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2007年7月31日 (火)

第4回:放送通信各法の概要

 前回のパブコメの前提として、放送通信融合の話をするときに、何故か誰もが忘れている法体系の話を、ここでまとめておきたい。
 有線電気通信法、電波法、電気通信事業法、放送法などの放送通信各法は基本的には全て規制法である。細かなことを言い出すと切りがないが基本的な構成を整理すると以下のようになる。

(1)放送と通信の定義
 通信と放送の定義は、それぞれ電気通信事業法と放送法の第2条に以下の通り書かれている。
-「(電気)通信」の定義:有線、無線その他の電磁的方式により、符号、音響又は映像を送り、伝え、又は受けることをいう。
-「放送」の定義:公衆によって直接受信されることを目的とする無線通信の送信をいう。
 ここで、特に、通信の方が定義として広く、放送は通信の一利用形態であることに異存のある人はそれほどいないだろうが、放送の定義の中に「無線通信の送信」という語が入っている。要するに、いわゆる「放送法」は無線放送を対象としたもので、有線テレビジョン放送法など有線を利用したものは別法になっている。
 さらに、この放送の定義が、放送法と著作権法で異なるということが、放送に関する著作権問題の根本原因なのだが、その話はまた次回にでも。

(2)有線と無線
 放送通信の定義がどうあろうと、物理的に有線と無線は異なるので、この二つをごちゃまぜにして良いと思う人間はあまりいないと思うが、それぞれ、その設備を規制する法律として、有線電気通信法と電波法がある。

 有線電気通信法では、無論例外はあるが、事業者による有線通信設備の設置を規制しており、設置工事の開始の日の2週間前までに総務大臣へ届け出ることとしている(第3条)。
 そして、通信の秘密は侵してはならないとされている(第9条)。
 また、非常時の通信確保を総務大臣は命じることが出来るが、その費用は国の実費弁済とされている(第8条)。

 電波法では、無線設備を規制しており、やはり例外はあるが、無線設備及び無線設備の操作を行う者の総体を言う無線局の開設に免許がいることとされている(第4条)。特に外国人は免許を取れない(第5条)。
 PHSの基地局の無線設備など、「電波を発射しようとする場合において当該電波と周波数を同じくする電波を受信することにより一定の時間自己の電波を発射しないことを確保する機能」を有するものについては、免許ではなく、登録すれば良いこととなっている。(第27条の18)
 また、無線設備の操作は、無線通信士でなければ行ってはならないとされており(第40条)、総務大臣は、公益上の理由があるときは、周波数や無線設備の設置場所の変更を求めることが出来(第71条)、電波の質が政令に適合しない場合には電波の発射の停止を命じることが出来(第72条)、無線設備等を総務省職員により検査させることとなっており(第73条)、非常の場合の通信を行わせることが出来(第74条)、放送法も含め法律に基づく命令違反に対しては運用の停止をすることが出来、この制限に従わないときはさらに免許を取り消すことが出来る(第76条)。
 この法律に基づく処分への意義申立ては、電波審議会の議に付され(第83条)、電波利用料についても規定されている(第102条の2)。

 下で書く事業法に関する規制を考え合わせても、明らかに電波関係の方が規制が厳しい理由は単純で、電波には周波数帯域には限りがあり混信という不都合を避けるため、様々な規定が必要だからだが、有線にはそのようなことがないからである。有線で無線と同じように様々な規制を設けたりすることは百害あって一利ない。

(3)放送と通信の区別
 放送と通信の区別は、電気通信事業法と放送法に書かれているのは、上に書いた通りであるが、これらがそれぞれ、通信事業者と放送事業者を規制している。

