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2007年10月31日 (水)

第14回:著作権神授説という幻想

 ちょっと中休みの話を。
 不思議なことだが、著作権は著作権者だけが行使し得る絶対不可侵の神聖な権利であるという考え方が世の中には存在している。
 私はこれを勝手に著作権神授説と名付けているが、単純で自明のように見え、かつ法律の裏付けもあるように思えるので、権利者は無論のこと、知財の有識者と呼ばれる学者にも似たような考えを振りかざす者がいる。

 そして、昨今の法改正騒動を見ていると、この著作権神授説がひどい悪影響を及ぼしているのではないかと思えて仕方がないのだ。
 そもそも、知的財産権は、文化や産業の発展のために、これくらいは創作者を守ることが必要ということから出てきたもので、絶対的なものでも何でもない。有体物の私有財産の絶対性からそう類推するのかも知れないが、有体物の私有財産より無体物の知的財産の世界が遙かに人工的であることは、よく考えてみれば、知財侵害の損害認定が本質的には不可能であることからも分かるだろう。(本当は有体物の私有財産すら絶対的なものではないのだが。)

 この著作権神授説の最も質の悪いところは、これが思考停止しかもたらさないことである。
 この原則からは、ダウンロードでも何でもとにかく許諾を得ていない複製は全て禁止という結論しか出ようはない。補償金の話を取ってもそうで、著作権神授説に立つ限り、私的な形であれ、著作権という神聖な権利を侵す以上、必ず何らかの代償が必要という結論しか出て来ようがない。しかし、ダウンロードを禁止すれば善意のユーザーの情報入手の妨げとなり、新たな機器に補償金を課せば、それはコストとなって機器の値段を上げ、必ず機器の売り上げを減少させ、社会的・経済的に見て好ましくない影響を与えるのだ。この影響を上回る形で、何らかの益が社会全体にもたらされるのであれば、このような法制度は全体から見て是認されるが、そうでない限り是認されてはならないのである。
 文化の発展は経済的な価値に換算できる訳ではなく、産業の発展は文化的価値に換算できる訳ではないが、文化的・経済的・社会的影響を全て考慮に入れた上で、本当に国とって好ましい方向性は何かということを決めるのが本当の政策判断であろう。知財の有識者と呼ばれる人達も皆知財の観念に凝り固まっていて、このような本当に広い見地から物事をとらえることが出来てないことが残念でならない。

 敢えて言うなら、インターネットにおける情報の自由な流通を確保した方が全体にとって良ければ、インターネットにおける著作権を完全に無くすという法制だってあり得るのだ。その場合、情報の自由な流通を認めないことで成り立ってきた今までのコンテンツ産業は窮地に立たされるかも知れないが、自由な流通を前提にしたコンテンツがそれを上回る勢いで作られ、それによってより文化と産業が発展するなら何も言うことはあるまい。無論、滅び行く産業への対策は別途、地道に行う必要があるが。
 インターネットの登場で流通コストが劇的に下がり、情報の発信にも流通にもコストがほとんどかからなくなった今、文化の発展の主要な推進力はもはや著作権法による保護ではなくなっていることを皆が理解した上で、あらゆる検討が行われることを私は望む。

 著作権神授説を信奉する世の著作権原理主義者達に私は告げる、目を覚ませ、著作権は絶対不可侵のものではない!

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2007年10月29日 (月)

第13回:著作権国際動向その3:ドイツ(ダウンロード違法化の明確化)

 文化庁の中間整理には、極簡単に、インターネット上で明らかに違法に提供されているものからの複製を私的複製の範囲から除外する法改正案が、今後上院で検討されるとしか記載されていないが、このドイツの法改正に関する情報も国際動向を見ていく上では外せない情報だろう。今回は、この法改正の情報について、私なりに調べたことを書いておきたい。

(細かなことを突っ込んでも仕方ないのだが、この法改正案は既に今年の9月21日に上院を通過して、2008年1月1日から施行される予定とドイツ法務省のプレス記事に出ている。このような調べればすぐに分かる情報すら、文化庁がきちんと調べていないのが丸わかりである。)

 プレス記事(下院通過のみ何故か英語版の記事がある。内容はほぼ同じ。)に書かれている私的複製の範囲に関する法改正の概要の部分を以下に抜粋しておこう。(翻訳は拙訳。赤字強調は私が付けたもの。)

「1. Erhalt der Privatkopie

Die private Kopie nicht kopiergeschutzter Werke bleibt weiterhin, auch in digitaler Form, erlaubt. Das neue Recht enthalt aber eine Klarstellung: Bisher war die Kopie einer offensichtlich rechtswidrig hergestellten Vorlage verboten. Dieses Verbot wird nunmehr ausdrucklich auch auf unrechtmasig online zum Download angebotene Vorlagen ausgedehnt. Auf diese Weise wird die Nutzung illegaler Tauschborsen klarer erfasst. In Zukunft gilt also: Wenn fur den Nutzer einer Peer-to-Peer-Tauschborse offensichtlich ist, dass es sich bei dem angebotenen Film oder Musikstuck um ein rechtswidriges Angebot im Internet handelt - z. B. weil klar ist, dass kein privater Internetnutzer die Rechte zum Angebot eines aktuellen Kinofilms im Internet besitzt -, darf er keine Privatkopie davon herstellen.

Es bleibt auch bei dem Verbot, einen Kopierschutz zu knacken. Das ist durch EU-Recht zwingend vorgegeben. Die zulassige Privatkopie findet dort ihre Grenze, wo Kopierschutzmasnahmen eingesetzt werden. Die Rechtsinhaber konnen ihr geistiges Eigentum durch derartige technische Masnahmen selbst schutzen. Diesen Selbstschutz darf der Gesetzgeber ihnen nicht aus der Hand nehmen. Es gibt kein "Recht auf Privatkopie“ zu Lasten des Rechtsinhabers. Dies liese sich auch nicht aus den Grundrechten herleiten: Eine Privatkopie schafft keinen Zugang zu neuen Informationen, sondern verdoppelt lediglich die bereits bekannten.

1.私的複製の維持

コピープロテクトがされていない作品の私的複製は、デジタル形式においても、許され続けることとなった。しかし、新しい法律では、明らかに違法になされた提供からの複製を禁じるという明確化を行っている。これで、禁止は明確に、ダウンロードのために明らかに違法にオンラインで提供されたものまで拡大される。これによって、違法なファイル交換の利用まで明確にカバーされる。将来的には次のことも考えられる。すなわち、映画あるいは音楽がインターネットで違法なものとして提供されていることがP2Pファイル交換のユーザーにとって明らかな場合、-例えば、問題の映画についてインターネットに提供する権利がネットの個人ユーザーの誰にもないことが明らかであるなら、それについての私的複製はなくなるということである。

 同じく、コピープロテクトを回避する複製も禁止される。これはEU法によって求められていたものである。許される私的複製はその技術的保護手段が定める範囲内となる。権利者は、自身の知的財産を、このような技術的手段で自ら守ることが出来る。権利者を犠牲にする「私的複製の権利」は存在しない。これは、基本的な権利から導かれるものではない。私的複製は新たな情報へのアクセスを作り出すものではなく、既に知られたものの複製に過ぎない。」

 ドイツの政府には悪いが、このようなユーザーに一切の権利を与えない考え方はもはや妥当ではない
 まず、私的複製は新たな情報へのアクセスを作り上げるものではないかも知れないが、もはや現在では複製=アクセスとなっている現状を考えると、私的複製は情報へのアクセスに必須の権利制限であり、新たな情報を生み出すためにも必須のものである悪意のあるユーザーがいるからと言って、ユーザーの権利を全否定してはならない。そして、法律屋が自己満足のためにら「明らか」だの「情を知って」だのと定義しようが、それは法律屋の自己満足に過ぎず、ユーザーの悪意と善意を外形的には区別できない以上、このような法制は社会全体にとって悪になると言わざるを得ない。
 そして、「問題の映画についてインターネットに提供する権利がネットの個人ユーザーの誰にもないことが明らかな場合」も最後まであり得ないだろう。アップロードしたユーザーが正当な映画会社なのか、それとも単なる個人ユーザーであるかを、ダウンロードを行う一般ユーザーがいちいち気にしながらネットを使うことは、法律をどう変えようがあり得ないからだ。

