubehor zur Vornahme solcher Vervielfaltigungen benutzt wird, Anspruch auf Zahlung einer angemessenen Vergutung.

(2)Der Anspruch nach Absatz 1 entfallt, soweit nach den Umstanden erwartet werden kann, dass die Gerate oder Speichermedien im Geltungsbereich dieses Gesetzes nicht zu Vervielfaltigungen benutzt weden.

§54a Vergutungshohe
(1)Massgebend fur die Vergutungshohe ist, in welchem Mass die Gerate und Speichermedien als Typen tatsachlichen fur Vervielfaltigungen nach §53 Abs. 1 bis 3 genutzt weden. Dabei ist zu berucksichtigen, inwieweit technische Schutzmassnahmen nach ?95a auf die betreffenden Werke angewendet werden.

(2)Die Vergutung fur Gerate ist so zu gestalten, dass sie auch mit Blick auf die Vergutungspflicht fur diesen Geraten enthaltene Speichermedien oder andere, mit diesen funktionell zusammenwirkende Gerate oder Speichermedien ingesamt angemessen ist.

(3)Bei der Bestimmung der Vergutungshohe sind die nutzungsrevanten Eigenschaften der Gerate und Speichermedien, insbesondere die Leistungsfahigkeit von Geraten sowie die Speicherkapazitat und Mehrfachbeschreibbarkeit von Speichermedien, zu berucksichtigen.

(4)Die Vergutung darf Hersteller von Geraten und Speichermedien nicht umzumutbar beeintrachtigen; sie muss in einem wirtschaftlich angemessenen Verhaltnis zum Preisniveau des Gerats oder des Speichermediums stehen.
...

第54条 補償義務
(1)作品の性質から、第53条の(1)から(3)に従って複製が行われると見込まれるとき、その作者は、それだけでか、又は、他の機器、媒体若しくは付属品と組み合わさった型として、そのような複製に用いられる機器と媒体のメーカーに対し、相応の補償の支払いを要求することが出来る。

(2)状況から、それらの機器あるいは媒体が、条文の適用範囲にある複製に用いられないと考えられるときには、(1)の要求はなし得ない。

第54条a 補償金額
(1)補償金額の基準は、それらの型の機器と媒体が、どの程度第53条の(1)から(3)の複製に使われているかである。したがって、問題の作品にどれほど第95条aの技術的保護手段が用いられているかを考慮しなければならない。

(2)機器への補償は、その機器に組み込まれた媒体等への補償についても考慮し、合わせて機能とする機器あるいは媒体に対しては、全体として適当なものとなるように決められる。

(3)補償金額の決定にあたっては、機器と媒体の利用に関する性質、特に、機器の性能、媒体の容量や書き換え回数が考慮される。

(4)補償は機器と媒体のメーカーを不当に害するものであってはならず、機器あるいは媒体の価格に対して適当な率でなければならない。」

 理念は大変良く分かるのだが、このように法律にいくら理念を書いても、実際に決まらないのでは意味がない。どんなに馬鹿げた数字があがっていたにせよ、法的安定性という点で補償金額を別表で決めていた方がまだましであったろう。

 ドイツの権利者団体が、とにかく何よりも補償金が減ることを嫌い、5%規制に大反対して補償金を青天井にしておくことにこだわったことなど、どこの国でも、利権団体は一度手に入れた利権を絶対手放さず、どこまでも拡大することを要求するということの良い証拠である。確かに5%の数字にも意味がないことは確かだが、権利者団体がどこまでも図々しく増額を要求してくる以上、消費者にとってセーフハーバーとなる規定は絶対に必要である。

 日本でも、権利者団体と、これと癒着した文化庁はドイツ型へ移行する法改正をねらっているようだが、権利者団体という一部の利権団体のみを利して、社会全体で見ると明らかにマイナスなるとしか思われない法改正には、私は一国民として断固反対する。(今、日本では分離型専用機器・媒体のみに課金するとしていることが、非常に大きなセーフハーバーとして効いている。この制限が無くなった途端に、権利者団体は補償金の野放図な拡大を要求してくることは間違いなく、この部分は消費者・ユーザー・国民にとって絶対守らなければならない砦である。)

 次はフランスにおける権利制限について書こう。

 ついでに、ここに、文化庁のものよりはるかに良くまとまっていて分かりやすく、多くの国について書かれている、オランダの補償金管理協会(Stichting de Thuiskopie)が出している私的録音録画補償金国際調査(英語)にもリンクを張っておくので、興味のある方はご覧頂ければと思う。

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