 電気通信事業法では、登録・届け出制となっている(第9、16条)。届出は、端末系・中継系の設備がある一定の区域に留まる場合で、これを超えると登録が必要となる。
 基礎的電気通信役務(国民生活に不可欠であるためあまねく日本全国における提供が確保されるべきものとして総務省令で定める電気通信役務)を提供する者は適切公平かつ安定的提供に努めなければならず(第7条)、その料金契約約款を実施前に総務省に届け出る必要がある(第19条)などとされている。
 相当の広がりを持つ電気通信設備は、その接続が利用者の利便の向上及び電気通信の総合的かつ合理的な発達に欠くことのできない電気通信設備として指定され得る(第33条)。これに指定されると、いろいろなことに届け出等が必要となってくる。
 設備を技術基準に適合するように維持することなども定められており(第41条)、設備の監督を電気通信主任技術者から選ぶこととしている(第45条)。
 基礎的電気通信支援機関(社団法人電気通信事業者協会)も法律で定められている(第106条)。(当然のことながら総務省の天下り先の一つである。)
 接続に関する紛争などを解決するための電気通信事業紛争処理委員会についても定められている(第144条)。

 電波法によって免許を与えられた者が放送の事業を行う場合に、放送法の規制を受けることになる。放送内容に対する規制がある点で、通信の秘密が規定される電気通信事業法とは大きく異なっている
 特に、放送番組の編集の自由については規定されている(第3条)ものの、公安及び善良な風俗を害せず、政治的に公平であり、報道を事実をまげずに行い、多くの角度から論点を明らかにすることなどをしなければならないこととされている(第3条の2)。番組基準や番組審議機関も設けなければならず(第3条の3、3条の4)、訂正放送・番組保存・災害放送の義務もある(第4、6、6条の2)。
 NHKは放送法にその業務等が細かく定められている(第2章)。放送大学に関する規定もある(第2章の2)。
 一般放送事業者に関する規定もあり(第3章)、有料放送に関する料金設定には総務大臣の認可が必要であること(第52条の4)等が定められている。
 放送番組センターという放送ライブラリーを作っている財団法人も放送法に規定されている(第4章)。(これも総務省の天下り先ではないかと思われるが、詳細はよく分からない。)

 ホームページのような1対多数の通信の場合まで放送と同等とみなして、その内容に関する規制を法体系に入れる必要があるとすることは、電波の有限性から来る放送の特殊性を無視した暴論であろう。あくまで電波という公共の資産を特定のビジネスに割り当てた結果として出てくる義務を、その社会的影響の大きさという物差しのみに置き換えることは個人の表現の自由を無視した極めて危険な論理である。(はっきり言って、嘘こそ吐かないものの自らにとって都合の悪いことは報道しないという昨今の放送の歪みを見るにつけ、匿名・実名の個人ブログの優れたものなどの方がおっぽど損得勘定抜きで公平に事実を伝えていると思う。)

(4)ビジネス構造の違い
 放送局は放送局として、一緒くたにされがちだが、広告が主たる収入源となる無料放送、料金を支払ったもののみが番組を視聴できる有料放送、受信料を全視聴可能世帯から徴収可能なNHKの3種でスタンスは異なる。現在主流の帯域を確保している地上無料放送組は新規参入を嫌がり、NHKは受信料ビジネスの死守が至上命題であり、有料放送組は割を食っているが帯域の壁を崩せていない。結果、放送では、巨大な広告収入を極めて少数の放送局のみで分け合うという非競争ビジネスが成立してしまっている。

(こうしたことを考え合わせると、インターネットの登場により放送免許という既得権益の保護に意味がなくなったことを踏まえ、国民全体にとってより利益のある電波の利用がなされるような規制緩和を考えることが本当の急務であろう。特に、義務についての一定の条件を付加するにせよ、放送局の免許の許認可にも競争原理を持ち込んでも良いのではないかと思う。このような抜本的規制緩和を行わない限り、莫大な社会的コストをかけてまで通信放送法を整理する意味はない。)

 放送通信の融合の話がされるときには、何故か皆の頭の中から、法律とビジネスに関することがすっぽりと抜けて、ネットでテレビが見られないのはおかしい、法律が整理されていないせいだ、というあさはかな思考のショートが起こる。法律とビジネスに関する考え方をきちんと整理しておかないと、自らの権限を強化したい官僚に乗じられるので注意が必要である。
 次回は、放送つながりで、放送に関する著作権問題について、いくつかの論点をあげて書いてみたい。

