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2010年2月19日 (金)

第215回:表現の自由の一般論(その3:情報アクセスに対する規制への表現の自由に関する違憲基準の適用)

 前回の話の続きで、情報に関する規制は通常いろいろな側面をもって行われるものであり、完全な分類が可能な訳ではないが、今まで問題になって来ている表現に関する規制について、まず情報アクセスに対する規制と考えられる類型について具体的にどう考えられるかという話を今回はまとめておきたい。やはり最初に、以下はあくまで個人的なまとめであることをお断りしておく。(憲法そのものについて、詳しくは、芦部信喜先生の「憲法」、「憲法学」、佐藤幸治先生の「憲法」、伊藤正己先生の「憲法」、長谷部恭男先生の「憲法」、浦部法穂先生の「憲法」等々の著名な憲法学の教科書を直接ご覧頂ければと思う。また、最近公表された日弁連の表現の自由に関する報告書(pdf)正誤表(pdf))も網羅的に一通り書かれているので非常にためになる。)

 インターネットの登場によって、個人の情報アクセスの機会は爆発的に増えた訳だが、権力の中にあって、そのことを心良く思わず、個人の知る権利、情報アクセスの権利を踏みにじって自分たちに都合の良いようにのみ情報をコントロールしようとする者もまた確かに存在している。このような歪んだ情報規制の動きは今後も完全に無くなりはしないだろうが、そのことが憲法の保障する表現の自由に照らして不当であることもまた変わらない。

 今までこのブログで取り上げて来た情報アクセスに対する規制の主なものとして、a.ブロッキング、b.強制フィルタリング、c.個人の情報アクセスの剥奪(ストライクポリシー)、d.情報の単純所持・取得・閲覧・アクセス罪の導入、e.情報の単純所持・取得・閲覧・アクセスの違法化(ダウンロード違法化)があげられる。

a.不透明な手続きにより課される特定の情報源の遮断・閉鎖(ブロッキング)
 児童ポルノ規制との関係で持ち出されることの多いサイトブロッキングだが、第211回で書いたように、行政機関の命令としてやろうと、自主規制としてやろうと、どのサイトがブロッキングの対象となるか等の具体的な情報は全て閉じる形で秘密裏に保持されることになるのであり、ブロッキングにおいて運用の透明性・公平性・中立性を確保することは本質的に完全に不可能である。そのため、国民から見て濫用の防止が不可能であり、必ず恣意的に濫用されることになるブロッキング等の措置は、憲法に規定されている表現の自由(知る権利・情報アクセスの権利を含む)や検閲の禁止といった国民の基本的な権利を侵害するものとならざるを得ない。(前回も書いた通り、ある情報源を完全に遮断・閉鎖し、そこに載っている表現物の発表・流通を完全に抑制し、表現の自由に含まれる個人の知る権利、情報アクセスの権利を不当に抑制することになるブロッキングのような手段は完全に検閲に該当すると私は考えている。)

b.特定の情報を遮断するように作られたソフト・機器・サービスの強制(フィルタリング義務化)
 青少年保護の観点から持ち出されることの多いフィルタリング義務化だが、中国の検閲ソフト導入計画「グリーン・ダム」計画を考えれば分かるように、フィルタリングソフト・機器・サービスを完全に義務化・強制して国民に押し付けた場合には、ブロッキングと同じく、ある情報を完全に遮断することになり、やはり表現の自由に含まれる個人の知る権利、情報アクセスの権利を不当に抑制することになるものとして検閲に該当することになる。(フィルタリングの対象の決め方・フィルタリングソフト・機器の不当な抱き合わせ商法の後押しで利権を作ることのみを目的とした今の青少年ネット規制法は、このような完全義務化でなく表現の自由の観点から違憲とまでは言えないにせよ、このような不当利権を作ることのみを目的とした立法が廃止されるべきであることに変わりはない。これに対して、詳細不明のため何とも言えないところもあるが、今東京都が狙っている子供の携帯フィルタリングの実質完全義務化の動きは、親の監督権なども絡む非常に難しい問題であることに加え、表現の自由とは別に大人だけのものでは無く、憲法は子供も含めて表現の自由・知る権利・情報アクセスの権利を保障していることをないがしろにするものだろう。)

