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2008年1月24日 (木)

第52回:コピーフリー文化の重要性

 今日、文化庁で、今期最後の私的録音録画小委員会が開催され、ダウンロード違法化問題も含めて、私的録音録画関係のとりまとめが先送りになったとネット記事(internet watchの記事ITmediaの記事)でも報道されている。

 結論が先送りになり、またパブコメなりを出す機会があると予想されるのは良いことだが、次のとりまとめに向け、文化庁と権利者団体が、こぞって「複製=対価」の世界のみが文化の発展に寄与するという間違い以外の何物でもない観念による国民への洗脳を強化する恐れが強い以上、それ以外の世界も今まで常に大きな存在であったことを、そして、それ以外の世界の方こそ今広がりつつある世界であることを、あらゆるところで示す必要がある。「複製=対価」の世界も勿論あっても良いだろうが、このルールが「複製=フリー」の世界にまで強制され、全てが「複製=対価」で塗りつぶされることは文化にとって極めて有害であることを示し続けることは、「複製=フリー」の世界に最も近いところにいるネットユーザーの責務だと私は思っている。

 英語でFreeというと自由の意味も、無償の意味もあるのに比べ、フランス語では自由はLiberte、無償はGratuit、ドイツ語ではFreiheitとCostenlosと違う語である。英語でフリーというとすぐごっちゃになるが、自由と無償は違う概念であり、自由なら無償かというとそんなことはないし、無償なら自由かというとそんなこともない。(言葉の違いが法制に影響を与えているのかどうかはよく分からないが、自由あるいは無償ということを言い表すのにはフリーという語感は便利ではある。)

 そして、情報の利用と自由と無償という観点から分類すると、「情報の利用=不自由かつ有償」、「情報の利用=不自由だが無償」、「情報の利用=自由だが有償」、「情報の利用=自由かつ無償」の4パターンがあることは誰にでも分かることであるし、この全てのパターンが現実にあり得ることも分かるだろう。「情報の利用=複製」と考えて、「複製=不自由かつ有償」こそ文化の発展にとってベストソリューションとなる基本概念であると、文化庁と権利者団体が今必死で洗脳工作を展開している訳だが、私は全くこれに賛同しないどころか、「情報の利用=自由かつ無償」こそ文化と産業の発展にとって常に必要不可欠の基本概念だったと、そして、これからもあり続けると私は考えているのである。(このような「自由」に基づく知的財産の分類をしている文章はあまり見かけないが、知財権に限らず、権利すなわち法規制で、権利は全て自由から発生する諸問題を回避するための調整手段なのであり、その逆ではない。そう単純な話でもないが、自由・不自由はDRMの有無と、有償・無償は補償金の有無と読みかえてもらうと分かりやすいかも知れない。)

 今回は文化の話をしたいので、著作権に的を絞るが、そもそも、情報の伝達手段が未発達で、著作権という思想がないころに、コピーが自由かつ無償であることは自明のことであって、その時代に情報の伝達のための複製には許諾が必要だとして金を取ろうとしたら、気違いと思われて終わったことだろう。情報の伝達のため手段が限られていた時代には、その情報が取り締まられるべき思想でない限り、情報伝達のための複製は推奨しこそされ、規制することなど考えられもしなかったろう。ギリシャにせよ、中国にせよ、古代文化として残されているものは全て、当時最も多く読まれたものが最も多くコピーされ、おかげで結果として残っているのである。大体、一部の者が莫大な資産と余暇を持て余している状況では、文化の保護は単純に人の囲い込みによってなされていたのであり、民衆は民衆で自分たちで文化をほぼ無償で伝承していたのであって、そこに「情報の伝達のための複製=対価」の概念など入り込む余地は無かったろう。

 では、著作権思想の発生と拡大の要因は何だったかというと、結局、情報の伝達のための複製のコストが技術の発展により下がったということこそ決定的な要因だったと考えられる。

 印刷技術の発明によって、出版にかかるコストが劇的に下がったため、多くの人々に本を届けることが可能となり、それが商売となった。しかし、コストが下がったと言っても、印刷機と本の流通のためにかかる投資コストはかなりのものであり、あらゆる者に技術的な恩恵を、文化的な創造物を享受する機会を与えるためには、この投資コストを出版業者に回収させることが必要だったからこそ、著作権は発明されたと考えられるのである。そして、この投資コストの回収こそが最大の理由であったのにもかかわらず、この権利の発明にあたっては、創作者へのコスト配分によるインセンティブ論が巧妙に使われたことだろう。

 その後、新たな情報伝達技術が発明される度に、同じ創作者保護の理屈で著作権は拡大されて来た。さらには、20世紀になってレコードや放送といった情報流通(伝達)手段が発明され、これらの流通業が極めて強い政治力を持つに至った結果、これらの業界は、それまで使われてきた著作権の創作者保護の建前すらねじ曲げ、著作隣接権という形で自分たち流通業の投資コストの回収のための権利を、著作権法に無理矢理ねじ込んだ