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2007年7月19日 (木)

第3回:「『通信・放送の総合的な法体系に関する研究会 中間取りまとめ』に対する意見

 放送法と通信法の本質の理解の一助になるかどうか分からないが、総務省の「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会 中間取りまとめ」に対する意見募集に私が出した意見の全文をここに載せておく。これだけでは何なので、次回は、現在の放送法と通信法における規制の概要を書きたいと思う。

意見書

「『通信・放送の総合的な法体系に関する研究会 中間取りまとめ』に対する意見募集」に関し、下記のとおり意見を提出します。

     記

(全体について:結論)
 以下、各箇所で述べることから、一国民として、ビジネスと法律の実運用を知らない官僚が書いたのであろう、このような浮ついた概念整理の報告書案の即時白紙撤回と、現在の放送通信各法における不必要な規制の洗い出しという地道な検討からの再スタートを、総務省に強く求める。
 なお、そのような検討を総務省ができないとするならば、これは、権限争いの激しい霞ヶ関において、規制法の運用と改正の検討が同一官庁で行われることは、規制強化の方向しかもたらさないということの証明であり、検討の場を立法府に移すことを求める。

(p.5:2(3)具体的枠組みについて)
 レイヤー構造による整理は、実ビジネス・法体系を全く考慮していない単なる理念的なものであり、法体系の移行のための理由付けとして全く妥当性を欠く
 また、情報通信産業が「横割り構造」に変化してきている等の全く根拠のない断定がなされている上、そもそも各国法が存在しているEUの状況と、我が国を同一視することもできず、このようなことに基づいて法改正が必要とする文章を書いたことについて担当部局の良識を疑う。

(p.7:3(1)基本的な考え方について)
 インターネット上のコンテンツ配信については、公然性を有し、強力な伝幡力がある場合であっても、コンテンツ規律を制度上課されていないことは、公正かつ適切な情報流通を損なうおそれがあり、規律の対象とする余地があるとしている。しかし、単に公然性・伝搬力のみを有するだけで、情報の規律が必要であるとすることは、国民は様々な情報から正しい情報を得る能力がほとんどないため、国家が情報を統制するべきであると言うに等しく、このような文章は国民を全く馬鹿にしており、全くお話にならない。なお、そもそもお話にならないが、何をして「公然通信」とするのかの基準も全く不明であり、かかる規制が可能と考える根拠も理解不能である。
 また、技術革新により伝統的な「放送」概念が変容しつつあることから、そもそも放送の規律の枠組みが問われているにもかかわらず、かかる論点を無視して、勝手に放送の規律がメディアコンテンツ規律の基準として成り立ちうるとすることも全く理解できない。従来、放送が勝手に相当部分を独占して来た情報流通が、インターネットの発展によって崩れてきたというのが本質的な問題点であり、かかる状況を踏まえ、放送がインターネットにおける情報流通と競争できるよう、現在の放送規制の緩和を考えるのが本来の検討のあり方であろう。
 したがって、この段落に記載に記載されている方向性は、通信の秘密及び表現の自由を侵し、情報の国家統制をもたらすものであるとしか言いようがなく、一国民として全く受け入れることができない。

(p.8:3(2)メディアコンテンツ規律の再構成について)
「特別メディアサービス」、「一般メディアサービス」、「公然通信」の区別の意味がまず不明であるが、それを無視して意見を述べるとすれば、まず、現在の地上テレビジョン放送の規律を維持すべき理由が不明であり、かかる放送の規律のあり方がそもそも今問われているのではないかと考える。公然通信については3(1)基本的な考え方についてのところで書いた通りである。
 なお、付言すれば、民間の事業者による自主規制で行われていることも、ここで法改正に含まれるのかの如く一緒くたに書かれており、民でできることは民でという流れに逆行し、このようにあらゆることを行政が規制するかのような文章を書いたことについて担当部局の良識を疑う。