c.個人の情報アクセスの抑制(ストライクポリシー)
 ストライクポリシーは著作権問題の中で取り上げられることが多い。ネット切断型の違法コピー対策であるストライクポリシーとして今まで考えられている主なパターンには、フランスで当初検討され、憲法裁判によって否定された行政機関の命令により個人のネット切断を行うパターンと、今現在海賊版対策条約(ACTA)の文脈の中で検討されているように、間接侵害を規定してその免責規定としてインターネット・サービス・プロバイダーに個人のネット切断を強制するパターンがあるが、どちらにせよ、このようなストライクポリシーは、通常の司法手続きを省いて一方的にネット切断という個人に極めて大きな影響を与える罰を与え、表現の自由に含まれる個人の知る権利、情報アクセスの権利を不当に抑制することになるのであり、結果として同じことである。ブロッキングやフィルタリングとはまた形が異なるが、ストライクポリシーも、表現の自由によって保障されている個人の知る権利、情報アクセスの権利を一方的に抑制するものとして、1種の検閲と考えられるべきものである。(もう1つ、フランスの3ストライク法の第2案のように、簡易裁判所を利用するパターンもあるが、運用次第ながら恐らくこれも実質的に同じことになるだろう。また、ネット切断ほどではないにしても、帯域制限などのやり方も同じく問題がある。)

 通常の司法手続きを省き、公平な審理もなく憲法の保障する個人の情報アクセスを恣意的かつ一方的に抑制する点で共通している、これらのa〜cは新たな検閲の類型として、表現の自由に対する重大な侵害をもたらすものとして絶対に導入されてはならないものである。

d.情報の単純所持・取得・ダウンロード・閲覧・アクセス罪の導入
 児童ポルノ規制との関連から取り上げられることの多い情報の単純所持罪等だが、このブログでは何度も繰り返している通り、アクセスと閲覧とダウンロードと取得と所持の区別がつかないインターネットにおいては例え児童ポルノにせよ情報の単純所持や取得の規制は有害無益かつ危険なものである。意図にインターネット上の公開情報に安全に個人的にアクセスすることを回避不能の形で不可能とするこのような規制も、やはり、表現の自由に含まれた個人の知る権利、情報アクセスの権利を不当に害するものとしかなり得ない。(意図に関する限定を加えたところで、エスパーでもない限りこのような積極性を証明することも反証することもできないため、このような規制の危険性は回避不能である。インターネットで2回以上他人にダウンロードを行わせること等は技術的に極めて容易であり、取得の回数の限定も何ら危険性を減らすものではない。情報の単純所持罪の問題は罪刑法定主義や思想・良心の自由の問題とも絡むが、その話はまた別途補足という形で書きたいと思う。)

e.情報の単純所持・取得・ダウンロード・閲覧・アクセスの違法化(ダウンロード違法化)
 文化庁の暴走と国会議員の無知によってダウンロード違法化が行われたが、刑事罰のついていないこのような情報規制も、その実運用次第で、やはり、表現の自由に含まれた個人の知る権利、情報アクセスの権利を不当に害するものとなり得る恐れが出て来る危険な規制であることに変わりはない。実運用次第となるため、現時点で完全に違憲とまで言い切ることはできないが、著作権法上のダウンロード違法化はバランスを欠いた規制として違憲の疑いのある規制とは言えるだろう。(権利者団体の狙っているところだと思うが、刑事罰の付与と非親告罪化と合わせるとダウンロード違法化は、情報の単純所持罪と同等となり、完全な違憲規制となる。)また、憲法論の文脈で持ち出されることはあまり無いが、著作権法と不正競争防止法上のDRM回避規制も情報アクセスの問題となり得る。

