第511回:人間でない人工知能(AI)は特許法上の発明者たり得ない事を再確認する2025年1月30日の知財高裁判決
今回もAIと知的財産に関する話の続きとなるが、第497回で取り上げた2024年5月16日の東京地裁の判決を支持する形で、この前の1月30日に知財高裁も同じく人間でない人工知能(AI)は特許法上の発明者たり得ない事を再確認する判決を出しているので、念のため、ここでもその内容を見ておきたいと思う。
この知財高裁の判決(pdf)の論旨も東京地裁のものとほぼ同様だが、その主たる争点について特許法の解釈を述べている点を以下に抜粋する。
1 争点(1)(特許権により保護される「発明」は自然人によってなされたものに限られるか)について
(1) 特許法上の「発明」と特許を受ける権利について
ア 特許法は、発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とし(同法1条)、特許権は、同法所定の出願、審査の手続を経て、設定の登録により発生する(同法66条1項)と規定している。すなわち、特許権は、特許法により創設され、付与される権利であり、特許を受ける権利もまた、同法により創設され、付与される権利である。特許法は、特許権及び特許を受ける権利の実体的発生要件や効果を定める実体法であると同時に、特許権を付与するための手続を定めた手続法としての性格を有する。
イ 特許法29条1項柱書は、「産業上利用することができる発明をした者は、…その発明について特許を受けることができる。」と規定しており、同項の「発明をした者」は、特許を受ける権利の主体となり得る者すなわち権利能力のある者であると解される。
また、同法35条1項にいう「従業者等」が自然人を指すことは、文言上、同項の「使用者等」に法人、国又は地方公共団体が含まれているのに対し、「従業者等」には法人等が含まれていないことから明らかである。そして、同条3項は、「従業者等がした職務発明」について、一定の場合に特許を受ける権利が原始的に使用者等に帰属する場合があることを定めているが、5 同項の規定も発明をするのは自然人(従業員等)であることを前提にしている。特許法上、「特許を受ける権利」の発生及びその原始帰属者について定めた規定は、上記の同法29条1項柱書及びその例外を定める同法35条3項以外には、存在しないから、特許法上、「特許を受ける権利」は、自然人が発明者である場合にのみ発生する権利である。そして、本件で問題となっている国際出願に係る国内書面のほか、特許出願の願書(特許法36条1項2号)、出願公開に係る特許公報(同法64条2項3号)、国際出願の国内公表に係る特許公報(同法184条の9第2項4号)、設定登録に係る特許公報(同法66条3項3号)については、いずれも「発明者の氏名」を記載又は掲載するものとされ、それぞれ、特許出願人、出願人又は特許権者について「氏名又は名称」を記載又は掲載するものとされていることと対比しても、発明者については自然人の呼称である「氏名」を記載又は掲載することを規定するものであって、職務発明の場合も含め、発明者が自然人であることが前提とされている。ウ そうすると、特許法は、特許を受ける権利について、自然人が発明をしたとき、原則として、当該自然人に原始的に特許を受ける権利が帰属するものとして発生することとし、例外的に、職務発明について、一定の要件の下に使用者等に原始的に帰属することを認めているが、これら以外の者に特許を受ける権利が発生することを定めた規定はない。また、同法に定める「特許を受ける権利」以外の権利に基づき特許を付与するための手続を定めた規定や、自然人以外の者が発明者になることを前提として特許を付与するための手続を定めた規定もない。したがって、同法に基づき特許を受けることができる「発明」は、自然人が発明者となるものに限られると解するのが相当である。
ここで書かれている事は特許法の条文解釈上極めて明確であり、ほとんどつけ加える事はないだろう。本当に自然人以外の何かが発明をするなどという事があり得るのかという事は別論としてあるが、現行特許法においてはその様な事は全く想定されていないのであり、現行特許法に基づいてAIを発明者として特許を付与する事はナンセンスと言って良いのである。
さらに付言しておくと、地裁判決では知的財産基本法まで持ち出していたが、第497回でも書いた通り、特許法の解釈だけで十分同じ結論を導けると私は思っていたので、この知財高裁判決の方の論旨の方がよりすっきりしていて良いと私には思える。
また、その後のエ(オ)で、以下の通り、知財高裁も立法論について若干の言及をしている。