(p.11:4プラットフォームに対する法体系のあり方について)
 そもそも、プラットフォームとは何かの定義が不明であり、ここで書かれている方向性には、現在の放送・通信法の対象外にまで不必要な規制が及ぼされる危険性のみしかない。
 寡占的性に伴う市場支配力の行使が問題であるとしたら、これは独占禁止法による規律が適用される問題であり、まず行うべきは独占禁止法と既存の放送通信法の規制の整理である。
 なお、付言すれば、無料地上波における放送システムは全体としていかにあるべきかという本質論を隠蔽したまま、放送・コンテンツ業界の既得権益を守るため、既存の放送システムを温存したまま9個コピー可能という誰の納得感もない数字を一方的に出したコピーワンス検討の前科を考えても、利用者保護の観点からのオープン性の確保についての検討が、総務省で可能であるとは到底考えられない。

(p.13:5伝送インフラに関する法体系のあり方について)
 そもそも、電波法と有線電機通信法などの区分は、放送と通信のくくりではなく、無線と有線という物理的な違いから来ているものもあるのであり、これを放送通信の融合の議論と一緒くたにしているのは極めて浅はかである。
 空き周波数帯域の利用、サービス・設備に関する規律の問題など、法律の区分の問題というより、既存の規制中の競争阻害要因の問題であり、このような不必要な規制の洗い出しの作業を早急にすることを、一国民として求める。
 なお、技術標準についても検討するとしているが、何の理念にも基づかない省令改正によって、無料放送におけるスクランブルを可能とし、放送業界の権益強化のためにB-CASシステムを地上デジタル放送に導入し、コピーワンス問題を発生させた前科を考えると、総務省で、この検討が公平かつ透明になされるとは到底考えられない。

(p.16:6レイヤー間の規律のあり方)
 2(3)具体的枠組みについてで書いたように、そもそもレイヤーの切り分けが不明であり、ここで書かれている方向性には、現在の放送・通信法の対象外にまで不必要な規制が及ぼされる危険性のみしかない。
 寡占的性に伴う市場支配力の行使が問題であるとしたら、これは独占禁止法による規律が適用される問題であり、まず行うべきは独占禁止法と既存の放送通信法の規制の整理である。

以上

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2007年7月12日 (木)

第2回:知財・情報・独占

~誰もが分かっているようでいて実は誰もよく分かっていない三題噺~

 さて、より具体的ではあるが、やはり前提の話にもう少しおつきあい頂きたい。

 知的財産とは何であろか。単純なようでいて難しいこの問いにどれくらいの人間が真摯に取り組んでいるだろうか。法律屋は法律で決まっている人工的な世界と認識し、普通の人は、何となく所与のものとして認識しているのだろう。
 特に、人間が生み出した知識、すなわわち情報に何らかの価値があり、財産として認識されるということはいかなることであるか。この概念の認識は、人によってかなりずれているに違いない。
 ここでは、情報に価値がある場合として、情報そのものが価値を持つ場合と、情報そのものではなく、その利用に価値がある場合の二つに分けて考える。

(1)情報そのものが価値を持つ場合情報そのものを独占し、知的財産を生む
 誰でも知っている情報に価値はなく、情報そのものが価値を持つには、情報の偏在が存在していなければならない。このように情報そのものから何らかの財産的価値を引き出し続けようとする者は、自身の情報を誰かに伝えた後も何らかの方法でこれをコントロールし、その偏在を維持し続けなければならない。
 このようなコントロールは、法律によっても良いし、契約によっても良いし、技術によっても良いし、時間・空間によっても良いが、人が知り得た情報のさらなる伝達を妨げることは、人の精神的自由を束縛することに他ならず、現実問題、最後、情報そのもののコントロールはほとんど不可能であると言っても差し支えない。

(2)情報の利用に価値がある場合情報の利用を独占し、知的財産を生む
 情報を何らかの形で利用することに価値が生じる場合もある。この場合、情報そのもののコントロールをせずとも、その利用をコントロールすれば、その財産的価値を維持することが可能である。ただし、この利用が純粋に情報のみの世界に閉じる場合には、上記の場合と同じくコントロールが困難となることは言うまでもなく、現実には、物の世界に対する情報の利用をコントロールすることが基本となるであろう。