 それに、そもそもの話をすれば、ドイツでは元々明らかに違法に作られた複製物からの複製を違法としており、ほとんどダウンロードも違法だったと思われるので、このような改正にどれほどの意味があるかもよく分からない。

 ドイツでは様々な議論の末にこのような法改正がなされており、このようなドイツの記事の記載も相当誤解を生むものである。別に何も義務はないのだが、このようなことをどこかに引用する人がいるなら、是非私が書いたような反対意見も考えられることを合わせて引用して欲しいと思う。

 さらに具体的なことを書くと、法改正は、具体的には、以下のように私的複製規定を直すこととしている。(ドイツ上院のHPに載っている改正案より。赤字が法改正の追加部分。翻訳は拙訳。これで合っていると思うが、間違っていたら教えて頂きたい。なお、文化庁の中間整理に載っていたものも参考にしたが、公式訳がなぜあれほどひどいのかは理解に苦しむ。)

「§ 53 Vervielfaltigungen zum privaten und sonstigen eigenen Gebrauch

(1) Zulassig sind einzelne Vervielfaltigungen eines Werkes durch eine naturliche Person zum privaten Gebrauch auf beliebigen Tragern, sofern sie weder unmittelbar noch mittelbar Erwerbszwecken dienen, soweit nicht zur Vervielfaltigung eine offensichtlich rechtswidrig hergestellte oder offentlich zuganglich gemachate Vorlage verwendet wird. Der zur Vervielfaltigung Befugte darf die Vervielfaltigungsstucke auch durch einen anderen herstellen lassen, sofern dies unentgeltlich geschieht oder es sich um Vervielfaltigungen auf Papier oder einem ahnlichen Trager mittels beliebiger photomechanischer Verfahren oder anderer Verfahren mit ahnlicher Wirkung handelt.
...

第53条 私的及びその他自己利用のための複製

 (1) 直接的であれ、間接的であれ、営利を目的とせず、明らかに違法になされた物から、あるいは、明らかに違法にアクセス可能とされた物からの複製でない場合に、自然人が、私的利用目的のために著作物を任意の媒体へ少数複製することは許される。複製が無償で行われるか、あるいは、複製が写真製版及びその他類似の効果を有する方法を用いて紙あるいは類似の媒体に行われる限りにおいて、この複製は他の者にしてもらうことも出来る。
以下略)」

 大体概要に書いてある通りに追加している。あまり意味がないであろうことは上に書いた通りであるが、いくら著作権法による保護強化において先端を行くドイツでも、違法複製物を越えて、サイトそのものの違法性を勝手に著作権団体に認定させた上で、そこからのユーザーの私的な複製を違法とするようなことまではしていない。文化庁の中間整理にはそのようなことが平然と書かかれているが、前にも書いたように、そもそもあり得ない話である。

 それに、法改正をしようがしまいが、ドイツでもユーザーに対する訴訟は泥沼化の様相を呈している。例えばあるブログの記事では、2006年末までで既に2万人のP2Pユーザーを音楽業界は訴えており、さらに月ごとに1000人を加えていく予定という。さらに記事では、不明のユーザーに対して民事訴訟を起こすわけに行かないので、音楽業界が刑事訴訟を使っていること、刑事訴訟にかかるコスト(全て税金である)がばかにならず、刑事当局がその対応にうんざりし始めていることも書かれている。
 P2Pによる違法ファイル交換は決して良いこととは言えないが、実効性もないままに、訴訟の乱発をさらにもたらすような法改正が正しいとは私には到底思えない。
 また、上の部分でも、無償である限りにおいて他の者に私的複製をしてもらっても良いとなっているが、ドイツでは他にも第53条第2項以下(著作権情報センターのHP参照。)に、研究目的の私的複製についてなど、さらに細かなことを規定しており、日本とはかなり私的複製の規定の仕方も異なっている。日本での今後の法改正は、このようなことも含め、各国の私的複製に関する規定についてより詳細な比較検討をしてからなされるべきだろう。

 最後に付け加えておくと、2003年に、ドイツでは、インターネット上の検索エンジンによるニュース記事の一部利用は、記事の利用に対する黙示の許諾があったとみなすのが妥当であり、著作権法違反に当たらないという最高裁判決判決文日本語のニュース記事はこちら。)も出されており、こうしたことも、著作権法の大きな国際動向の中では無視するべきではなかろう。

 さて、ドイツでも私的複製の範囲の話と補償金制度改革はセットになっているので、次はドイツの補償金制度改革について書いてみたい。

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2007年10月27日 (土)

第12回:著作権国際動向その2:欧州連合(補償金制度改革)

 次に、2006年の欧州での補償金制度改革の検討を紹介しておこう。ネットには、この検討において提出された膨大な資料が公開されており、膨大すぎて読めないくらいであるが、少なくとも真面目に補償金問題に取り組もうと思う者にとっては、極めて面白い資料である。
 文化庁の中間整理では、極簡単に経緯について触れられているだけで、このような資料について検討した形跡が全くないのだが、自分たちに都合の良いところだけ適当につまみ食いしているようにしか見えない調査に無駄に予算を使うより、この資料を全て翻訳して、詳細に検討した方がよほど国際動向が分かると思えて仕方がない。

 例えば、利害関係者に対する質問状の第11ページに、欧州各国での補償金賦課の状況が出ているが、バラバラも良いところである。確かにこれでは域内経済に少なからぬ影響が出ており、EUとしては統一したくて仕方がないに違いない。しかし、保護期間の延長問題と同じく、統一するとしたら、現実的には保護レベルの高い方に合わせるしかないと思われるので、ヨーロッパにおける補償金拡大の動きを、これだけをとらえて世界動向だと断じることは明らかな間違いである。

 同じく例えばであるが、欧州のメーカー団体が集まって作っている補償金制度改革協議会(Copyright Levies Reform Alliance)の資料(別なところに簡単なプレゼン資料が載っているので、そちらにリンクを張った)には、欧州全体で補償金が現在二十億ユーロ(3000億円程度)であるが、現在検討されているものを加えると、これが倍以上に跳ね上がりかねないこと、スキャナー付きプリンタにまで課金している、あるいは課金を検討している国が数多くあること、国によって課金額が全く違い、60GBのiPodではイタリアのような定率(3%)の課金から、2~180ユーロまでの幅があることが書かれている。このような状況一つとっても、補償金の妥当な基準はどこにもないことが分かるだろう。
 欧州には大きな家電メーカーがあまりないこともあり、この制度は、建前はどうあれ、実質的に国外(メーカー)から国内(の著作権団体)に金を還流するための政策的手段として使われてしまっているのだ。このような裏事情も、本当に大きな政策的観点からは決して無視されるべきことではない。少なくとも、著作権の建前に誤魔化されることなく、日本が家電大国であることも考えて、日本の大きな政策判断は下されるべきであろう。

 また、欧州消費者組合(Bureau European des Unions de Consomateurs)の意見書から、消費者の取る立場が極めて明確に現れているので、その概要の抜粋を以下に載せておこう。(翻訳は拙訳。ほとんど全部に付けてしまったが、赤字強調も私によるもの。)

「There are various problems with current copyright levy schemes:
・The levies are not based on the harm caused to rights holders from private copying,
・The levies do not take into account technical restrictions on copying or any payment already made for the right to copy, and
・Levies are applied to copy equipment and storage devices that are not being used for private copying.

