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2008年3月 9日 (日)

第68回:情報に対する法規制の不可能性

 規制の一般論については、第46回にも書いたのだが、文化庁のダウンロード違法化、総務省のB-CAS不正機器規制・情報通信法・フィルタリング原則化、警察庁の出会い系サイト規制、政府・自民党他の児童ポルノの単純所持規制・有害サイト規制(読売新聞中日新聞などによると自民党も規制強化案を作っているようである。)と、ここ最近の規制推進の動きを見るにつけ、政官業に巣くう規制虫の寄生推進運動はあまりにも目に余るので、さらに補足の記事を書いておきたいと思う。

 このようにインターネットに対して無意味あるいは危険な規制強化案が続々と出てくること自体、今の政官業の政策担当者に情報・表現・文化そのものに対する理解が完全に欠けていることを示している。だが、彼らが何をどうしようが、情報そのものを規制することは最後不可能であり、どんな情報であれ、一部の人間による恣意的な基準で情報・表現・文化を統制することなど絶対にあってはならないことである。

(1)情報そのものに関する規制・表現そのものの規制
 まず、はっきり書いておくが、情報そのもの、表現そのものは、法律による一般的かつ網羅的な規制に服させることは不可能であるし、また、服させるべきでもない。情報・表現の違法性・有害性は、常に相対的なものである。

 ダウンロード違法化やポルノの単純所持規制がこの類型に属するが、誰が見ても違法な情報、誰が見ても有害な情報など有り得ない。情報そのものの入手や所持を規制することは、その恣意性から、極めて危険な刃を規制主体に与えてしまうことになるだろう。

 ダウンロード違法化問題については、今までいろいろと書いてきたので省略するが、児童ポルノの単純所持規制にしても、インターネットで閲覧とダウンロードと所持の区別がつけられないことを考えると、この規制も、サイトの閲覧のみで逮捕される可能性が出てくる危険な法規制となると予想される。児童保護は確かに重要だが、間違えてリンクを一つ踏んだだけでも逮捕される可能性が出て来て、しかも抗弁が極めて困難という法規制は、明らかに常軌を逸している。(この点については、「クリエーター支援&思想・表現・オタク趣味の自由を守護するページ」で単純所持が禁止されている各国で、取り締まりによって自殺者まで出ている例などが紹介されている。同じく単純所持が禁止されているアメリカでは、児童ポルノサイトへのリンクを掲示板に貼って、リンクを踏んだ者の逮捕を誘発するという荒らし行為があるという話も聞く。最近の検討を見るにつけ、日本も対岸の火事とばかり言っていられない。)

 情報そのものを一般的かつ網羅的に規制することは、ほとんど新たな思想犯罪を構成し、規制主体(国であれ、団体であれ)となる一部の人間にこの思想犯罪の後出しの取り締まりを許すことに等しい。国民一人一人の情報判断能力を否定する、このような危険な法制には、私は絶対に反対である。

(2)有体物の単純所持規制
 また、情報と直接絡まない有体物としての物の単純所持は、情報に比べるとまだ法律による規制可能性はある。しかし、所有物に対する規制も、個人の所有権を超える一般的なモラルがなければ、極めて多くの犯罪者(予備軍)を作るだけの極めて危険なものとしかなりようがない

 B-CAS不正機器をこれ以上規制するとなると、法律で規格を決めた上で、違反機器の単純所持を規制するくらいしか考えられないが、個人的に録画機器を使うことによって何ら他者への実害が発生しない以上、その規制を守らせるに足るモラルも発生しようがない。B-CASに関する規制強化は、どう考えても、社会的混乱をもたらすだけで百害あって一利ないものとなるだろう。

(3)サイト規制・サイトへのアクセス規制
 インターネットサービスプロバイダーあるいはサイト事業者・管理人に対する規制にしても、規制可能なところまでは既に規制されているのであって、恣意的な定義による削除義務や登録・審査義務、あるいはアクセス禁止などのこれ以上の規制は、不当規制以外の何物でもない

 総務省の情報通信法・フィルタリング原則化、警察庁の出会い系サイト規制、政府・自民党他の有害サイト規制は全てこの類型に当てはまるが、どの規制強化案にしても、規制を是認するに足る明確な根拠は何一つ示されてない。フィルタリング規制を推進しようとして、無駄に社会的混乱を招いている総務省の例が端的に示している通り、これらの規制の導入は確実に社会的混乱を招き、貴重な社会的コストを無駄に浪費し、日本の文化と経済に癒やし得ぬ傷を負わせることになるに違いない。

 とにかく、インターネット規制に関する限り、既存の法律でどこまで対応可能であるのか、どこまで法律で規制可能なのか、モラルや契約に委ねるしかないこともあるのではないかといった基本的な考察を飛ばして、漠然とした不安と印象操作調査のみによって、規制を正当化しようとする思考停止が政官にはびこっているのは、本当に度し難い。

 官による一般的かつ網羅的な規制を認めることは、国民を「規制できない」という、官に対する規制を緩和することに他ならない。表現の自由や通信の秘密、検閲の禁止などは、国家という大規制主体の暴走を規制する必要不可欠の轡である。最近の規制強化に私が見るのは、この轡を外そうともがく政官の姿である。統制されない権力は必ず暴力となる。インターネットという場に、既存の利権構造を延長しようとする権力に乗じる隙を与えてはならない。

 どんな規制でもしないよりは安全だとする者に対して、私は、「奴隷の安全よりも、危険な自由を選ぶ」といつでも言うことだろう。清潔な文化など文化ではない。どのような情報であれ、利用には必ずリスクがともなう。私にはあらゆる公開情報にアクセスする権利がある、そして、その利用にともなうリスクは常に自ら負う。この情報に関する最も基本的な権利を不当に奪うような国に未来はない。

 最後に、他の検討も少し紹介しておくと、総務省では、2月26日に「インターネット政策懇談会」の第1回が開催され、その検討アジェンダに対する提案募集がなされている。研究会のタイトルから内容がいまいち想像できなかったのだが、いわゆるネットワークの中立性に関する話がここで検討されるようである。

 知財本部では、3月6日に開催された第2回の「コンテンツ・日本ブランド専門調査会」で「デジタル時代におけるコンテンツ振興のための総合的な方策について」(概要本文)という報告書がまとめられている。フィルタリングに関する記載が付け加わっていたりするのは、最近の各省庁の検討を受けたものだろう。知財本部の報告書については、意見募集の際にでも、まとめて突っ込みを入れたいと思っている。

 また、ZeroPaidの記事(英語)によると、イギリスの議会でも、著作権の保護期間延長が議論され、その議論がさらに延期になり、Open Rights Groupというグループが、この延期を、皆が議員に著作権の保護期間延長を許すなと書いて送ったおかげと言っているようである。実際のところは良く分からないが、少なくとも、欧州でも著作権保護期間延長問題はもめているということは言えるだろう。

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