 さて、ここまで説明してきたところで、今現在、法律によって存在している知的財産を考えてみると、基本的に知的財産各法は(1)のケースのように情報そのものではなく、(2)のケースのように情報の利用をコントロールするという考え方に基づいて立てられていると分かるだろう。
 特許であれば、特許情報を公報という形で誰にでも見られる形で公開し、特許された技術について、その業として特許を利用した物の販売等を独占することになる。意匠・商標等についても、この点においてそれほど大きな違いはない。

 ただし、著作権法だけは特殊である。
 著作権法でも、オリジナルと複製が区別されていた時代は、オリジナルに対する複製という利用形態をコントロールすれば良く、上記(2)のケースと同様に考えられた訳だが、情報技術の進展によって、著作物そのものの情報化が進んでしまった。著作物は単なる情報となる方向へ、そのコントロールは不能となる方向へと現状突き進んでおり、これにあらがう形で最近の著作権保護強化の主張は上記(1)の情報独占を求める方向へと足を踏み入れつつある。
 私は、現在の文化と産業を考えて拙速に保護強化を行い、情報の作成者あるいは政府が情報そのもののコントロールを行えるような情報統制国家をもたらすよりは、情報そのもののコントロールはあきらめ、情報の利用のみに独占を閉じた方が、長期的には文化的にも産業的にも良いと考えている。今の法学者・行政府担当者・立法府担当者の頭の固さから考えると、著作権において、情報の利用とはいかなるものかということが考えられることは今後10年経ってもあるかどうか疑わしいが、このことを考える際には、情報そのもの伝達が複製行為によってなされることが当たり前となっていることを踏まえ、その基礎となる利用態様を複製行為そのものとはなし得ないことを出発点としなければならないだろう。

 もう少し著作権法の特殊性について書きたいと思っているところだが、次回は、少し寄り道をして、放送法と通信法の本質について少し書く予定。

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2007年7月10日 (火)

第1回:何故か皆が暗黙の内に前提としている日本の不可思議な法改正プロセス

 何故か、このシステムそのものが問題とされることはほとんどないが、これが全ての前提となるので、ここにこそ全ての問題が内包されていると言っても差し支えないくらい、問題の多い日本の法改正プロセスについてまず説明したい。
 新聞で「・・・(役所)が・・・という内容で法改正を行う方針」と報道された場合、これは何を意味しているのかというと、各省庁に設けられている有識者会議で方向性を出した報告書がまとめられたということなのだ。何故、有識者会議で結論が出されただけで、あたかも国会審議を無視して、法改正がなされるかの如き報道がなされるかというと、大体有識者会議で決定されたのを良いことに、役人が自らの点数取りのために、他のあらゆることを無視して内閣による国会への法案提出まで持って行くことを、政府番の報道関係者が熟知しているためである。
 以下、順を追ってこのプロセスを少し詳しく説明しておきたい。

(1)各省庁主催の研究会で検討・報告
 まず、研究会と称して、公式あるいは非公式に有識者を集めて会議を開き、役人が法制度の課題と改正の方向性を勉強する。大体の場合、役人が、メンバーを、オーソライズ機関として活用される公式な審議会(有識者会議を偉そうに言うとこうなる)のメンバーとオーバーラップするように選んでおり、検討が二度手間となることを避けている。

(2)各省庁における公式な審議会で検討・報告
 様々な研究会で勉強したことから、役人が法改正が可能そうだと判断すると、各省庁に設けられている公式な審議会での検討が開始される。大体、審議会で出された結論を元に各省庁が所管の法律を改正することが慣習化しているので、このような審議会の委員は、各省庁・関係者からの根回しを鬱陶しいくらいに受けることになる。
 ここで、特に重要なことは、このよう審議会のメンバー選定及びその検討項目の選定が、これを抱えている省庁の専管事項ということである。そのため、各省庁は基本的には自分たちが守りたい業界に都合を悪いことを言う有識者を入れない、また、都合の悪いことは検討項目にあげない等の姑息な手段を用いて、自分たちに都合の良いように検討を進めて行く。このような審議会で重要な法案の改正が審議されていることが多くの国民に全く知られていないからこそ、このような姑息な手段が平気でまかり通っているのだが、三権分立や国民主権といった、誰でも教科書で習うことを役人は何だと思っているのか。