At the same time, the current levy system is not providing consumers with the right of privacy and anonymous consumption that could make it more attractive and was one of the main reasons for introducing such a system.
BEUC recommends:
・Levy systems should reflect the actual harm caused by private copying and not be based on assumptions;
・Consumers should have a clear right to copy;
・Possible solutions to the problem of illegal file sharing that respect consumers’ privacy should be discussed.

 今の著作権の補償金制度には次のような様々な問題がある:
今の補償金は、私的複製によって権利者にもたらさえる損害に基づいていない
今の補償金は、複製の技術的制限、あるいは複製する権利のために既になされている支払いを考慮していない
今の補償金は、私的複製に用いられない複製機器と媒体にも課されている

 同時に、今の補償金制度は、このような制度を導入する主な理由の一つであり、これをより好ましいものとする、プライバシーと匿名での消費の権利を提供していない
 我々が求めるのは次のことである。
補償金制度は、私的複製によってもたらされる実害を反映するべきであり、仮定に基づいていてはならない
消費者は明確に複製の権利を持つべきである。
違法ファイル交換の問題については、消費者のプライバシーを尊重する形での合理的な解決策を検討するべきである。」

 この消費者の意見はあまりに明快なので注釈を加えるまでもないだろう。

 このような欧州の消費者やメーカーの意見書を読むと、全世界で今の補償金制度は消費者・メーカーに反対されていることが分かる。
 この欧州での補償金改革は結局頓挫した訳だが、少なくとも、このような世界的な消費者とメーカーの意見について、全く触れようとしないのは、明らかに文化庁の怠慢だろう。

 また、上の欧州消費者組合の意見書の第3頁に書いてあるように、ノルウェーは、著作権指令の履行にあたり、国費によって権利者に公正な補償を与えており、文化庁の中間整理で書かれているように、全ての国で、機器・媒体に補償金を課すという制度設計が取られている訳でもない。
 現在、日本では、コンテンツ産業振興を名目に少なくない税金が投入されている。この国費をコンテンツ業界はもらって当然のように考えているのかも知れないが、これは、大きくとらえれば、著作権業界のために本当に薄く広く国民に補償金が課されている状況であることに他ならない。このような、特定の業界に対する税金投入の意味、今後の国費による補助事業のあり方も含め、より大きな観点から、私的録音録画補償金問題は考え直されるべきであると私は考える。

 次回からも、文化庁が教えない著作権の国際動向について書いて行くつもりである。

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第11回:著作権国際動向その1:欧州連合(EU著作権指令)

 本当は、文化庁の私的録音録画小委員会の中間整理がきちんとまとめてくれていれば良いのだが、あの中間整理には何の参考にもならない程度にしか国際動向が書かれていないので、少しずつ国際動向について書いていきたい。

 まずは、有名な2001年のEU著作権指令についてである。欧州といっても、勿論各国にはそれぞれ別の法律があるので、そこまで見ていかないと細かなことは見えてこないのだが、やはり欧州統一の動きというのは知財法にも影響を与えているので、この指令を外す訳には行かない。特に、著作権保護期間については、短いところに合わせるのは無理なので、70年という長い方に合わせてしまった訳だが、その前に2001年にEUが、各国はこれに従うようにと出している、著作権指令がある。いろいろと面白いところがある中で、ここでは私的複製と補償金に関連する主な部分を紹介したい。
まず序文には、以下のようなくだりがある。(以下の翻訳は全て拙訳。赤字強調も私が付けたもの。)

「(35) In certain cases of exceptions or limitations, rightholders should receive fair compensation to compensate them adequately for the use made of their protected works or other subject-matter. When determining the form, detailed arrangements and possible level of such fair compensation, account should be taken of the particular circumstances of each case. When evaluating these circumstances, a valuable criterion would be the possible harm to the rightholders resulting from the act in question. In cases where rightholders have already received payment in some other form, for instance as part of a licence fee, no specific or separate payment may be due. The level of fair compensation should take full account of the degree of use of technological protection measures referred to in this Directive. In certain situations where the prejudice to the rightholder would be minimal, no obligation for payment may arise.

(35)ある場合の例外又は制限においては、権利者は、その保護された作品等の利用を適切に補償する公正な補償を受け取るべきである。このような公正な補償のの形式、細かな取り決め、可能なレベルを決めるときは、それぞれの場合の個別の状況が考慮されなければならない。この状況を評価するにあたっては、評価される基準は、問題の行為に起因する、権利者に対して与えているであろう害である。例えば、ライセンス料の一部のような、他の形で、権利者が既に支払いを受けている場合、特に別の支払いが課されるべきではない。公正な補償のレベルは、この指令に記載されているところの技術的保護手段を完全に考慮に入れなければならない権利者に与える損害が極めて小さい場合には、支払いの義務は発生しないこともあり得る

(38) Member States should be allowed to provide for an exception or limitation to the reproduction right for certain types of reproduction of audio, visual and audio-visual material for private use, accompanied by fair compensation. This may include the introduction or continuation of remuneration schemes to compensate for the prejudice to rightholders. Although differences between those remuneration schemes affect the functioning of the internal market, those differences, with respect to analogue private reproduction, should not have a significant impact on the development of the information society. Digital private copying is likely to be more widespread and have a greater economic impact. Due account should therefore be taken of the differences between digital and analogue private copying and a distinction should be made in certain respects between them.

(38)加盟国は、公正な補償とともに、ある種の録音録画物の私的利用複製のための例外あるいは制限をすることが許される。これには、権利者に与える影響を補償するための補償金制度の導入あるいは維持が含まれていて良い。しかしながら、これらの補償金制度の間の違いは域内市場の動きに影響を与えるものであり、アナログの私的複製のことも考え、これらの違いが、情報社会の発展に大きな影響を与えてはならない。デジタルの私的複製は、より拡散し、大きな経済的影響を持つ傾向がある。したがって、デジタルとアナログの私的複製の間の違いは考慮されるべきであり、これらはある点において区別されるべきである。

(39) When applying the exception or limitation on private copying, Member States should take due account of technological and economic developments, in particular with respect to digital private copying and remuneration schemes, when effective technological protection measures are available. Such exceptions or limitations should not inhibit the use of technological measures or their enforcement against circumvention.

(39)私的複製の例外あるいは制限を適用するとき、加盟国は、デジタルの私的複製と補償金制度に関して、特に、効果的な技術的保護手段が入手可能であるときに、技術的・経済的発展を考慮しなければならない。このような例外あるいは制限は、技術的保護手段の利用あるいはその回避に対する保護を禁じるべきものではない。

(52) When implementing an exception or limitation for private copying in accordance with Article 5(2)(b), Member States should likewise promote the use of voluntary measures to accommodate achieving the objectives of such exception or limitation. If, within a reasonable period of time, no such voluntary measures to make reproduction for private use possible have been taken, Member States may take measures to enable beneficiaries of the exception or limitation concerned to benefit from it. Voluntary measures taken by rightholders, including agreements between rightholders and other parties concerned, as well as measures taken by Member States, do not prevent rightholders from using technological measures which are consistent with the exceptions or limitations on private copying in national law in accordance with Article 5(2)(b), taking account of the condition of fair compensation under that provision and the possible differentiation between various conditions of use in accordance with Article 5(5), such as controlling the number of reproductions. In order to prevent abuse of such measures, any technological measures applied in their implementation should enjoy legal protection.