 しかし、どのような創作者であれ、最初から独創的な創作をして来た者などおらず、最初は必ず模倣から始まり、個人レベルであれ社会レベルであれ、この模倣が自由かつ無償で許される世界の存在こそが常に、次世代の文化の作り手・担い手を育ててきたのであり、著作権思想の拡大によっても、この世界は消極的にもせよ常に守られて来ていたのである。音楽家にせよ、画家にせよ、作家にせよ、プロであれ、アマチュアであれ、子供あるいは青年時代に、他人の音楽なり絵なり文章なりを個人的に複製・模写・模倣・加工して、自分なりの表現手法の模索をしたことがない人間がいるだろうか。これが法律的に悪だと言われたら、一体どうやって文化を学び、発展させれば良いというのか。今の私的複製の議論など、著作権神授説に毒されすぎ、最も基本的なことが忘れられているのである。

 これらの出版やレコードと言った発明は全て、情報の伝達のための複製のコストは下げたせよ、必ず業としてかなりの投資を要求するものであったが、通信技術の発展、特にインターネットの登場が、その状況をさらに劇的に変え、情報伝達のために必要な全ての複製のコストをあらゆるユーザーにとって気にならないほど小さなものに下げた。このような場で、複製に基づくコストの回収と配分という従来のスキームが通用しないのは当たり前であり、この状況の変化が、従来の有体複製物の流通コストに頼ってきた情報流通業の有様に変化を与えるのも当然の話である

 要するに、流通コストへの投資の谷を越えられそうな創作者のみに流通事業者が投資をして著作物を流通させることが正しい文化のあり方だった時代は終わり、誰でも文化の発信者になり得る夢の状況が既にほぼ現出しているのである。投資の谷を越える必要がない以上、何ら金銭的なインセンティブをつけなくとも、自らの創作物を公表する人間は必ずいる。人類全体の文化に貢献するということのみを目的として人が創作することもあるのを否定してはならない。インターネットという技術の開発によって、「情報の利用=自由かつ無償」の世界に新たな地平が開かれたのだ。

 ソフトウェア業界では、フリーソフト・オープンソースソフトのやりとりがインターネット上で極めて盛んに行われている。確かにこのフリーソフトは商用ソフトウェアと競合し、たまに小競り合いも見かけるが、フリーソフトやオープンソースソフトによって、ソフトウェア業界が壊滅的なダメージを受けるどころか、かえって共存繁栄の道を模索していると考えた方が妥当である。

 ゲーム、漫画、アニメに代表されるオタク文化業界も、「情報の利用=自由かつ無償」の世界である同人文化がこれを下支えしていることは公然の秘密であって、これらも、たまに裁判などになったりはするものの、基本的には暗黙の内に共存繁栄を目指していると考えた方が良い。

 これらの業界はよく知られている顕著な例というだけの話であって、他のジャンルの文化であっても変わりはない。文化の発展のためには、潜在的な創造者である利用者に、著作物の無償かつ自由の利用を認めることによって生じる揺らぎが絶対に必要なのであって、これをつぶすことは未来の文化をつぶすことに他ならない。創造は常に模倣からしか生まれないのであり、フリーライドを完全に悪として、あらゆる複製を不自由あるいは有償としてしまうことは、文化政策として絶対にやってはならないことなのである。

 ただし、「情報の利用=自由かつ無償」の世界が必ず必要であるにせよ、これがどの程度必要であるか、さらに、「情報の利用=不自由かつ有償」、「情報の利用=不自由だが無償」、「情報の利用=自由だが有償」の世界も含め、これらの間の線をどこに引くかは非常に難しい問題であり、リアルとバーチャルを通しての共通解は恐らくない上、文化のジャンルによっても最適解は恐らく異なっている。本当の現実解の導出には相当長い時間がかかるだろうと、本当の現実解の導出の前に中途半端な妥協をすることは必ず良くない結果をもたらすだろうというのが私の考えである。

(1月24日夜の追記:コメントを頂いたが、確かにクリエイティブ・コモンズなどの取り組みについて言及し損ねていた。このような取り組みについては、また別途書きたいと思う。なお、細かなライセンス条件が必要なほどのブログとも思っていないので書いていないだけなのだが、念のためにここで書いておくと、このブログはほぼパブリックドメインと思って書いているので、ここで私が書いた情報の利用は全て自由かつ無償と考えてもらって構わない。ただし、引用の部分については、引用元の著作権がある場合があるので気をつけて頂きたいと思う。)

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コメント

そのために、CCやらGFDLやら、フリー文化を自主的に創造していく手段もありますよ。そっちに乗り換えた方が早いです。

投稿: ゆきち | 2008年1月24日 (木) 10時21分

ゆきち様

コメントありがとうございます。
確かに、クリエイティブ・コモンズなどのライセンスに言及しそこねていました。クリエイティブ・コモンズなどについては、また取り上げたいと思っているところです。

ご理解頂いているとは思いますが、この記事で言いたかったことは、フリー文化が必要だということであって、全てフリーに乗り換えた方が良いという話ではありませんので、念のためコメントを返させて頂きます。

どちらかが潰えるという話ではなく、フリー文化とそれ以外の文化は共存するものと、お互いにバランスの取れた状態を目指していくのだろうと私は思っています。

この望ましいバランスの実現のため、是非、ゆきち様もフリー文化の裾野を広げて下さればと思います。文化の未来はもはや一人一人のユーザーの肩にかかっているのですから。

投稿: 兎園 | 2008年1月24日 (木) 23時15分

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