原告は、特許法の制定当時、AI発明という概念やこれに伴う法律問題は存在しておらず、特許法が自然人による発明のみを前提にして制定されたことは明らかであるから、特許法がAI発明に関する規定を設けていないことは、AI発明の保護を一律に否定する理由にはならないと主張し、また、AI発明は現に誕生して利用され、今後も増加が予想されるから、産業の発達に寄与するという特許法の目的に照らし、できる限り保護を認めるよう解釈運用すべきであって、自然人による発明に限定した場合には、AI発明を生み出す意欲が減退する、生み出されても公開されず秘匿される等の弊害も生ずることになり、産業の発達に寄与するという特許法の目的にも反する等と主張する。
特許法の制定当初から直近の法改正に至るまで、近年の人工知能技術の急激な発達、特にAIが自律的に「発明」をなし得ることを前提とした立法がなされていないことは、原告が主張するとおりである。
しかし、特許権は天与の自然権ではなく、「発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことを目的とする特許法に基づいて付与されるものであり、その制度設計は、国際協調の側面も含め、一国の産業政策の観点から議論されるべき問題である。
例えば、次世代知財システム検討委員会報告書(平成28年4月、知的財産戦略本部検証・評価・企画委員会、次世代知財システム検討委員会、乙10)においては、人工知能による自律的な創作(AI創作物)について、「『情報量の爆発的な増大』という形で、人間による創作活動を前提としている現5 在の知財制度や関連する事業活動に影響を及ぼしていくと考えられる。人工知能は、人間よりはるかに多くの情報を生成し続けることが可能と考えられるからである。」、「AI創作物が自然人の創作物と同様に取り扱われるとなると、それは即ち、人工知能を利用できる者(開発者、AI所有者等)による、膨大な情報や知識の独占、人間が思いつくような創作物はすでに人工知能によって創作されてしまっているという事態が生じることも懸念される。」等の指摘がされている。
すなわち、AI発明に特許権を付与するか否かは、発明者が自然人であることを前提とする現在の特許権(原則として、特許権は特許出願の日から20年の存続期間を有し、特許権者は業として特許発明を実施する権利を独占し(特許法68条本文)、侵害者に対する差止請求権(同法100条)及び損害賠償請求権を有する等)と同内容の権利とすべきかを含め、AI発明が社会に及ぼすさまざまな影響についての広汎かつ慎重な議論を踏まえた、立法化のための議論が必要な問題であって、現行法の解釈論によって対応することは困難である。原告が主張する発明者を自然人に限定した場合の弊害等も、これらの立法政策についての議論の中で検討されるべき問題である。
そうすると、本件処分時点(及び現時点)で特許法がAI発明の存在を前提としていないことは、特許権付与によりAI発明を保護するという立法的判断がなされていないことを意味し、この場合において、単純にAI発明を現行制度の特許権の対象とするような法解釈をすることが、直ちに「発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことにつながるということはできない。
傍論とは言え、期間の短い保護をAI発明に与える事も考えられるという裁判所としては踏み込み過ぎの記載をしていた東京地裁判決と比べ、知財高裁はAI発明の保護については今後の立法の議論に委ねるべきという司法として極当然の事のみを記載する形を取っており、これも東京地裁判決より良いと思える点である。
さらに、この判決中で、知財高裁が「特許権は天与の自然権ではなく、『発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する』ことを目的とする特許法に基づいて付与されるものであり、その制度設計は、国際協調の側面も含め、一国の産業政策の観点から議論されるべき問題である」と断言した事も、当たり前の事ながら、地味に大きな意味を持つのではないかと私は考えている。知財政策を巡る様々混乱はほぼ知財権を天与の自然権であるかの様に勘違いする事に起因している様に私には思えるのである。
今後、AI発明については、様々なレベルでこの知財高裁判決も踏まえた議論がされて行く事になるだろうし、この知財高裁判決は東京地裁判決と比べてもより良い議論の出発点を与えるだろうと私は考えている。
最後に繰り返しになるが、今一度書いておくと、私自身はAIによって真に自律的に発明がなされ得るかという事からしてなお疑問に思っているし、本当にその様な事があり得る様になったとしたら、それはもはやその様な発明により弱い保護を与えるというような弥縫策でどうにかできるものではなく、知財制度の原則を根底から覆す事になるに違いないと常に考えている。
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