(52)第5条第2項(b)に規定されている私的複製のための例外あるいは制限の実装にあたっては、加盟国は、このような例外あるいは制限の目的の達成に適切な手段が自発的に取られることを推進するべきである。合理的な期間の間に、私的利用のための複製をするためのそのような自発的な手段が取られようがなかった場合に、加盟国は、この利益に関する例外あるいは制限の受益が得られるようにする手段を取ることができる。自発的な手段は権利者によって取られるものであり、権利者と利害関係者の間の取り決め、及び、加盟国によって取られる手段を含むが、この制限下での公正な補償の条件、及び、第5条第5項と合致する様々な条件の可能な幅を考慮しつつ、その複製の個数を制限するような、第5条第2項(b)と合致する国内法での私的複製の例外あるいは制限に適う技術的保護手段を用いることを権利者に禁ずるものではない。このような手段の乱用を防止するため、この実装において、なにがしかの技術的手段を講じることは法的な保護を受けてしかるべきである。」

そして、私的複製に関する制限は第5条第2項(b)に、以下のように書かれている。

「Article 5:Exceptions and limitations
2. Member States may provide for exceptions or limitations to the reproduction right provided for in Article 2 in the following cases:
...
(b) in respect of reproductions on any medium made by a natural person for private use and for ends that are neither directly nor indirectly commercial, on condition that the rightholders receive fair compensation which takes account of the application or non-application of technological measures referred to in Article 6 to the work or subject-matter concerned;
...
5. The exceptions and limitations provided for in paragraphs 1, 2, 3 and 4 shall only be applied in certain special cases which do not conflict with a normal exploitation of the work or other subject-matter and do not unreasonably prejudice the legitimate interests of the rightholder.

第5条(例外と制限)
第2項 加盟国は、次の場合に第2条で規定されている複製権の制限あるいは例外を規定することが出来る。

(中略)

(b)第6条に規定される技術的保護手段の採用あるいは非採用を考慮に入れた公正な補償を権利者が受け取っているという条件で、直接的にも間接的にも商業的でない目的のために、自然人によって私的利用のためになされる、媒体への複製の場合

(中略)

第5項 第1、2、3、4項に書かれている制限は、作品等の通常の利用を害さず、権利者の正当な利益に不合理な損害を与えない特別な場合のみ適用される。」

 権利者団体のロビー活動の成果か、補償に関する記載など、かなりユーザーに酷な書き方となっているが、まず、序文の第35段落中で、権利者に与えているであろう害を補償の基準とすること、技術的保護手段を必ず考慮に入れること、損害が小さい場合には補償はなくとも良いことが記載されていることに注目したい。この3点は、私的録音録画細付近問題を考えていく上で、必ず考慮しなければならない3点である。
 そして、第39段落には、デジタルの私的複製と補償金制度に関して、効果的な技術的保護手段が入手可能であるときに、技術的・経済的発展を考慮しなければならない、と書かれている。この記載中で、効果的な技術的保護手段が「取られたとき」ではなく、「入手可能であるとき」と書かれていることにも注目するべきである(英語の原文ではavailable。)。この記載は、技術的保護手段が入手可能であるにもかかわらず、それを使わなかったという権利者の選択も、補償の有無・多寡を決める際には考慮に入れられなければならないことを示唆しており、大変興味深い。少なくとも、効果的な技術的保護手段が入手可能であるにもかかわらず、これを使わなかった場合、これは権利者自らの選択なのであるから、補償の必要性は相当減じられると見ても良かろう。
 さて、CCCDの場合のように、消費者の嗜好に合致しなかったため、技術的保護手段が権利者の選択肢から消えた場合は、補償の必要性についてどう考えるべきだろうか。音楽流通にCDしかなかった状況ならまだ考慮の余地はあったかも知れないが、ネット配信のような自由にDRMがかけられる流通ルート(最近の世界における音楽配信はDRMなしに動きつつあるが。)が相当のウェートを占めて来ている中で、敢えてDRMをかけず、画一的な値段でコンテンツを売っているということは、やはり権利者の選択であって、補償の必要性は相当減じられるものと私は考える。
 また、例えば、ネットの音楽配信において独占的な地位を占めるものが、あるDRM・価格を強要して来た場合などはどうだろうか。これは明らかに独占禁止法の問題である。流通における独占的な地位を乱用してあるDRM・価格を強要したという事実があったら、まず公正取引委員会に不正な取引の排除を求めるべきだろう。さらに言えば、事業者は自らネット上で配信ビジネスを行い、好きなDRMをかけても良く、あるいはDRMつきの音楽データをCD-ROMに焼いて売っても良いいのだ。このような独占の問題は、明らかに補償金の積み増しで解決されるべき問題ではない。

 ちょっと長くなったので、2006年に行われていた欧州の補償金制度改革の検討については、回を改めることにしよう。

(2009年10月2日の追記:誤記を見つけたので訂正した(「第2項」→「第2条」、「をする」→「を規定する」)。)

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2007年10月25日 (木)

第10回:文化審議会パブコメ準備(追加:著作権侵害罪の非親告罪化問題)

 私的録音録画の問題ばかり取り上げていたが、文化審議会著作権分科会からは、もう一つの小委員会である法制問題小委員会の中間まとめもパブコメにかかっている。
 この中で特に問題となるのが、著作権侵害罪の非親告罪化の問題であろう。
 今回はほぼ法改正が見送りとなっている上、他の多くのブロガーの方々が取り上げていることもあって、この問題については、こんなパブコメを出したということだけ後で紹介しようと思っていたのであるが、見たところ、特許法が非親告罪化されたときとの比較をしている方はあまりいないようなので、先に、このことを取り上げておこうかと思う。

 特許法における非親告罪化の導入が適当とした審議会報告書は、その趣旨について以下のように記載している。

「工業所有権審議会損害賠償等小委員会報告書」(平成9年11月25日)
第2章 知的財産権の侵害に対する救済等のあり方について
第4節 知的財産権の侵害に対する救済等のあり方について
2 . 親告罪規定の見直し
(中略)
(3)旧法(大正10年法)においても、工業所有権侵害罪は、商標権侵害罪を除きすべて親告罪とされていたが、昭和34年の全面改正の際において、「財産権を侵害とする罪として自然犯的な性格を有する特許権等の侵害罪の罪質と悪質事犯防遏の必要性から」、工業所有権四法をすべて非親告罪とするべき、とする意見があり、検討されたが、結局、見送られることとなり、現行法は、旧法をそのまま踏襲することとなった。
 また、見送られた理由は、「特許、実用新案、意匠の三権の侵害罪は、これによって社会的又は公共的な法益が害される面が皆無であるとはいえないとしても、発明又は意匠の保護という点において私益に関する面が強く、また、著作権侵害と同様に人格権の保護という色彩をも具有するものであって、窃盗、詐欺等の一般の財産権の侵害とは同視し得ないこと等からみて、被害者である権利者が不問に付することを希望するにもかかわらず、あえてこれを訴追処罰することは妥当ではないと考えられた」(法務省刑事局検事臼井滋夫著『新工業所有権関係諸法の罰則』)ためとされている。

(4)昭和40年において、特許・実用新案権と意匠権の個人出願人が約4割前後であるのに対し、非親告罪たる商標権の個人出願人は約2割であったところ、平成8年には、特許・実用新案、意匠、商標ともに、個人出願人は減少し、約1割となっている。そこで、これらの権利者の個人・法人の割合についてほぼ出願人の個人・法人の割合と同視できると考えると、昭和34年改正時に近い昭和40年当時と比べ、現在では、ほとんどの権利者を法人として考えてもよい状況にあるということができる。このことから、特許権等の保護は、私益であるとしても、見送られた理由の1つである「人格権の保護という色彩」は、ほとんど払拭されることになるのではないかとの指摘が可能である。

(中略)

(5)また、我が国の研究開発費が増加している中で、例えば、医薬品の研究開発に通常10年前後をかけ、その間、200億円から300億円の研究開発費を使っているとの意見も踏まえると、知的財産権は、こうした研究開発成果を保護する権利として極めて重要な財産として位置付けざるを得ないとの考えもある。従来のキャッチアップ型研究開発からフロンティア型研究開発への移行に向けた経済構造改革を進めていく中で、研究開発成果を保護する知的財産を他の一般財産権よりも、むしろ手厚く保護しなければならないとする強い要請もある。加えて、今後の政策としても、特許の流通市場の創設や知的財産権の担保化という特許ライセンス等の公的性格の高まりの観点も併せると、あえて「被害者である権利者が不問に付することを希望する」場合を想定して、親告罪としておく必然性はすでに失っているとし、したがって、以下の考え方を採ることも一案と考えられる。

