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2007年11月23日 (金)

第28回:著作権法改正で気をつけるべきいくつかのこと

 著作権法は、極めて複雑な構成の条文によって、数々の民々の利権秩序を構成しているため、この利権秩序の変更を伴うような、抜本的な法改正はまずもって望めない上、著作権神授説を信奉する著作権原理主義者の頭には、消費者・ユーザーの権利とという概念が入り込む余地が全くないため、今後も、著作権団体という利権団体の政治力によって、今まで消極的ながらも守られてきたユーザー・消費者の権利がさらに危機にさらされることがあるかも知れない。
 しかし、多少負けが込むことがあったとしても、私がユーザー・消費者・国民として、最後まで求めていきたいと気をつけていることを今回は書いておきたい。

(1)著作隣接権をこれ以上拡大しないこと
 流通事業者にこれ以上権利を与えてはならない。

 普通の放送局が著作隣接権を持っていることに対し、インターネット上で放送局を開設している者には隣接権が与えられないことや、CDに焼いて売ればレコード製作者として隣接権が得られるのに対し、インターネットに直接音源を乗せたのでは隣接権がつかないことを、流通事業者(放送局、レコード製作者、通信事業者等)が問題にしてくる可能性がある。(放送に関しては第5回にも同じことを書いた。)
 しかし、このようなことを問題とする主張は、これらの隣接権が、単にレコード会社や放送局が強い世界的に政治力を持っていたことからもたらされたものに過ぎないということを忘れている。(創作活動に関与している実演家は別である。)

 これらの者は単なる著作物の伝達屋・流通屋であって、そこには創作活動に準じた活動などない
 そして、インターネットという流通コストの極めて低い流通チャネルがある今、独占権というインセンティブで流通屋に投資を促さねばならない文化上の理由も無くなっている
 音楽にせよ、映像にせよ、創作者が自ら自由に世界に創作物を伝達できるようになった時点で、レコード会社と放送局に対する著作権法上の保護・優遇はその歴史的役割を終えたのである。
 別にこれらの隣接権が無くなったところで、レコード屋や放送局の社会的役割が無くなる訳でもなく、パッケージや放送で流通する著作物に著作権がなくなる訳でもない。本来位置しているべきだったところに彼らが戻るだけのことである。

 このような流通事業者に対する著作権法上の保護は、著作物の流通コストが高く、流通そのものの保護が必要だったときの遺物として、無くしていく努力がなされなければならないのであり、これに反する動きには私は断固として反対して行くだろう。

 特に、インターネットのようなコストの極めて低い自由な流通チャネルで、流通事業者に強力な独占権を発生させることは、文化と経済に無意味に害悪を垂れ流すことにしかならない。インターネットで流通事業者を優遇することは、ユーザーの創作インセンティブを大きく損なうことにしか繋がらないのである。
 情報に関する限り、あらゆる者がインターネットで同じ土俵に立つことが可能になった今、著作権法を創作性の原点に引き戻すことが最も理に適っていることではないかと私は考えている。

(2)公正な利用に関するより広汎な権利制限を作ること
 限定列挙による追加でも構わないが、今後も、インターネットを含め、情報の公正な利用に関する権利制限が検討されて行かなければならない。

 特に、日本では何故かないがしろにされがちであるが、技術の発展を受けた複製の主導権のユーザーへの移行、プライバシーや情報アクセス(知る権利)の社会的重要性を踏まえた上での、より現実的な権利制限が考えられてしかるべきである。
(著作権とは情報を保護する法律であるということも理念としては理解できるが、デジタル化とはすなわち、著作物が物を離れて情報化するこということに他ならないのであり、現実的には、情報そのものを保護することは最後不可能であるという前提に立たなければならない。)