 なお、この他にも今まで知る権利・情報アクセスの権利が問題となった話には、f.法廷での写真撮影・メモ取り等、g.情報公開法がある。

f.法廷での写真撮影・メモ取り等
 報道の自由の重要性そのものは認めながら、法廷での写真撮影を、法廷等の秩序維持に関する法律に基づいて禁止することは合憲とする判断が、北海タイムズ事件(昭和33年2月17日の最高裁判決(pdf))で示されたが(新聞などで法廷の写真が出て来ないのはこの判決のためである)、その後、法廷でのメモ取りについては、法廷メモ採取事件(平成元年3月8日の最高裁判決(pdf))で、表現の自由で保障される情報摂取を尊重し、裁判を認識し、記憶するためになされる限り尊重に値し、妨げられてはならないとされた。今後、さらに法廷でのtwitter中継についてどう考えるかということなどが問題となって行くことだろうが、裁判のネット中継をどう考えるかは非常に微妙な問題である。(今巷で騒がれている検察・警察の捜査の可視化の話の延長にある話として、このインターネット時代に裁判のネット中継をどう考えるかということについても真摯な議論が必要となって来ているだろう。)

g.情報公開法
 情報公開法(正式名称は、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」)については、上でリンクを張った日弁連の報告書に詳しく、このブログの本題からずれるので、ここで長々と問題点をあげつらうことはしないが、国民の知る権利を保障しようとするものだったはずながら、この法律の施行前に各官庁が駆け込みで大量の文書を廃棄していたり、不開示の理由が曖昧で良い上、その理由の正当性を確かめる方法が無いなど、やはり問題点の多い法律である。(この法律が問題となり最高裁まで行った最近の主な事件として、「独立した一体的な情報」という良く分からない基準によって一体的な情報とみなせるものは部分不開示ではなく全体不開示として良いとした大阪府知事交際費事件(平成13年3月27日の最高裁判決(pdf))、同じことを言っている愛知県知事交際費事件(平成14年2月28日の最高裁判決(pdf))、「独立した一体的な情報」という基準を実質的に取り消し、切り分けられる情報は可能な限り切り分けて開示するべきとした愛知県食糧費開示請求事件(平成19年4月17日の最高裁判決(pdf))、情報公開裁判においていわゆるインカメラ審理を否定した外務省事件(平成21年1月15日の最高裁判決(pdf))がある。)

 fとgは、いわゆる狭義の知る権利、積極的に政府機関等の情報の公開を要求することのできる権利に関するもので、あまりこのブログでは取り上げて来ていないが、無論、この意味での知る権利についても、行政機関に限らず裁判所や国会も含めて、今後も地道に改善が図られなければならないところが多い。

 今の日本の危機的状態を見るにつけ、特に、技術の発展・インターネットの普及に対応する形で登場して来た、ブロッキング、フィルタリング義務化、ストライクポリシーといった新たなタイプの検閲、やはり個人の情報に関する基本的な情報アクセスの権利を不当に害するものとしかなりようのない情報の単純所持罪、同じく情報アクセスの権利を不当に害する恐れのあるダウンロード違法化といった新しいタイプの情報規制の類型と表現の自由の関係をきちんと真正面から議論することは本当に喫緊の課題である。進んで国家権力に協力し、違憲規制の導入に積極的に加担するおよそ論外の超御用法学者がいることに加え、他の多くの法学者も法解釈学と称して単なる判例整理学者に堕し、このように新たな情報規制の類型に対する根本的な検討を完全に怠っているという状況では、このような新たに現れた検閲・表現の自由侵害に対する重要な法理論の発展を日本の法学界に期待することはほとんどできないが、別に法理論は法学者だけが立てるものではない。繰り返しになるが、このような真の国民的な「権利のための闘争」において何人も憚ることはない、私はあらゆる者に憲法論の重要性を知ってもらいたいと私は思っている。

 最後に最近のニュースについても少し紹介しておくと、知財本部で「インターネット上の著作権侵害コンテンツ対策に関するワーキンググループ(第1回(2月16日)議事次第第2回(2月22日予定)開催案内)」、「コンテンツ強化専門調査会第1回(2月19日)議事次第第2回(2月24日予定)開催案内)」、「知的財産による競争力強化・国際標準化専門調査会第1回(2月16日)議事次第)」と、という3つの検討会が動いている(日経の記事internet watchの記事も参照)。中でも、やはり海賊版対策条約(ACTA)・ストライクポリシー・DRM回避規制強化を検討するだろう「インターネット上の著作権侵害コンテンツ対策に関するワーキンググループ」は特に要注意である。