(S案)特許法等の侵害罪を、非親告罪とする考え方

(後略)」(第135頁~137頁より。赤字強調は私が付けたもの。)

 これをまとめると、特許権侵害が親告罪だった理由は、元々
・特許の侵害罪は、発明の保護という点において私益に関する面が強かったため、と
・人格権の保護という色彩もあり、窃盗、詐欺等の一般の財産権の侵害とは同視し得なかったため
であったが、

平成9年当時には、
・特許権者がほとんど法人となり、人格権の保護という色彩がほとんど無くなり、
・研究開発成果の保護強化の強い政策的な要請、と
・特許の流通市場の創設や知的財産権の担保化という特許ライセンス等の公的性格の高まりがあったことから、
特許権の非親告罪化が適当とされたということが分かる。

 確かに、技術の高度化によって特許権者の主体が個人から会社へ移り、特許権から人格権的な色彩がほぼなくなってしまったのは、時代の移り変わりというものだろう。しかし、著作権法のことを考えると、技術の高度化によって個人の表現はより簡単にできるようになっており、著作権者の主体はかえって会社から個人へ移りつつある。例え、著作権においても、流通市場の創設や担保化という公的な要請の高まりがあるにせよ、今後も、著作権から「人格権の保護という色彩」が払拭されることは、まずもってあり得ないだろう。
 したがって、同じ知的財産権だから横並びで著作権も非親告罪とするべきという議論など、二つの権利の性質を無視しした、ほとんど取るに足らない暴論である。(世の中にある著作物のほとんどが法人著作となり、登録管理によって著作権の帰属が誰にでも明確に分かる状況が現出すれば非親告罪化もあり得なくはないが、そんな状況は文化の死滅以外の何物でもない。)

 今も、インターネットの普及により、質はどうあれ、個人の著作は爆発的に増えつつある。今後これがさらに増えるだろうことを考えると、著作権を親告罪としておくことは、かえって正しいことであり、この理屈は国際的に見ても通用すると私は思う。

 著作権法は、公益と私益、法人と個人の権利と義務が入り交じった複雑な体系をしており、もはや担当官庁にも訳が分からなくなっているのかも知れないが、文化庁にはまず、とにかく権利者団体の言いなりに、法益や国益すら無視して保護強化の方向性を打ち出そうとすることを止めて欲しいものだ。

 ちなみに、この法制小委員会では、検索エンジンに関する権利制限も行うべきとしている。直接ユーザーに絡む話ではないが、このように現在の技術の発展に対応した権利制限を新たに作るべきとしているところは高く評価したい。是非、今後はより一歩踏み込んで、文化の一層の発展のため、ユーザーとのバランスを考えた、より広汎な公正利用の権利が創設されることを期待する。

 さて、ご大層な話をするつもりは毛頭ないが、回を変えて、権利制限規定の国際比較をやって行こう。

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2007年10月24日 (水)

第9回:私的複製の権利(著作権法教科書読み比べ)

 前回の話は、経緯などを書いていたら少し長くなってしまったが、要するに、「ユーザーに納得のいく法的・経済的根拠を示さない限り補償金拡大はあり得ない。私的複製の自由を制限するDRM(コピーワンスやダビング10のような)がかかっている機器・媒体に、さらに補償金が課金されることもあり得ない。」ということである。
 さて、知財法大権威の中山信弘先生の著作権法が出版されたこともあり、今回は、ちょっと手元にある著作権法の教科書から、私的複製関係の記載について読み比べをしてみようかと思う。(個人的には他人の権威でどうこう言うのは嫌いなのだが、こんなことも世の中の役に立つかと思ったので。)
 以下の引用は、各先生方が私的複製(著作権法第30条)の趣旨について特徴的に書いている部分を批評のために私が抜粋したので、どの教科書からも私的複製に関する記載全体を取ってはいないことを始めにお断りしておく。

(1)加戸守行著「著作権法逐条講義」(五訂新版・2006年3月著作権情報センター刊)
 著作権の教科書として、この本を外すことは出来ないであろう。中でも、気になるのは、

「旧著作権法におきましては、複製手段を手書きだけに限定しまして、器械的化学的方法によることを認めておりませんでしたけれども、実際上は家庭内の行為について規制は困難ということで、第30条は複製手段のいかんを問わず複製を認めることと改められたわけであります。もちろん、本条を根拠として作作成された複製物については、後で述べますように第49条の規定によって目的外使用が禁止されておりますが、そのこととは別に、個人的使用のためであるからといって家庭にビデオ・ライブラリーを作りテレビ番組等を録画して多数の映像パッケージを備える行為が認められるかといいますと、ベルヌ条約上許容されるケースとしての「著作物の通常の利用を妨げず、かつ、著作者の正当な利益を不当に害しないこと」という条件を充足しているとは到底いえないという問題が出てまいりましょう。本条の立法主趣旨が閉鎖的な範囲内の零細な利用を認めることにあることからすれば、度を過ぎた行為は本条の許容する限りではないと厳格に解すべきであります。」(第225頁より。赤字強調は私が付けたもの。)

というところである。
 加戸先生によれば、ビデオのライブラリー所有者は全員、厳密な意味では著作権法違反ということになってしまう。以前はどうだか分からないが、昨今のビデオ(DVD)の普及を考えるにと相当数といるであろう録画のヘビーユーザーを全て著作権違反者としてしまうのは大きな違和感を覚える。
 確かに、立法趣旨からすれば、零細な利用というところにも重点が置かれていたのであろうと思われるが、その後の複製機器の普及の実態から考えて、私的複製の権利制限の趣旨の重点は零細であるというところから閉鎖的であるということに移っているのではないだろうか。ビデオが普及していなかった時代ならいざしらず、ビデオがない家庭の方が少ないという時代に、このような厳格な解釈にずっとしがみつくことは間違いであろう。複製機器が当たり前に家庭にある時代に即した、私的複製の意味とは何かが今問われているのだから。

(2)作花文雄著「著作権法」(第3版・2004年10月ぎょうせい刊)
 さて、次はこれもまた有名な教科書で、同じくらい分厚い本のであるが、中には、

「第1に、私的領域における教養・娯楽・文化活動を円滑になし得るようにするため、私的使用のための複製(第30条)が認められている。なお、基本的には、これまで、私的領域内での複製行為による権利者への経済的利益への影響はさほど存しないものと考えられてきたが、近年の複製機器の発達により、その見直しについて種々の議論がなされている。」(第309頁より。赤字強調は私が付けたもの。)

というくだりがある。
 ここでは、作花先生が、私的領域に「教養・娯楽・文化活動」があるとしていることに注目したい。例え極少数のサークルであったとしても、そこには文化活動が存在しており、それを守る意味も私的複製にはあるのだ。
 このことは、ここで取り上げた他の教科書には書いていないが、私的複製の権利制限をなくすことは文化の発展につながらないということを考える上で、一つのキーとなる考え方ではないかと思う。

(3)斉藤博著「著作権法」(初版・2000年3月有斐閣刊)
 上二つを読みこなせる者にとっては、物足りない薄さかも知れないが、やはり極めて有名な先生の本である。私的複製の趣旨については以下のように書かれている。

「そもそもは、個人的にまたは家庭内等で使用する程度であれば著作物等の複製も権利者に及ぼす影響は少なかろうという配慮があったであろうし、法律が個人の領域や家庭等に入り込むことを避けようとした面もあったであろう。そうであれば、無許諾・無償という最も厳しい権利制限を課すことが妥当である。しかし、その後の複製技術、とりわけ録音・録画技術の普及は利益状態を徐々に変え、権利者に補償金を支払うことによって利益の調整を図る途が模索されるようになった。」(第217~218頁より。赤字強調は私が付けたもの。)