 また、間接侵害に関する問題も同じことである。これは要するに、著作権者の許諾なしで著作物を利用可能な公正利用の範囲はどこまでかということを確定するという問題であり、権利制限によらなければ本質的な解決にはならない。(間接侵害類似事件の概要などについてもまたどこかでまとめたいと思うが、例えば、前回も紹介した、知財事務局の資料でもあげられている、選撮見録事件、録画ネット事件、まねきTV事件、MYUTA事件のうち、現状合法との判断が出されているまねきTV以外のものについて、公正利用と考えられるものがあるとしたら、それを含む形で必要十分な権利制限規定を作ることが必要なのである。)

(3)私的録音録画補償金を既得権益化しないこと
 今まで(第8回や、私的録音録画小委員会パブコメその1その2その3参照)も書いてきたことなので省略するが、今、私的録音録画補償金問題に関する検討がデッドロックに乗り上げているのは、補償金が著作権団体の既得権益化していることが主な原因である。
 ユーザーの観点から私的録音録画補償金制度をとらえ直すことも不可能ではないが、補償金が著作権団体の既得権益とならないようにする、ありとあらゆる仕組みがその前に検討されなければならないのである。

(4)著作権の保護期間をこれ以上延長しないこと
 これについては、様々なところでいろいろな人が考え述べているため、今更追加して言うこともないが、著作者の死後50年を70年にしたりするようなことには、文化的にも経済的にもほとんど意味がないことだろう。
 ひ孫の孫くらいのことまで考えて創作をしている人間がいるとも思われないし、著作権の保護期間を伸ばせという主張は、えらく古い有名人の著作権を持っている会社や遺族の、不労所得が無くなるのが嫌というわがままにしか聞こえない。(財産権ではない、人格権は別に切れることがないらしいので、人格権的なことを織り交ぜた発言にごまかされてはならない。)

(5)独禁法あるいは労働法など他の法律によって本来解決されるべき問題を著作権法に持ち込まないこと
 著作権法に競争法的あるいは労働法的な観点がビルトインされることを完全に否定するつもりはないが、著作権法は著作物を保護して文化を発展させることを目的とするものであって、流通の独占などを正当化するものではないということははっきり認識されていてしかるべきである。

 流通の独占による利益が得られないからと言って、著作権での保護強化を求めることはお門違いも良いところである

 また、クリエータやアーティストという便利な言葉で、保護される者をごまかされてはならない。著作権の保護強化は、著作権を持っている者の保護強化にしかならないことを忘れてはならない
 職務著作は基本的に全て会社が著作権を持つことなっている(特許法のような「相当の対価」規定もない)し、フリーの作家などでも、契約会社や団体に著作権を譲っている者も多いのではないか。
 本当に著作権を全て自分で管理しているフリーのクリエータやアーティストがほとんどおらず、著作権上も契約で不利を強いられているような状況なら、著作権法をいくら強化したところで、下積みのクリエータやアーティストまでその利益は回りようがない
 本当に下積みのクリエータやアーティストの保護・育成に問題があるとするなら、労働法や下請法を強化した上で、コンテンツ業界にこれを徹底的にエンフォースすることでしか解決されないのである。(必ずしもこれが業界全体のためになるかというと微妙なところもあるので、かなり難しい舵取りが要求されることだろうが。)

 結局どう法律をいじろうと、最後法律が守られるかどうかは国民全体のモラルとしてどうかということにしかかかりようがない。国民が持っている本当のコモンセンスと合わせていく努力を法律が忘れたとき、悪法か無法が生まれるのである。

 おまけとして、読みにくい英語なのだが、スペインのインターネット警察のボスが、無料でダウンロードする限りにおいて、ダウンロードユーザーは泥棒とは考えられないという発言をしたという記事があったので紹介しておこう。違法ダウンロードの問題については、私も頭の整理が完全に出来ている訳ではなく、今のところは私的複製の中に入れておくしかないだろうと思っているのだが、ダウンロードが無料か有料かというのは一つの面白い切り口だと思った。

 次回は著作権保護技術(DRM)に関することについて調べて書いてみたいと思っている。

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