 PC onlineの記事になっているが、文化庁で、この2月18日に文化審議会・著作権分科会・法制問題小委員会が開催され、一般フェアユース条項導入の今年度の検討が始まった。

 内閣府の「児童ポルノ排除対策ワーキングチーム」の第1回(2月4日)の議事次第も公開された。その資料の内、今後の検討事項(案)(pdf)には、「3 インターネット上の児童ポルノ画像等の流通・閲覧防止対策の推進」という項目が入っているが、ここでサイトブロッキングというネット検閲に政府のお墨付きを与える可能性が高い。さらに「6 諸外国の児童ポルノ対策の調査」についても、自分たちの都合の良いようにのみ国際動向を作ってくる恐れが極めて強い。また、検討スケジュール案(pdf)によると、この会合は、ヒアリングは有識者3人のみ、しかもその1人が去年の児童ポルノ改正法審議で単純所持規制が必要とただひたすら感情論のみで訴えていた日本ユニセフ協会のアグネス・チャン氏という、さらに会合も2回か3回のみで後は各省庁が勝手に対策を持ち寄って合意という超出来レース会合であると知れる。(児童ポルノに関する事件については、時事通信の記事にあるように、最近、警察庁が平成21年の統計を公表している。実態を示しているかどうか良く分からないこの数字で一喜一憂することは無意味だが、警察庁の公表資料1(pdf)を良く見れば分かるように、平成20年に比べると増えているが、平成12年から通してみれば児童買春と児童ポルノ事件合わせた被害児童数はまだ減少傾向にあり、全体の被害児童数で見れば過去最悪でも何でもない。児童買春事件が減った分児童ポルノ事件に力を入れられて良かったというだけの話である。同時に日経の記事などでブロッキングが持ち出されているところから考えても、警察は、児童ポルノの単純所持罪の導入から今はサイトブロッキング、児童ポルノを理由としたネット検閲の推進の方に力点を移しているのだろう。また、internet watchの記事にあるように、出会い系サイトに関する事件についても統計を発表しているが、警察庁の公表資料2(pdf))を良く見れば分かる通り、全体で見た時の被害児童数は別に増えていない。このようなやり方は統計の分割による印象操作の典型例である。そもそも出会い系と非出会い系という区別をすること自体間違っているだろう。)

 東京都では、第201回でその答申案の話を取り上げた青少年保護条例改正案と、ネットカフェ規制条例案の2つが2月24日から始まる次の都議会第1回定例会に提出される予定となっている(東京都HPの東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案の概要インターネット端末利用営業の規制に関する条例案の概要参照。時事通信の記事internet watchの記事1記事2も参照)。

 ドイツでは、政権与党の一角に入った自由民主党のスポークスマンが、「ブロッキングではなく削除を」は正しい道であり、インターネットでも基本的な権利を尊重することが新政権の方針だとの発表を既に行っている(onlinepresse.infoの記事(ドイツ語)参照)。(testticker.deの記事(ドイツ語)に書かれている通り、ドイツでは、インターネットユーザーの大多数は児童ポルノサイトブロッキングにほとんど何の効果もないと考えているとのアンケート結果もまた出ている。)

 本当は、他の規制類型についても一緒に書くつもりだったが、やはり情報アクセスに対する規制の話だけで長くなってしまったので、他の表現に関する規制類型の話は、次に回したいと思う。ただ、もしかしたらその前にいくつか著作権関係の話を書くことにするかも知れない。

(2010年2月19日夜の追記:内容は変えていないが、上の文章に少し手を入れた。

 また、オタワ大教授のマイケル・ガイスト氏がそのtwitterで取り上げているが、海賊版対策条約(ACTA)について、ほぼ全党派の欧州議会議員から欧州委員会へ新たな質問状(doc)が投げられている。海賊版対策条約については、今なお極秘裏に検討が進められるという不気味な状態が続いている。)

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