 斉藤先生は、権利者に及ぼす影響が少なかったため、法律が個人や家庭内に入り込むのを避けるという趣旨から、無許諾・無償という最も厳しい権利制限を課すことが妥当だったとしている。
 これだけの文章から論理的なつながりを言うのは無理があるかも知れないが、斉藤先生は、著作権法のような私法が、個人や家庭の領域に入り込むことは避けるべきであるという考え方を強く持っていたのではないかと思う。

(4)渋谷達紀著「知的財産法講義Ⅱ著作権法・意匠法」(第2版・2007年6月有斐閣刊)
 特許法なども含めて書かれている知的財産法講義の中の一冊であり、私的複製についても以下のように、特色のある書きぶりとなっている。

「複製権が制限される理由は様々である。たとえば、①私的使用のための複製を権利行使の対象としても、侵害行為の発見が難しく、権利の実効性に問題がある、②侵害行為を発見したとしても、個々の侵害事例については、コストとの関係で権利行使の動機が不足する、③たまたま権利の行使を受けたものと多数のそうでない者との間に、事実上の不公平が生じることも問題である、④遵守されない法を制定することは、法を軽視する風潮を生むおそれもある、などの理由が考えられる。また、今日のように大量のデジタル複製が行われるようになる前は、⑤著作権者に与える影響が軽微である、といったことも指摘されていた。」(第247頁より。赤字強調は私が付けたもの。)

 ここで、渋谷先生は、権利の実効性に問題があること、権利行使にコストの問題があること等をあげているが、中でも、たまたま権利の行使を受けたものとそうでない者の間に、事実上の不公平が生じることを問題視しているのが特徴的である。
 実際、この不公平は、著作権法のみならず、他の知財法でも問題になることであろうが、やはり著作権法が個人をも対象にしていることから、特にあげているのではないかと思う。特に統計を持っている訳ではないので何とも言えないのだが、確かに著作権法は、他の知財法と比べてもみせしめ的な訴訟が数多く提起されているようにも思われ、無視して良い論点であるとは思えない。
 また、いわゆる法を軽視する風潮、法の弛緩についても書いてある。守られない、あるいは守ることができない法律をいくら書いても百害あって一利なく、著作権法というあらゆる個人の文化的営為に関わってくる法律において、法を弛緩させることは、著作権そのものに対するモラルハザードに繋がる危険性がある。どんな法律であれ、法律の根源となる社会規範・コモンセンスを越えては存在し得ないのであって、この点も法改正を議論するときには、必ず考えられるべき点であろう。

(5)中山信弘著「著作権法」(初版・2007年10月有斐閣刊)
 いよいよ中山先生の本であるが、私的複製の趣旨については割とオーソドックスで、この本の面白さが完全に出ている箇所ではないのだが、引用すると、

「30条の立法趣旨としては、次のような点が考えられる。私的領域内で行われる複製は全体的にみてみ微々たるもので権利者に与える影響は少なく、またそのような行為は補足が困難である上、仮に侵害を発見しても個々の複製による損害は少なく、また獲得できる損害賠償額を考えると事実上請求の対象とはなりにくい。また権利者と複製者の交渉の場がなく、事前に両者が契約を締結するには余りに交渉コストが掛かりすぎる。また従来のアナログの複製は精度が落ち、そのような劣化した複製が権利者の利益を不当に害するほどではないとも考えられた。侵害の把握、安価な交渉・課金のような技術上の困難性、あるいは法の実効性の問題については、技術の発展によりある程度は解決可能であるかもしれないそれに対して、そもそも個人の自由という観点から、著作権法が私的領域にまで干渉することが果たして妥当といえるのか、あるいはプライバシーとの関係はどうなるのか、という根本的な問題は残る。」(第244頁より。赤字強調は私が付けたもの。)

という部分になるだろう。
 中山先生は、技術の発展による解決の可能性についても言及しているが、著作権法が私的領域まで干渉することの是非は、最後まで問題になるとしている。
 確かに、著作権法による個人や家庭に対する干渉がどこまで妥当なのかというのは法律的にはかなり本質的な問題である。しかし、この点は未解決のままに、技術的に可能であるからという理由で、著作権保護技術は着実に家庭の中に浸透しつつある。この点は今ここで整理することは到底できず、今後の技術・法制度の動向も考えながら、本質的な議論を積み重ねていくべきところだろう。

(6)最後に
 まとめるのもおこがましい先生方が並んでいるのだが、先生方があげている私的複製を認めるべき理由を並べておくと次のようになるだろうか。

①個人の自由・プライバシーの問題から、そもそも著作権法のような私法が私的領域に踏み込むことは避けるべきである。
②私的領域の文化活動も守られるべきである。
③侵害の発見が難しく、権利の実効性に問題がある。
④権利行使のコストが見合わない。
⑤事前交渉のコストも見合わない。
⑥微々たる複製であり、著作権者に与える影響が軽微である。
⑦守られない法を制定することは、法の弛緩に繋がる。
⑧権利の行使を受けたものとそうでない者との間に不公平が生じる

 この中でも、やはり①②は本質的な問題として、私的複製に関する国民的な議論の中で深められて行くべきポイントとなるだろう。
 さらに、実効性やコストの問題、権利者に与える影響等についても、私的録音録画小委員会での利害関係者のすれ違いの議論だけではなく、真に国民的議論が提起されることを期待したい。

 なお、教科書の中でも特に、中山先生の本は例外的なほどに面白く、興味のある方は是非買って熟読されることをお勧めする。また上にあげた他の教科書も、著作権法を勉強しようと思うなら、全て買って損はないものばかりなので、もしこのブログを読んで気になったものがあれば、購入を検討してはいかがだろうか。(どれもそれなりの値段はするので財布が痛むことを覚悟しなければならないだろうが。)

 さて、以上までで教科書に関する話は終わりだが、著作権法には著作をしない者に権利を与える理屈はない(法目的には公正利用が入っているが)ので、単なるユーザーには何の権利もないというところが、何ともユーザーとして気分が悪いところである。そのため、私はユーザーとして地道により広汎な公正利用の権利を求めて行きたいと思っているが、現行法でも、コモンセンスにのっとり、正規に入手したコンテンツは、私的領域において原則自由かつ無償で楽しめることの確認を是非求めたいと思う。

 次からも、しばらく数回に渡って、主要国の著作権法の私的複製に関する権利制限規定の比較をしてみようかと考えている。

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2007年10月23日 (火)

番外その2:小寺氏の記事「もはや人ごとではない――MIAUに込めた想い」について

 小寺氏がITmediaの記事でMIAUへの想いを語っている。

 この想いには私も大いに共鳴するのだが、そのことはちょっとおいておいて、一点だけ、記事中で「文化庁の文化審議会のもろいところは、そこでの決め事を必ずしも政府が実行する責任がないということである。総務省管轄の審議会と大きく性格が違うのはその点で、立ち位置が全然違う。総務省のは、「これこれの改正を行なう場合には審議会にかけて諮問すべし」と、電気通信事業法や電波法で定義してある。つまり、審議会で審議したら、必ずそれが実行されてしまうのである。」と言っているのは多分小寺氏の誤解ではないかと思う。

 直接存じ上げていればと思うのだが、私のような無名のブロガーにはそんなコネはないので、勝手ながらここで少し注釈を加えておきたい。

 まず、それぞれの審議会の設置の根拠法は、以下のようになっており、法律と政令という違いはあるものの、法律上は、両審議会とも大臣なりの諮問を受け、審議を行い、意見を述べていることに変わりはない

文部科学省設置法:
(文化審議会)
第三十条  文化審議会は、次に掲げる事務をつかさどる。
一  文部科学大臣又は文化庁長官の諮問に応じて文化の振興及び国際文化交流
の振興(学術及びスポーツの振興に係るものを除く。)に関する重要事項(第三
号に規定するものを除く。)を調査審議すること。
二  前号に規定する重要事項に関し、文部科学大臣又は文化庁長官に意見を述
べること。

