« 第9回:私的複製の権利(著作権法教科書読み比べ) | トップページ | 第11回:著作権国際動向その1:欧州連合(EU著作権指令) »

2007年10月25日 (木)

第10回:文化審議会パブコメ準備(追加:著作権侵害罪の非親告罪化問題)

 私的録音録画の問題ばかり取り上げていたが、文化審議会著作権分科会からは、もう一つの小委員会である法制問題小委員会の中間まとめもパブコメにかかっている。
 この中で特に問題となるのが、著作権侵害罪の非親告罪化の問題であろう。
 今回はほぼ法改正が見送りとなっている上、他の多くのブロガーの方々が取り上げていることもあって、この問題については、こんなパブコメを出したということだけ後で紹介しようと思っていたのであるが、見たところ、特許法が非親告罪化されたときとの比較をしている方はあまりいないようなので、先に、このことを取り上げておこうかと思う。

 特許法における非親告罪化の導入が適当とした審議会報告書は、その趣旨について以下のように記載している。

「工業所有権審議会損害賠償等小委員会報告書」(平成9年11月25日)
第2章 知的財産権の侵害に対する救済等のあり方について
第4節 知的財産権の侵害に対する救済等のあり方について
2 . 親告罪規定の見直し
(中略)
(3)旧法(大正10年法)においても、工業所有権侵害罪は、商標権侵害罪を除きすべて親告罪とされていたが、昭和34年の全面改正の際において、「財産権を侵害とする罪として自然犯的な性格を有する特許権等の侵害罪の罪質と悪質事犯防遏の必要性から」、工業所有権四法をすべて非親告罪とするべき、とする意見があり、検討されたが、結局、見送られることとなり、現行法は、旧法をそのまま踏襲することとなった。
 また、見送られた理由は、「特許、実用新案、意匠の三権の侵害罪は、これによって社会的又は公共的な法益が害される面が皆無であるとはいえないとしても、発明又は意匠の保護という点において私益に関する面が強く、また、著作権侵害と同様に人格権の保護という色彩をも具有するものであって、窃盗、詐欺等の一般の財産権の侵害とは同視し得ないこと等からみて、被害者である権利者が不問に付することを希望するにもかかわらず、あえてこれを訴追処罰することは妥当ではないと考えられた」(法務省刑事局検事臼井滋夫著『新工業所有権関係諸法の罰則』)ためとされている。

(4)昭和40年において、特許・実用新案権と意匠権の個人出願人が約4割前後であるのに対し、非親告罪たる商標権の個人出願人は約2割であったところ、平成8年には、特許・実用新案、意匠、商標ともに、個人出願人は減少し、約1割となっている。そこで、これらの権利者の個人・法人の割合についてほぼ出願人の個人・法人の割合と同視できると考えると、昭和34年改正時に近い昭和40年当時と比べ、現在では、ほとんどの権利者を法人として考えてもよい状況にあるということができる。このことから、特許権等の保護は、私益であるとしても、見送られた理由の1つである「人格権の保護という色彩」は、ほとんど払拭されることになるのではないかとの指摘が可能である。

(中略)

(5)また、我が国の研究開発費が増加している中で、例えば、医薬品の研究開発に通常10年前後をかけ、その間、200億円から300億円の研究開発費を使っているとの意見も踏まえると、知的財産権は、こうした研究開発成果を保護する権利として極めて重要な財産として位置付けざるを得ないとの考えもある。従来のキャッチアップ型研究開発からフロンティア型研究開発への移行に向けた経済構造改革を進めていく中で、研究開発成果を保護する知的財産を他の一般財産権よりも、むしろ手厚く保護しなければならないとする強い要請もある。加えて、今後の政策としても、特許の流通市場の創設や知的財産権の担保化という特許ライセンス等の公的性格の高まりの観点も併せると、あえて「被害者である権利者が不問に付することを希望する」場合を想定して、親告罪としておく必然性はすでに失っているとし、したがって、以下の考え方を採ることも一案と考えられる。

(S案)特許法等の侵害罪を、非親告罪とする考え方

(後略)」(第135頁~137頁より。赤字強調は私が付けたもの。)

 これをまとめると、特許権侵害が親告罪だった理由は、元々
・特許の侵害罪は、発明の保護という点において私益に関する面が強かったため、と
・人格権の保護という色彩もあり、窃盗、詐欺等の一般の財産権の侵害とは同視し得なかったため
であったが、

平成9年当時には、
・特許権者がほとんど法人となり、人格権の保護という色彩がほとんど無くなり、
・研究開発成果の保護強化の強い政策的な要請、と
・特許の流通市場の創設や知的財産権の担保化という特許ライセンス等の公的性格の高まりがあったことから、
特許権の非親告罪化が適当とされたということが分かる。

 確かに、技術の高度化によって特許権者の主体が個人から会社へ移り、特許権から人格権的な色彩がほぼなくなってしまったのは、時代の移り変わりというものだろう。しかし、著作権法のことを考えると、技術の高度化によって個人の表現はより簡単にできるようになっており、著作権者の主体はかえって会社から個人へ移りつつある。例え、著作権においても、流通市場の創設や担保化という公的な要請の高まりがあるにせよ、今後も、著作権から「人格権の保護という色彩」が払拭されることは、まずもってあり得ないだろう。
 したがって、同じ知的財産権だから横並びで著作権も非親告罪とするべきという議論など、二つの権利の性質を無視しした、ほとんど取るに足らない暴論である。(世の中にある著作物のほとんどが法人著作となり、登録管理によって著作権の帰属が誰にでも明確に分かる状況が現出すれば非親告罪化もあり得なくはないが、そんな状況は文化の死滅以外の何物でもない。)

 今も、インターネットの普及により、質はどうあれ、個人の著作は爆発的に増えつつある。今後これがさらに増えるだろうことを考えると、著作権を親告罪としておくことは、かえって正しいことであり、この理屈は国際的に見ても通用すると私は思う。

 著作権法は、公益と私益、法人と個人の権利と義務が入り交じった複雑な体系をしており、もはや担当官庁にも訳が分からなくなっているのかも知れないが、文化庁にはまず、とにかく権利者団体の言いなりに、法益や国益すら無視して保護強化の方向性を打ち出そうとすることを止めて欲しいものだ。

 ちなみに、この法制小委員会では、検索エンジンに関する権利制限も行うべきとしている。直接ユーザーに絡む話ではないが、このように現在の技術の発展に対応した権利制限を新たに作るべきとしているところは高く評価したい。是非、今後はより一歩踏み込んで、文化の一層の発展のため、ユーザーとのバランスを考えた、より広汎な公正利用の権利が創設されることを期待する。

 さて、ご大層な話をするつもりは毛頭ないが、回を変えて、権利制限規定の国際比較をやって行こう。

|

« 第9回:私的複製の権利(著作権法教科書読み比べ) | トップページ | 第11回:著作権国際動向その1:欧州連合(EU著作権指令) »

文化庁・文化審議会著作権分科会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 第10回:文化審議会パブコメ準備(追加:著作権侵害罪の非親告罪化問題):

« 第9回:私的複製の権利(著作権法教科書読み比べ) | トップページ | 第11回:著作権国際動向その1:欧州連合(EU著作権指令) »