(3)審議会報告のパブリックコメント
 審議会において、報告書の案が取りまとめられると、審議会名で、パブリックコメントが募集される。
 国民の民意を問う極めて重要なプロセスである筈だが、実際には、ここで大きな方向性が変えられることはまずもってない。実質的に取りまとめを行っている役人がメンツにかけて、方向性変更の意見を否定する言い訳を考え出すからである。パブリックコメントの後、さらに1回審議会が開かれ、些細な文言修正を加えて取りまとめられたものが最終的な報告書となる。方向性について全国民に民意を問うたというエクスキューズに使われるだけの、名目のみのプロセスに堕している。

(4)法制局審査
 表の場に出てくる話ではないが、審議会で方向性が出されるかどうかという頃合いで、各省庁の担当部局が法案の素案を作り、法制局に持ち込んでいる。ここで、他の法律との関係や、法律用語の決め方から、法律の細部が決定される。他の法案との整理などをきちんとしないまま審議会で方向性を出したりすると、ここで法案が倒れ、国会に提出されないこともある。我々国民にとっては極めて見えにくいプロセスである。

(5)法令協議
 これも表の場に出てくる話ではないが、法案が固まると、法令協議という形で各省に法案の協議が回ってくる。大体、法案は所管省庁の利権を保護するように書かれているので、それに対して他の省庁が嫌がらせのように質問と意見を山ほど出すということをする。ただ、これも、省庁間の利害調整(要するに、各省庁の天下り先の所管業界のためになるような調整)の役には立つが、本当の国民の考えを代弁する省庁は存在しないため、一般国民の意見がここで法案に反映されることはない。大体、有力な国会議員への根回しも平行して行われ、法案がこねくり回される。
 同じく、ここで法案が倒れ、国会に提出されないこともあるので、審議会の報告が出された後、その方向性が変わったりした場合は、このような何らかの不透明なプロセスで調整がなされたのであろうということになるが、我々国民にとって極めて見えにくく、不透明この上ないプロセスであると言わざるを得ない。

(6)閣議決定
 内閣提出法案のときに必ず必要となるが、ここまで来るといちゃもんがつくことはまずない。

(7)衆議院・参議院での審議・可決
 大体ここに来るまでに、法律の穴はほとんどふさがれているため、国会議員によっていろいろな質問がなされるが、そつのない答弁を役人が懇切丁寧に用意しており、ここで法案修正が入ることはまずもってない。ただ、突然政治的要因によって国会の審議が止まるとか、外的要因によって可決が延期あるいは中止されることはある。

 大体このようなプロセスを経て、法律が成立する訳だが、途中に様々な関係者の極めて不透明な調整プロセスが入るこのような日本システムを、私は外国にまともに説明できる気がしない
 このブログは、問題提起のためにのみ作ったものであるが、天下り先の確保のために役人に法律を好き勝手にねじ曲げさせるためにあるかのような、このふざけたシステムを捨て、我々国民の総意が真に反映されるシステムの構築を皆で素直に考えるべき時が来ていると私は考える。
 特に、喫緊の課題として、我々の1票が真に立法に反映されるよう、我々も意識を改め、単なる地元への利益配分のみを考える代議士への投票を止めて、大局的な観点から法律を書ける人間を国会議員として選出した上で、立法権限を国会に集中して行かなければならないと考える。さもなくば、不透明なプロセスによって何となく国民の意向が政策に反映したと思えるかという状態を続けていくかだ。
 次回からは、具体的な事項をあげて行きたいが、今回書いたことでも不明な点があれば、注を加えていきたいと思うので、何でも言って頂ければと思う。

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