総務省令:
(情報通信審議会)
第百二十四条  情報通信審議会は、次に掲げる事務をつかさどる。
一  総務大臣の諮問に応じて次に掲げる重要事項を調査審議すること。
イ 情報の電磁的流通及び電波の利用に関する政策に関する重要事項
ロ 郵政事業に関する重要事項
二  前号イに掲げる重要事項に関し、総務大臣に意見を述べること。
三  第一号ロに掲げる重要事項に関し、関係各大臣に意見を述べること。

 そして、著作権法でもが審議会の審議事項として定められている事項もあり、それぞれの担当法で決まっている審議事項があることにも変わりはない。ただ、この審議事項は、各法の運用に関することであって、法改正に関するものではない。審議会で決定された法改正案を役所が国会に提出することと法律に書かれていることも無論ない。(行政の権限を考えると当たり前の話であるが。)
 したがって、よくよく調べてみると、どこの審議会の報告であろうと、法改正に関する限り、ある程度の重みはあるにせよ、本当にどうするかについては役所の勝手であり、役所が何かの責任を負うことはない。(なお、コピーワンス問題はちょっと違っていて、法改正の問題ではなく、完全な民々規制のため、総務省なり情報通信審議会なりにその変更を決定する権限が全くないことがその隠された問題点の一つである。もう一つの隠された問題点はB-CASシステムであり、この二つの問題点は、コピーワンス問題に仕込まれた時限爆弾である。)
 文化庁や総務省の検討を見るにつけ、このような審議会システムは極めて問題が大きいと思うのだが、これに代わるシステムがまだ作られていないこともあり、今も全ての官庁で惰性で続けられているのである。

 何かの役に立てばと思いこのような妙な注釈を書いてしまったが、何にせよ、MIAUの情報発信力に心強いものを感じており、もうすぐされるという協力者の募集を私は楽しみに待っている。

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第8回:文化審議会著作権分科会パブコメ準備(後編:私的録音録画補償金問題)

 パブコメ準備の一貫として私的録音録画補償金問題についての考え方を簡単にまとめておきたい。といっても、この問題は文化審議会での議論が混迷を極めていること(中間整理審議会の議事録、各種ネット記事参照。)からも分かるように、決して単純な問題ではない。

(1)経緯
 まず、経緯について表だった記録としては、過去の関連審議会報告書(著作権審議会第10小委員会報告書第5小委員会報告書第4小委員会報告書等)が残っている。(本当は裏の話もあったはずだがよく分からない。)中でも、補償金制度導入を決めた第10小委員会報告書は、この問題に関する必読文献の一つである。(本当のそもそも論を言えば、行政の審議会で法改正を決めていることがおかしいのだが。)

 中間整理では文化庁の思惑に都合の良い部分のみを引用しているが、この第10小委員会報告書には、

「第4章 報酬請求権制度の在り方
 私的録音・録画問題とは、権利の保護と著作物等の利用との間の調整をいかに行うか、言い換えれば、現行第30条の規定している私的録音・録画は自由かつ無償という秩序を見直すかどうかという問題である。
(中略)
 報酬請求権制度を我が国の著作権制度の上でどのように位置付けるかという問題については、私的録音・録画は、従来どおり権利者の許諾を得ることなく、自由(すなわち現行第30条の規定は維持)としつつも、一定の補償(報酬)を権利者に得さしめることによって、ユーザーと権利者の利益の調整を図ろうとするものであり、私的録音・録画を自由とする代償として、つまり、権利者の有する複製権を制限する代わりに一種の補償措置を講ずるものであると位置付けることが適当である。
この考え方は、
1) 制度の見直しによる新しい秩序への移行について国民の理解が得られやすい考え方である、
2) 制度導入の理由として、私的録音・録画によって生ずる権利者の得べかりし利益の「損失の補償」という理由付けをとるとしても、現行法立法当時には「予測できなかった不利益から著作者等を社会全体で保護する」という理由付けをとるとしてもいずれにしても、なじみやすい考え方である、
3) あくまでも補償措置の一種であるから、個別処理の方法ではなく、後述の録音・録画機器又は機材の購入と関連付けて、包括的な報酬支払方法をとるという議論ともなじみやすい考え方である 」(赤字強調は私が付けたもの)

とも書かれており、補償金制度導入当時、私的複製の自由の確保にも力点が置かれ、必ずしも補償金を権利制限の代償の側面のみからとらえていたのではないということは、もっと皆が理解していてしかるべきことだろう。
 そもそも論としては、この第10小委員会当時、原則全ての私的複製に補償が必要なのか、私的複製により生じる権利者の経済的不利益が生じない場合は補償は不要なのかの結論を出さないまま、制度導入を決めてしまった禍根が、今も私的録音録画小委員会に尾を引いている

(2)現行制度の概要
 第10小委員会の結論を受けて、導入された現行制度は概略以下のようになっている。

1.対象機器・媒体:
 デジタル録音録画専用機器・媒体であって分離型のもの。要するにMDとか録画用CDーRなどとそれに対応する録音録画機器にそれぞれ価格の数%が課金されている。今のところiPodは一体型なので対象外となっている。
2.指定方法:
 対象機器・媒体は、法律より一つ落ちる政令でその方式が技術的に規定されている。
支払いスキーム:
3.支払い義務者:
 一義的な支払い義務者は消費者(私的録音録画をする者だから。当たり前と言えば当たり前。)だが、消費者からは直接補償金を取れないため、メーカーが機器・媒体に上乗せして徴収する協力義務を負う。(その結果、補償金(総額で数十億円程度)の流れは次のようになっている。消費者 → メーカー → メーカーの団体 → 補償金管理協会(20%共通目的事業に天引き) → 権利者団体 → 権利者)
4.返還制度:
 消費者が補償金管理協会に自分のCD-Rは他人の著作物のコピーに使っていませんよと言うとCD-Rの値段内の補償金分を返してくれる

(3)今回の中間整理の方向性
 補償の必要性がある場合という括弧書きが付いているが、権利者団体寄りの審議会で補償の必要がないなどという結論は出ようがないから、文化庁が大体この方向性を既定路線としようとしていることは明白である。

1.対象機器・媒体は一体型専用機器まで拡大。要するにiPodとかHDDレコーダーとかまで対象を拡大。理由はほぼ私的録音録画に使われているからで、それ以上の理由はない。
2.政令指定方式は改め、対象機器等は文化庁長官が評価機関の審議を経て定める
3.支払い義務者については意見が一致していないとしながらも、メーカー負担でも良いのではないかということが強調されている。
4.返還制度は、メーカー負担なら無くなるらしい。

(4)このような方向性について
 私は、ユーザーとして、私的録音録画補償金は、私的複製の自由が確保された場合の私的録音録画により生じる権利者の経済的不利益の補償であるという立場に立つ。私的複製の自由が制限される場合、あるいは、私的複製の自由が制限されずとも一般ユーザーの利用形態を考えたときに権利者に大きな経済的不利益が生じていないと考えられる場合は、補償は不要という立場である。
1.したがって、対象機器・媒体について、その機器・媒体における私的複製の自由度、及び、一般ユーザーの利用形態を考えずに、単にその機器・媒体が主に私的録音録画に使われることをもって対象を拡大することに反対する。
2.文化庁が、審議会においてこのようなユーザー無視の姿勢を取る以上、文化庁長官が勝手に機器・媒体の範囲を決められるような、文化庁の横暴を許す形への法令の変更にも反対する。
3~4.そもそも補償金の根拠があやふやであるため、対象機器・媒体及び補償金額がユーザーから見て納得の行かない形で、既存の利権団体同士の談合のみで決まる可能性が極めて高い以上、返還制度を無くすことには絶対反対である。
 したがって、一ユーザー・一消費者・一国民として、よって立つべき前提を無視した、このような方向性に反対する。

(5)特にiPodやHDDレコーダーについて
 特に、音楽ユーザーとして言いたいことは、私はCDを買うとき、私は音楽を楽しむ権利を買っているつもりで、プラスチックコートのアルミ板を買っているのではないということだ。CDを買ったとき、この買った音楽を自分で聞く場合に、例え外形的に複製がなされるからと言って、さらに何らかの対価を要求されることには極めて強い抵抗感を覚える。自分の使い方から考えても、一般ユーザーはiPodを分が購入したCDのプレースシフトとiTunesからの配信の視聴用に用いていると考えられ、このiPodから他人への音楽の拡散が考えられない以上、このような機器に補償金を課すことに納得感はない。そうでないとするならば、その根拠は、課金を求める権利者側が、国民の目から見て納得のいく形で提供するべきであろう。
(レンタルCD問題については、補償金で解決されるべき筋合いの話ではないので、また別途ブログに書きたいと思う。)

 また、HDDレコーダーについては、コピーワンスのパブコメに書いた通り、まずコピーワンスやダビング10のようなユーザーにとってデメリットしかない方式の撤廃が先であり、そうでない限り、補償金拡大などとんでもない話である。

(6)最後に
 私がユーザーとして望むことは極めて単純であり、利便性の高い機器・媒体、及び、利便性の高いコンテンツが、両方とも豊富にリーズナブルな値段で手に入ることに過ぎない。私はこのような状態が、コンテンツ業界やメーカーにとって不幸なものであるとは到底思えない。(知財法が法律上認めている独占ではなくて、知財(著作権)そのものの集中という独占によって利益を受けている者にとっては好ましくないことだろうが。)

 敢えて言うなら、技術の発展を受けて、既に複製の主導権がユーザーに移りつつあること、コンテンツの利便性=複製の利便性となってしまっていること、情報アクセス=コピーとなってしまっていること、コピーフリーにしたときに著作物の拡散の恐れがあること等を考慮して、著作物のコピーフリー提供に補償金の拡大が必要だというのであれば、まだ考慮に値するが、それ以外の場合に、ユーザーに対する補償金拡大のメリットは何もない。(この場合でも、コピーフリーが確保されること、すなわち、著作権法に技術あるいは契約による私的複製の制限を禁じることを書き込む必要があり、さらに、その場合でも補償金の対象機器・媒体の範囲・補償金額は権利者に対してその機器・媒体が与える実害に基づく必要がある。)

 しかし、本当のそもそも論を言えば、このように機器・媒体メーカーにぶら下がる形でコンテンツ業界が金銭を得ることは、ビジネスとして極めて不健全である。このような補償金の存在はコンテンツにおける本来のサービス競争を阻害することになりかねず、既存のコンテンツ業界が本来の競争を捨てて補償金だけで生き残る未来すら容易く想像出来てしまうのだ。複製の主導権、コンテンツの利便性や情報アクセスと複製の関係を考え、本当に未来のコンテンツ産業を見据えたとき、その中で補償金が果たす役割はほとんど無いと私は思う

 なお、仮に補償金を存続させるとしても、ほとんど何のインセンティブにもならず、無意味に溶けてしまうだけの権利者への細かな分配を止め、集めた補償金は、ネットにおける海賊版(アップロード)対策や、コンテンツ産業振興(例えば、政府主催でコンテンツコンテストを開催し、その賞金(総額数十億円?)の原資として使うなど。私的複製との関係が問題なら入賞作品はコピーフリーとすることを参加条件としても良いだろう。)といったところにまとめて使った方がよほど有意義であり、このようなことももっとまじめに議論されてしかるべきだと思う。

 パブコメには、大体以上のようなこと+αの意見を出すことを考えているが、その意見書は出した後でこのブログにも載せるとして、著作権関係の参考情報を、また数回に渡って書いて行こうかと思う。

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2007年10月18日 (木)

番外:MIAUを応援する

 本日、MIAU (Movements for Internet Active Users) が設立されたというニュースがあった。

 今後、ネットの利用がさらに一般化することを考えると、ネットユーザーの声がこのまま声なき声であって良いはずがなく、ネットユーザーを代弁する団体の設立を私は心から喜ぶ。

 また、その具体的な活動としてあげられている、

(1)ダウンロード違法化反対

(2)コピーワンス及びダビング10反対

(3)著作権保護期間延長反対

には、私も一ユーザーとして大いに賛同し、MIAUを応援することをここに表明する。

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第7回:文化審議会著作権分科会パブコメ準備(前編:ダウンロード違法化問題)

 ようやく公表された文化審議会・著作権分科会・私的録音録画小委員会の中間整理のパブコメの〆切まで、自分が提出する意見の内容をよく考えたいと思っているところだが、そのためにちょっと頭の整理をしておきたい。

 まずは私的複製の範囲論、特にダウンロード違法化問題についてである。

 さて、今話題になっているダウンロード違法化問題とは、要するに、審議会で出された方向性の通り法改正がなされると、違法と知りつつ違法サイトから私的に録音録画する場合や、明らかな違法録音録画物から私的に録音録画する場合が私的複製の範囲外となるので、今までノーリスクに近かったこのような複製に著作権者(団体)からの損害賠償請求の訴訟リスクが発生するという問題である。

 この点については、音楽ITジャーナリストの津田委員が審議会では最も問題意識を持って反対意見を表明されていたが、多勢に無勢で中間整理にはこのような方向性が盛り込まれてしまった。
 権利者団体側の、ダウンロードは権利者に大きな被害を与えているという主張も、単純なだけにそれなりに説得力はあるのだが、デメリットを考えていくと、ダウンロード違法化はどうしてもするべきではないと思われる。その理由は大体以下の通りである。

(1)そもそも家庭内の複製行為を取り締まることはほとんどできず、実効性がない

(2)ユーザーの側で自分が接している著作物というのが、利用許諾のもとに提供されたものなのか判断する手がかりがない。権利者団体がつける違法マークなど機能する訳がない。結果として、常に不安な状態でユーザーはインターネットを利用しなければならなくなり、悪影響・萎縮効果が大きい。(特に、インターネットでは、違法も合法もなく、自動的に機械がコピーしてしまっている。ダウンロードした者の意思の有無について外形的な区別が不可能である以上、ユーザーが違法と知っていたかどうかは裁判所でどうにでも認定されてしまう。)
 また、今後、これに罰則の適用や非親告罪化を加えることを権利者団体が求めることが容易く想像されるが、そのような法改正までなされると、インターネットを使うこと自体が犯罪行為となり多大な悪影響が懸念される。

(3)このような混乱をもたらすだけの法改正で、国民の情報入手の自由を制限することがそもそもおかしく、情報入手の自由が制限される結果、表現の自由にまで影響が及ぶ

(4)送信可能化権によって違法アップロードを取り締まれば十分であり、新たに違法サイトからのダウンロードを取り締まる必要はない。
 また、既に送信可能化権があるため、送信可能(ダウンロード可能)としたことによって生じる損害は、著作者に許諾を取らず送信可能とした者(アップロードした者)に請求されるべきもののはずである。

(5)自らが作製した著作物を離れてサイトそのものを違法と著作権者団体が認定することは、明らかに権利の乱用である。これは著作権団体によるサイトそのものの検閲に他ならず、到底認められるべきではない。

 これらの影響を考えるとどう考えても法改正はメリットよりデメリットの方が大きい。
 また、そもそも論から行けば、何故あらゆる場合について皆がダウンロードを完全に合法と解釈しているのか理解に苦しむところである。ダウンロードについては解釈でグレーとしておき、拙速な法改正は行わず、様々な司法判断や状況が積み重なってきたときに改めて立法の是非を判断するべきであろう。

 次回は、今回の著作権改正騒動の2大論点のもう一つ、私的録音録画補償金問題についてどう考えるべきかというこことについて、パブコメ準備用に頭の整理をしてみたい。

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